(21)コロナ禍後の世界と信仰者の生き方

●総引きこもり状態の行く末

コロナ禍における「ステイホーム」の有り余る時間にあって、様々の学者や知識人と言われる人々の意見や考え方をメデイアを通じて聞きました。ここでは、これからの人類のあり様とでも言うべきものについて考察を加えてみたいと思います。新型コロナウイルスの感染の凄まじさは今更言うまでもありません。この破壊力は、人間の生の営みを根底から覆しかねないものです。つまり、人が人と密接に交流することで、お互いの親近感や愛情を伝えてきたものを否定するからです。好きだ、愛してる、かけがえのない存在だと思ってることを表すために、ハグをし、キスをし、握手をするのですが、それらはいずれも濃厚接触、三密と称して排除されます。

先日もテレビ映画を見ていて、コロナウイルスの犠牲者が現時点で多いのが欧米先進国であることの理由の一端がわかる様な気がしました。つまり、四六時中、かの国の人々はチュッチュチュッチュと忙しいこと夥しいのです。日本人の場合は、そういう行為はあまり馴染みません。それが直接関係があるかどうかは別にして、欧米の生活文化のあり様が、少なくとも再考を迫られることになるやもしれません。

さらに、人は移動する存在です。旅することで、日常を脱してそこでしか見ることのできないものを見て、生は豊かになり、人は磨かれていきます。移動を断たれ、人との接触を拒まれていけば、自ずと人は人で無くなっていく、その醍醐味を失う存在になるに違いありません。

学問をする場、仕事の打ち合わせをするところも、顔を突き合わせるフェイスツーフェイスから、オンラインという名の、AIを介在させなければならないものに変化を求められてきています。これまでと真逆の〝人類総引きこもり〟と言っても言い過ぎでない事態と隣り合わせなのです。

●人類はコロナ禍後に何を学ぶか

こう見てくると、何を大袈裟な、あともう少しで元に戻るから、心配ない、もう少しの辛抱だとの声が聞こえてきます。確かに未来永劫に今の事態が続くとは予測し難く、やがて効果的なワクチンが見出され、実用化されていくことは間違いないものと思われます。恐らくは、あと数年後には完全に元どおりになると見る考え方が支配的でしょう。何も、人と人の付き合いの基本が根底的に変わるということに直結はしないものと思われます。では、何もかもが元に戻って、やがて全ては忘却の彼方ということになるのでしょうか。

それでは今回の疫病の蔓延で生命を落とした人々の死から、その教訓を学んでいないといえるのではないでしょうか。今回の死者たちは愛する家族からも遠ざけられたままで、およそ生命の尊厳ということからは遠い扱いを受けたと見られます。彼らの死を活かすには、何が必要でしょうか。それは、大きな観点から言えば、人類全体の相互支援と協力の大事さであり、言語を超えたコミュニケーション力の重要性という点ではないかと思われます。究極の価値観は、地球はひとつとの認識であり、地球人の自覚を全ての民族が共有することでしかない、と思われます。そして、音楽や舞踊を始めとする芸術、芸能の力の再発見だと言えます。これらは言語を超え、人を結びつける特異な手立てなのです。

かつて人類が直面したペストやスペイン風邪などの大疫病災害がもたらしたものは何だったのでしょうか。最大のものは、誤解を厭わずに言えば、キリスト教への不信が極まり、「神の死」なるものをもたらしたと私には思われます。当時の元凶のウイルスは人を選ばず、信仰のあるなしに関わりなく、平等に襲ってきました。信仰をしているから、神を信じているから大丈夫とはならないことが白日のもとに明らかになり、結果として信仰者はふるいにかけられたものと思われます。

今回のコロナ禍で、最も私が懸念したのは、世界中で日蓮仏法を信奉する人たちの対応です。かつてのキリスト教信者の多くが歩んだ同じ道を辿らないように、と。ここでも、大事なことは、冒頭に述べた様な、手洗いの励行やマスクの着用を基本に「三密」を避けて、人との接触を抑えるといった、「感染症対策の常識」に立ち返ることに尽きます。信仰を持っているからこそ、人一倍の用心が大切だと言えます。用心に用心を重ねた人、対策の常識に身を委ねた人の頭上にこそ、諸天善神の加護があるのだと言えましょう。(2020-7-30)

 

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