【2】現実に立脚した公明党の「平和主義」ー『新・人間革命』第一巻「新世界」から考える

●安保条約改定時に示された考え方

舞台は昭和35年。敗戦から15年を経て「政治の季節」の只中にありました。「日米安保条約」の改定を巡って、日本中が騒然としていたのです。第一巻の第二章「新世紀」の章は、山本伸一がハワイ・ホノルルから米本土西海岸のサンフランシスコに到着するところから始まります。そこはちょうど100年前に遣米使節団が着いたところであり、同時に約10年前にはアジア太平洋戦争の占領期を経て講和条約が結ばれ、日米安全保障条約の調印がなされところでもありました。日本では「改定」を巡って激動の兆しが漂う時期における訪問だったのです。

日米安保条約の「改定」に至る経緯について、80頁から100頁まで丁寧に記された後、創価学会として、この問題への「統一見解」を出すべきではないかとの青年の問いかけに対して、山本伸一は次のように3点にわたって答えています。(話し言葉のまま、主旨を転載)

1)安保に対する考え方はさまざまだ。反対も賛成もいる。どちらの選択にも一長一短がある。学会としてこうすべきだとは言えない。学会にもいろいろな考えがあってよいのではないか。2)政治と宗教は次元が違う。宗教の第一の使命は一切の基盤となる「人間の生命の開拓」にある。宗教団体である学会が政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、その同志を信頼し任せたい。3)ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、私も発言します。いや先頭にたって戦う。

ここには宗教と政治、創価学会と公明党の関係の基本が端的に示されています。

●「戦争」への関与が懸念された四つのケース

公明党誕生前夜のこの時から60年余。様々な政治課題が起こるたびに、学会の考え方と公明党の動き方が注目を浴びてきました。その都度、宗教は大地、政治はその土壌の上に繁茂する樹木といった捉え方を思い起こしたものです。現実的な対処の仕方としては、学会と公明党の執行部間での協議会が設置されて、時々のテーマについて意見交換がなされました。

この60年の間に「戦争」への日本の関与が懸念されたケースは、大きくいって四つあります。一つは、ベトナム戦争への対応。二つは、PKO(国連平和維持活動)への取り組み。三つ目は、イラク戦争への関わり方、四つ目は、安保法制への態度です。公明党にとって前二者は野党時代、後の二つは与党になってからのものです。それぞれについて忘れ難い思いがよぎりますが、私が議員現役時に関わったのは三つ目だけ。その前の二つは先輩の世代、最後のものは引退後の後輩世代が対応しました。そのうち、未だ記憶に新しいのが5年前に制定、施行された「安保法制」です。

●公明党の「平和主義」と「安保法制」

「安保法制」については、他国の戦争に加担することを可能にしかねない「集団的自衛権」行使の是非をめぐるものが根幹を形成していたことから、日本中で賛否両論が巻き起こりました。憲法9条の枠を超えてでも国際社会に合わせたい(国際法重視)とする自民党。それはならず自国防衛に徹するべき(日本国憲法優先)だとする公明党。与党内の両者のぶつかり合いでしたが、公明党は、憲法9条の解釈で出来ること、出来ないことの問題点を丁寧に整理し、従来からの「個別的自衛権」の範疇に限る対応に収めたのです

以上のような公明党の態度に、野党の皆さんを始めとする反対勢力は、一枚看板の「平和主義」に相違するではないか、と攻撃してきました。しかし、それは勘違いというものです。公明党はかつての日本社会党のような「非武装中立」や、一切の軍事的対応を拒否するような非現実的な立場をとるものではありません。自国の領域を水際で防御するための必要最小限の防衛力を持つことを肯定しています。そして「行動する国際平和主義」の名の下に、積極的な国際貢献をすることこそ、憲法前文に謳われた精神に叶うものだとしています。

こうした公明党の姿勢を創価学会も、現実に立脚した「平和主義」と認めて、支援してくださっているのです。(2021-4-18)

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【1】人に会い話を聞くことから全ては始まるー『新・人間革命』第一巻「旭日」から考える

◆人の顔と出会いについて

力道山にそっくりですねー山本伸一は、ハワイで出会ったヒロト・ヒラタとの出会いの場面(51頁)で、彼がプロレスラーの力道山に似ている、と記しています。先生が瞬時に相手の顔の特徴を捉えて、他の誰かに似ていると語られることは、それなりに知られています。実は私も初めての池田先生との出会いの時(昭和43年4月26日)に、経験しました。当時有名なボーカルグループ「ダークダックス」のゾウさん(遠山一)に似ていると言われたのです。〈似ているのはメガネだけで、顔の輪郭はむしろゲタさん(喜早哲)に似ていると、私自身は密かに思ったものですが〉このくだりに出くわして、懐かしい我が原点の出会いを思い起こすと共に、先生が数限りない人に会われる中で、相手を覚えるための努力をされているに違いないことを感じました。

◆体当たりで悩みを聞くこと

山本伸一が会長に就任、世界広布の第一歩となるハワイ訪問から、この章は始まります。そこで出会った人々ひとりひとりに懸命の対話をされているのです。自身の境涯を変えるにはどうしたらいいか。亡くなった父母の成仏のこと。日本に帰りたい思いとの葛藤ー庶民大衆の赤裸々な悩みを聞き続け、それに対する適切なアドバイスをするーある意味でごく平凡な試みの中に、大事な人生の全てが包含されている、ということを実感する思いです。

「みんなのために悩み、祈り、戦ってること自体、既に自分の境涯を乗り越え、偉大な人間革命の突破口を開いている」(76頁)ー自分のためばかり、身近なことにのみかかずらわってるだけではいけない。もちろんそれも必要だが、それを乗り越えて、人のために、もっと大きいことのために悩むことの大事さ。これを感じます。「世界広布の第一ページを開いたハワイ訪問は、わずか30数時間の滞在だった。しかし、ここに人類の歴史に新しい夜明けを告げる、旭日が登ったのである」(78頁)ーこの先生の壮大な大確信について行こう、この道に全てを賭けるんだ、との思いを若き日に抱きました。今もなお当時と同じ熱量で燃え続けているかどうか。自省し自らを奮い立たせる日々です。

◆大先輩たちの言動に思うこと

「新・人間革命」第一巻で描かれる旅には、十条潔、清原カツ、山平忠平、秋月英介の名前で登場される、それぞれ北条浩、柏原ヤス、小平芳平、秋谷栄之助といった私自身直接お世話になった大先輩が随行されており、様々な行動が描かれています。一方、「怒りっぽい性格」の石川幸男の心ない言動にも触れています。我が身自体の分身の発言や振る舞いではないかと、身を細くし心苦しい思いでページを繰りました。

以下、各章に様々な人の実体験が語られ、組織活動、座談会のあり方、個人指導の姿勢などから始まり、時々の政治、経済課題、社会現象の受け止め方やら、世界の知識人、文化人、政治家との語らいを通じての人物観など、ありとあらゆることが描かれています。これをどう掴み取るか。独自のアプローチでひとつひとつ味わうぞ、そしてそれを書き残すぞと私はいま大いに意気込んでいるのです。(2021-4-13 一部修正4-16)

※なお、文中、山本伸一と池田先生を便宜上、使い分けて表現していますことご了承ください。

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【0】『新・人間革命』から考えるー始めるにあたってー

◆はじめに

思索録は、他のホームページに比べると、少々書き込むペースが遅いことは否めません。今回からこれまでと方向性をやや変えて、池田大作先生の『小説 新人間革命』を読む中で、気づいたこと、考えを発展させたことなどについて、取り扱うことにします。それでは、読書録と同じではないかと指摘される向きもあるやもしれません。書物を読み、その読後感を記すという面では同じですが、思索録と銘打ったコーナーに書き込むには、それだけ考えた所産らしいものがないといけないことは分かっております。

池田先生の書かれたものに触発されて、出来るだけ自分の頭で掘り下げたものを、表現するように心がけていきます。同時に、考えただけでなく、どう行動にうつしたか。あるいは、それと比較してどう失敗したかについても触れるようにします。それをお読みいただいて、読者の皆さんに参考にしていただいたり、新たな気づきに繋がれば幸いです。

小説『新・人間革命』30巻の前に、『人間革命』12巻が発刊されています。実は、私には、後者にはこれまでの生涯にあって、忘れることのできない体験ー文字通り「身で読んだ」といえるものーがあります。53年前のことです。それ以来、『人間革命』『新・人間革命』を特別な思いで読み続けてきました。このたび、こういうかたちで新たに取り組むことにしましたのは、後期高齢者になり、子供や孫にじいさんの形見、遺言的記録として遺そうという魂胆があります。

どこまで、著者・池田先生の思いに肉薄できるか心許なくもありますが、精一杯がんばります。ぜひ、お付き合いください。(2021-4-11)

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(32)2011-3-11東日本大震災から10年目の日に到達した心境

10年前のあの日、東北方面を中心に大地が異様なまでに震動して建造物が倒壊し、未曾有の大津波が人間からものまで何もかも呑み込み、原子力発電所が破壊寸前に追いやられた。忘れようにも忘れられない悲しく恐ろしいできごとの数々を人様の体験談を通じて私たちは知り、同苦し、涙を新たにする。様々の体験を聞くにつけ、私が今考えることは、人間は結局「身一つ」だということである。生まれて75年あまり。形あるものないもの色々と持つに至ったが、何も持って死ねない。死ぬ時は裸一貫、何もかもこの世に置いていくしかない▲既に鬼籍に入られた私が尊敬し続ける先輩は膨大な蔵書を持っておられたが、死後奥様はその処分に苦しまれた。で、私は今、死ぬまでに本を含む全ての所有物を順次手放すつもりでいる。生きてる間迷惑をかけ続けたのに、死んでからまた妻を苦労をさせたくない、との仏心ならぬ亭主心である。この30年で5回ほど引っ越したが、その都度所有物を整理し、捨ててきた。本は最多所有期頃の五分の一くらい。全ては頭の中に、心の中に、身のうちに収め込むーとても無理は承知の上だが、その決意でいる▲アイパッド(私は携帯はガラケーでスマホは持たない)なるものを叩けば大概のことは瞬時に出てきて、物事の理解を助けてくれる。あれもこれも取っておけばそのうち役に立つとの発想はもはや転換するしかない。そう考えると、津波の水と共に全ては押し流されたあの震災の被害者と、その思いをほんの少しは共有することが出来たような錯覚がする。ものをとって置いてあとで見たり読んだりしようと思うと、結局は放置したままで身に付かない▲こう思ってこの世で残された日々を過ごそうと腹を決めた。とりあえず10年後の11月18日まで、あと3535日となった。決意した日から15日が経ったわけだが、それなりにスッキリした思いだ。朝、生きて起きられたことに感謝して、夜寝る時にまた一日生きられたことに感謝する。長い間そうしたい、そうすべきだと思ってきた生き方に、ついにはまった感がする。「そのうちに」と先送りにすることでは、今を生きているとはいえないのだ。(2021-3-13 大幅修正=3-14)

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(31)疫病禍に苦しむ人類のこの800年ー寺島実郎『日蓮論』から考える

寺島実郎氏の雑誌『世界』のコラムから

1222年に生まれられた日蓮大聖人(以下、日蓮と略す)はこの2月16日が、ご生誕800年の記念日だった。これに関して雑誌『世界』3月号に、寺島実郎氏(評論家・日本総合研究所会長)の「脳力のレッスン」なる連載コラムが目をひいた。今回(227回目)のテーマは、「日蓮ー日本の柱たらんとする意識の意味」である。寺島さんは論壇における団塊の世代の旗手的存在で、その国際政治・経済分析は鋭く、評判は高い。その彼がどう日蓮の意識の意味を読み解いたかー僅か四頁の論考だったが、読み応えがあった。

今回のテーマは、私が19の年からこの55年あまり追いかけてきた、私の人生そのものであり、まさに礎とも魂ともいうべき人物のものだけに大いに興味をそそられて読んだ。しかも我が家は代々浄土真宗の門徒。少年の頃から高校生時代にかけて、親父の後ろに座って阿弥陀経を唱え、白骨の章に聞き入ったものだ。その父が最後に改宗し創価学会に入会、家族6人全員が私の折伏で南無妙法蓮華経と唱えるようになった。私が33、父69歳の時のことである。

親鸞と日蓮を比較するなかで、日蓮の政治、社会に深く関わろうとする姿勢に、寺島氏はその独自性を見出す。その生き方に格別のものを感じながらも、存在基盤そのものを形成する法華経については、曖昧な位置付けに終わっている。それは法華経を信奉しながらも、念仏にとらわれ続けたという宮澤賢治のことで締めくくっていることが象徴していよう。それはそれで興味深いことなのだが、もう一歩立ち至って欲しかった気はする。

親鸞との中途半端な比較に終始

結論的には、この人らしくないいささか中途半端な論考に終わっていることは否めない。内村鑑三がその著作『代表的日本人』で、法華経について「我々には格別に素晴らしいとも思えないこの経典が、昔の人々にはとても深い意味あるものと思われたのだ」と評しながら(寺島氏はこのくだりを読み「苦笑を禁じ得ない」としている)も、日蓮については「日蓮以上に独立独歩の人は考えられない‥。受身で受容するばかりの日本人にあって、日蓮は例外的存在とし、『仏教を日本の宗教とした』」と断じていることを引用している。

寺島氏も法華経には理解に手を焼いたことを明らかにしつつ、「伝えようとする本質に心を澄ますと、全てのいのちの平等と全ての人間の尊厳を謳歌する思想が重く存在することに気付く」と評価を下す。ただし、結局は日蓮仏法と親鸞の教えを近代日本を二分するものとしての位置付けるだけに終わっていることには、表層的に過ぎるものとして不満を禁じ得ない。世界を文字通りまたにかけて動き、現代を凝視する寺島氏なら、800年前に日蓮が生きた時代から、コロナ禍で喘ぐ現代世界を照射し、深く抉る論考を提示してほしいと思うこと切なるものがある。その視線が日本国内に留まっているのはまことに惜しい。

今、コロナ禍で注目される宗教の力

親鸞と日蓮が示す教義の価値や意味について、その差異をここで明らかにするつもりはない。一般的には、片や文学希求、一方は政治志向と、二分されがちな傾向が明白であろう。そうした分析はさておき、今、日蓮生誕800年の節目において、注目すべきことはただ一つ。コロナ禍への対応に喘ぐ現代世界で、リアルな力を持つ宗教は日本発の創価学会SGIであるということではないか。念仏を唱える人が外国で耳目をそばだてるほどいるとは聞いた試しがない。私は入会から56年、「無間地獄」から完全に蘇り、「法華経の行者の祈りの叶わざることなし」を心底から実感するに至っている。

キリスト教がかつてペストなど感染症の猛威を前に、大衆救済になすすべもなかったことで、「神は死んだ」との言い回しをほしいままに許したことを現代人は忘れない。今世界中を席巻する勢いにある新型コロナ禍を前に、創価学会SGIのメンバーは試練に耐えながら、意気軒高である。「立正安国」から「立正安世界」へと池田先生のもと、世界に生きる日蓮門下の意識は大きく飛翔しているのだ。

こうした観点に目を注いでこそ、「日蓮の800年」を論ずる意味があるものと私には思われる。(2021-3-5)

★読書録「面白いのは推理小説だけじゃないー森本穫『松本清張 歴史小説のたのしみ』、後の祭り回想記「自衛隊が体験した軍事のリアル」、回顧録「〝晴走雨曇読〟の日々」を更新しました。

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(30)あと3550回寝ると‥、地球破滅か持続可能か

2030年まで、あと10年。目指すゴールは、この地球が破滅に向かうのか、それとも持続可能なものとして持ちこたえるのかの分岐点である。そう言われても、もう一つピンとこないという人が多いのかもしれない。それには、私見では二つ理由がある。一つは、10年という時間の呼称のせい。もう一つは、持続可能という言い方が災いしている、と思う▲そこで、考えた。仮にこの2月26日を起点日とすると、例えば、創価学会が創立百年を迎える2030年11月18日までは、3550日。これだと、かなりリアルにならないか。かつて、作家の山田風太郎が『あと千回の晩飯』という連載コラムを書いた。それくらいで死を迎えるとの覚悟を披歴していたのである。一日一日、一回ごとの晩飯が切ないほど大事に見えるというわけだ。同様にあと3550回寝ると、終着点に到着するとなると、すこしは真剣になるに違いない▲また、持続可能の語感は、わかりづらい。それより、破滅回避の方が直裁的で切実感が伴う。このように決めて毎日を過ごすことが、重要ではないか。翌27日は1日が経って、あと3549日に、そして今日28日は2日目で‥‥、といった具合である。こんな日々を意識しながら、地球温暖化回避目指して脱炭素化社会への具体的な努力を一人ひとりが続けたい▲私のような先の大戦直後に生まれた世代は、右肩上がりの高度経済成長下で青年期を過ごし、中年期でバブルを経験、それなりに恩恵に浴し、晩年になってのコロナ禍で初めて苦境に直面している。子どもや孫の世代に比べてなんと恵まれた人生であったことか。このまま、何もせずに逃げ切って、死を迎えることは、孫や子に顔向けできないほど恥ずかしい。(2021-2-28)

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(29)「世直し菩薩」ってなんだろうか

前回、「歴史探偵」を生涯貫いて亡くなった作家の半藤一利さんと比較して、私たちは「世直し菩薩」であると述べました。菩薩とは、自分のことばかり考えて動く存在ではなく、世のため人のための「利他行」に勤しむ人間をさします。「世直し」なる言葉を付け加えたのは、単なる「利他」ではない、この社会のありようを良き方向に変えていくものであることを強調するためです。今回は、もう一歩深くその意味するところを掘り下げてみたいと考えます▲私が入会した昭和40年代は、公明党が誕生した直後でもあり、政治への関心が会内でも高まっていました。ただ当時は、社会的に恵まれない人々への直接的支援、団体への慈善活動はあまり進められませんでした。経済的困窮者にお金を手渡したり、団体に寄付することは「小善」で、法華経の信仰に立つ「大善」に比べれば、低いものと位置付けられていました。大善こそ、自ら価値を生み出すもので、手っ取り早く経済、財政支援をしてしまうと、相手の自主性を損なってしまい、ためにならない小善だというわけです。公明党の誕生で、ある意味で、分業のような仕組みができました。信仰は創価学会そのもので学び培うのですが、日常的な政治がらみの課題解決は公明党議員が対応するというものです▲公明党地方議員主催による「市民相談」が全国津々浦々で開かれました。創価学会の座談会で、生活の悩みを乗り切るパワーの源泉の何たるかを知り、政治力を必要とするものについては、地方議員との懇談でその解決への方途を得ていったのです。公明党議員に相談すると直ぐに動いてくれ、対価も要求されることはない、すごいという話をよく聞いたものです。勿論、そういう行為は議員任せではありません。普通の学会員も公明党支援の活動を通じて、政治の改革への道筋を理解して、いわゆる〝世直し活動〟への参画を誇りにしていったのです。近所の隣人の悩み事を聞き、要望解決に動く、御用聞きとも言える活動が創価学会員の実際の姿となっていきました。私が勝手に「世直し菩薩」と呼ぶ所以です▲こういうことに触れるたびに思い出すのは、先日亡くなった画家で絵本作家の安野光雅さんのことです。私は記者時代に一度だけ取材に行きじっくり懇談したことがあります。色んな会話を交わしましたが、長く忘れられないことがあります。それは、選挙のたびに公明、共産両党を支援される友人、知人からのアタックがありますが、公明党支援の方々は、毎回候補者の凄さを口にされてもそれ以上は時々の政治課題への言及もないといわれたのです。共産党は指導者には賛同できないが、前線の活動家は実によく勉強しているということも口にされました。随分前のことなので、その後は違うはず。一度再会して聞き直そうと思っているうちに、永遠のお別れになってしまいました。心底残念な思いと共に、党関係者としての自覚を新たにしています。(2021-2-8)

 

 

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(28)ひたすら漕ぐことと拝むことー「歴史探偵」と「世直し菩薩」と

先日、NHK総合テレビで放映されたETV特集『一所懸命に漕いできたー〝歴史探偵〟半藤一利の遺言』を見て感ずるところが少なくありませんでした。前回この欄で取り上げた、作家・半藤一利さんを偲ぶ番組だったのですが、彼が東大ボート部出身で、ボートを漕ぐことの大事さを強調していたことが印象に残りました。ただひたすら毎日、何時間も漕ぎ続けることで、人生の厳しい局面を乗り切ることに大事な精神力や体力を培うことが出来たといいます。ボートだけでなく、走ること、投げること、滑ること、素振りをすること、四股を踏むことなどなど、およそスポーツや武道などに取り組む際には、同じく無限のような繰り返しが重要になります▲半藤さんは、その番組の冒頭で「艇(ボート)だけじゃなくて昭和史も漕ぎつづけてきた。ゴールはなくても飽きずに一所懸命に漕いできた。毎日毎日漕いでいると、あるとき突然ボーンとわかることがある。オールがすうーっと軽くなるように。だから『続ける』ということ。決して諦めず、牛のようにうんうん押していくことです」と述べていた。『文藝春秋』の編集者を振り出しに、彼は歴史の真実を「探偵」するかのように、戦後日本を生き抜いていくのですが、そのきっかけは取材先での作家・坂口安吾との出会いだったとのエピソードは興味深いものがありました。「文献と文献の間に必ず何かおかしいと思うことがある。それをしっかりと推理し、探偵し、分析し、事実を掘り出すんだ」とのアドバイスの重みを語っていたのです。ボートをひたすら漕ぎ続けた青春から、生涯をかけて追い続けた「昭和史」を探偵する営みへー実に示唆に富む話でした▲スポーツや武道ではないのですが、私のこれまでの人生では、ひたすら「拝む」ことを続けてきました。それこそ、雨の日も風の日も、悲しく苦しい時も、嬉しく盛り上がる思いの時も、倦まず弛まず拝み、祈ってきました。半藤さんの「漕ぐ」とは、勿論似て非なるものですが、ある意味で大いなる共通性を感じます。彼は「漕ぐ」ことで培ったものをベースに、「歴史探偵」としての人生を全うし、遅れてきたるこどもたちのために「絶対、戦争を起こしてはならない」という遺言を残しました。翻って私たち創価学会員は、無限のように繰り返し拝み、世のため人のために利他の活動をし、平和な世界の実現を目指して生きています。「漕ぐ」「歴史探偵」「戦争を絶対起こさない」といった半藤さんのキーワードとあえて対比させると、私たちは、「拝む」「世直し菩薩」「平和な世界を絶対作る」ということでしょう▲今、コロナ禍で私たちは苦しんでいます。緊急事態がいつ明けるか。これを乗り越えると、また以前のような明るい社会が戻ってくるはず、と思い込んでいます。しかし、果たしてどうでしょうか。これも先日のNHKテレビが放映したもの(『2030 未来への分岐点』)ですが、地球温暖化現象の行き着く果ての2030年を大胆に描いていました。想像を絶する厳しい未来予測を眼前に見て、身も凍る思いになったのは私だけではないと思います。2030年までの10年間は、これまでの「自然破壊・飽食三昧」の現代文明を問い直し、全く違う価値観で生きる必要があります。「コロナ禍」には、忘れられがちな「あと10年の余命宣告」を受けた地球を思い起こさせる役割があるのではないかと、私は思います。つまり、〝Withコロナ禍〟で、あと10年生きるしかない、と決めるところから、新たな地球の活路が開けていくと思えてならないのです。(2021-2-1)

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(27)90歳で逝った作家と100歳でなお元気な作家から学ぶ

▲半藤一利さんのこと

先日作家の半藤一利さんが逝去されたことを新聞報道で知りました。この人の娘婿にして参議院議員の北村経夫氏は産経新聞記者の頃からの友人です。お悔やみのメールを送りました。直ちに北村さんから、返信があり、そこには、昨年暮れまでは原稿を書いていましたが、今年に入って食事を摂らなくなられて、急速に衰えられたとありました。「『燃え尽きた感』がします、『俺はもういいよ、迷惑かけたくねえから、死にてえよ』と言いつつ逝かれた」と。「見事でした」と結ばれた返信が返ってきました。私も見習いたいものと思います。

現職時代、私が半藤さんに会わせて欲しいとの願いをぶつけると、他の友人からも同じ要望があり、一緒でよければとのことで承諾をいただきました。4人でお会いし食事をしたのですが、開口一番、「あなたはくだらない本を随分と読む人ですねぇ」と、ぽつり。事前に私の著作『忙中本ありー新幹線車中読書録』を献本していたことへの反応だったのです。私は、半藤先生の本も入ってるのですが、と言いたいのをぐっと堪えて「政治家の資産公開をするよりも、どんな本をどのように読んだかといった読書録を公開する方が情報公開としては良いと思うのです」ときっぱり述べました。それには、半藤さんもそれは仰る通りですね、と言ってくれたことを昨日のようにまざまざと思い起こします。

90歳で亡くなった半藤さんは、最後の最後までジャーナリストの生き様を貫かれたと思われます。彼は若き日に『文春』編集長だったと聞くと、右寄りの論調の人物と見がちですが、リベラルな視点を常に忘れないバランスの取れた論考で鳴らした人であったと私は尊敬していました。

◆瀬戸内寂聴さんのこと

その残念な訃報と踵を接して、女流作家の瀬戸内寂聴さんのコラム『寂聴 残された日々67』ー「数え百歳の正月に」(産経新聞1-14付け)を目にしました。

「母の死んだ歳(51歳)に出離しなかったら、私は果たして今まで生きていただろうか。中尊寺の奥の部屋で、髪をおろしながら、私は内心『おかあさん、これでよかったのね』と、あの世の母に呼びかけていた。まさか、あの時にこの世で百歳まで生きのびるなどと考えられただろうか。数え百歳を迎えて振り返る時、何とまあ、百年の短かかった事よ、という感慨のみに包まれてくる」

〝百年の短かった事よ〟という表現に、やっぱりなあとの感慨に私は包まれてきます。寂聴さんとは一度だけ新幹線車中で見かけたのですが、声をかけるのは憚られました。話す中身に躊躇したのです。今ならあれもこれもテーマは浮かんできますが。尤も車中、ついでに、という乗りは褒められたことではないでしょう。今でも、この人独特の笑顔が忘れられません。百歳を迎えて、ご自分の母親とのやりとりを記される感性に好感を抱きます。

●そして自分のこと

ついこの間、満75歳の後期高齢者の歳になって、私もまた、あっという間だったことを実感しました。これから仮に25年生きたとしても、長かったなあとの感慨に浸ることは恐らくないだろうと思います。私の母は満58歳で亡くなり、父は満78歳でこの世を去ったために、漠然と私は68歳を超えることが第一目標でした。その歳に衆議院議員を公明党の内規で定年退職したので、とりあえず次なる目標は、父の死んだ歳を越えることが目標です。あと3年です。

最近私は、今取り組んでいる課題に熱中することが何より大事だと思っています。課題に熱中するといっても、それは通常の仕事というのではなく、創作活動と言うのが相応しいかもしれません。我を忘れるほど、没我の時間が長いほど、トータルとしての人生を実感出来る時間は長くなるのではないかとの確信めいたものが芽生えてきています。一番的確なたとえとしては、芸術家がその制作活動に没我の状態で邁進するあり様を想起します。芸術家ならぬ凡人としては、いわゆる芸事でも、趣味でも、あるいは読書でも。それは何でもいいからものを作り出す知的作業と言えましょうか。といっても、それを長いと感じるかどうかは別問題。

充実した時間の只中で、生に熱中し集中力を持って生きてる流れの中で、(気がついたら=勿論本人でなく回りが)死に至っているということが理想でしょう。そうなっても後悔なきよう日頃から準備を怠らないことだと、今は思うに至っています。(2021-1-19)

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(26)戦いすまぬうちに日が暮れて

かつて若き日に交わした母との会話。「『人間革命』を目指すこの信仰は凄いでぇ」と言った私に、母がポツンと、ひとこと。「人間革命なんて出来るわけないよ」ーあれから50年が経ちましたが、未だに耳朶に残っています。

母のその言葉に反発する思い強く、その後の歳月を「人間革命」にこだわって生きてきました。母が還暦を待たずに胃癌で逝ってしまって、はや40数年が経ちます。大正6年生まれだったあの人は生きていたら、もうすぐ104歳です。時々、枕元に立って、「どうや、人間革命の方は?」と、問いかけてくる声が聞こえてきます。

私が信仰の道に入った経緯の一部始終を熟知する、中学校時代以来の親友が昨年晩秋でしたかに、さりげなく私にこう言いました。「赤松は変わらないなあ、代議士を20年やっても昔のまんま。地位や立場が、人を変えるというけど、お前の場合はちっとも変っとらん」と。これは正直、ショックでした(多少褒めるニュアンスはあれ)。わかっているつもりですが、改めて親しい友からそう言われると。つくづく俺ってダメだなあ、成長しとらんとの思いが強まり、我が胸を苛み、苦しめます。

そういえば、私が現職時代に陰に陽にお世話になり、仕事上のご指導を賜った池田門下の兄弟子は、ことあるごとに私にこう言って励ましてくれたものです。「人が大きく成長する、いい方向に変わるというのは、ひとえに責任感のあるなしに左右される。周りが思いもよらぬ抜擢であっても、本人がそれに『責任』を感じて、その立場を守り、まっとうし抜けば、自ずとそれに相応しい力がついてくるものだ」と。29歳の若さで編集長の立場に立ったひとーそして縦横無尽の活躍をしたーならではの言葉だと感心したものです。

周りを見回しても、歳が私よりも若く、経験が浅い後輩たちの中で、次々と頭角を現して大なる仕事を成し遂げてきた人は枚挙にいとまがないと言っても過言ではありません。そういう人とつい我が身を比べてしまい、なんで自分は、と卑下してしまい落ち込む気分を味わうこともありました。他人との比較ではない、自分自身の過去と今とを比較するのだ、とは分かっていても、です。いや、それは正確ではありません。それをすると尚更、変わらぬ自分自身に驚きさえ感じてしまうのが関の山なのですから。

そうした自身の生き方の傾向を自省するにつけて、一つはっきり自覚出来ることがあります。それは直面する課題と真っ向から向き合わずに、先送りしてしまう性癖が自分にあるということです。思い起こせば、若き日に肺結核で苦しみ、中年になって脳梗塞や大腸憩室炎を患ったり、という直接身体的な病に晒された時は流石に必死に唱題に励み、快癒を祈りました。そして、衆議院議員選挙に出馬して7度の生きるか死ぬかの戦いの際にも、猛然と闘争心を掻き立て祈りました。しかし、そうでない時は、客観的に見てたとえ大事なポジションについた時であっても、真剣さが足らないと言わざるを得ない対応ぶりだったと言えるかもしれません。つまり、一言で言えば、戦時、非常時と、平時、常時が違いすぎたということでしょうか。いや、自分にばかりこだわりすぎて、世のため人のためにという基本姿勢が弱かったというしかありません。

気がついたら、すっかり日が暮れてしまっています。「戦いすんで日が暮れて」と一般的に言われますが、私の場合、「戦い未だすまぬうちに日が暮れた」ということでしょう。若き日に、「親孝行したい時に親はなし」とか、「光陰矢の如し」や「少年老い易く学成り難し」との言葉を聞き流していた我が身に哀れを催します。尤も、ここは、「生涯青春」の精神、「未だ懲りず候」の気構えで行くしかない、と開き直っています。そのうち、母が現れて、「エッ。お前変わったなあ、誰かと思うた。見まちごうた」と微笑んで言ってくれることを信じて。(2021-1-11 一部修正1-17)

 

 

 

 

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