【62】独英へ憲法・安保事情調査に。愛蘭にも足伸ばすー平成18年(2006年)❻

●与党欧州憲法・安保事情調査団に参加ードイツの場合

平成18年(2006年)の後半。防衛庁の省昇格問題が、安保関係議員の間では大きな懸案となってきていました。2001年の橋本行政改革にあっても、防衛庁は防衛省とならぬままに据え置かれていたのです。自公首脳の間で、決断するために様々な角度から調査を進めようということになったようです。 与党欧州憲法・安保事情調査団と名付けられ、7月24日から30日までドイツ、英国に行くことになりました。石破茂、新藤義孝、佐藤茂樹さんらと共に、私が参加することになったのです。ヨーロッパの二大軍事大国における軍事と軍関係者のありようを、つぶさに調査することが目的です。

ドイツには、24日から25日まで滞在。国防省を訪れました。第二次大戦後における欧州事情の要請もあって、ドイツは再軍備に踏み切りました。ただ、ナチスのホロコーストにみる残虐非道ぶりへの反省から、軍人への徹底した内面教育や軍の民主化が進められてきています。そうした教育の影響がもろに反映した結果でしょうか。ドイツ軍という存在は過去のイメージとは程遠いものとして定着しているようです。軍人たちは「制服を着た市民」としての位置づけが強調されているとのこと。国民の基本的人権の保障を目的とする内面教育の実態について、微に入り細にわたって、詳しい説明を受けました。

この国では、連邦議会内に、軍内部での注文や苦情を軍人から聞き入れる「防衛監察制度」さえあります。どうして自分が昇進しないのか、ということまで聞くといった仕組みも取り入れられています。かつての非民主的な軍のあり方はどこへやら。羹に懲りてなますをふくかのような、痛々しいまでの対応を知って、いささか驚きました。

●英国の場合

26日から27日まで滞在した英国では、ロンドンにある王立統合防衛安全保障研究所(RUSI)を訪問。リチャード・コボルド所長らに会い種々の懇談をしました。そこでは、私はドイツ軍の動きについての風評が気になっていたので、訊いてみました。アフガニスタンでのドイツ派遣軍の動きが鈍くて、あまり見えないというものです。あくまで噂ですが、ドイツ兵は存在しているものの危ない橋は渡ろうとしない、したがって、いざという時に役に立たないのではないかというものでした。

ドイツは「9-11」以降、約3000人の兵力をアフガンに投入して、治安維持に貢献。イラク開戦にはフランスと共に反対していましたが、アフガンの安定には、ドイツは積極的な役割を果たしているとの見方を持っていた私にとって、この風評はいささか気になりました。そこで、真偽を確かめるべく、コボルド所長に訊いてみたのです。同所長は「(平和)教育が行き届いているからねえ」と答え、否定はしませんでした。併せて、イラクのサマワなどと違って、ドイツが駐在するアフガン地域は、治安状態が良くないことも勘案する必要があるとも、付け加えました。

こんな訪問を終えたのちに、私は自身の国会リポートに「世界でも特異な地位にある日本の自衛隊は、自国防衛と同様に、これからますます海外における平和維持活動での貢献を求められる。その際に、先の大戦における戦争責任の所在について、アイデンティティ(自己同一性)の過度なまでの分裂を日本社会がいつまでも引き摺ることは避けたい。これこそ、自衛隊員の内面教育を考える前に、なされるべきことではないかー欧州での調査の旅の最中にしきりに頭の中に浮かんできた」と書いています。

この旅の後、しばらくたって、防衛庁は名称を防衛省へと、変えました。この変化が実現するまで、左翼勢力は日本の軍事大国化に繋がるとの批判が専らでした。しかし、現実には「災害大国日本」にあって活躍する自衛隊の存在が目立っているだけで、彼らが騒いだことは杞憂に終わったのです。

●アイルランドへー司馬遼太郎さんとゆかりの女性との出会い

英国での日程を終えて、石破茂さんたちは皆27日には日本へ帰って行きました。私はそこから単身、アイルランドの首都・ダブリンを目指しました。そこでの目的は、同地での医療事情調査と町村外相の代理役でした。ダブリン在住の日本人で、長きにわたってアイルランドと日本の友好に尽くしてこられた方を、日本政府として表彰することになり、たまたま私が訪問した27日に大使公邸で、式典が行われる予定だったのです。外相名の表彰状を厚生労働副大臣の私が渡すわけです。役不足とはいえ、わざわざ日本から来たということで、関係者の方々は喜んでくださいました。

それもこれも林景一大使の温かい配慮です。条約局長当時から大変懇意にしていた同大使は、私が英国・ロンドンまで来る機会に、是非ともアイルランド・ダブリンへと、誘ってくれました。医療事情のブリーフィングと共に、ダブリン在住の日本人の皆さんと親しく懇談する機会を持つことが出来たのです。実はその場で、偶然ながら嬉しい出会いがありました。早稲田大学文学部の岡室美奈子教授がその式典に同席されていたのです。この人は、実は作家・司馬遼太郎の『街道を行く アイルランド紀行』の中に登場してきます。ダブリンに彼女が留学していた若き日に、司馬遼太郎さんと初めて出会う場面があります。

私はこの旅に実は司馬さんのこの本を旅行鞄にしのばせ、飛行機中、ホテルでずっと読んでいました。で、司馬・岡室ご両人のご対面のシーンも読んだばかりでした。司馬さんが当時早稲田大学の女学生だった岡室さんに大いなる好感を抱いていたと睨んでいました。そんな女性がいきなりダブリンの大使公邸で私の目の前に出てくるのですから驚きました。なるほど、さもありなんというチャーミングな女性でした。彼女は、日本におけるサミュエル・ベケット研究の第一人者(『ゴドーを待ちながら』の翻訳などで有名)で、今は早稲田大学・「坪内逍遥記念演劇博物館」の館長を兼務され、テレビに関する評論にも取り組まれています。

また、林景一大使はこののち、英国大使へと転進され、退官後の現在は最高裁判事をされています。時に応じて、林夫妻と岡室先生と私の4人で懇談の機会を持ち、交流を深めています。それもこれも、ダブリンのこの時の出会いが発端です。先日も岡室先生にメールをして、ベケットの『モロイ』を巡って、その難解な本の読み取り方のヒントを教えて貰いました。(2020-7-3 公開 つづく)

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