【63】WHO事務局長の選挙支援でNZへー平成18年(2006年)❼

●心に残る「ハンセン病」との触れ合い

厚労副大臣時代にはありとあらゆる難病やら、厳しい病に苦しめられてきている皆さんやその家族との出会いがありました。ここでは最も印象に残っているハンセン病患者の皆さんとの関わりについて触れてみます。

一つは毎年行われているハンセン病問題対策協議会の座長を務めたことです。8月23日に18年度の協議会が東京・平河町の都道府県会館で開かれ、厚労省の担当者たちと、全国から集われた患者の代表約180人とが話し合いました。冒頭の挨拶で、私は「着任してから9ヶ月、前任の西博義副大臣から極めて重要な仕事がこの場面であることを聞かされており、本日は緊張して臨んでいます」と述べました。これに対して全原協・國本事務局長が「遠く沖縄からも入所者、退所者が沢山来ておられます。先程、副大臣にお会いしましたが、熱心に質問され、感動しました」と述べられました。

もう一つは、青森市の国立療養所松丘保養園で8月25日に行われた同園に保存されていた胎児二体を供養する慰霊祭に参加したことです。同療養所において強制堕胎された胎児や新生児のホルマリン漬けが保管されていたのですが、二日前の23日に火葬されていました。川崎二郎厚労相が6月に供養する方針を表明、全国で初めて慰霊祭が行われたのです。

私は「(胎児の)両親、家族、園の入所者に多大な苦痛を与え、心からお詫びを申し上げます」との哀悼の辞を代読して遺骨に献花をしました。全国の国立療養所6カ所に計115体が保管されていると聞き、そうした行為を強制され続けてきた関係者の無念の思いを心底から感じざるを得ませんでした。

ハンセン病については、2001年5月11日に、熊本地裁がハンセン病訴訟(らい予防法違憲国家賠償訴訟)で、原告全面勝訴の判決を下し、元患者らに賠償金を支払うように命じ、国が敗訴しました。国家賠償訴訟で国が敗訴しますと、国は控訴するのが一般的でした。この時もその意向が強かったのですが、それに対して公明党と坂口力厚生労働相が両面から待ったをかけたのです。控訴断念を強く主張するこの動きに、小泉首相もついに呼応することになりました。

この問題では、こうした公明党と大先輩の大奮闘のお陰で大きく前進した路線のあとを、私は歩んだに過ぎませんでした。

●東京新聞夕刊『心の語録』に登場

東京新聞の夕刊に、この頃『心の語録』というコラムがありました。各界の識者が登場して、自分の心に残っている言葉を披露していました。私に書けとの依頼が舞い込み、何にするか、大いに悩みました。あれこれと考えた挙句、かつて父親に言われた素朴ではあるが、グサリと刺さった言葉にしたのです。

【金がないのは首がないのと同じー二十歳のころ、今は亡き父に『お金より心の豊かさを大事にする人生を送りたい』と言ったら、すかさず返ってきた言葉。理想ばかりを追い、現実から目をそむけがちだった私に痛烈な一撃となった】

これだけの短い文章ですが、2006年9月12日の夕刊一面の左肩に細長く掲載されました。親父が生きてたらどう思うかを考えました。確かに、お金さえあれば大概のことは乗り越えられる、そこからゆとりも生まれ、心の豊かさも伴ってくるとは思います。勿論、それだけではありませんが。そしてしみじみと、お金がないために夢が叶えられない不幸な人々に手を差し伸ばせたら、どんなに素晴らしいかと考えます。

これからの残された人生にあって、もし可能であれば、恵まれない青少年のための基金を作りたいと思っていますが、見果てぬ夢に終わりそうです。しかし、抱き続けてこそ夢は叶うもの、と確信しています。

●ニュージーランドへの出張を最後に

厚生労働副大臣としての海外出張の最後の行き先は、ニュージーランドになりました。WHOの西太平洋地域の年一回の地域総会が9月18-19日にキャンベラで行われることになっており、それに出席するためです。前年に事務局長が急逝したことから、後任を選ぶ選挙が11月に迫っていました。各国から候補が名乗りを挙げていましたが、日本は当時西太平洋地域の事務局長だった尾身茂氏を推薦して、必勝を期していました。このため、この地域総会に集まった各国のうち態度未決定の国に対して、支持を求める活動をすることが目的でした。中国の候補者であるマーガレット・チャン氏(香港出身、WHO事務局長補)と争う流れとなっていました。

元厚生労働省の初代健康局長でOBの篠崎英夫氏(当時、国立保健医療科学院長)を主軸にして、チームを組み、私も重し役で一緒に行くことになりました。18日の総会では型通りの挨拶をしただけですが、終了後や19日のランチのポスト役を日本が担当したため、その準備の合間を縫って各国の代表と交流し、尾身氏支持を訴えました。こんな経験は初めてのことでもあり、手応えはあるようなないような今一しっくりこないところは否めませんでした。

結果は、残念ながら中国のチャン氏が当選。尾身氏は及びませんでした。中国はこのチャン氏の当選が国連の機関のトップを手中に納めた最初のポストということになったのです。以後チャン氏は、現在話題のテドロス事務局長(エチオピア出身)と、2017年に交代するまで約10年間務めていました。尾身茂氏が今回の新型コロナウイルスの問題で専門家会議を代表して八面六臂の活躍をされているのを目にするにつけ、感慨ひとしおのものがあります。

●がん対策基本法が制定

公明党はがん対策に一貫して取り組んできましたが、私が厚労副大臣時代に大きな果実を得ることができました。2004年の1月に神崎代表が、9月に浜四津代表代行がそれぞれがん対策を国家戦略として推進するように提唱。06年1月には、「がん対策法」の制定を提唱していました。それらを受けて、3月には、「がん対策の推進に関する法律要綱骨子」を発表するに至っていました。そしてついに6月16日に、「がん対策基本法」が全会一致で制定されたのです。

そうした事態を背景に、「週刊がん もっといい日」の編集部から緊急インタビューを受け、Vol20に掲載されました。前半は、米国のMDアンダーソンがんセンターに視察に行った話、後半はがん対策についての発言です。

がん対策基本法について、来年4月施行に向けて具体的にどう進めていくのかと聞かれて次のようにこたえています。

【まず、推進協議会の設置や基本計画の立案、そして予算面の充実です。平成18年度の当初概算要求は、200億円でしたが、結局は161億円に削減されましたので、来年度には200億円に持っていきたい。同時に重要なポイントは、がんにならないようにする第一次予防、そして早期発見、早期治療という第二次予防をしなければなりません。一に運動、二に食事、そしてしっかり禁煙する。こうしたことに、企業のご協力は必要ですし、がん検診の推進も重要です。企業戦士ががんにならないようにするには、一次予防、二次予防に対する認識をいかに持つかが大事ですが、また、再発や転移の予防のために、第三次予防も大事です】

がんについて公明党は、放射線治療の第一人者である東大の中川恵一先生のお力を借りて様々な対応を展開してきました。その一番初期の段階を私は担当したことになります。(2020-7-)

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