「広宣流布」という壮大な人生の座標軸

作家の佐藤優さんが世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、そして創価学会SGIだと言ったのは、まことに卓見です。通常は仏教というところでしょうが、絞り込んで、日蓮仏法の現代的展開に取り組むものに焦点を当てたところに、この人らしい大きな視野と大胆な切り口が窺えます。尤も、彼はそんなに遠くない将来、公明党が単独で政権を担うこともあり得ると予測したりするなど、いささか入れ込みが過剰なのが、少し気にはなりますが‥‥。

先年(2017年9月)私は、フランス、ドイツ、ベルギーと、三カ国を駆け足で訪問したのですが、その際にドイツライン川沿いのビンゲンという町にある創価学会SGIの会館に立ち寄りました。眺望抜群のところに位置するこの会館はドイツ広布の一つの重要な拠点と言えます。この旅は、この地の元市長(女性)だったコーリン・ランゲンさんのお誘い(同市長と親しい友人の仲介で)を受けて決断したものでしたが、様々な場所に池田大作先生とドイツやこの市長との絆が窺え、大いに触発を受けました。ライン川を臨む高台に立って、日本から遠く離れた地にも、仏法を求める人々が増えつつあることに、改めて感嘆の思いを抱きました。

広宣流布という言葉を初めて私が目にし、耳に聞いたのは、法華経の中の「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉、鳩槃茶等(くはんだとう)に、其の便(便り)を得せしむること無けん」(薬王菩薩本事品第二十三)というくだりでした。仏法が世界に広まって平和そのものの時代が来ることを釈迦が予言しているものとして捉えました。これを受けるかたちで、歴史の上においては、紀元前3世紀頃のインド・アソカ王時代の小乗経の流布、6世紀の中国天台の迹門の法華経流布と発展して、日本では平安初期に伝教大師が法華経迹門の戒壇を比叡山に建立するに至っています。 (ここでいう迹門とは、本門に対するもので、真実の教えの前にある段階のもの。合わせて戒壇とは、その教えを広めることを決意する場所と私は理解しています)

日蓮大聖人は、末法に広宣流布すべき法門として、本門の題目、本尊、戒壇(これは滅後に実現を遺命された)の三大秘法を打ち立てられました。つまり、釈迦の予言としての法華経の広宣流布における具体的な三点セットを明らかにされたといえます。現実的に日蓮大聖人は、開目抄、撰時抄などで、「末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり」(如説修行抄)と、広宣流布のありようを様々に説いておられます。更に、大聖人の後継者の日興上人は、広く弟子たちへの戒めとして「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通をいたすべき事」との有名な教えを残しています。

かつて、私などは、広宣流布には明確なゴールがあるものと、思い込んでいました。例えば「舎衛の三億」という仏語(舎衛城にいた三億人の意味)があります。本来これは、仏法に縁することの難しさをたとえたもので、三分の一の仏を見た人、更に三分の一の仏のことを見てはいないが聞いた人、そして残る三分の一は見たことも聞いたこともない人との意味でした。これを私は勝手に解釈して、世の中の三分の二ぐらいが仏法理解者になった時が、広宣流布の時だと決めていたのです。

やがてそれは間違いだと気付きました。広宣流布とは、そうした具体的な日時的な意味合いでのゴールを指すのではなく、仏法理解が進み、困った時に南無妙法蓮華経と題目を唱えることが社会全体に常識として広まった状態を指すものと今では理解するに至っています。

池田先生は、「『妙法広布』の大遠征は、日本一国などという小さな次元にはとどまらない。世界へ、全地球へ、さらには全宇宙をも包含しゆく旅路である」と述べられる一方、「広宣流布は、現実世界を舞台としての、魔軍との熾烈な闘争の連続である」ともスピーチされています。人間の生涯をかけて挑むにあまりある壮大なスケールの闘い(空間軸)であり、かつ毎日、毎時、毎瞬の人間の振る舞い(時間軸)に関係してくる重要な座標軸だと私は今考えています。

 

 

 

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