【95】憲法の逐条審査を提案し漸く動き出すー平成24年(2012年)❸

●北岡伸一教授からの〝売られた喧嘩〟を買う

毎年やってくる5月3日の憲法記念日を前に、各メディアから公明党の基本的スタンスを聞かれたり、各党代表による座談会に出席したりしてきました。この年は、産経新聞が連載した「永田町発 憲法の焦点」の7回目に登場(4月18日付け)しています。ここでは、改めて自衛隊の役割について、日本を攻撃する勢力を水際で排除する「領域保全能力」を持つことに尽きるとした上で、非政府組織(NGO)や、国際協力機構(JICA)など官民あげての平和活動の構築の重要性などを指摘しました。

また、恒例の読売新聞主催の「憲法記念日座談会」(5月3日付け)にも出席して、自民党・保利耕輔、民主党・中野寛成両氏及び、北岡伸一(政策研究大学院大学)、大石眞(京都大学)両教授との議論に参加しました。この時の議論では、私が提案した二段階審査方式が注目されました。それは、司会の鬼頭誠記者が、「憲法審査会でこれから、何を議論すべきか」と問いを発したことに対して、私は具体的にこう述べたのです。

「2段階でやったらいい。まずは逐条的に憲法を検証する。憲法の明文改正か、法律の運用で済むのか、新たに法律を作った方がいいのかという角度からの点検は、まだ国会で行われていない。憲法を変える必要がないと言っている人たちに、憲法改正の必要性、法律を変える必要性をしっかり提示する意義がある。3ヶ月くらいの速いスピードでやりたい。第2段階では政党の試案などについて議論し、加憲の対象を絞り込む。我々は環境権を定めて環境保全を目指せば、各党の合意を得られやすいと考える」と。

これに対して、保利さんは「憲法の各条項の検討は、赤松さんが提案するやり方でもいい」と、同意を表明し、中野さんも課題整理をすべき、と大きな異論を唱えませんでした。このくだりは最後の場面でしたが、北岡さんが「日本は累積債務の問題や少子高齢化の問題など相当深刻な状況にある。平時ののんびりしたペースで仕事をしている時期なのか。審査会を護憲派の人まで納得させて進めようとすれば、永久に憲法改正はできないのではないかと危惧を感じる。」と述べ、大石さんも同感の意をを強調されました。

座談会はこれで終わったのですが、その直後に、実は北岡さんが、誰にということなく「いったいいつになったら、憲法改正に向けて国会、政治家は動くんですか。読売新聞に憲法改正試案が出て、もう20年が経つんですよ」と吐いて捨てるように言われたのです。喧嘩を売られたと勘違いした私は「読売新聞や先生は、国会や政治家の動きが遅々としてすすまないと思われるかもしれませんが、世の中の半分近くの人は、憲法改正をする必要はないとの考えを持ってるのですよ。私たちだって色々やってるんですよ」と、色をなして言い返しました。ここで中野さんが「まあ、まあ」と割って入ってとりなしてくれたので、事なきを得ました。ただ、よく考えてみれば、ストッパー役になってる民主党に憲法論議が動かぬ局面の責任があるのですから、これはまた妙な役回りではありました。

●憲法審査会幹事懇談会での赤松提案

同じこの日の読売の4面に「政治の現場ー憲法改正」の(下)が連載されたのですが、実は私の提案が結構詳しく掲載されています。「憲法審査会に改正の具体論の場をどう形成し、どの項目から手を付けるか。民主、公明両党も模索を始めている」として民主党の動きの記述がなされたあと、こうあります。関係部分を抜粋します。

【赤松正雄は、4月、衆院憲法審査会幹事懇談会で、次のように提案した。「まず全11章・103条の現行憲法を逐条的に検証して問題点を洗い出し、本当に憲法改正が必要なものと、法律で解決可能なものを整理すべきだ」

赤松の狙いは、共産、社民両党に「護憲」の主張の機会を保障しつつ、審査会の憲法改正論議の基礎を固めることにある。今国会で着手し、毎週1回、1章ごとに審議すれば3ヶ月程度で検証は終わる。検証結果を基に、今年秋以降にも憲法改正項目の具体論に入れる、と計算する。

公明党は憲法には条文追加で良いとする「加憲」を提唱する。逐条検証の作業は遠回りに見えて、改正論議を前進させる効果は大きいと、赤松は説く。自民党が賛意を示し、衆院憲法審査会はこの方式で運営される可能性が出てきた。】

この記事が出る2日前の5月1日の公明新聞に「憲法論議に新たな試み」として、私の論考が掲載されています。私の自論を全面的に展開したものを寄稿したのですが、「与野党合意で逐条検査へ」「明文改憲か立法改革か、急がば回れ」との見出しのもと、8段ぶち抜きの大きなものです。これは、自分としても魂魄を留める思いで書いたもので、出色の出来栄えと自負できます。

これ以降、現実の衆院憲法審査会では、大畠章宏会長のもと、5月24日の第1章「天皇」から、5月31日の第2章「戦争の放棄」、6月7日の第3章「国民の権利及び義務」へと進められていきました。まずは私の主張通りに進んだのですが‥‥。結局はたち消えになってしまうのです。嗚呼。

●被災地・宮城で起業した友に限りない共感

宮城県仙台市に6月2日と3日の両日、大震災からの復興状況の視察とともに、被災地で大事なことに着手する友の船出を祝うために出かけました。私の中学同窓の旧友・水谷清人さんが、被災地に新たな会社を起こすというのです。今まで、姫路を中心に営んできた仕事(漆喰工法による住宅建材の販売)を息子に任せて、自分は新たに宮城県黒川郡富谷町に一人で移り住んで、同種の会社をこの地域周辺の仲間二人と一緒に起業しようというもの。これまで彼と関係があり、これからも応援しようというメーカー、業者の代表が10人ほど全国各地から、オープニングの集いに馳せ参じました。

挨拶に立った私は、67歳という人生の総仕上げの段階で、大いなる冒険を試みようとする友人の心意気に強い共感と支援の意思を披露しました。これには同じく中学校同期で大手住宅産業の事業本部長を経て、関連企業の顧問を務める共通の友人・越智壮さんも熊本県から参加してくれていました。これまで様々なパーティに出席してきましたが、この集いには過去最高の心和む思いを抱きました。終了後の懇親会も心底からの支援を惜しまぬ皆の気持ちが漲るものとなりました。

彼とはかつて私が衆議院選挙に初出馬する際の挨拶回りで、たまたま再会しました。中学校卒業いらいですから約28年ぶりのことです。お仕着せの生徒会長だった生真面目な私と、ごんた仲間のボス的存在だった彼とは、表面的には対照的な存在に見えたはずです。男気溢れる彼は、当時のバブル景気の勢いもあって、関連企業、業者を数百人まとめて、毎年のように北陸の温泉地に招待するという〝気風(きっぷ)の良さ〟でした。それに私も参加して、多くの皆さんとの絆を結ぶことが出来たのです。いつも変わらぬ真心で、公明党を、そして私を応援してくれる姿に、心底から感謝の思いを抱きます。

この友は先年ひとまず思いを果たせたとして、地元姫路に帰ってきました。こうしたあつい心を持った人々がいっぱいいて、震災地の復興が培われていくものと信じます。(2020-9-7公開 つづく)

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