【69】「大」の前に「小」を、と福田首相と連立論争ー平成19年(2007年)❹

●追い詰められた安倍首相、体調悪化で辞任

参議院選挙で自民党は大敗を喫し、衆参ねじれ現象を招いてしまいましたが、安倍首相は政権継続の意向を示し、8月27日には内閣改造を行いました。しかし、改造内閣発足直後に、遠藤武彦農水相の独立行政法人からの不正受給が発覚したことを始め、大小取り混ぜた閣僚の不祥事が次々と明らかになりました。9月10日の臨時国会召集時点では早くも内閣の前途に赤信号が点滅してしまう状況となっていたのです。首相は所信表明演説を行ったものの、12日の代表質問を前に、突然辞任表明をするに至ってしまいました。前代未聞のことで、私たちも驚きました。

首相自身によれば、潰瘍性大腸炎という難病が原因で、これから先の政権運営が難しいとの判断をしたものでしたが、一般的には政権投げ出しとの印象が濃いことは否めなかったのです。9月25日に内閣総辞職となり、後継首相に福田康夫さんが選ばれました。と、こう書くと簡単に運んだように思われますが、もちろんこの間に様々な動きがあり、私もほんのちょっぴりながら福田首相誕生に関与したのです。こういうと、何を戯けたことをと思われるかもしれません。しかし、実はこれまで述べてきたことでお分かりのように福田さんとは親しい関係にありました。それだけに、個人的に心の底から励まし、ハンカチを振り続けたのです。

発足した福田内閣は衆議院は3分の2の多数を擁しながら、参議院では過半数に満たず、発足後から極めて厳しい事態の連続を余儀なくされてしまいました。予算案は、衆議院の議決優先と憲法で定められてはいますが、それ以外の法案は、民主党も賛成する法案か、それとも、与野党協議によって合意形成が可能となる法案か、あるいは、参議院で否決されても衆議院で再議決して成立させるかのいづれかしかないのです。この状況の中で、福田さんは、民主党との間で、「大連立」構想なるものを模索していきます。10月30日に第一回目、ついで11月2日に二回目の福田・小沢党首会談が行われました。

●テロ対策特委で福田新首相に疑問提起

福田首相と小沢民主党の間での「大連立」構想がメディアで騒がれている状況下で、11月12日にテロ対策特別委員会が開かれました。テレビ放映付きでした。私は実は10月26日の予算委員会でも質問に立ち、こういうねじれ国会の時であるからこそ、徹頭徹尾丁寧な国会運営をすることが大切だと強調していました。そんな私には、その後の「大連立」構想騒ぎはいかにも拙速な妥協策に見えたのです。このため、この日の質問の冒頭で、大要以下のように、首相との間でやり取りを行いました。(議事録から抜粋し編集)

赤松)未だかつてない厳しい政治状況の中です。さあこれからじっくり議論をしなければという時に、与野党のトップがいきなり会談をされたというのは、ボクシングに喩えるとゴングがなると同時にリング中央で二人がクリンチする、抱きつく状態になるようなものではないでしょうか。これではあまりにも堪え性がないというほかありません。

福田)ねじれ現象では、何事も進まない状況がこれからずっと続く。だからと言って、もちろん、全て省略して連立すればいいなんてものではない。これから政策協議をするなど詰めていこうとしているのです。

赤松)「大連立」構想なるものが飛び交っていますが、大連立の前に現実に小連立が存在しているのです。地元では今でも連立のあり方に批判の声があります。4年前に私の質問に官房長官当時の首相は、公明党との連立で大いに自民党は助けられていると答弁されました。その思いは今も変わらないのでしょうか。

福田)実にもう、関係は深まっていますよ。公明党のお考えを十分に汲み上げて行こうと、自民党は常に思っています。公明党にすり寄って行っているんです。

こんな風に本音のやり取りが行われた直後、一本の電話がかかってきました。西口良三創価学会関西長からでした。西口さんは「さっきの君の質問を、今在阪中の池田先生と一緒にテレビで見てたんだよ。先生が『赤松なかなかやるじゃあないか。面白いじゃあないか』って、言っておられたよ、良かったなあ」と弾んだ声で伝えてくれました。いやあもう嬉しい限りです。国会で質問に度々立ち、様々な経験をしましたが、これほど感激したことは後にも先にもこの時だけでしょう。

新聞ももちろん取り上げてくれました。朝日新聞は、「公明やきもき 大連立『こらえ性ない』」「首相すりすり ❤️❤️ 自公連立『深まってる』」とのハートマーク付き見出しです。「『大連立』という前に、『小連立』の現在をしっかりと認識していただきたい」ー12日の衆院テロ対策特別委員会の質疑で、公明党の赤松正雄氏が福田首相にこんな注文をつけた。自民、民主両党の「大連立」構想が浮き沈みする中、「自公連立」への危機感をあらわにした形。首相は「ご心配なくお願いしたい」と火消しに躍起だったーという感じでした。

日経も、「大連立」構想公明当てこすり、との見出しで、私の質疑を紹介したうえで、「赤松氏は、『大連立』の前に『小連立』の現在をしっかり認識してほしい。地元には連立を見直すべきだとの声もある」と食い下がり、納得していない様子だった」と書き立てました。

この「大連立」構想騒ぎは結局、民主党内で小沢氏への批判が高まり、辞任を申し出る格好となります。ですが、周辺からの慰留もあり、最終的には踏みとどまりました。

●「医療崩壊」巡って小松秀樹医師と『公明』誌上で対談

この頃、私は突然、背中の腰上部分の痛みが続いたうえ、大量に血尿が出てしまいました。慌てて医師に診てもらうと、腎臓結石とのことで、直ちに入院手術をすることになりました。入院先は虎の門病院。担当医は同病院の泌尿器科部長をされていた小松秀樹先生です。彼とは退院後に理論誌『公明』で対談をすることになりました。「医療崩壊をどう防ぐか」とのタイトルで、12月号の誌面を飾りました。

この先生は当時、『慈恵医大青戸病院事件』とか、『医療崩壊』といった著作を出版され、単なる医師を超えた言論活動を展開されていました。この対談では、医療費抑制や国民の医師や病院に対する安全要求が高まっている中で、勤務医たちの「立ち去り型サボタージュ」という現象が起きていることに焦点を当て、密かに進行する「医療崩壊」を食い止めるのはどうすればいいかという問題を議論しました。

この中で小松先生は「低コストとアクセスを確保して、なおかつ高い医療の質を実現するのは難しいところに、皆が『安全、安全』と言い始めた。時間とお金を出さないで、安全をとなると、結局、勤務医にしわ寄せがきて、軋轢でいやになってやめていくというのが現状です。コストを下げるなら、アクセスを制限するか質を下げるか、あるいは医療の一部はやめるとかしないともうだめだ」と警鐘を乱打しています。

あれから事態は本質的には解決していないことに加え、新型コロナ禍の発生で、益々深刻化を深めています。お互いに日常的忙しさの中で疎遠になってしまいましたが、ピュアでハードな小松先生の切り口が医療現場や厚生労働行政との間で、軋轢を深めているやに聞いており、懸念しているところです。(2020-7-17  公開 つづく)

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