【48】やはり淡路島DMO構想は幻にー平成31年(2019年)❷/9-3

●兵庫県知事との調整折り合わず

瀬戸内島めぐり協会はスタートから5年目に入っていましたが、新年になって台湾行きを実現させたものの、もはや挫折が歴然としてきました。専務理事としての私の能力不足が災いしたと言う他ありません。元々資金ゼロで、親会社であるジェノバラインに〝おんぶに抱っこ〟という台所事情でしたから、当然と言えば当然の帰結です。DMO法人になれば、公的資金も導入可能になる、との虫の良い考え方が支配的でしたから、尚更です。

観光人材を育成する仕組みを淡路島を拠点にして作り上げようとの構想が、この1〜2年に強まり、兵庫県との間で調整を進めてきたつもりでした。しかし、最終的に井戸知事の考え方と折り合いがつかず、私的には投げ出したい思いが強まっていきました。とはいうものの、現実的には地方創生交付金も頂く流れが進んでいたので、進むも地獄、引き返すもならずの膠着状態が続いていきました。結局は、新型コロナの直撃を観光業界も受け、私たちの試みも内外併せての不都合で沈没する始末になるのですが、その結末はもう少し先のことになります。

●胸打った大沼保昭さんの偲ぶ会

大沼保昭さん(東大名誉教授)が亡くなったとの連絡が舞い込んできたのは前年の10月18日のことでしたが、偲ぶ会が2月21日に東京神田の如水会館で行われることになり、私も参列しました。長年の学者としての風格もおありで、私より相当歳上に見えたのですが、実際には同い年。ということもあって、晩年は親しくさせていただきました。特に、娘さんの瑞穂さんが参議院選挙に挑戦することになってからは、失礼ながらいわゆる〝親バカ〟を地でいかれ、何かと私にもアドバイスを求めてこられたのです。市川さんと力合わせて、それなりに陰の応援をさせていただいたのも懐かしい思い出です。

偲ぶ会の段取りも生前に全て本人が企画されたとかで、凝りにこった内容でした。安藤忠雄、橋本五郎、渡辺浩氏ら弔辞を読むメンバーの選定から、中身に至るまで口を挟まれた(橋本氏の弁)というから驚きでした。清美夫人のご挨拶がまた感動を誘うものでした。「大沼は、『自分の人生思い残すことはない。これも自分を支えてくれたみんなのおかげ。幸せな人生だった』と心から感謝しておりました」「長きにわたり完璧主義でなんとも我儘な大沼とお付き合いいただいたこと心から御礼申し上げます」と。自分もこういう風でありたいと、心に誓ったものです。

●元米海兵隊員との論争が遂に決着へ

元米沖縄海兵隊の中心の一人だったロバート・エルドリッジ氏と、「異業種交流会」で偶然再会したのは驚きでした。いらい、この場で、棚上げになっていた〝日米防衛論争〟を繰り返してきたのです。二人の間の溝は煎じ詰めると、「日米地位協定の改定の是非」に帰着するのですが、それぞれの立場が絡み、ぶつかってきました。私の持論は、日本がホスト国として、ゲスト国の米国にいわゆる〝思いやり予算〟など便宜を図っているのだから、もっとマナーを守れというもの。一方、エルドリッジ氏は、沖縄のジャーナリズムは、イデオロギーに支配されすぎだとの考えに強く支配されているように見えました。

この二人、2月22日の同定例会で、またしても激論を交わしました。ところがこの時は少々趣きが違っていたのです。彼が、沖縄は米国のやることなすことに対して、全く、ノーばかり、これでは、「NOKINAWA」ではないか、といいました。これに対して、私は、米国だって、沖縄に対しては似たようなもの、これでは、「ダメリカ(ダメアメリカの略)」だとやり返したのです。この〝駄洒落の応酬〟は大いなる和みをもたらしました。

それから暫く経って、彼が、米軍兵士の乱暴によって傷ついた女性たちを救うために影で奔走していることを知りました。何のことはない。彼は個人としての善行を隠して、建前として自国擁護にこだわっていたのです。さすが大和撫子を妻に持つ〝洋風さむらい〟だと分かり、すっかり打ち解けた関係になりました。(2021-9-3)

 

 

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