【101】終わりに

●「政治家が書いていいのは回顧録だけ」
私が初めて本を出版した(『忙中本ありー新幹線車中読書録』2001年)とき、先輩代議士の市川雄一さんから「政治家がものを書くのは、回顧録のみ。あとは書くべきではない」と注意されたことを覚えています。当時は反発心を抱いたものですが、確かに一般的には、書くという行為は行動する意欲を削ぎがちで、どうしても評論家めいた立ち位置に人を追いやりかねないようです。

今、平成の元年から24年までのあしかけ25年の自身の足跡を思いやった時に、新聞記者としての視点が抜き難くあることに改めて気づきます。現役の頃に、私はせっせと、国会での動きをリポートし、ブログとして公開、読んだ本を読後録として書き留めてきました。それは書く力や考える力を培いはしましたが、政治家としての力量を高めることになったかどうかといえば、大いに疑問でしょう。また、市川さんはしばしば、政治家は何をしたかどうかだ、何になったかではないとも言われましたが、つくづくその通りだと実感します。

20年間の現役期間というものを、懸命に生き抜いてきましたが、政治家としての実績は極めて乏しいことを認めざるを得ないのです。それは私が外交や防衛という国家の安全保障にまつわる分野を主たる仕事とし、憲法論議に力を注いできたことと無縁ではありません。どちらも簡単にゴールに到達出来るほど奥行きは浅くないのです。結局、大きく誇れるものを成し遂げられなかったことにいささか無力感を感じます。

「失われた20年」と呼び習わされる時代と、私が現役だった年数がほぼ重なることも残念ながら事実なのですが、時代のせいにしてはズルイでしょう。

●中道主義の本領発揮

私が議員を辞めた後、再び総理の座に返り咲いた安倍晋三さんが7年8ヶ月の務めを終えて、辞任しました。第二次安倍政権の時代がそっくり私の現役政治家引退後のそれと、またダブルのです。菅義偉新首相にバトンタッチがなされたその日に、私の100回に及ぶ回顧録平成編が終わりました。いい区切りとなりました。

昭和の時代には政治家という職業に、憧れる少年たちは決して少なくはありませんでした。昭和の20年代に小学校に入学し、30年代の終わりに高校を卒業した、私もその一人でした。あれから60年余。残念ながら、今の子供たちにとって政治家は、忌むべき存在ではあっても、尊敬の対象となるものではないようです。そのことに関与してしまい、むしろ加速度をつける役割を果たしてしまった一人かもしれないことに、忸怩たる思いがあります。

これから先、政治家に復活のチャンスはないのでしょうか。未来永劫にわたって潰えたままの状態が続くのかというと、そうではないと思います。政治家が活躍し、一般大衆から喝采を浴びるのは乱世、改革が求められる時代なのであって、非難の対象であるのは、平時、安定の時代の証拠かも、との思いがよぎります。

公明党は創立者池田大作先生の、想像を絶する深くあつい思いを背景に誕生しました。青年前期の私は先生の民衆救済を叫ばれる獅子吼に呼応し、後に続くことを深く決意しました。創立するまでは責任を持つが、後は弟子たちの自在の後継の戦いに任せる、と言われた先生。その思いに応えていく戦いは未だ道半ばです。

●新型コロナとの戦いにこそ真価問われる

自民党政治を外から変えることに執念を燃やし続けた昭和の公明党。平成になって、一転公明党は自民党政治を内側から変えるべく、連立政権に身を委ねてきました。果たして、今の自公連立政権下の政治が民衆・大衆の観点から見て、満足するに足るものかどうか。常に問い続けていかねばならないと思います。

令和の時代の本格的出発と同時に、新型コロナウイルスの蔓延という事態に直面しています。これを乗り切り新たな展望を開きゆくことこそ、今の政治に期待されているものです。安定だけを求めてきた平成末期の行き方から脱却せねばなりません。「安定の上に立った改革」こそ中道主義の力の発揮しどころと決めて、公明党には頑張ってもらいたいものです。

新聞記者から政治の現場に飛び出して25年。再び、市井の政治ウオッチャーに戻って8年足らず。人生最終盤のこれからの日々を、若き日に池田先生から受けた薫陶の言葉ー青年は心して政治を監視せよーを再び銘記し、〝革命未だならず〟の思いを胸に、ゆっくりと着実に歩き続けたいと思っています。

回顧録を終えるにあたり、これまで私を育ててくださった故郷・兵庫、関西の創価学会の皆様をはじめ、関心を持ち励ましてくださった、各界の友人、有権者の皆様方に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。(2020-9-19公開 完)

 

 

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