【100】〝らしさ〟貫いた20年ー万感の思い込め引退の挨拶ー平成24年(2012年)❽

●議員としての最後の日々

「一度やらせてみたら」の結果は惨憺たるものでした。民主党政権の3年間が如何なるものであったかは今後長きにわたって語られると思います。健全な二大政党による政権交代が適宜行われる政治を望んできた私のような人間にとっては、極めて残念な結果でした。これで、旧民主党の流れを汲む勢力が政権の座につくことは、近い将来には難しいだろうと思われます。

今回限りで現役を退くことを表明してから、約2ヶ月というもの、総仕上げの思いで、あれこれと語り、動きまわりました。10月10日には、冬柴さんの後継・中野洋昌候補の時局講演会に出席するため、尼崎へ国会から往復しました。彼は東大法学部を出て、国土交通省に2001年に入った逸材です。省庁再編後の第一号入省。私が初の国土交通委員長をやった年に官僚になったわけです。若き俊英が後を継いでくれ、冬柴さんも草葉の陰でさぞ喜んでおられるに違いないと思った次第です。

11月2日には私の近畿比例区ブロックにおける後継の候補者・濱村進さんと姫路市内4カ所で街頭演説をやりました。生まれて初めての体験と言いながら、堂々たるもので、即戦力との期待に十分応えるだけの力を感じました。彼は関西学院大総合政策学部を出て、野村総合研究所で活躍していました。ラガーマンでもあり、智勇兼備の現代青年というに相応しい人物。初出馬から当選まで4年あまりかかった私からすると、出馬表明から僅かな時間しか経っていない彼には、とても感慨深いものがよぎりました。

翌3日には、神戸慶應クラブの皆さんを中心に開かれた「赤羽一嘉君を励ます集い」に出席しました。ゲストスピーカーに石破茂自民党幹事長を迎えての慶應同窓の集いとあって、全国から多数の懐かしい友が駆けつけてくれました。石破さんとは、かつて新進党で同じ釜の飯を食った仲。赤羽さんは私より13年下。未だ未だ春秋に富む強者でこれからが楽しみ、と思いましたが、その通りに成長を遂げ、今では国土交通相になっています。大したものです。

●衆議院解散の日に仲間の前で挨拶

11月16日に衆議院は解散されることになりました。最後の本会議前に開かれる代議士会で、引退議員が恒例によって挨拶をします。坂口力大先輩、大学同期でずっと一緒に議員もしてきた遠藤乙彦さん、近畿比例ブロックで一緒だった西博義さんらと共に、急ごしらえの縁台に立ちました。この時の私の挨拶は、同日付けのブログに書いていますので、引用してみます。

【もう少しで、ぶつかるところでした。新米公明新聞記者として、国会で廊下トンビをしていた私が、前をしっかり見ずにエレベーターを降りて直ぐに危うく接触しかけたのは、佐藤栄作首相だったのです。文字通り、権力に最も私が近づいた瞬間でした(笑)。それから30年あまり、今度は権力の方から近づいてきました。小泉純一郎首相が私に、廊下で声をかけてきたのです(笑)。

公明新聞記者から社会人生活を始めて、衆議院議員を6期20年務め、このたび引退するにあたり、こうしたギャグっぽい話から始めることをお許しください。佐藤栄作と小泉純一郎。戦後の総理で、最も長く在任していたのが、前者の佐藤さんで、約7年8ヶ月。後者の小泉さんは、約5年5ヶ月で第3位(ちなみにその間に位置するのは吉田茂で約7年2ヶ月)。この二人は、戦後政治を牛耳ってきた自民党の中興の祖と、それをひとたび瓦解させた張本人。昭和44年に私が記者として国会担当をした当時は、佐藤さんはもう終幕に近い頃でした。一方、小泉純一郎首相の最後の内閣で、私は厚生労働副大臣として僅か一年だけですが、その任につきました。

実は戦後から昭和の終わりまでの43年あまりのうち、その4分の3を占める32年間は官僚出身の総理大臣の時代でした。その象徴の一人が佐藤栄作さんでした。その後、平成になって、官僚出身に代わり世襲政治家がトップに立つケースが多くなりました。言うまでもなく、小泉さんは3代目の世襲政治家です。宮澤喜一首相のあと、東大ー官僚出身の宰相は絶えて久しいのです。先頃の自民党の総裁選挙の候補者5人が全員世襲政治家だったことは、記憶に新しいところです。

私が現役を終えるにあたりまして、過ぎにしかたを一言で総括しますと、55年体制が崩れゆく時代だったといえます。その体制下の主たるプレイヤーは自民党と社会党です。社会党は公明党の先輩世代の皆さんの力でほぼ消滅して、古い自民党は小泉さんの力で一度は壊れました。今再生過程にある自民党が、いかように生まれ変わるかどうかは、これからのお楽しみというところでしょうか。

民主党は、古い自民党に変わり得る勢力として、官僚政治打破を掲げて、擬似的大衆政党として華々しく登場し、政権を奪取しましたが、その結果は見るも無残なものでした。官僚出身と世襲政治家が混在して、過去の出身政党の分布を見ても、あらゆる勢力が自民党潰しへの欲求のみ共有して、雑居してきました。これでは今のようになるのは必然だったといえると思います。

これからの日本をどうするか。新たな方向性が未だ見えない中、真の大衆政党たる公明党の存在感が一段と注目されています。断じて、大衆迎合、ポピュリズムに陥ることなく、新たな日本の政治の展望を開いて行って欲しいと思います。一時代の終わりと共に、去りゆくことは寂しくないと言えば、嘘になります。めくるめく新時代を新たな視点でウオッチし続けることは決して面白くないわけではない、と申し上げて私のご挨拶といたします。】

今手元にあるこの時の写真を見ますと、左隅に市川雄一常任顧問の後ろ姿が写っています。改めて、この人を前にして、よくぞ喋ったなあ、と我ながら感心します。幸せなことに表情は分かりません。

●再び政権奪還を果たす

衆院選は12月16日投票となりましたが、自民党が単独過半数を上回る294議席を獲得。公明党は公示前の議席を10も超え、31議席となりました。小選挙区が前回のゼロから9議席に、比例区が1議席増の22議席を獲得したのです。公明党の比例区の総得票数は、投票率が戦後最低で、12もの政党が乱立したこともあって、前回より100万票ほど減らし、7116474票。しかし、得票率は11.83%と前回を0.38ポイントほど上回りました。

民主党は、なんと57議席に激減。「懲罰投票」とまで言われる厳しい結果になりました。この選挙結果を受け、12月26日には自公連立政権合意がまとめられ、経済再生と東日本大震災からの復興を最優先とする取り組みがスタートすることになりました。翌26日には第二次安倍晋三内閣が発足、太田昭宏さんが国土交通相に初入閣することになります。

投開票日と翌17日の午前は地元で、お世話になった関係各方面に緊急のご挨拶をしたあと、午後から上京し、21日まで国会議員会館の事務所、議員宿舎の部屋の片付けにおおわらわでした。東京での20年に溜め込んだ書物は、政務調査会やら国会関係の各部署、お世話になった省庁の若手メンバーなどに、全部持っていってもらいました。その数は恐らく、2483(初出馬・次点時の足らなかった票数)冊よりは多かったのではないかと推測しています。(2020-9-17公開 つづく)

 

 

 

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