【80】鈴木宗男氏とのあの日以来の再会ー平成21年(2009年)❹

o●介護総点検など公明党の立ち上がり

政権交代を許してしまい、下野した自公政権。とりわけ公明党にとってどう立ち上がるかが全てでした。新たに党代表になった山口那津男さんは、弁護士出身。太田前代表までの公明党のリーダーと違って、創価学会の組織経験がほぼないことが、この人の弱みであり強みでもありました。就任当初はやや線の細さが気にならなくもなかったのですが、それはほんの最初だけ。瞬く間に力量を発揮していくことになります。

山口代表は、最初の代表質問で、「福祉、教育、平和、環境」をこれから公明党が目指す基本的政策の旗印とすることを改めて表明しました。その中でも、「安心社会を実現するための年金、医療、介護、子育てを柱とする新たな日本型福祉社会」を構築することに力を注ぐことを鮮明にしたのです。さらに「介護」問題を最も優先されるべき課題として挙げた上で、具体的には❶施設、在宅サービスの整備・充実、介護人材の慢性的不足への対処❷地域包括ケアシステムの構築などの重要性を強調。公明党として「介護」総点検運動の展開を掲げたのです。かねてより、公明党は「総点検」をその政党活動の「一丁目一番地」に置いてきているだけに、全国の党員、支持者は奮い立つ思いを抱きました。

なお、井上義久幹事長は私にとって太田さん同様に公明新聞で机を並べた文字通り懐かしい同志(2年私の後輩)です。東北大工学部出身の理系政治家の先駆のひとりとして注目されてきていましたが、いよいよ満を持して表舞台に登場との感が強くありました。太田さんが落選し、組織経験がない山口代表を支える好適任者と見られたのです。

●外務委員会での質問の際に、鈴木宗男委員長への〝弁明〟

民主党が政権を奪取したこの時の選挙で、かの鈴木宗男氏は新党大地の代表として2回目の当選(通算8期目)を果たしていました。いわゆるムネオハウス事件に端を発した一連の疑惑がもとになり、衆議院予算委員会で証人喚問されたのが2002年3月11日。その後、議員として最長の437日ものあいだ拘置されたり、自民党を離党、落選も経験するなど様々の遍歴を経て、この年の9月16日に新党大地が与党会派入りしたことによって、翌17日には衆議院外務委員長として復活することになったのです。私は、当時同委員会の理事でしたので、実に8年ぶりに顔を合わせることになりました。

証人喚問の際に私が公明党を代表して質問に立った時のことは既に述べた通りです。私としては、以前からの二人の関係もあり、再会に際してそれなりのリアクションがあって当然と思っていました。つまり、彼の方から、「あの時は言いたいことを言ってくれたよなあ」とか、皮肉の一つも投げかけられて当然だと覚悟していました。ところが、そんなことはもとより、彼から愚痴の一つも出て来ません。理事会の場においても、通常の委員長職をこなすことに終始するだけ。私としては無視されたようで、拍子抜けしたのですが、大いに感ずるところがありました。

そうした流れの中で、11月17日に委員会が開かれます。私が質問に立つ機会が巡ってきました。岡田克也外相らへの質疑に先立ち、私は次のように発言をしたのです。以下、関わりある部分を議事録から全文引用します。

【私一つだけ申し上げますと、あのとき、大変失礼な言い方でございますが、たたき上げの鈴木宗男代議士は、自分自身をたたかれるんではなくて、周りをたたかれてのし上がってこられた方だというふうな言い方をしてしまいましたけれども、その後の、ご自身の法廷闘争だけではなくて、外務省との闘い、さまざまな面で教えられるところが多い。

また、佐藤優さんとそれから鈴木宗男代議士との何といいますか、例えようもない友情というか、そういうものを、さまざまな著作を通じて、一生懸命読ませていただいて、教えられるところが多い。このように申し上げさせていただきまして、回答は要りませんので、私の感想とさせていただきます。】

正直に言って、私は証人喚問以後、鈴木宗男、佐藤優両氏が書いた本を徹底して読みました。とりわけ佐藤氏の本には心底から魅せられたのです。この発言をすることで、私は自身のわだかまりとでもいうべきものを清算した思いでした。公的な場面で発言したことへの決着は、やはり公的なところでけりをつけるべきとの私流の始末の付け方でした。ところが、ほぼ一年後に鈴木氏の実刑が確定する判決が出ます。公民権停止となり彼は議員を失職、委員長も辞任することになります。その後、ほぼ忘れかけていた時に、この時の発言が改めてクローズアップされることになるのです。それは佐藤優さんの著作の中に登場しました。後日談とでもいうべきものですが、あえてここで触れることにします。

●佐藤優氏の『創価学会と平和主義』

実は、5年後の2014年に発刊された彼の『創価学会と平和主義』(朝日新書)なる本の138頁から140頁にかけて、以下のような私に関する記述が出てくるのです。

【かつて、私は鈴木宗男氏の疑惑に関連して、共産党、社民党や民主党議員から激しいバッシングを受けた。公明党も鈴木氏を「クロ」だとする立場だったが、公明党の議員は、鈴木氏に対しても私に対しても、人間的な誹謗中傷行わなかった。

国家策動への対応

その後、鈴木氏が国会に戻り、衆院の外務委員会の委員長に就任した。2009(平成21年)11月18日の外務委員会で、公明党の赤松正雄代議士が質問の最後に、付け加えた。(議事録からの引用は前述通りなので略します)

赤松氏だけではない。公明党や創価学会の関係者に会うと、「よくあの状況で鈴木宗男さんを裏切りませんでしたね」と言われることがしばしばある。こういう発言が出てくるのは、創価学会や公明党のもつ、組織の文化だと思う。国家が何か策動しているときに、一歩引いて状況を観察する。国家権力の論理とは別の価値観で動いているのだ。これは決して失ってほしくない価値観である。】

実は、佐藤優さんは、このくだりの直前に「日蓮仏法の理念を現代社会に反映させ、反戦平和と大衆福祉の実現を目指す政党だと自身を規定し直す」ことを提案しています。そうすることで、党の輪郭が明瞭になって、ある種のうさんくささが消えるというのです。そしてその結果、「無党派層が投票先を考えるときの選択肢の一つとして認知されるようになる」と断言しています。

宗教政党だという側面をもっと積極的に前面に押し出せということでしょう。この著作を出版して以後、彼は堰を切ったかのように、「公明党論」をこのスタンスで展開しているのです。創価学会に対する深い理解、池田先生への熱い尊敬の眼差し、公明党への大いなる期待ぶりには心底から感動を覚えます。私などには、昨今の「安倍一強」がもたらす自民党の宿痾とでもいうべきものへの嫌悪感があります。このため、ややもすれば公明党への厳しい視点を隠さないのですが、佐藤優さんはもっと高く幅広い視点と包容力で自公政権を見ているものと思われます。(2020-8-8公開 つづく)

 

 

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