Monthly Archives: 5月 2021

【22】中西進先生らと「瀬戸内海島めぐり協会」設立へー平成27年(2015年)❻/5-5

●サイバー研究所の所長に中学、高校同期の友人が

この7月19日には格別に嬉しい催しがありました。垂水中、長田高校同期の木戸出正継君が京都府と京都情報大学院大学の包括協定のもと、新たに作られた、ドメイン.kyotoの事業展開をするサイバー京都研究所の初代所長になったのです。それを記念するための「ファーゴとチェロの調べ」と題した演奏会が夕刻に京都コンピュータ学院駅前校で開かれ、出席しました。これには、世界的に著名な演奏家のエーデルマン夫妻が、モーツアルトや日本の様々な美しい曲を演奏してくれたのです。その後のパーティーで出会ったのは、日頃あまり付き合いがない分野の専門家ばかり。いささか戸惑いもあったものの、新たな出会いと繋がりの拡大で充実した夕べとなりました。

彼は、京都大学修士課程を終えた後、大手電気メーカーの研究所に入り、そこで博士号を取得し、最終的には奈良先端科学技術大学の教授となった科学者です。少年期の心をいつまでも失わぬ、科学技術の先端を切り開く男に、私は畏敬の念を抱いてきました。サイバー研究所長を3年務めた後、幾つかの仕事を経て現在は、大所高所からハイテク技術の動向を見つめつつ、週末のテニスを楽しむ健康ライフを過ごしているようです。

●熊本への旅と災害の襲来

中学、高校同期でいうと、もう一人忘れられない男が越智壮君。同志社から大和ハウス工業に入り、樋口武男氏(現最高顧問)のもとで薫陶を受け、ダイワロイヤルホテルのトップになりました。西郷隆盛を小型にしたような風貌と気風の良さ、カラオケのうまさは他の追随を許しません。縁あって熊本に住んでおり、私も幾たびか訪れました。そこでも、また神戸や姫路でも彼の唄を聴いたものですが、ホントにうまい。歌う西郷隆盛ーイメージは湧いてこないと思いますが、じつに惚れ惚れする、ゼネコンの営業で鍛えた声色、節回しです。

この年の夏8月23日は一泊二日で、彼の誘いを受けて妻と共に熊本を訪れました。熊本市内から阿蘇へと足を運ぶなど、それなりに楽しい旅だったのですが、帰りに台風の直撃を受けてしまい、駅で足止めを食らったのには閉口しました。あれ以降、熊本は地震やら風雨災害などに度々襲われています。

●一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事に

明石港と淡路島の岩屋港の間を、約15分ほどで結ぶ船会社ジェノバライン。議員引退後に、私はこの会社の顧問になったことは既に述べました。その後、2年の間に、小豆島、直島、犬島などにクルーズ船を運航させることや、淡路島一周の船旅を企画、運営してきました。この間に当初からの夢が膨らんでいったのです。

その夢は、関西国際空港にインバウンドしてくる外国人観光客を淡路島に引き込み、更に瀬戸内海の各島々を巡る旅に誘おうという構想へと発展していったのです。瀬戸内海の東の入り口に位置する淡路島は、〝国生みの島〟と呼び習わされ、「伊弉諾(いざなぎ)神宮」を抱える、万葉集ゆかりの地でもあります。この島を起点にして瀬戸内の島々を縫うが如く滑る船の上で、日本の起源を語り、万葉集の世界に酔うーこんな構想を形にしたいと思ったのです。

この考えが出てくる背景には、ジェノバラインのトップと旧知の関係にあった国文学者の中西進先生及びヨットで太平洋を横断した冒険家の堀江謙一さんの存在がありました。お二人ともご高齢ではありますが、一般社団法人「瀬戸内海島めぐり協会」の会長、副会長を、青年の心意気で引き受けてくれたのです。私もその勢いに感化され専務理事を引き受け、9月22日に設立総会をウエスティンホテルの国際会議場で迎えるまでに漕ぎ着けました。 

あの日、中西先生とは宿泊先の「海若の宿(わたつみのやど)」に移動する車の中でもご一緒し、色々とお話をしましたが、テーマは主に日本の防衛と公明党の態度について。平和を強く希求される先生の〝自公政権への危惧〟がビンビン迫ってきました。思い過ごしです、とついつい反論するうちに、「瀬戸内海と万葉集」は程遠くなってしまったのです。懐かしい思い出です。(2021-5-5)

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【21】淡路島で福田元首相から中国論を聴くー平成27年(2015年)❺/4-30

●県本部の顧問を降り、大光会代表に 

議員引退後も続けていた公明党兵庫県本部の顧問職も終わる時が来ました。初当選する前から、県の代表を20年余りも続けていましたし、引退後も2年半にわたって顧問をしていました。6月20日の県本部大会で、現役のメンバーとの関わりからは手を引いて、OB議員との連携やら激励のみに専念することになったのです。寂しくもあり、ほっとする機会でもありました。

人数からしますと、現役を退いたメンバーの方が多く、懐かしい先輩仲間が殆どです。福井常三郎元兵庫県議の後を受けて、OB議員の集まりである兵庫県本部大光会の代表となり、幹事長として佐伯育三元神戸市議に補佐していただくことになりました。福井さんは公明新聞関西支局の時代からお世話になった大先輩であり、佐伯さんは、私の衆議院初挑戦の時以来支えていただいた貴重な兄貴分です。今に至るまで陰に陽に面倒を見て貰っています。奥様が韓国語の達人で、主婦の身ながら同国に留学した後、大学の講師をされているという才媛です。

このおふたりは共に生死の境目を彷徨う大病を、信仰の力で乗り越えたという強信者です。更に兵庫県創価学会の大重鎮である得田昌義参議を加えた御三方は心から尊敬しており、事あるごとに懇談激励を頂いています。日蓮大聖人の御書、池田先生のご指導を学び合い、時々の政治課題をめぐって意見交換を交わします。このひとときに、無上の喜びを実感します。有難い先輩たちです。私は密かに、その3人を賢人と位置づけ、その会を「三賢人会」と称することにして楽しみにしているのです。

●福田康夫元首相が淡路島での講演に

淡路島のウエスティンホテル・「夢舞台国際会議場」で毎夏開かれてきた「アジア太平洋フォーラム淡路会議」(兵庫県主催)は、県在住の各界のリーダーと共に、様々の課題を巡って研鑽する得難い機会です。この年は7月31日(一泊二日)に開催されました。16回目のことです。お世話になった福田康夫元総理が「アジアの未来」とのタイトルでメインスピーカーを務めるというので、出かけました。事前に控室でお会いしました。元総理は議員引退後も世界を飛び歩き、いやまして存在感を高めています。2年余りぶりの出会いとなり、束の間の挨拶が出来ました。ただ、かつてとは違ってかなり無愛想。「もう選挙はでないの?」と、だけ。

そんな事前の舞台裏とは違って、元総理のこの時の講演は、中国をどう見るかについて極めて印象に残る内容でした。福田氏は、一般的に中国を嫌う論者たちは、彼の国からの観光旅行者たちのお行儀が悪いとか、国家としての立ち居振る舞いも問題だと指摘しがちであることを述べました。しかし、それは戦後間もなき頃の日本と同じだとして、やがて個人も国家も、日本と同様に、自然に収まるだろう、と強調されました。

更に、習近平主席については、中国人民から圧倒的な支持を得ているとのエピソードを挙げつつ、かの大国を一つにまとめてくれていることだけをとってもいかにその能力が尋常でないものかと強調。「嫌中」の風潮に惑わされず、等身大の中国を見据えて、学ぶべきは学び、言うべきは言う対等の関係を築くように訴えました。この辺りについて、当時のブログ(2015-8-4号)では克明に『福田康夫論』を展開しました。通常私の周りにいる公明党支持者は大いに共感する内容でしたが、ご本人の指摘にあったように、嫌中派にとっては反論が多くでるに違いないと思われました。そのインパクトは今なお強く、記憶にしかと残っています。

●真夏の結婚披露宴で仲人を

8月2日姫路市内の結婚式場。真夏の暑さの中で、姫路市に住むM君と上郡のFさんの結婚披露宴に仲人として臨みました。半年ほど前に、私が見合いを勧めたもので、スピーディなゴールインでした。双方が母親と死別、父親しかいない環境で育ちました。生い立ちが似通っているものの、女性の方により不安が伴うのではないかと懸念しましたが、杞憂に終わりました。

二人とも強い信仰心を持ち、池田先生を師と仰ぐ信念において人後に落ちません。男女青年部の仲間たちから慕われる素晴らしい足跡を持っています。本人たちはもちろん、二人の父親にも喜んで貰える大変に嬉しい役割を果たせました。その後、二人の男の子に恵まれました。3人の兄たちに囲まれて育った彼女。その子どももまた男の子ばかり。こればかりはままならないものです。(2021-4-30 5-3一部修正)

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