【72】癒しの環境作りをテーマにさわやか対談ー平成20年(2008年)❷

●癒しの環境を広げよう

私の学校時代の友人は多彩な分野で活躍しています。70歳になった年に、私は一計を案じて、小学、中学、高校、大学で共に学んだ仲間とそれぞれ対談を試み、それを電子本(キンドル版)に5冊にまとめました。小学校時代が、住友ゴムの元会長の三野 哲治君、中学校時代が元東京モード学園校長で臨床心理士の志村 勝之君。高校時代が、内科医の飯村六十四君と元日本医大准教授で小児外科医の高柳 和江さん。そして大学時代が慶應義塾大学名誉教授の小此木政夫君と元日本航空取締役の梶明彦君たちです。

この電子本を紙の本にしたいというのが私の夢です。本のタイトルは『現代古希ン若衆』と決めています。もちろん『新古今和歌集』をもじっているのですが、一人反対する者がいます。この中で、たった一人の女性である高柳女史です。曰く「貴方と高校同期って分かると私の歳がバレちゃうわよ。嫌よ、そんなの」。この一言で私の企みはオジャン。電子書籍のままの状態で眠っているしだいです。それぞれ売れてはいますが、微々たるものです。

彼女は、1977年から10年間、中東のクウェートで小児外科医として仕事をし帰国後、1994年に「癒しの環境研究会」を立ち上げ、2005年には「笑い療法士」の認定を始めたり、現在では笑医塾塾長として全国で講演活動を展開しています。「笑いが人間の免疫力を高め、健康になる」と訴え続けているのです。あるとき、良いアイデアを思いつきました。公明新聞日曜版で浜四津代表代行との対談を企画したのです。色々準備をしたうえで、2008年3月16日付けで実現しました。

この対談はそれなりに反響を呼びました。さわりの部分を紹介します。

高柳)クウェートから帰国して日本の医療現場があたかもコンクリートジャングルのような現状であることに驚きました。この現状を変えたいと「癒しの環境研究会」を設立しました。病院に一歩入っただけで、病気が良くなるに違いないと思える、いればいるほど元気になる、そんな「癒しの環境」が必要です。癒しの環境において、「笑い」はとても重要です。

浜四津)本来、「患者のための医療」のはずが、日本では患者の苦痛や苦悩が置き去りにされがちで、病気を治す技術だけが進んできた結果、医療に歪みが生じたのではないでしょうか。人間を大切にする視点を見失いがちなのは、介護も教育も、政治も経済も同じです。公明党は「患者のための医療をめざし、懸命に取り組んできました。

高柳)今まではリラックスする方の癒しが主に言われてきました。しかし、これからは自然治癒力を高める、さらには「絶対に治ってみせるぞ」との言わば「自然治癒力」が重要です。(中略) 病院はサポートするところで、患者自身が医療に関する基本的な知識を高め、治すのは自分だと自覚し、強くなることが基本です。

浜四津)医療も福祉も教育も、そして政治や経済も人間を幸福にするためにあります。その視点から社会の制度を見直していけば、社会の質を大きく変え、より豊かな社会にできると確信しています。

私はこの時は司会役に徹しましたが、さわやかな対談の実現に大いに笑い、喜びました。後に、高柳さんを交えての電子本で行った鼎談のタイトルは『笑いが生命を洗います』です。お読み頂ければ幸いです。

●くまが住める森づくり

国会議員になって間もない頃に、三宮駅前で街宣車の上で演説をしていましたところ、前方に「熊森協会」という見慣れぬ旗が何本か翻っていました。その旗のもとで青年たちがビラを配っていたので、あとで近づき、どういう団体なんですかと聞いてみました。すると、「森林の荒廃の予兆は熊の行動に表れます。熊を大事にすることが森林を大事にすることに繋がることを世の中に訴えている団体です」との答え。「ご興味おありでしたら、ぜひ一度一緒に森林を見に行きませんか」と、迫られました。爽やかな青年たちの姿勢にほだされて、しばらくたってから宍粟市千種町の杉林(針葉樹林)と、岡山県西粟倉村の若杉原生林(広葉樹林)を比較ツアーに行くことにしたのです。

そこで見たものは大袈裟のようですが、私のその後の人生を少なからず変えました。針葉樹林の方は、昼なお暗い杉林。陽のあたらぬ状況下で、ひょろ長い樹木が全く間隔も空けずに幾重にも折り重なるように存在していました。一方、広葉樹林の方は、ブナやナラの木が明るい陽を浴びながら、谷川のせせらぎをバックミュージックのようにして豊かな佇まいで広がっていました。前者の風景は今や日本中に広く見られるもので、こんなところには大型野生動物は生息出来ず、人里に舞い降りてくるのです。後者の地域では、昔絵本で見た熊が遊ぶ〝まほろば〟を連想しました。

この時を契機に、私は一般財団法人「日本熊森協会」に強い関心を持ち、やがて顧問に就任し、熊を大事にすることが森の荒廃を防ぎ、豊かな森林作りに貢献出来るのだとの信念を持つに至りました。さらに、姉妹団体として発足した公益財団法人「奥山保全トラスト」の理事にもなり、多彩な活動の応援をしています。国会の予算委員会分科会などでの質疑の機会にも、森林を生かすためには熊を大事にしようとの主張を展開しました。そんな私の闘いを見た日経の記者が「記者手帳」というコラムに、「こだわりの政策ー赤松正雄氏(公明)  」とのタイトルのもと、「クマが住める森づくり」との見出しで紹介してくれました。同年4月10日付けの夕刊です。全文紹介します。

【なぜクマは山を下りるのか。公明党の赤松正雄衆議院議員(62)が国会内外で問いかけを始めたのは七年前からだ。衆院予算委員会で農相にただしたこともある。「理由は日本の森林政策なんだよ」。謎解きの端緒は、クマの好物、ドングリ。広葉樹の木の実であるドングリが減った結果、餌を求めてクマが人里に下りてきた▲広葉樹の減少はスギやヒノキなどの針葉樹ばかりを植えてきた国の政策に原因があるという。建材需要を見込んだが、今は輸入建材に押されて手つかず。日差しが差さない暗い森は草木が育ちにくく、保水力が低い。土砂崩れの遠因になるだけでなく、「スギ花粉」でも悪名をとどろかせる▲問題意識を抱いたのは兵庫県西宮市に本拠を置く自然保護団体「日本熊森協会」を知ってから。今は自民党の保利耕輔議員らと共に顧問に就任し「クマが住める森」を合言葉に広葉樹の森づくりを訴える。山から下りたクマは田畑を荒らすことがあるため「クマと人間とどっちが大事なんだ」との声もしばしば。「クマは森の豊かさの象徴」と理解を得るのに一生懸命だ。(理)】

書いたのは、当時公明党担当の佐藤理記者。現在は政治部次長、総合デスクとのこと。彼との付き合いも今なお続いています。信頼する敏腕記者の一人です。

なお、昨年(2019年)5月、毎日新聞「発言」欄(2日付け)に「放置人工林の天然林化」と題した論考、神戸新聞「見る思う」欄(26日付け)に「豊かな森を取り戻すために」との論考を続けて寄稿。二つの団体のサポーターとしての役割を果たしました。(2020-7-23公開 つづく)

 

 

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