(20)ステイホームの中で掴んだ新たな喜びー「生老病」の旅路の果てに❻

過去五回にわたって『「生老病」の旅路の果てに』と題していながら、老いに伴う病についてばかり書いてきました。読者の皆さんから「そんな身体で、大丈夫か」とご心配をいただいています。私は今「元気ですか」と問われると、「部品はあちこち痛んできてますが、エンジンは快調です」と言っています。ここらで、「生」そのものにまつわる話題をお届けします。

●三つの新たな試み

新型コロナウイルスの蔓延が全世界を恐怖の底に落としてから100日を超えた。暑い夏の訪れにも関わらず、口にマスクをせねばならぬ鬱陶しさー手洗い、うがいには抵抗感を感じなくとも、マスクはつい忘れそうになる。ステイホームを強いられる苦しさの中で、人はそれぞれ新たな喜びや、ひと味違う生きがいを掴んだものと思われる。

私の場合、三つある。一つは、放送大学講座をテレビで受講する習慣を身につけた。今まで、友人が放送大学の講師になったと聞いても、あるいは尊敬する病院長が75歳を越えてから受講生になったと知っても、まったくの他人事で我関せずだったのに。今や日々欠かさずに。二つ目は、仲間たちに絶えて久しい手紙を書くことをやってみて、少なからぬ喜びに浸ることができた。返事が届いたり、わざわざ電話をくれての長話に、お互いの違う側面を見て驚いたりもした。そして三つ目は、幾たびもの引越しでその都度〝断捨離〟の憂き目に遭いそうになりながらも逃げ切って来た、30冊を越える膨大なアルバム整理に着手することも出来た。いずれも生きる活力になっている。

●放送大学の魅力あれこれ

放送大学は既に11回目の講義に入っているが、10講座が〝お気に入り〟で連日テレビに向かっている。

『世界文学への招待』ではこれまで知らなかった世界の作家の存在を知ったし、宮下志朗、小野正嗣などと言った老若コンビを始め講師陣も魅力的だ。各地の映像が魅力に溢れ、そこに行った気分になれる。講義で取り上げられた数々の作品のうち、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』やオルガ・トカルチュクの『逃亡派』などを読みたくなって、図書館に注文した。

また、『歴史と人間』ではメアリ・ウルストンクラフトという女性解放運動の先駆者を知って、感動を覚えた。その存在を伝えてくれた梅垣千尋という講師には興味を抱く。この歳になって初めて知る歴史上の人物や作品の奥行きの深さに出会って、まさに〝日暮れて道遠し〟を実感する。『「方丈記」と「徒然草」』は、知ったつもりであった日本の古典の魅力を改めて認識させられた。小林秀雄の『徒然草』を再読してしまった。「日本文学」の学び直しの端緒になりそうである。島内裕子先生の講義は毎回かぶりついて見ていて、そのふくよかなお顔は仏像を思わせるに十分だ。

さらに、『権力の館を考える』なる講座は妙に面白い。日本の歴代総理大臣の住まいから始まって、ついこのほどは、大阪や京都における歴史的建造物の由来を知った。御厨貴と井上章一ご両人の対談(10回、11回)による講義も秀逸で、大いに感じ入った。『京都嫌い』で名を馳せた井上先生の専門が建築学と改めて知った。『現代日本の政治』『グローバル化時代の日本国憲法』『日本政治外交史』などは元衆議院議員としては今更という思いが付き纏うものの、究極のおさらいと言った趣もあって、妙に楽しい気分になって受講している。

加えて、高橋和夫さんによる『現代の国際政治』『中東の政治』『世界から見た日本』の三部作も、自分が専門として来た分野の講座だが、切り口が新鮮な上、現地に飛んでのインタビューが随所に盛り込まれたり、受講者との質疑応答も時にあって、魅力満載。ついに私は高橋先生にファンレターまで書いてしまった。入れ込み具合がお分かりいただけよう。返事も頂いた。

映像を通じての講義はビデオに収録しているので、繰り返しが聞く。それこそ居眠りや聞き逃しがあっても補えるのは助かる。コロナ禍でオンライン化が話題であるが、先行する放送大学からは学ぶことが多い。大学は学問をする場というより、友人を得て遊ぶところだった我が身を反省すると共に、ポストコロナ禍の時代における大学講師陣の先行きに同情を禁じ得ない

●160人に手紙書き、30冊のアルバム整理に着手

ステイホームで、自由に外に出歩けなくなり、人との交流のあり方を考え直した。まずは地方自治体の議員を経験した仲間たちに手紙を書くことを思い立った。全て自筆で書けば良かったのだろうが、さすがに160人分は書きづらい。雛形を作って、それぞれ一人ひとり相手に応じた挨拶文を添えた。日頃の疎遠を詫びつつ、人類が直面する未曾有の危機に立ち向かう激励の呼びかけには、我ながら緊張した。

投函して数日後に、メールや電話、手紙を次々といただいた。皆喜んでくれていたのは嬉しかった。中にはこれまでの付き合いが表面上に過ぎなかったことをお互い知りあった。新たな発見もあった。人はそれぞれ勝手なイメージを描き、適度にやり過ごしている側面があるのかもしれない。

今でこそアイパッドやスマホでの写真が花盛りだが、かつては紙焼きばかり。アルバムも大型で積もり積もって30冊ほどにも。これを整理せねばと思って来たが、中々手がつかなかった。これについに手をのばし、一枚づつ台帳から剥がし、台帳そのものは全部粗大ゴミに出した。写真は残すものは残し、要らないと判断したものは捨てた。スッキリした。懐かしさについ手が止まり、見入ってしまったこともしばしば。若かった日々への哀惜の念を振り切るのに苦労した。残した写真をどうするかの問題が残っているが、おいおい取り組むしかない。

ステイホームの日々で、本当はやりたかったことが他にある。料理である。妻に任せてばかりでなく、〝男の手料理〟に習熟したかった。だが、残念ながら未遂に終わった。次の機会の楽しみにとっておく。(2020-6-14)

 

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