【11】仏法を根底にした慈悲の政治ー小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章から考える/6-12

●アショーカ大王の石柱の前での語らい

香港からシンガポール、セイロンを経て、1月31日に一行はインドに入ります。2月1日にはデリーのラージ・ガートに。マハトマ・ガンジーの記念碑前で、お題目を三唱した後に、伸一は深い感慨に包まれました。そして112頁から122頁まで10頁にわたって、「ガンジーの休みなき戦い」に触れられています。ガンジーと戸田先生に共通する戦いについて述べたあと、伸一は「歴史上、誰もやったことがない。やろうともしなかった。その広宣流布の道を行くことは、ガンジーの精神を継承することにもなるはず」と強調されているのです。強いインパクトをうけます。

その後のアショーカ大王の法勅を刻んだ石柱の前での語らいは、122頁から20頁に及び、極めて重要な中身を含んでいると思われます。そのテーマは、「仏法を根底にした慈悲の政治とはどういうものか」ということです。

「仏法の慈悲を理念とするなら、多くの新しい着眼点が見出され、新しい政策が創造されるはず」として、伸一は、①社会的に弱い立場の人を守ろうとすること②一人ひとりの生活を豊かにする人間優先の政策③生命の尊厳を守り、確かな平和を実現すること④人類益の探求という発想を確立していくことーなどを目標に挙げています。これらが、その後4年ほど経って公明党の理念と政策の中に取り入れられていったのです。(125頁)

結党(昭和39年、1964年)から30年余。自民党政治の改革を外から試みることの困難さを味わった公明党は、21世紀に入って直ぐ自民党からの要請を受けて、連立政治に参画し、内側からの改革に着手することに方針を転換しました。いらい20年余が経ちます。この間、様々な紆余曲折がありましたが、仏法の慈悲を根底におく政治に執心してきたことはいうまでもありません。ただ、未だ改革の道は終わらず、途上にあるのです。与党にあっても、原点を忘れずに初心貫徹に邁進していくことにどこまでも期待したいと思います。

その際に、連立政治の組合せ相手を、未来永劫変わらず固定して考えてはならないと思います。自民党が公明党の原点に照らして不都合な存在であるなら、変えていくことも辞せず、です。手を替え品を替えてでも、国民大衆のための政治を実現するのが公明党の本旨のはずだからです。民主主義の政治の基本のひとつは、政権交代が可能かどうかにあります。公明党のスタートにはその実現に熱い思いがあったことを私は忘れません。(2021-6-12)

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【10】香港の現在とこれからに注目ー小説『新・人間革命』第3巻「仏法西遷」の章から考える/6-7

●一国二制度の香港の動向を固唾を呑んで見守る

山本伸一は、昭和36年1月28日から2月14日までの18日間、香港(当時イギリス領)、セイロン(現在のスリランカ)、インド、ビルマ(現在のミャンマー)、タイ、カンボジアの五カ国一地域の訪問に出発します。この旅の目的は、「日蓮大聖人の御予言である、〝仏法西還〟の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった」とされています。

日蓮大聖人は、「月は西より東に向かへり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書588頁)と諫暁八幡抄で述べられています。これは、釈尊の仏法がインドから東へ流れ、日蓮大聖人の仏法がインドに還るという兆しだとの趣旨です。「戸田城聖は、その御聖訓の実現を、創価学会の使命として、伸一を始めとする青年たちに託した。もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄なってしまったにちがいない」と述べられています。(29頁〜30頁)

この旅を第一歩として、香港への伸一の足跡は、4度ほどを数えます。大乗仏教が今の中国から朝鮮半島を経て日本に伝来したのは6世紀半ばのことです。それから西還の動きは、千数百年を経た21世紀の今、創価学会の出現と闘いによって現実のものとなってきています。ただ、厳密に言えば、現代中国と宗教の関係は不確かな側面が強く、日蓮仏法も広く民衆の受け入れるものとはなってはいません。その意味では、歴史的に見て中国から英国領へと支配国家の移転に伴う香港での広布の状況は象徴的意味合いがあるものと思われます。

今、「一国二制度」の地域としての香港は、中国との関係が注目されています。民主化の存続を求める自由香港の動向がどうなっていくのか。「宗教の自由」が損なわれるようなことがないように、ひたすら固唾を呑みつつ見守っています。

●「永遠の生命」をどう捉えるか

この章で私が注目したのは、「生命が永遠であると聞きましたが、人は死んだあと、どうなるのでしょうか」との一婦人の質問に、伸一が8頁にわたってやさしく丁寧に答えているところです。

56年前に入会するに際して持っていた私の問題意識は、「人間はなぜ根本的に不平等なのか」というものでした。社会体制を変えたところで、一人ひとりの人間の持つ宿命的なる要素は変わらないということに尽きます。伸一は、「宿命が、どこから生じたのかを、徹底して突き詰めて行くならば、どうしても、今世だけで解決することはできない。生命が永遠であるという観点に立たざるをえません」ーこう述べています。(63頁)

〝この観点に立つしかない〟ー死後の世界は誰しも経験出来ないものである限り、62頁から70頁までの伸一の説明のエッセンスとしての、この言葉が全てを物語っていると思います。その観点に立って、私自身は生き抜き、根本的なところでの人生の不平等感からの脱却を果たし、宿命は必ず転換出来ると感得することができました。

その上で、75歳になった私が今感じることは、死に別れた父母や弟らから、尊敬する数多の先輩、友人たちまでのあの人、この人との〝再会への渇望〟です。「会いたい」「話したい」との思いが募り、夢で逢うこともしばしば。その都度、「永遠の生命」の観点からの捉え方として、これでいいのだろうか、と自問します。若き日に思い描いた「悟りへの欲求」と食い違っていないか、と。(2021-6-7)

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【9】生命の根本法は全てを包含するー『新・人間革命』第2巻「民衆の旗」の章から考える/6-2

●内なる生命の至極の法とは

昭和35年11月27日に、第2回学生祭が日比谷公会堂で開かれました。学生部の雑誌『第三文明』の発刊が実現した直後、ここでは演劇『三国志』が上演されました。「戸田先生亡きあと世界広布の大業に続こうとする後継の決意みなぎっていた」もので、伸一は「確かな手応えを覚えた」のです。

その際の講演で、山本伸一は「あらゆる思想、哲学も、南無妙法蓮華経という生命の究極の『一法』、すなわち大聖人の仏法に立脚してこそ、真の人間の幸福を実現しゆくものとして開花するのであります」「真実の人間復興、文芸復興を進めていくには、人間を開花させる、内なる生命の至極の法を求めてゆくことが不可欠です」と語る一方「南無妙法蓮華経とは生命の根本法であり(中略)、いっさいの思想家、哲学者の説いた哲理というものは、いわばその一部分を示しているにすぎない」(296~299頁)と、真の宗教と思想、哲学との関係を述べています。

私が座談会で折伏を受けた昭和40年(1965年)頃、世の中は政治的にも思想的にも左右の激突で、「資本主義対社会主義」の二極対立の様相を呈していました。「民衆の旗」に描かれる舞台の5年後になります。私は大学に入ったら、一生持するに足りうる思想、哲学を身につけよう、そのためにあらゆるものを学ぼうと心に決めていました。そこへ、真っ先に生命の根本法を説く日蓮仏法が目の前に現れたのです。以来56年。紆余曲折を経ながら、御本尊を拝み(信)、友人、知人を折伏し(行)、仏法哲学を学ぶ(学)という、創価学会活動に邁進してきました。

●思想、哲学をリードする真の宗教とは

哲学、思想、宗教ーこの関係をどう捉えるか。哲学は、人文科学の中に学問として位置付けられています。一方、思想は「文化」の範疇、宗教は「文明」の次元のものというのが私の把握の仕方です。一般的には宗教=非科学的なものと決めつける傾向が強く、哲学的側面からの分析に不慣れな向きが多いようです。創価学会も数多の誤解を受けてきています。

欧米先進国の間では、昔から今に至るまで良しにつけ悪しきにつけ、キリスト教という宗教を軸に政治も社会も動いています。中近東・アラブ世界からアジアにおけるイスラム教も同様です。そこへ行くと、日本は宗教の位置付けが違っています。冒頭での山本伸一の指摘する宗教と思想・哲学の関係は一般的には理解されにくい環境にあったと思われます。

半世紀ほどが経ち、時代は無思想の風潮、支配的哲学なき時代と言われて久しいものがあります。今に生きる人々を惹きつけるに足る思想・哲学が見当たらないというのです。日蓮仏法の哲学性、創価思想の卓抜さに傾倒するに至ったものからすれば、自家に伝わる「伝家の宝刀」の存在を忘れて嘆く人々を見るようで、もどかしい限りです。

今、SGIの飛躍的展開と共に、その哲学性、思想性が注目されるようになりました。「世界宗教」としての存在が脚光を浴び、漸く本来の価値に人々が気づくようになってきたのです。(2021-6-2)

(2021-6-2)

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【8】新しき時代開拓の幕開けー『新・人間革命』第2巻「勇舞」の章から考える/5-26

●自らの器の拡大、未だ継続中

私の信仰生活で最も誇らしく思えることは、両親姉弟の5人を全員折伏したことです。その連れ合い、子どもたちも含めると10人を越えます。母の入会(昭和44年)については、少し後に池田先生にお会いできた際に、直接報告ができました。いらい、52年が経っていますが、その時の光景はありありと覚えています。

「勇舞」の章では、地区幹部との懇談で山本伸一が質問を受けて、答えている場面が印象に強く残ります。一つは、どうすれば大きな器の自分になれるか。もう一つは、母が信心をしていないのだが、というものです。

前者では「自分の器とは境涯ということです。(中略)自分のことしか考えず、〝我〟を張っていたのでは、自分の器を広げることはできないし、成長もない。自分の欠点を見つめ、悩み、一つ一つ乗り越え、向上させながら、長所を伸ばしていくことです。決して、焦る必要はありません」とあります。(209頁)

この問題は、長い私の信仰生活で、最も関心のあるテーマの一つです。自分自身のことでどうこうと言い難いのですが、未だ闘争中ということでしょうか。元々〝我〟を張ることでは人後に落ちないうえに、職業上どうしても自己主張を前面に出さざるを得ない場面が多く、この歳で未成長の自分を実感しています。周りを見て、器が大きくなったなあと思える人は、直面した課題に懸命に取り組む中で、その課題解決の後に、ひとまわり大きくなったことを感じさせられます。

●母の「死に至る病」と引き換えに、父が入会

後者では、「私の母は信心していないので、家に帰り、母と顔を合わせると、歓喜が薄らいでしまいます。どのようにすればいいのでしょうか」との問いに、「お母さんを信心させたいと思うなら、あなた自身が変わっていくことです。(中略)あなたの振る舞い自体が信心なんです」と答えています。(209~210頁)

私は父を除く家族の入会にはあまり苦労しませんでした。それぞれが持つ悩みに対して、強い確信を持って解決を強調して接触したことが原因だったと思います。私の変わる姿を見てくれたのかどうか。自信はありません。父の入会には苦労しました。結局、〝母の死に至る病〟と引き換えになってしまいました。父が66歳の時です。入信してからは素直に信心を続け、12年後に亡くなりましたが、その間の父の行動は、息子として今でも誇りに思えます。

●ケネディ米大統領の誕生をめぐって

ケネディ米大統領の誕生を新聞で知った山本伸一は、立場こそ違えど、二人の苦悩は同じだとして、以下のように深く強い決意を披歴しています。

「ケネディは、西側諸国を代表するアメリカの国家元首として、世界の安全と平和を守るための苦悩であった。一方、伸一は、仏法の指導者として、全世界、全人類の不幸を、精神的次元、つまりいっさいの根源となる人間の生命という次元から解決しゆくための苦悩であった。(中略)伸一は、その〝新しき時代〟の開拓のために、民衆の生命の大地を耕し、新しきヒューマニズムの沃野を開くことを、わが使命としていたのである」(217頁)

ここで示された山本伸一の壮大な使命感に、心底からうたれます。残念なことにケネディはその後志半ばにして凶弾に倒れてしまいますが、伸一はここに示された通り、アメリカを始めとする世界各国における「生命の大地」と「新しきヒューマニズムの沃野」を「耕し」「開く」ことを「使命」として、奔走に注ぐ奔走を展開していきます。

ケネディが米国大統領になると決まったこの頃、15歳だった私は、多くの日本の同世代人と同様に興奮し、自分なりの人生における自己実現を誓ったことを思い起こします。この4年後に入会する巡り合わせとなりましたが、「自ら無名の民衆の中に分け入り、新しき知性を育む」伸一の闘いに、参列させていただくようになるとは、全く知る由もなかったのです。(2021-5-26)

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【7】どんな国にも必要な宗教の存在ー『新・人間革命』第2巻「錬磨」の章から考える/5-19

●前車の轍を踏んだことの苦い思い出

この章では、「水滸会」における山本伸一の男子部代表への訓練の厳しさと、質問会でのやりとりが強く印象に残ります。まず、前者から。

「広宣流布を双肩に担った若きリーダーの旅立ちと訓練の集いにしては、いかにも雑然とした雰囲気だった。そこには『水滸会』としての誇りを感じ取ることはできなかった」ー食事の準備に手間取る食事係の青年に対して、怒るばかりの最高幹部の姿に「なぜ、先輩は同志の苦境を考えようとしないのか。助けようとしないのか。広宣流布の途上には常に予期せぬ事態が待ち受けている。その時こそ、本当の団結が問われる。ささいな事のようだが、この姿は一つの縮図といえよう」「彼は食事が遅れたことに憤ったのではない。戸田の遺志を受け継ぎ、広布の中核として立たねばならぬ『水滸会』の自覚を忘れていることが無念でならなかった」(111頁〜121頁)

ここを読んで、遠い過去の出来事と二重になって、映画の一シーンのように思い出されます。舞台はこの時より20年ほど後のこと。九州の地に池田先生と共に、時の男子部の訓練グループメンバーが集う機会がありました。残念ながらこの「水滸会」の体たらくと同じような、弛緩した空気に引きずられるものを感じました。面白い仲間たちとの楽しい語らいだったとの記憶は残るものの、何かが欠けていたとの思いがあります。私の男子部時代の苦い思い出ですが、その都度、頭を左右に振り、背骨を正す仕草をして、体勢を立て直すことにしています。

●人間という原点に立ち戻る大事さ

この後、質問会へ。二つの質問がでます。一つは、世界における東西対立が深刻化しているが、これは日蓮大聖人の言われる『自界叛逆難』の姿ととらえることができるのかというもの。もう一つは、共産主義国家では宗教を否定的にとらえているが、これは広宣流布の障害にならないか、という疑問でした。

伸一は、前者の質問に同意したのち、「仏法を持った私たちが、世界の平和のために、民衆の幸福のために立ち上がらねばならない時が来ている」「イデオロギーによる対立の壁を超えて、人間という原点に返るヒューマニズムの哲学がこれからの平和の鍵になります。それが仏法です」と答え、「信仰者として、世界のために何をなすか。それが重要なテーマです」と強調しています。(126頁)

池田先生は、会長就任以来、世界のあらゆる分野の指導者と対話を重ね、仏法の偉大さを訴えてこられました。と同時に世界中の悩める民衆に激励の手を差し伸べてきています。前回の章で、私はあたかも最近になって「立正安国」から「立正安世界」「立正安球」の必要性が増してきたかのように書きましたが、それは正確さを欠きます。既に先生は60年前に、その見方を提示され、しかも具体的な手を次々と打ってこられたのです。

 かつてのイデオロギー対立は姿形を変貌させ、各国に分断の要因が猛威を奮っています。いやまして、後継の闘いが求められています。

●気になる中国、ロシアの動向

もう一つの質問には、「大丈夫。長い目で見ていけば、いつか必ず、宗教を認めることになります。どんな国でも、真の社会の発展を考えていくならば、人間の心という問題に突き当たる。国家の発展といっても、最後は人間一人ひとりの心の在り方、精神性にかかってくるからです」「いかなる国も真実の宗教の必要性を痛感せざるをえない」「そのためにも、大事なことは各国の指導者との対話だと私は思っている」(127頁)

先生はその後、中国の周恩来総理との深い対話と交流の中から、不滅の関係を築かれました。しかも数多い文化人との精神の繋がりを編んできておられます。また、ソ連、ロシアとも同様です。特にゴルバチョフ元大統領とは『二十世紀の精神の教訓』の対談集を読むとわかるように、深い信頼に基づく人間関係を培ってきておられます。かつて欧州でメディア関係者が、同大統領との懇談の中で、創価学会SGIへの無理解に基づく視点からの心ない発言をしたことがあります。それに対して、あなた方は全く実情をわかっていないと、厳しく嗜められたことは有名な逸話です。

現在の指導者である習近平主席やプーチン大統領の国際政治での振る舞いや対日姿勢から、両国の現指導部の対創価学会観に変化はないのかどうか気になるところです。歴史のうねりの変化の中で、不動の関係が続くと見ることは楽観的に過ぎるかもしれません。しかし、もはや無関係と見るのは表層的な捉え方です。中国、ロシアの大地に、多くの民衆の心の中に、植えられた種はすでに芽生えており、いつの時代にか、大輪の花を咲かせるに違いありません。私は自身の環境の中で、水を注ぐ役目を果たしたいと期しています。(2021-5-19)

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【6】「立正安球」へ、気になる中国の動向ー『新・人間革命』第2巻「先駆」の章から考える/5-12

●「立正安国」の具体的展開

昭和35年5月24日未明、南米・チリ地震による大津波が東北、北海道など太平洋岸を襲いました。第二巻冒頭の「先駆」の章では、この時の対応が簡潔に記されています。新日米安保条約を強行単独採決した政府と、それに審議拒否で対抗した野党の衝突で、国会は空白状態。そのために対策の手が打たれるのは遅れ  に遅れました。山本伸一は、そういう状況の中で、「立正安国」の実現の必要性を改めて痛感します。

「日蓮仏法の本義は、『立正安国』にある。大聖人は民衆の苦悩を我が苦とされ、幸福と平和の実現のために、正法の旗を掲げ、広宣流布に立たれた。つまり、眼前に展開される現実の不幸をなくすことが、大聖人の目的であられた。それは、「立正」という宗教的使命は、「安国」という人間的社会的使命の成就をもって完結することを示していた。そこに仏法者と、政治を含む、教育、文化、経済など、現実社会の営みとの避けがたい接点がある」(42頁)

宗教的使命が、人間的社会的使命の成就で完結するとは如何なることでしょうか。また、仏法者と現実社会の営みとの避け難い接点とは。この世に生きる全ての人々の幸せを願う仏法者の使命感が、現実の営みという行動の中で、一つひとつプラスの結果を出していくことだと、私は理解しています。

「宗教は、人間の意識を変え、精神を変え、生命を変える。宗教のいかんで、人は強くもなるし、弱くもなる。愚かにもなれば、賢明にもなる。建設にも向かえば、破壊にも向かう。創造の主体である、その人間の一念が変化すれば、環境、社会も、大きな転換を遂げていく。それが立正安国の原理である」(54頁)

正しい宗教を持った人間が、強い心と、賢明な姿勢で、建設に向かう一念を持ち、環境変革、社会変革に立ち向かえば、自ずといい結果が出てくるーこれが立正安国の原理だということでしょう。正しい宗教とは何を指すのかとの論争は長い歴史を引きずってきており、今も続いています。しかし、日本国内での宗教間競争については、ほぼ決着がついたと見ても間違いはないと思われます。

●具体的な「立正安国」の場としての沖縄

昭和35年7月16日に山本伸一一行は沖縄を初めて訪問します。この頃、核ミサイルが沖縄に次々と配備されようとしていました。

「山本伸一は、〝戦争に苦しみ、不幸の歴史を刻んできた、この沖縄の人びとが真正の仏法によって救われることは、日本国中の民衆が幸福になっていく証明となろう〟」との思いを持ち、「この地に平和の楽土の建設を誓いながら那覇国際空港に降り立った」(55頁)

この時の訪問を第一歩として、伸一は以後8回に及ぶ沖縄旅の展開が描かれますが、その根底には、平和の楽土を築かずにはおくものかとの圧倒的に強い信念がうかがえます。戦後日本は安全保障の分野で見れば、沖縄の犠牲の上に平和が成り立っていることは紛れもない事実です。であるからこそ、この地を「立正安国」の戦いの最先端にするとの決意を伸一は抱き、それに合わせた行動をとってきたといえましょう。第一歩から60年余。平和の楽土への道のりは表面上は遠く、〝戦い未だ終わらず〟を実感せざるを得ません。

●「安国」から「安世界」「安球」へ

21世紀に入って20年。交通機関の発達、グローバル化の進展のなかで、地球は一段と狭くなってきました。一方で「一国平和主義」「自国ファースト」が叫ばれる中で、共存共栄の世界構築の大事さが迫ってきます。新型コロナ禍の蔓延によって、否が応でも地球は運命共同体であるとの思いに立たざるをえません。ウイルスの前に国境はないという当たり前のことに、人々は漸く気付き始めたのです。

日蓮仏法の広宣流布の戦いは、「立正安国」の原理の敷衍化でした。今や舞台は大きく地球全体に、世界中に広がっており、創価学会インターナショナル(SGI )の動きに目を見張らざるを得ないのです。それゆえ、世界の現状は、安国を「安世界」「安地球」に読み替えることを必要としているといえましょう。

今、世界の「覇権」は、米中間で争われていますが、今世紀半ばを待たずに、主役交代かとの声も聞かれます。その中国は、「人類運命共同体」の理念のもとに「一帯一路」構想を掲げて、中東からヨーロッパ、アフリカ大陸各国への影響を強めようとしているのです。その行程の中で、中国各地の数多い大学に附設されているという「池田思想研究所」がどういう役割を果たすのか。私の中国人の友人がそこで教員をしていることもあり、大いなる注視をしています。(2021-5-12 一部修正=5-13)

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【5】日蓮仏法の真髄としての「誓願」ー『新・人間革命』第1巻「開拓者」から考える/5-6

●初のブラジル訪問での質問会

ニューヨークから空路13時間。山本伸一たち一行はブラジル・サンパウロに到着します。昭和35年10月11日深夜のこと。体調を崩し疲労の極みにあった伸一ですが、機内でブラジルに海外初の支部を結成しようとの構想を、随行の十条潔に語ります。最悪の体調であり、激しく揺れ動く機中にも拘らず、ブラジル広布への強い思いをめぐらす、伸一の執念に、十条は驚くのです。

ブラジルについては、この後、6年後に再訪問された様子が第11巻に描かれていきます。また、14年後の昭和49年には、訪問が途中で叶わず、急遽行先が変更されるという劇的な出来事が起きますが、それは第19巻に登場します。そして最後の第30巻下「誓願」の章にも。数多い伸一の海外広布旅でも強く深く印象に残る国の一つです。

それは、明治から昭和への日本の歴史の流れ中で、この地が海外移住の主流の位置を占めてきて、数多い日本人が住んでいたことと無縁ではないと思われます。「開拓者」の章では、ブラジル移民の経験した「流浪の民」の由縁が簡潔に語られ、胸疼く想いに誘われます。その中で日蓮仏法に目覚め、立ち上がったばかりの人たちへの伸一の激励行が、読むものの心を激しく揺さぶるのです。

●「誓願」と本来の祈りについて

伸一はこの地での座談会で多くの時間を質問会に当てていきます。それは「農業移住者としてブラジルに渡り、柱と頼む幹部も、相談相手もなく、必死で活路を見出そうとしている友に、適切な指導と励ましの手を差し伸べたかった」からだと述べられています。292頁から300頁にわたる、この質問会でのやりとりは圧巻ですが、とりわけ、「誓願」について語られたくだりが強く心に残ります。

「仏法というのは、最高の道理なんです。ゆえに、信心の強盛さは、人一倍、研究し、工夫し、努力する姿となって表れなければなりません。そして、その挑戦のエネルギーを沸き出させる源泉が真剣な唱題です。それも〝誓願〟の唱題でなければならない」

「〝誓願〟というのは、自ら誓いを立てて、願っていくことです。祈りといっても、自らの努力を怠り、ただ、棚からボタモチが落ちてくることを願うような祈りもあります。それで良しとする宗教なら、人間をだめにしてしまう宗教です。日蓮仏法の祈りは、本来、〝誓願〟の唱題なんです。その〝誓願〟の根本は広宣流布です。つまり、〝私はこのブラジルの広宣流布をしてまいります。そのために、仕事でも必ず見事な実証を示してまいります。どうか、最大の力を発揮できるようにしてください〟という決意の唱題です。これが私たちの本来の祈りです」

法華経の如来神力品第21では、地涌の菩薩が滅後の弘通を勧める釈尊に応えて、成仏の肝要の法を人々に教え広めていくことを誓願し、釈尊から滅後悪世の弘通を託されています。日蓮大聖人は、この誓願を自らのものとして、命懸けで貫くとの決意で、地涌の菩薩の上首(中心的リーダー)である上行菩薩の御自覚に立たれたのです。また、創価学会の三代の会長は、この大聖人の直弟子との自覚のもと、広宣流布という地涌の菩薩の誓願を自らの使命として闘ってこられたのです。

このサンパウロでの質問会における山本伸一の説明に、唱題、祈りという言葉の上に「本来の」と冠せられていることに注目せざるを得ません。つまり、本来のものではない、似て非なる祈りや唱題が横行しているということでしょう。尤も、それであっても、祈りは叶う、それくらい唱題そのものの持つ力は凄いということでもあります。この辺り、私は杓子定規にではなく、柔軟かつ身勝手に解釈することにしています。このいい加減さが私自身の根本的な欠陥だろうと分かりつつ。

●未だ見ぬ国・ブラジルへの熱い思い

私はブラジルには行ったことはありませんが、一昨年の参議院選挙の際に、思わぬ関係が出来ました。公明党の候補(兵庫県選挙区)としてブラジル駐在日本大使館の一等書記官だった高橋光男君が立候補したからです。小学校時代の私の友人・三野哲治君(元住友ゴム会長)が日伯協会の理事長(当時)をしていたことを思い出し、二人を繋ぐ役割を果たしました。

明治41年4月28日に、初めて日本からブラジルに向かった笠戸丸が神戸港から旅立ったことは、「開拓者」の281頁にも書かれています。私は、神戸市中央区の高台にある「海外移住と文化の交流センター」を訪問した際に、事務方のご案内のもと、上階から窓越しに海原を見やりながら、この神戸の地から移民に旅立った人々の心中に遠く思いを馳せました。明治150年の歴史の流れの中で、ブラジル広布を夢見た人々の苦闘に、頭(こうべ)をたれざるを得ません。(2021-5-6)

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【4】アフリカの未来に希望をー『新・人間革命』第1巻「慈光」から考える/4-30

●21世紀はアフリカの世紀に

山本伸一一行は、昭和35年(1960年)10月14日に国連本部を訪問。第15回国連総会が開催されている最中に見学をします。この時の総会は、独立を果たしたアフリカの16カ国が揃って初の参加をしていました。また、U2型機のスパイ飛行に端を発して、世界における東西の亀裂が深まるなかでもありました。ソ連のフルシチョフ首相が25日間にわたる国連滞在を終えて、帰国の途についた翌日に、一行は委員会、本会議の議事を傍聴します。その時の模様と感慨が次のように表現されています。

独立して間もないアフリカ諸国の代表の表情が、生き生きとしているのが印象的だった。植民地として統治されてきたアフリカ諸国には、政治、経済、教育、人権問題など、あらゆる課題が山積していた。しかし、リーダーの多くは若々しく、誇りと清新な活力に満ちている。大国の老いたる指導者に見られがちな傲慢さも、狡猾さもなかった。伸一は、アフリカの未来に希望を感じた。そこに新しい時代の潮流が始まると見た。彼は秋月英介に言った。「二十一世紀は必ずアフリカの世紀になるよ。その若木の成長を、世界はあらゆる面から支援していくべきだ」彼の目は、遠い未来に注がれていた。

山本伸一の目はこのようにアフリカに注がれています。このあと、『新・人間革命』では、10巻(新航路の章221頁=1965年)にナイジェリアの女性がアフリカ支部長に任命される場面が登場します。と共に、21巻にはガーナに聖教新聞の特派員として南記者が派遣されるくだりが出てきます。山本伸一が国連総会で見たアフリカ諸国の初登場から60年余が経ち、21世紀の幕開けが始まって20年。いよいよこれからがアフリカの世紀の本番だと思われます。

●アフリカとの個人的関わり

この時から5年後、昭和40年に慶應大学入学と同時に私は創価学会に入会しました。そしてさらに3年が経った頃に、大学内の仲間たちと一緒に、「南北問題について」と題した研究論文をまとめ、池田先生のもとに提出しました。内容は南北格差の実態を憂えると共に、北から南への早急な援助拡大を強調するものでした。後に外務省に入った経済学部の遠藤乙彦君や、滋賀大経済学部の教授になったO君らが中心になってまとめたものと記憶しています。

私の当時のクラス担当が「アフリカ論」で有名な小田英郎先生でした。私よりちょうど一回り上の新進気鋭の教授で、今日に至るまで公私共に色々と交流を深める中でお世話になった方でした。なお、今国土交通大臣を務めている赤羽一嘉君が小田ゼミ生になるのは、この時より13年ほど後のことです。慶大卒の二人の議員が共に「アフリカ論」の小田先生の教え子というのは、面白いご縁だといえましょう。

実は、私には幻の「アフリカ訪問」があります。1994年にジェノサイドが起こり、世界中の注目を浴びたルワンダへ行かないかという話が議員間に起こったのです。当選してからまだ一年ほどの一期生でしたので気後れしたこともあり、先輩に譲りました。この国では『ルワンダの涙』『ホテル・ルワンダ』など話題を呼んだ映画も作られています。虐殺の時代から30年を経て、今では安定した国になっているようなのは嬉しいことですが、行っておけばよかったとの気持ちもちょっぴりあります。

●中国のアフリカ進出とこれから

アフリカの今といえば、最も注目されているのが中国の進出です。日本でこの問題が論議の対象になる際には、否定的側面で語られることが専らです。その最大の理由はこの国の体制が民主主義を根本にせず、共産主義のもとにあるからでしょう。ただ、欧米先進国家はのきなみ「民主」であるがゆえに、ものごとの決定のスピードに齟齬をきたして苦悩しているのは周知の通りです。〝一党独裁国家〟中国の後塵を拝すことが目立ってきているのは皮肉なことといえましょう。

「一帯一路」構想を始めとする、中国の世界戦略が21世紀の地球上の最大の関心事であるのと同時に、アフリカの動向が気になります。ここで私たちが気付かねばならないのは、アフリカと一括して捉えることでいいのかという問題です。大陸名であって、国名ではありません。未来において、アフリカを構成する各国の自己主張が大きく展開するはず。中国との関係もそこがポイントで、一括りしようとすることは出来ず、しようとすれば反発は必至です。

中国の民主化の進展という人類史上特筆される課題の動向とも関係しますが、どの国がアフリカ大陸に手を出すかどうかもさることながら、この地からのリーダーの輩出如何が極めて重要だと思われます。アフリカ大陸に創価学会の支部長が誕生して56年。当時はナイジェリアに34人のメンバーがいたとのこと。その後の推移は詳らかではありませんが、きっと大きく飛躍しているはず。SGIの発展が同大陸の各国各地域での興隆に繋がり、それぞれの地元社会地域で実を結ぶ日は遠くないものと確信します。(2021-4-30)

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【3】今に続く「人種差別」とどう向き合うかー『新人間革命』第1巻「錦秋」から考える/4-24

●アメリカ訪問旅での最初の「出会い」

1960年10月9日ミシガン湖のほとりにあるリンカーン・パークでのこと。広場で数人の子どもたちがボール蹴りをしていた。そこへ一人の黒人(アフリカ系アメリカ人)の少年がやってきた。その少年に対する、白人の子どもたちや大人の振る舞いを見て、山本伸一は「強い憤りを覚えた」ー第一巻「錦秋」の章(172頁〜185頁)では、「リンカーン大統領による奴隷解放宣言から、間もなく百年を迎えようとしている時に、その名を冠した公園で起きた出来事」をきっかけに、「人種差別」をめぐる問題が語られていきます。

山本伸一は、この問題についての「根本的要因は、人間の心に根差した偏見や蔑視にこそある」ため、「差別意識の鉄鎖からの解放がない限り、差別は形を変え、より陰湿な方法で繰り返されるに違いない」としている。その上で「人間の心をいかに変えていくか」が大事で、そのためには「万人の尊厳と平等を説く、日蓮大聖人の仏法の人間観を、一人ひとりの胸中に打ち立てること」であり、「他者の支配を正当化するエゴイズムを、人類共存のヒューマニズムへと転じゆく生命の変革、すなわち人間革命による以外に解決はない」と断じています。

具体的にこの闘いをどう進めるかについては、質問会の場でのやりとりで、山本伸一は人間のルーツについてあえて触れて、「地涌の菩薩」こそ、「私たちの究極のルーツ」だとしています。その使命の自覚に立って、皆が行動していくなら、「世界の平和と人間の共和」が実現するといわれるのです。「地涌の菩薩」とは、「久遠の昔からの仏の弟子で、末法のすべての民衆を救うために、広宣流布の使命を担って、生命の大地から自らの願望で出現した、最高の菩薩のこと」を意味します。法華経涌出品に説かれる概念で、日蓮仏法の根幹をなすものです。50年を越える私の信仰生活は、これとの知的格闘と実体験のおりなすドラマの連続でした。

●あれから60年、表層では「分断」進む

この山本伸一の深い自覚に基づく広宣流布への決意のもと、今アメリカを始め世界中でSGI(創価学会インターナショナル)の闘いが進められています。ただ、アメリカの現状は、この時から更に一段と厳しくなっているとも見えます。先の大統領選挙を巡る共和党と民主党の二大政党の争いは、かつての南北戦争さながらの分断状況を再現しているのです。「錦秋」の章の場面から60年。改めて、事態の深刻さに深い憂いを抱かざるを得ません。

アメリカにおける「人種差別」は、国の起源と深く関わりを持ちます。トランプ大統領の前任・オバマ大統領の誕生した12年前。その就任式の感動はなかなかのものでした。黒人の流れを汲む大統領の誕生で、この国の分断は大きく改善するかと思いきや、却って今に見る厳しい事態への跳躍台になってしまったと言わざるを得ないのです。

●全米各地の座談会こそ「人間共和の縮図」

この問題を今の時点で考えると、「地球民族主義」の実現という理想に向かって弛まざる前進をするしかない、との結論に尽きます。言い換えれば、アメリカ創価学会が全米各地で展開する座談会の現実に、理想の原型があるということです。参加者の和気藹々とした姿こそ、人種問題の克服の生きた実例だといえましょう。表層的には分断が進んでいるように見えますが、全米各地では次のような場面(180-181頁)が、コロナ禍までは展開されてきました。これが、未来への大きな潮流となるに違いないことを私は確信しています。

「会場には、さまざまな人種や民族の人たちがいる。そうしたメンバーが嬉しそうに握手し、互いの決意を語り合っていた。少なくとも、その姿からは、偏見や差別を感じ取ることはできなかった。肌の色の違いなど、意識さえしていない様子だった。公園で肩を震わせて去っていった少年の姿が、人種差別を物語る一光景であるとすれば、この座談会は、人間共和の縮図といえる。」

アメリカ社会において「大聖人の仏法は、その分断された、人間と人間の心を結ぶ統合の原理」であることを、深く覚知した人々が台頭することを願ってやみません。(2021-4-24)

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【2】現実に立脚した公明党の「平和主義」ー『新・人間革命』第1巻「新世界」から考える/4-19

●安保条約改定時に示された考え方

舞台は昭和35年。敗戦から15年を経て「政治の季節」の只中にありました。「日米安保条約」の改定を巡って、日本中が騒然としていたのです。第一巻の第二章「新世紀」の章は、山本伸一がハワイ・ホノルルから米本土西海岸のサンフランシスコに到着するところから始まります。そこはちょうど100年前に遣米使節団が着いたところであり、同時に約10年前にはアジア太平洋戦争の占領期を経て講和条約が結ばれ、日米安全保障条約の調印がなされところでもありました。日本では「改定」を巡って激動の兆しが漂う時期における訪問だったのです。

日米安保条約の「改定」に至る経緯について、80頁から100頁まで丁寧に記された後、創価学会として、この問題への「統一見解」を出すべきではないかとの青年の問いかけに対して、山本伸一は次のように3点にわたって答えています。(話し言葉のまま、主旨を転載)

1)安保に対する考え方はさまざまだ。反対も賛成もいる。どちらの選択にも一長一短がある。学会としてこうすべきだとは言えない。学会にもいろいろな考えがあってよいのではないか。2)政治と宗教は次元が違う。宗教の第一の使命は一切の基盤となる「人間の生命の開拓」にある。宗教団体である学会が政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、その同志を信頼し任せたい。3)ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、私も発言します。いや先頭にたって戦う。

ここには宗教と政治、創価学会と公明党の関係の基本が端的に示されています。

●「戦争」への関与が懸念された四つのケース

公明党誕生前夜のこの時から60年余。様々な政治課題が起こるたびに、学会の考え方と公明党の動き方が注目を浴びてきました。その都度、宗教は大地、政治はその土壌の上に繁茂する樹木といった捉え方を思い起こしたものです。現実的な対処の仕方としては、学会と公明党の執行部間での協議会が設置されて、時々のテーマについて意見交換がなされました。

この60年の間に「戦争」への日本の関与が懸念されたケースは、大きくいって四つあります。一つは、ベトナム戦争への対応。二つは、PKO(国連平和維持活動)への取り組み。三つ目は、イラク戦争への関わり方、四つ目は、「安保法制」への態度です。公明党にとって前二者は野党時代、後の二つは与党になってからのものです。それぞれについて忘れ難い思いがよぎりますが、私が議員現役時に関わったのは三つ目だけ。その前の二つは先輩の世代、最後のものは引退後の後輩世代が対応しました。そのうち、未だ記憶に新しいのが5年前に制定、施行された「安保法制」です。

●公明党の「平和主義」と「安保法制」

「安保法制」については、他国の戦争に加担することを可能にしかねない「集団的自衛権」行使の是非をめぐるものが根幹を形成していたことから、日本中で賛否両論が巻き起こりました。憲法9条の枠を超えてでも国際社会のルールに合わせたい(国際法重視)とする自民党。それはならず、日本のルールとしての自国防衛に徹するべき(日本国憲法優先)だとする公明党。与党内の両者のぶつかり合いでしたが、公明党は、憲法9条の解釈で出来ること、出来ないことの問題点を丁寧に整理し、従来からの「個別的自衛権」の範疇に限る対応に収めたのです

以上のような公明党の態度に、野党の皆さんを始めとする反対勢力は、一枚看板の「平和主義」に相違するではないか、と攻撃してきました。しかし、それは勘違いというものです。公明党はかつての日本社会党のような「非武装中立」や、一切の軍事的対応を拒否するような非現実的な立場をとるものではありません。自国の領域を水際で防御するための必要最小限の防衛力を持つことを肯定しているのです。そして「行動する国際平和主義」の名の下に、積極的な国際貢献をすることこそ、憲法前文に謳われた精神に叶うものだとしてきました。

こうした公明党の姿勢を創価学会も、現実に立脚した「平和主義」と認めて、支援してくださっているのです。(2021-4-19 一部修正)

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