Monthly Archives: 6月 2021

【32】ドイツから賓客来るー平成28年(2016年)❽/6-26

●先輩夫婦がドイツ市長と一緒に姫路へ

10月末にドイツに住む学生時代からの先輩の木村博さんから、11月に一時帰国するが、姫路に行きたいのでよろしく頼むという連絡がありました。夫人とその友人であるビンゲン市の女性市長、及び息子さんの4人で、東京、金沢、京都、広島を経て最後に立ち寄る旅だといいます。姫路城を見て好古園を歩いたあと、和風食事処で歓待することにしました。ドイツからの賓客との出会いとなる11月10日まで、日独友好に向けてあれこれと心騒ぐ落ち着かぬ日を過ごしたのです。

同市長は、先輩のパートナーの君子さんのご尽力で、池田先生とのご縁も出来、創価大学に記念の植樹がなされている方です。くだんの樹を見た上で、日本の観光名所を一週間かけて辿ろうという旅でした。メルケル独首相に連なる有力な人でもあり、政治家の端くれの私と会わせたいとの心配りでした。医師の息子さん共々初訪日でもあり、我が妻も同席して大いに喜んでいただくひとときとなりました。歓談の終わりに、「今度はドイツへご夫妻で」と、誘われてしまいました。さあ、大変です。以後、行くべきか、行かざるべきかで、大いに悩むことになるのです。結論はまた改めてのお楽しみにしましょう。

●中嶋嶺雄先生の選集刊行記念の集いに参加

この秋は様々な記念すべき集いに顔を出しました。代表的なものを二つ。一つは姫路工業高の80周年を祝う集い。書写山円教寺の大樹住職(天台宗総本山のナンバー2)が卒業生の代表格です。元兵庫県議の五島壮氏が病をおして、後継の息子さんと新旧揃い踏みで同席。夫人含め昔から彼とは親しい関係にあり、感慨深い語らいが出来ました。また後援会長も家族ぐるみで年来の友人・小林聡氏。この人は中々の〝役者〟で、印象的で思い出に残るアットホームな会になりました。

二つ目は、中嶋嶺雄先生の選集出版を祝う会です。先生が亡くなられた後、ゼミの皆さんが2人の息子さんと共に力を合わせて先生の著作から全8巻をまとめて刊行に漕ぎ着けました。11月26日、奇しくもこの日は私の70回目の誕生日でしたが、会場の四谷に駆けつけました。ちょうど大学時代のクラス会が同じ日の昼に日吉であり、会合の〝はしご〟をしたのです。集まった中嶋先生ゆかりの人々の中に、李海さんを発見したのは驚きでした。彼は香港衛生テレビ東京支局長。「安保研」のメンバーとして私とも知己を得ており、交流を深めていました。

●名歯科医を求めて香川県まで通う

私が姫路で2人の歯科医と、患者としての関係だけでなく色々と交友を深めてきたことは既に紹介した通りです。そのうちおひとりとは、その方が長年取り組んできた骨粗鬆と歯の関係について国会の予算委で取り上げました。もうひと方とは共著で歯の本を出版したりしました。しかし、私の歯の状態については疑問視されるところがあり、知人のYさんが、香川県の名歯科医を紹介してくれることに。東大阪に住む彼は、車でその歯科医まで時々通っているというのです。

彼の車に淡路島岩屋で拾って貰い、2時間ほどかけて向かいました。暮れも押し詰まった21日のこと。この時の歯科衛生士さんの見事な歯磨きにはたまげました。あんな〝気持ちのいい歯磨き〟は生まれて初めて。帰りは鳴門のホテルに宿泊、歯科医とも合流し、ひと夜3人で歯科医療をめぐる様々の課題について議論しました。以後数回新幹線と在来線を乗り継いで通いましたが、やはり遠い。結局は挫折してしまったのはまことに残念なことではあります。(2021-6-26)

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【31】「安保研」に次々とリポートを提出するー平成28年(2016年)❼/6-21

●台風直撃で水害対応に慌てる

自治会長として2年目の秋祭りは10月9日に行われました。この年から、新たな試みとして、自治会内の住民で、講演をしてくれそうな人や、特技を持っているスペシャリストを探すことにしました。地元公民館を会場に、みんなで参考になるお話を聞くなど、イベントを楽しもうという試みです。当初は講師ゲットに不安がありましたが、探せばいるもんです。姫路循環器センターや日本赤十字病院の医師やら、大阪市大の数学の博士、更には杖術の師範代までいました。

自治会長の任務時で今も忘れられないのが、この年9月26日の台風21号の襲来で豪雨に見舞われた時のこと。よもやの川の氾濫で地域一帯が水びたし。膝まで水位が上がり、土地が低い隣保では床下浸水の危険が発生しました。危ない地域を担当する副会長と一緒に、降り頻る雨の中、小学校の砂場で砂を防水袋に数十袋も詰めて、危ないと思われる家庭の玄関に届けたのです。まるで泥棒を捕まえて縄をなうというのはこれだと、情けない思いになりました。聞くと過去にも幾多の浸水があったとか。早速、市の役人を呼び対策を求めましたが後の祭りです。

●米大統領選でトランプが勝った衝撃

この年は4年に一度の米国大統領選挙の年。ドナルド・トランプという普通の日本人が知らない〝不動産王〟とされる人物があれよあれよと言う間に共和党の候補となり、民主党のヒラリー・クリントンの対抗馬となったのです。今の時点では全てが自明のことになっているのですが、当時は全く闇の中の手探り。太平洋の此岸から見ていると、彼岸は、〝地獄の選択〟に見えました。

バラク・オバマの登場から8年後、異質の興奮の中で、トランプの当選(11-8)を知った私は、アメリカという国の行く末に大いなる興味と不安のないまぜになった思いを抱きました。ペリー来航からほぼ100年。対米戦争で完膚なきまで打ちのめされた最中に、この世に生を受けた身としては当然です。新しい大統領が、日米間の不平等な関係を指摘、日本に自主防衛を求めたことは新鮮でした。米国の占領以来当たり前になっていた対米従属感からの解放を当の相手から求められたようで、これまでの固定観念をガツンとやられた思いでした。

●「中国問題」「中道主義」「イラク戦争」でリポート

この年、一般社団法人「安保政策研究会」のメンバーとして、リポートを既に3本出していました。処女作品は、3月15日号で、『一中国学徒が見た日中関係変遷の50年』というもの。1968年の創価学会学生部総会での池田大作先生の中国問題への壮大なビジョンを聴いたことを縦軸に、ほぼ時を同じくして大学で中嶋嶺雄講師の「現代中国論」を学んだことを横軸にして、自分なりの思いの丈を表現してみました。政治家の現場を離れて4年目の、私の密やかなデビューでした。

次に書いたのが『見損なわれている中道主義の効用』(7月4日号)です。ここでは日本の政治の50年を概観した上で、中道主義がいかに重要かを力説し、公明党も含め内外に警鐘を鳴らしたつもりのものです。それなりの反響が内側から聞こえてきて意を強くしました。

そして、トランプ大統領誕生前夜に『イラク戦争の私的総括をする』(11月11日号)を書きました。これは、イラク戦争における私自身の誤認識も深く関わった後日談が骨格にあります。政治、政党の世界で、流転する事象をどう捉え、どのように行動したかについては、当然選択の誤りも出てきます。通常それは歴史、歴史家の判断に委ねるとして、やり過ごすことが多く、「あれって、間違ってました」とは言わないものです。それを私はやってのけたのです。

公明党の外交、防衛の現場担当者としては、あるまじき行為だったかもしれません。しかしそれをやったことを克明に自省の念を込めて書いたのです。これも世間的には注目をあまりされなかったのですが、私としてはぜひ書き残しておきたかった記念碑的作品です。このように、「安保研リポート」の場を使って、次々と胸中の思いを吐き出していくことになりました。(2021-6-21)

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【30】念願の香港への旅が実現ー平成28年(2016年)❻/6-15

●夫婦で2度目の北海道旅行へ

参議院選の激闘を終えて、この夏は家族旅行に精を出しました。8月2日から二泊三日の妻との北海道旅行。そして直後の8日から一泊二日の孫たちとの丹後半島への旅です。実は北海道には、結婚40周年を記念してのそれなりに豪華な旅をしていました。今からだと9年前になる2012年のことでした。札幌から、小樽、積丹半島を経て函館へ、レンタカーでの車旅でした。それから4年経った今度は、団体バス旅行。札幌から富良野を経て、上川町層雲峡や小樽からニセコなどを巡るものでした。これはこれで下手な運転をせずとも済み、楽しい旅でした。

この時最も印象に残ったのはバスガイドの旨さ。本当に耳をそばだて、目を剥き、聞き惚れる内容でした。自分が「観光」に関心を持つ立場になったこともあり、地域の歴史から地理的事情は勿論、微に入り細にわたって熟知した知識、情報を比歴してくれる振る舞いには感動しました。そこで、バス会社に電話を入れて、褒めました。私の惚れ込みぶりが分かっていただけるはず。尤も、電話口に出た相手は「当社では皆同様のレベルですから」と、さりげない。そんなものかと、二重に驚いたしだい。いらい、改めてバスガイド業に注目しています。

●シンガポールから香港へ 

また、8月22日から3泊4日でシンガポールから香港への旅に出かけました。この旅は仕事半分、観光半分です。「瀬戸内海島めぐり協会」の仲間と一緒に、現役勇退後初めての海外への旅となりました。シンガポールは過去に一度、市川雄一元公明党書記長と共に、経済評論家の大前研一さんらと一緒に行った(マレーシアを経て豪州への旅)ことがありますが、香港は初めて。本当は中国に戻される前の20世紀末までに、訪れたかったのですが、やっとです。ようやく念願叶い、感無量でした。香港は神戸と夜景の凄さでしばしば比較されますが、段違い。比べるべくもなく香港の方が優っている、というのが偽らざる実感でした。

シンガポールは、時の駐在大使が篠田研次さん。元外務省ロシア課長当時から懇意だった友人です。再会が楽しみでした。公邸で昔話を交わす一方、同地と淡路島の類似性などについて話が深まり、日本のインバウンドでの交流の深化を誓い合いました。また、香港では兵庫県たつの市新宮町出身で、「和僑」(日本人で香港永住を決めた存在)のひとりであるHさんに会いました。彼は香港の魅力に取り憑かれ、根を深く下ろしたビジネスマンです。その時の彼のセリフ「中国人との商談は気をつけねば。全く日本とは商習慣が違うので簡単にトラブルになります」が忘れられません。風雲急を告げる香港。今、どうしていることやら。

●〝義理の兄貴・日笠〟夫婦と高松へ

半月後の9月10日には、坑道ラドン浴「富栖の里」が主催する講演会が姫路商工会議所で開かれ、大変な盛況ぶりでした。この分野の先達・大阪大の中村仁信名誉教授を講師に招き、弟子筋に当たる公明党の熊野参議院議員も参加してくれました。思わぬ師弟ツーショットとなり、場内は更に盛り上がりました。この時、私の恩人である先輩衆議院議員・新井彬之さんとばったりお会いしたのには驚きました。がんを患っておられ、ホルミシス治療に関心を持たれていたようです。

一転、同月13日には、大学時代からの先輩・日笠 勝之元代議士(元郵政相)から声をかけていただき、高松への旅を両夫婦で実行しました。岡山と兵庫からの合流で一泊二日の短いひとときでしたが、本当に心和む〝義兄弟旅〟になりました。昭和40年春に慶大日吉キャンパスで出会って、信仰の道の絆を誓い合って50年余り。陰に陽に可愛がってくれ、激励してくれた心和む先輩であり、まるで血を分けた兄貴以上のような存在です。

議員を引退する直前に一緒に東京女子医大の糖尿病センターを視察しました。それがご縁で、後に糖尿病由来の脳梗塞を発症した際に、同センターの佐藤麻子先生にお世話になりました。今に至るまで長い病いの相手をしていただいています。一方、日笠さんも引退直後に倒れました。幸い大事には至らず、病後10年を経て元気いっぱい。今では〝同病相励ます仲〟の2人です。(2021-6-15)

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【29】24年ぶりの参議院兵庫選挙区での大勝利ー平成28年(2016年)❺/6-10

●女性人権弁護士・伊藤孝江の登場

公明党兵庫県本部としては、かつて3年ごとの参議院選を大きな節目として、闘いの駒を進めてきていました。ところが、平成4年(1992年)に定数がそれまでより1減って2議席になってからというものは、挑戦することが出来なくなっていました。しかし、24年後のこの年から再び定数が3になったのです。議席奪還のチャンス到来です。ほぼ一年前ぐらいまえに、伊藤孝江という女性人権弁護士に兵庫県の支援団体による白羽の矢が立ち、参院候補として私の前にも現れました。

記者会見をするに際して、初めて県議会公明党の控室で会った時の印象は、パワフルそのもの、福よかな優しさを全面に湛えた魅力あふれる女性でした。関西大学出身で、10数年に亘り大阪を中心に弁護士活動をしてきたといいます。当初、私との縁はないものと思っていたところ、あに計らんや大ありでした。我が母校長田高校の同期生・蔵重和博(『文藝春秋』の写真コラム「同級生交歓」に一緒に登場した友人)が彼女の所属する弁護士事務所の代表格だったのです。〝世間は狭い〟という慣用句と共に、確かなる勝利の展望を実感しました。

●我が友・蔵重弁護士の推薦の弁の巧みさ

当初、私は蔵重弁護士に事務所を代表しての推薦演説など、全面的な支援を依頼しようと考えました。ところが、彼は大阪における労組「連合」の顧問弁護士でした。残念ながら兵庫県選挙区とはいえ、公明党候補応援の矢面に立つのは差し控えさせてくれ、といいます。無理ないことでした。方針を変え、彼女のアピールをするPR動画に推薦の弁を貰うことにしました。それが当たったのです。

彼は、事務所の後輩の伊藤さんが、人権弁護士として、恵まれない人々の権利保護に専念する仕事ぶりを見て、「やや不満に思わないでもなかった」といいます。いわゆるお金にならないことが多く、事務所のためにはもっと稼げる仕事をして欲しいと思ったというのです。それが、参議院議員に挑戦すると聞いて、これまでの苦労がきっと実る、政治家になったら過去の経験が生きるに違いないと。中々味のある推薦の弁でした。私は映像を見ながら「おーっ、ええこというやないか」と我が友に快哉を送ったものです。

●事務長として裏方の仕事に徹する

この選挙は春先から実質的に熾烈な選挙戦となりました。自民党、民主党の現職に維新と共産党、公明党の三新人による激しい闘いです。6月22日に公示されましたが、私は選挙事務所長を務めることになりました。前神戸市長の矢田立郎さんが関大の先輩として実質的に後援会長をしてくれたのは有難いことでした。公示日当日久しぶりに、マイクを握りました。24年前の1992年といえば、PKO法(国連平和維持活動法)が成立した年。それにことよせて、私なりのひねりを加えて練った演説を披露しました。それは、過去24年もの間、自民党の友党、協力党としての立場に甘んじる中で、鬱積したものを一気に炸裂させるものでした。

この選挙では、伊藤孝江候補は、最終的に542090票をも獲得。維新新人と共に、自民党のベテランを苦しめ抜いて当選するという、思いがけないことが起きました。民主党の現職を落選させたのです。大勝利に沸いた7月10日の夜は、心底からの喜びの爆発が事務所から全国へと、一気に広がりました。(2021-6-10)

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【28】淡路島に観光客を呼び込む知恵絞るー平成28年(2016年)❹/6-6

●淡路島に二階総務会長を招き講演会開く

今、自民党の幹事長として日本政治の根幹で采配を振るっている二階俊博氏とは、同じ関西エリアの出身議員として、随分前から知己を得ていました。この人は観光の世界でも大御所で(全国旅行業協会会長)、淡路島を中心にした観光振興に取り組む此方としては一度ご挨拶せねば、ということで4月4日に自民党本部を訪ねることにしたのです。当時は総務会長。忙しい人ゆえ、かなり待つことになりましたが、国土強靭化への方途やD・アトキンソン氏(小西美術工藝社社長)の観光論などを巡って話題が広がったことを覚えています。

この日からちょうど2ヶ月後、6月4日に同総務会長は淡路市小倉の北淡震災記念公園に足を運んでくれました。「瀬戸内海島めぐり協会」が主催する「淡路島の観光力ー関空航路を実現しよう!」と銘打った講演会に参加してくれたのです。ご自身が隣接の和歌山県出身というだけでなく、姪御さんが地元の市議をしていることもあって、講演の中身は、土地勘を伴った現場感覚溢れる内容でした。これ以降、「ジェノバライン」を中核にして、関西国際空港に降り立った外国人観光客を淡路島に引きつけるための「観光戦略」展開が本格化していくのです。まずは「関空航路」の再現が最大の課題でした。

●新たな地域おこしの達人らのシンポジウムで

二日後の6日、今度は淡路市志筑で興味深い催しがあるというので地元の蓮池元淡路市議と一緒に駆けつけました。地元商工会の有志による「淡路島の地域創生を考える会」の主催でしたが、実際には、お隣四国の徳島県立徳島商業の生徒たちの企画というのがミソでした。鈴鹿剛教諭率いるビジネス研究部は、地域おこしのアイデアをフルに活用した活動展開で有名なことをこの時に初めて知りました。。この日も高校生たちが考えたお土産品を持ち込み、参加者に振る舞いつつ、盛んに宣伝していました。私としては淡路島の地元高校とのジョイントあったれば、と悔しい思いを抱きました。

この日最大の呼び物は榎田竜路氏による『国生み神話から未来へーイザナギブランドの構築と地域創生』という講演。更に、伊弉諾神社の宮司の本名孝至氏や門康彦市長らとのシンポジウムでした。講師の榎田さんは、音楽家でメディアプロデューサー、北京電影学院客員教授などの様々な顔を持つ文字通りの才人。目下は、映像制作技術の伝授を通じて、地域創生に貢献する人材を育成することに取り組んでいます。この日いらい、榎田さん、鈴鹿さんと徳島商業高の生徒たちと深い縁を持つことになるのですが、実はその背後に、前回に述べた地域おこしの仕掛け人・勝瀬典雄さんがいることが後になって分かりました。

●パソナ南部代表との懇談

淡路島の地域振興といえば、欠かせぬ存在がパソナ代表の南部靖之氏です。兵庫県神戸市出身ということもあって、公明党県本部の夏季研修会に来て頂いたり、東京本社の地下にある「農園」も見学したことがありました。今や淡路島の西海岸にはパソナが経営するレストランや観光集客施設が軒を連ねているといっても決して言い過ぎではないほど。本社機能の重要部門まで移転させるほどの入れ込みぶりは良く知られているところです。

観光開発戦略を練る上での参考になる話を聞こうと、7月29日に大阪中央区のパソナグループビルに仲間たち3人で伺いました。この時の懇談で、お互いに瀬戸内海クルーズが夢だったと分かり、感激を新たにしたものです。このように、2016年夏を皮切りに、これまで培った人脈を広げて、瀬戸内海、淡路島に観光客を呼び込むべく、磐石の体勢を取りつつあったといえましょう。(2021-6-6)

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【27】富士吉田で地域おこしに取組むきっかけ掴むー平成28年(2016年)❸/6-2

●富士吉田市での新たな出会い 

コンサル会社の顧問活動の一環として、山梨県富士吉田市へ行く機会が生じました。平成28年3月12日のことです。「繊維産業のグローバル化を考えよう」をテーマにしたディスカッションをメインに、関連企業、団体を始め、デザイナーから、美術大の教授、学生に至るまで多様なメンバーが一堂に集まる機会でした。スウエーデン、フランスからや、類似の地域性を持つ足利、米沢、岩手などからも関係者が参加していました。地域独自のブランドをどう生み出すか、それぞれ知恵を凝らした発言が相次ぎ、私のような門外漢にも興味深い内容でした。

この時の会場(ふじさんホール)で、同じコンサル会社に席を置く勝瀬典雄さんと初めて出会いました。広島や兵庫の県立大学で客員教授を務めて(当時)いるといいます。彼こそ、この催しの仕掛け人で、こうした全国各地の「地域おこし」に関わっている人でした。尤もこの日、私は展示場での多摩美大の男女学生たちとの語らいやら、会場近くの新倉山浅間公園から見える風景に見惚れたりで、あまり勝瀬さんと話し込んだ記憶はありません。

 後に知ることになるのですが、この人は、産業の現場を知り抜いた学者(現在は関学大講師)で、経産、農水省を始めとする関係省庁の一連の事業展開に深く関わる実務家でもあります。現在は六次産業化ビジネスプランナーとして全国を飛んでおり、時に私も一緒に動いています。現役引退後3年にして、人生最終コーナーを共にする伴走者を見出したことになるのですが、この日の出会いが、地域おこしに私が取り組むきっかけとなりました。

●「瀬戸内海島めぐり協会」の企画もフル回転へ

一方、「瀬戸内海島めぐり協会」の動きもこの春から本格化していきます。中四国各県が3年ごとに取り組む「瀬戸内国際芸術祭」に、2016年から便乗参加をしようと決めました。明石港から淡路島をぐるり一周するコースに船を出すのが定番なのですが、春、夏、秋の3シーズンには「国芸」の会場になっている直島、小豆島、犬島などにも参加する人々を募ろうというわけです。

4月10日には、私も友人を誘って直島、犬島への小船旅に体験参加しました。中学校時代の親しい仲間2人との、実に楽しい旅でした。直島は「地中美術館」など若い女性に人気のスポットがある有名な島ですが、犬島も「精錬所美術館」など意外に隠れた魅力溢れる島です。淡路島ぐるり一周の旅も、新たな発見や気づきがあり、観光地としての〝宝庫・瀬戸内、淡路島〟を実感できます。同協会の専務理事としては、単なる船旅だけではなく、何らかの付加価値をつけねば、と寝ても覚めても考える日々を過ごしたのです。

● 沖縄への琉球温熱療法を求めて

この頃、大阪華僑のトップである段為梁さんと親密な関係を築いていました。この人は、琉球温熱療法の屋比久勝子さんの熱心な信奉者兼患者で、会うたびに私にもその効用を説かれました。私も関心を持ち、その著作を読むと共に、大阪に4月9日に来られた際にはお会いしたりするようになっていました。そんな積み重ねから、一度一緒に現地に行こうということになり、4月19日に私たち夫婦と段さんご夫妻と娘さん2人の6人で沖縄旅行をすることになったのです。

かつて沖縄サミットの舞台になった万国津梁館そばの部瀬名ホテルに宿泊、屋比久さんの治療施設(うるま市)を訪れたのです。沖縄には現役当時から幾度となく訪問していましたが、この度のようなゆとりある旅は初体験でした。帰りは私たちだけ別行動で、かねて親しい元那覇市薬剤師協会の幹部をされていたHさん宅を訪問、長く患っておられる奥様を見舞うことができました。日本でも有数の健康長寿県である沖縄への旅は貴重な体験の連続で、大いに英気を養うと共に、明日への活力源となりました。(2021-6-2)

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