【53】映画に歌に昭和を駆け抜けたマイトガイ──小林旭『さすらい』を読む/10-5

 長嶋か王か?若乃花か栃錦か?〝戦後第一世代〟は、プロ野球、大相撲の人気を二分するスターに熱中した。そして映画や歌の世界では、裕ちゃんかアキラか?の選択が今に続く。石原裕次郎と小林旭。残念ながら裕次郎は52歳で逝ってしまったが、アキラは芸能生活60年を超えて未だ健在。ここで、芸能人を取り扱うのは初めてだが、何を隠そう、私は学生時代に日活調布の撮影所にエキストラのバイトで通ったし、後述するように彼の歌ともご縁がある。そして『渡り鳥シリーズ』の脚本を書いたとされる、後の原健三郎衆院議長は郷土・兵庫の大先輩である。様々な思いをめぐらせながら、「小説風自伝」を一気に読んだ◆若かりし頃のアキラのタフぶりは、ともかく凄い。「大部屋時代」のバットで襲われるシーン。思いっきり振られたバットが彼の腹の腹筋力で真っ二つに折れた。いくらなんでもこれは怪しい。しかしそれもあるかも、と思わせるような話が次々登場する。「渡り鳥誕生」のアキラが殴られて2階から落ちるシーン。吹き替えをやってくれた鳶職人が大腿部骨折をしてしまう。病院に見舞いに行くも、「痛ぇよ、痛ぇよ」と唸り声が聞こえてきた。いらい、自分で痛みを感じる方がまだマシ、と一切吹き替えなしですませたという。保険会社も恐れて逃げたとの逸話も本当だろう。「命知らずのマイトガイ」では、八路軍に殴り込みをかけるシーンで、爆発係の手違いのため相方の左足が大腿部ごと吹き飛んだ。アキラ自身も生死を彷徨って、首の骨を折る寸前の大事故を起こした。息を飲みっぱなしの連続活劇は実に面白い◆やがて「昭和42年」に大きな転機がきて日活をやめる。その際に展開される「日本映画論」が実に迫力に満ちていて、この本の白眉だ。一言でいえば、作る側も観る方もアメリカ映画に魂を奪われ、骨抜きにされてしまったということに尽きる。アキラは「アメリカにしてやられた」責任は、「先を読めず目先のことに奔走し、セコい作りをし始めていた日本映画界にある」と断罪する。「映画が斜陽だからといっても、まだまだその流れを食い止め、我慢して来る時を待つという手はいくらでもあったのに、ロマンポルノだとか目先の利益ばっかり追いかけた結果、今なお続く映画不毛の国になってしまった」とも。この本の出版は18年前だが、この流れは止まってはいない。昭和30年代まで日本映画界は、黒澤明、小津安二郎、溝口健二ら枚挙にいとまがないほどの巨匠たちが輩出した。アキラの演じたアクション映画の世界も然りだ。今では欧米どころか、韓国にもすっかりお株を奪われた感がして悔しい◆映画界を去ったアキラは事業に手を出し、大火傷をする。いや、その前に、美空ひばりとの結婚(昭和39年)という一大イベントがあって、「公表同棲から理解離婚」の章が一部始終を物語る。世紀の大歌手とのカップルには心底驚いたものだが、裏話は興味津々だ。慣れぬ事業の失敗で巨額の負債を背負うものの、へこたれぬ姿は胸を打つ。さぞかし辛かったに違いない。そして、ひょんなことから本格的に歌手への道が開く。きっかけは、一世風靡の曲『昔の名前で出ています』だった。私はカラオケは苦手だが、ある時、後輩からアドバイスを受け、この曲を練習した。せっせと歌ううちに段々それなりに様になってきた。そのうち、何を歌っても、声が、節回しがアキラにそっくりとまで言われるようになってしまう。その噂が当のご本人に届いてしまった。選挙の初挑戦で落選し、苦節4年の後に当選するまでの間に、アキラの4曲を部分的に替え歌にした。それがなんと、彼の前で私が歌うことになったのである。その顛末はまたの機会に譲りたい。(敬称略 2022-10-5)

 

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【52】ものづくりは何処へいったのか──内橋克人『新版 匠の時代』を読む/9-30

 さる9月1日で内橋克人さんが亡くなって一年が経つ。ということを神戸新聞で今連載中の『共生の大地へ 没後一年 内橋克人の歩いた道』で知った。この人は、同紙記者を7年の間勤めた後にフリーのライター、経済評論家になって、88歳の死の間際まで書き続けた。世に最も知られているのは『匠の時代』全12巻だが、その仕事はひたすら市場原理優先の政治経済への反抗に貫かれ、ものづくりにこだわり、人びとの「共生」への道を探し求めたことに尽きる。神戸の生み出したジャーナリストの先達として、かねて畏敬の念を持ち続けてきた私とも交流の接点があり、それを大事にしてきた。今でこそ、政権与党の一翼を担う存在であるが、かつて反自民の中核であった公明党ともそれなりの絆があったのだが、この20年はいささか遠い存在になったのは口惜しい。今に健在ならば、その辺りについて弁明をしつつ、教えを乞いたかった★実は『匠の時代』を私に勧めたのは、市川雄一元公明党書記長だった。この人は、NHKの人気番組「プロジェクトX  挑戦者たち」の主題歌・中島みゆきの「地上の星」が大好きだった。そのわけはこの歌詞のこの部分だと、しばしば講釈を聞かされたものだ。内橋さんとほぼ同世代の市川さんは、新たなものを生み出す挑戦の姿勢を共有していたように思われた。TV番組は一世風靡したが、この本の刊行はそれより遥か前のことだ。再読したのは、岩波現代文庫全6巻の新版。「余りに多くのことを語らねばならない」との書き出しで始まる「諸言」が胸を撃つ。記述は、2011年3月20日の夜。あの東日本大震災、福島第一原発事故に直撃された9日後のことだ。ここで、特に印象深いのは、このシリーズに著者が取りかかってから35年を経ており(現実には更にその後の10年がプラスされる)、「(この間に)日本社会と経済・産業・技術のすべてが、姿も本質も、歴史的に入れ替わってしまったように思われる」とあることだ★「失われ続ける」日本の現実を横目で見ながら、この本に出てくる栄光の匠たちの姿を追う。世界初のクオーツ腕時計、電卓の開発。汚水、海水をも真水に変えてしまう「逆浸透膜」を可能にした東レの超極細繊維。世界に誇る新幹線の技術、「人のいのち」を救う人工透析の技術などなど、限りなく眩しい技術発掘の歴史が続く。内橋さんは、「技術と人のどんな〝めぐり合い〟あって誕生したものか」と問いかけ、答えを求めて、この本を書き始めた。それが、今やすべてが変容してしまった。「グローバル化時代の当然の帰結という宿命論が通念となった」という結論で済ませていいのか。かつて、かの戦争に負けて欧米の技術との差を思い知らされ、日本は立ち上がった。苦節30数年を経てバブル絶頂期を迎える。そして今、半導体を始めあらゆる分野で、中国の後塵を拝し、台湾、韓国に並ばれた。今再びの技術差に喘ぐ。「『市場主語』ではなくて、『人間主語』の時代へ向けて、『匠たちよ、再び』と呼びかけたい」との内橋さんの声が胸に迫る★私はこの人のNHKラジオ第一での朝のニュース解説にいつも聞き入った。フーズ(食料、農業)、エネルギー、ケア(介護、コミュニティ)の頭文字を取った「FEK(フェック)自給圏構想」を提唱し、この三つは市場原理に委ねてはならない、市民が手放してはならないものだと、力説された。こうした言葉の数々を聞くたびに、政治の現場を預かるものの一人としてその非力が恥ずかしかった。公明党が世に出て60年。前半は庶民大衆の声を真正面から体して闘った存在であったことは紛れもない。だが、後半の30年は、格差拡大が止まらない。中流層の下流化が懸念されている。グローバル化の帰結やら、失われた年数を自民党のせいだけにはできない。一緒に政権与党を構成してきた責任も問われよう。保守政治の悪弊を中道化の波で変えていくので、今しばらくの猶予をと言い続けて、久しい時間が経った。もう待てないとの声が地の底から、空の闇から聞こえてくる。(2022-9-30)

 

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【51】全文を英語で読みたくなる──岡田光世『ニューヨークのとけない魔法』を読む/9-23

 この本を読むきっかけは、公明新聞の文化欄だった。そこでは、『ニューヨークがくれた私だけの英語』というタイトルの新刊本を紹介していた。中学英語ですべてオッケーといった言い回しが気に入り、本屋に行って、立ち読みした。なんだ、違うじゃないか、が直感的な印象。当方の勝手な思い込みと違って、日本語ばかりが目立つどこにでもありそうな体験記と思え、読む気は失せた。ただし、著者の人物像に好感を持ち、本屋の上の階にある図書館に行き、『ニューヨークのとけない魔法』を借りることにした。全8巻もあるシリーズの第1冊目である▲読みやすく、とても面白い。いっぱしのニューヨーク通になったような気になる。実は私はアメリカ本土には3-4回行ったが、ワシントンが多くて、ニューヨークは一度だけ。そんな人間でも馴染みのあるセントラルパークと、エンパイアステートビルについての記述が気になった。「セントラルパークの丘にすわっていた数人のために、デービッドはギター片手に歌い始めた」で始まるその一文は、That’s what Central Park is all about.   まさにそのためにセントラルパークはここにあるのだ。で終わるのだが、そこに至るまでの文章展開が切なく、胸に響く▲「エンパステートビルの灯」なる一文も。──時に応じてライトの色具合が変わる。同ビルの管理事務所には、昨日の夜のライトは何を意味してたの?との問い合わせがくる。年老いた未亡人と思しき女性からいつも電話があった。I feel like I’m in touch with the world.   世の中と接触があるように感じるのよ、とそのおばあさんは言っていた。が、ある日からその電話が途絶えてしまった。著者は「夜のエンパイアステートビルを見上げる時、私は会ったこともないそのおばあさんが、ひとり窓辺にたたずみ、カーテンの隙間からそのライトを眺める姿を思い浮かべる」と結ばれる▲「世界一お節介で、おしゃべりで、図々しくて、でも憎めないニューヨーカーたち」の立居振る舞いが、とても変わっていて不思議に思えるということが、「ニューヨークの魔法」だというのだが、これって、人種の坩堝といえる場所柄だからだろう。東京との比較が随所に顔を出すものの、アメリカという国がみなこんな風とは違うはず。要するに、世界中からやってきた寄せ集めの人々に構成されるニューヨークの特殊性だと思われる。ともあれ1巻を読み終えて、続けて読みたくなった。ついでに、一文だけの英語ではなく、丸ごと英語で書いてくれないかなあと、魔法にかかったように、ろくに読めないくせに思ってしまう。(2022-9-23)

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【50】稀代の名文家の足跡を追う金婚旅──志賀直哉『城崎にて』を読む/9-17

 若き日に志賀直哉という作家に取り組んだ時期がある。文章研究の一環として、『城崎にて』とか『小僧の神様』などの短編を読んだものだ。後に、長編『暗夜行路』にも挑戦した。人生最終盤になって再び『城崎にて』を取り出したのは他でもない。私ども夫婦が結婚50年の佳節を迎え、どこかに行こうかとなって、兵庫の名湯・城崎温泉を目指し、ついでにこの著名な作品の再読となった次第である。温泉・酒好きの妻の思いとは別に、私の密かな目的はこの作家の跡追いにもあった★この短編は、著者が交通事故(山手線の電車に跳ね飛ばされた)に遭って傷ついた身体を癒すために、この地に逗留した際の実話に基づく。3週間にも及ぶ長逗留の無聊の気まぐれに目にした、蜂、鼠、いもり、蜥蜴など小さな生き物の生と死の描写に過ぎないのだが、名作の地位を不動にしたのはなぜだろう。それはひとえに、〈死ぬはずのところを助かり、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ〉との思いが支配していた時に、生き物の儚さを見たからに他ならない★生と死は両極でなく、「それほどに差がないような気がした」との表現が終わり近くに出てくるが、それこそ、仏教でいう「生死一如」を悟ったということと思われる。私自身も、幼き日に祖母と一緒に伯母の家に行った際に、祖母が急死したことが強い衝撃になった。また、中学校の理科の時間に、蛙を解剖すべく机の端に蛙を叩きつけて殺したことが妙に後味の悪い印象として胸に残り、いまもある。また、つい先年、地域のお堂の脇に生えていた大きな古木を切り倒した際に、その生木の悲鳴が聞こえた(気がした)。こんなことがらがまざまざと時空を超えて甦ってくる★志賀直哉については、奈良にある彼の住居跡を見学したことや、3週間もの温泉療養を思うにつけ、豊かな生活ぶりが気になる。私たちの金婚旅は、わずかに一泊。彼我の差に考え込んでしまう。僅かな散策先に城崎文学館を選んだところ、この地に彼が来てこの小説を書いたことが、今になお〝地域おこし〟の糧になっていることに複雑な思いを禁じ得ない。私たちが訪れた日から25日までの11日間、『豊岡演劇祭2022』が始まった。偶々城崎温泉駅でもスイッチ総研なる演劇集団の観光列車「うみやまむすび」を使っての劇のリハーサルとぶつかった。直哉に代わって、大成功を祈りつつ、一日一本の「はまかぜ」の人になった。(2022-9-17)

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【49】中秋の名月にふさわしい──『竹取物語』を読む/9-10

 9月10日は中秋の名月にあたる満月でした(わが地域では曇天で見えず)。偶々、月にゆかり深い『竹取物語』を読みましたので、それにまつわるお話を。先月のNHKテレビ「100分de名著」で『竹取物語』を取り上げた木ノ下裕一さん(木ノ下歌舞伎主宰)の解説を聞いたのがきっかけです。この人、実にうまいしゃべり口調でした。テレビの後、テキストを読みそして原作を改めて読む気になりました。読後、ぜひ孫たち始め、まわりの子どもたちに勧めたいと思ったのです★この物語こそ日本の読みものの原点でしょう。成熟した大人たちの原点が『源氏物語』なら、こっちは未来ある子どもたちの究極の古典かもしれません。いわくつきの月からの使者・かぐや姫が竹の中に生まれ落ち、やがて言い寄る5人の男たちを手玉に取るといった経験ののちに月に戻るってお話ですが、まさに宇宙を股にかけた壮大なストーリーに魅惑されます。幸か不幸か私はシャーロック・ホームズ的冒険推理小説の世界に魅了された少年時代で、こんなSF(空想科学小説)もどきのものとは無縁でしたが★木ノ下さんは、この物語から「小さ子物語」「異常出生譚」「長者譚」「婚姻譚」「貴種流離譚」などといったさまざまな物語におけるパターンが織り込まれていることを明かしています。さらに、「かぐや姫、月、神秘、竹」などといった物語の設定にすべて意味があることなど、小説作法の入門書の趣きがあるとも語っていました。そして、生きづらさを感じがちの現代の子どもたちにとって、この物語を辛さから逃げ込むための入り口にして、小説、物語の世界にのめり込むことを勧めているのです。私の身近にも自殺願望の強い少女がいますが、何とかそこから救い出すためにも読ませたいと思います★そんな思いで見えぬ月を見上げている時に、残念ながら胸を去来するのは、老老介護に迫られているわが(正確には妻ですが)現実です。亡くなったエリザベス女王と同年齢の義母と同居しているのですが、いま彼女を責め苛んでいる(であろう)ことは、「被害妄想」です。これって、ある種マイナスの想像力の極致といえようかと思います。そんな身内の惨めな姿を見るにつけ、想像力がなまじっかあるために〝狂う〟のであって、無い方がどんなにいいかと思わずにいられません。健康な状態で歳を重ねることがどんなに貴重で難しいかに悩みつつ、見えぬ満月を想像力で見上げつつ考えてしまいました。これを書き終えた直後に埼玉・行田市に住む友人から見事な満月の映像が届きました。(2022-9-10)

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【48】忘れ難いラストバンカーとの因縁── 西川善文『仕事と人生』を読む/9-4

 ラストバンカーこと西川善文さんが亡くなったのは、2年前の9月11日。今年は三回忌になる。生前に同氏が受けておられたインタビュー(2013年11月-2014年2月)をもとに、出版された『仕事と人生』を読んだ。この本を読むきっかけは、ある中小企業の従業員の皆さんを前に、同じタイトルでお話をする機会が9月14日に予定され、参考になればと思ったことが一つ。もう一つは、この人と私には、一つだけだが忘れ難い接点があったことがきっかけである。それは衆議院総務委員会の場でのこと。日本郵政公社社長として、同委員会に出席を願ったのだが、その時の委員長が私だった。三井住友銀行の頭取を終え、郵政民営化直後の中枢として活躍をしておられた同氏。そして、私たちにはそれなりの因縁があった◆それは、私が銀行マンの倅であるということである。親父の背中を尊敬の眼差しで見ながらも、到底乗り越えられないがゆえに、その職業を選ばなかった。親父が私に銀行員になって欲しかったことは折りに触れて聞いていた。だが、その道に入ることの厳しさを知っていた私は、断じて避けたかった。親不孝者である。そんな私は親父が気に入らなかった新聞記者の道を選んだ。しかも、宗教団体が作った政党の機関紙という、ーおよそ銀行とは縁遠い位置にある「仕事」をすることにした。それには〝巡り合わせの妙〟があるのだが、ここでは触れない。2008年秋のことだ。実は私の高校の同期A君と後輩S君が住友銀行出身で、入社当時に西川さんの訓練を受けた身であったことも手伝い、ひと夜、4人で「仕事と人生」を語り合いもした◆この本は、「評価される人」「成長する人」「部下がついてくる人」「仕事ができる人」「成果を出す人」「危機に強い人」の6つの章からできている。亡くなられてから、急遽遺稿を、ということで、慌てて用意されたことが見え見えではある。生前に出された、バンカーとしての回顧録と、日本郵政との取り組みへの意欲を示された二冊の方が重い価値を持つ、と思う。しかし、より率直に西川さんのお人柄が滲み出ているのはこの本だろうと睨んだ。例えば、「わかしお銀行との逆さ合併」についてのくだりが興味深い。ご本人も正直に「私自身、『奇策』と言われるような『逆さ合併』などやりたくなかったが、生き残るためにはしようがない」と、述べている。「感傷的な思いを押し切り、私は住友銀行の法人格を消滅させた」と、小さい下位の企業を残し、大きい上位の方を切った経緯を明かす。ここにこの人の真骨頂がうかがえよう。失敗したら責任は自分が負う、強い気構えである◆この本を具に読んで、私には到底真似が出来ないことばかりだと、早々に白旗を掲げた。と同時に、私の仕事上のボスであり、上司であった市川雄一公明党書記長(元公明新聞編集主幹)を思い出す。このふたり、眼の鋭さが酷似していた。私とは正反対に6つのことがすべてできる人だったことは多くの人が認めよう。その市川さんが常日頃口にしていた言葉で忘れ難いのは、「百人を超える部下を持ったことのない人間に、真の意味での政治家は務まらない」というものがある。家族を含め生身の人々の生活をどう守るかということが寝ても覚めても気になる──こういった経験を持たない人間の責任感はたかが知れていると。それを聞くたびに、百人はおろか、まともな数の部下を持ったことのない私は恐れを抱いた。尤も、会社社長経験者なら政治家は務まるのか、と内心呟いたのだが。市川さんは、親父や祖父さんから地盤、看板、鞄を継いだに過ぎない2世、3世議員を批判したかったのだろう。西川さんも政治家になっていれば、いい仕事をされたに違いない。さて、『仕事と人生』をどう語るか。私風に行くしかない。会場を沸かせるぞ、と開き直っている。(2022-9-4)

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【47】「吉田ドクトリン」は永遠か──永井陽之助『新編 現代と戦略』を読む/8-28

 世に「棺を蓋いて事定まる」(人の真価は死後に定まるという意味)というが、事はそう簡単ではない。安倍晋三元首相が狙撃死に遭ってから2ヶ月足らず、その評価は定まりそうにない。彼の死の直後に書いた論考(朝日新聞Webサイト『論座』)において、私は、光と影の両面からその政治的足跡を評価した。光は、混迷する国際政治の中で発揮された外交的手腕。影は内政面での反民主主義的ともとれる強権的手法。このうち、前者について、考えをめぐらす中で、吉田茂元首相との対比に思いが至った。時あたかも、岸田文雄首相が「国葬」を決めたことから、1962年時の吉田のケースと対比されているが、私の関心事はそれではない。日本の戦後外交史における吉田、安倍の果たした役割について、である◆吉田茂といえば、「吉田ドクトリンは永遠なり」との言葉を世に広めた政治学者の永井陽之助『現代と戦略』(1985年3月出版)を思い出す。世に出てから(初出は文藝春秋1984年1-12月号連載)、もう40年近くが経っており、国際政治学における古典といってもいい位置にあるとの評価が一般的だ。再読を思い立ったのは他でもない。この本は、読む角度を変えると、元外務省高官の岡崎久彦批判の書でもある。そして、岡崎といえば、安倍晋三元首相のご意見番ともいうべき親密な関係であったことはよく知られている。2016年発刊の「新編」(第一部)の方には、岡崎による反論と共に、永井との対談「何が戦略的リアリズムか」(1984年中央公論7月号)も併せて巻末に収録されており、極めて興味深い。遠い昔に読んだ記憶を後追いしつつ、「新編」を追った。取り扱われている素材は勿論、古い出来事ばかり。だが底に流れるものの考え方、掴み方は今になお有効であり、大いに参考になる◆永井はこの書の中で、吉田の「非核・軽武装・経済大国」路線を長く受け継がれるべきものとして位置付けた。確かに、吉田の引いた路線は、ドクトリンと呼ぶかどうかは別にして、この40年というもの、日本の国是とでも言うべき位置を形成してきた。しかし、改めてこの書を追っていくと、岡崎久彦への言及が目立つ。偶々、彼が『戦略的思考とは何か』を発表した直後でもあり、2人の間での積年の議論の焦点が改めて浮上したといえよう。永井は「政治的リアリスト」の自身に対して、岡崎を「軍事的リアリスト」と見立てて、多様な角度から論じている。とりわけ、「日本の防衛論争の配置図」(座標軸)は、論争的興味を惹きつけてやまない。永井からすると、アングロサクソン(米英)絶対視の岡崎への批判の眼差しが伺える。岡崎からすれば、吉田路線への反発があり、2人は食い違う◆慶大教授の細谷雄一は、安倍がかねて吉田ドクトリンを「安全保障についての思考を後退させた」と、否定的に捉えていた(『新しい国へ』)ことを紹介。その上で、「より厳しい世界の現実に直面する勇気を」持つものとしての「安倍ドクトリン」を推奨している(中央公論2022年9月号「宰相安倍晋三論」)。永井が岡崎を否定的に捉える背景には、軍事的リアリストの立ち位置に、フランスのド・ゴール元大統領風に自国の栄光を追う、日本型ゴーリストの影を見たからではないか、と私は読む。40年前と違って、吉田の定めた路線を取り巻く環境は激変した。安倍の捉え方が、より正鵠を射てると思う向きは左右の立場を問わず多いように思われる。先の永井版「座標軸」で、「福祉と自立」重視のグループに組み入れられていた公明党も、その後大きく安保政策を転換した。「同盟・安全」重視の政治的リアリストの仲間入りをして久しい。今、永井ありせば、こうした変化を何というか。それでも「吉田ドクトリンを忘れるな」というに違いない。(敬称略 2022-8-29)

 

 

 

 

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【46】未だ日本は「米軍の占領下」という現実──山本章子/宮城裕也『日米地位協定の現場を行く』を読む/8-20

 結党当時からの公明党を知っているものにとって、在日米軍基地というとすぐに思い出すことがある。「総点検」である。米国の占領、朝鮮戦争の勃発、自衛隊の発足、日米安保条約の発効から改定と進んだ、戦後20数年の歴史は、思い返すと即米軍との〝内なる戦いの連続〟であった。戦火を交えた国との関係は直ちに収まり変わるものではない。日米軍事協力の基礎である基地の実態を調査点検し、不必要なものは返還してもらおう──これが初期の公明党の発想だった▼1965年(昭和40年)に大学入学と同時に公明党員になった私は、〝調査なくして発言なし〟というこの党の姿勢に痺れる思いで共鳴した。あの頃から60年足らず。米軍基地の現状は残念ながら殆ど変化しているようには見えない。米軍人の犯罪を日本の司法が裁けない。航空機そのものの墜落や落下物も後を絶たない。騒音被害や環境汚染も止められない。これらすべて「日米地位協定」が邪魔をする。私は1993年(平成5年)の初当選いらい、20年間というもの、ほぼ全期間を外交・安保分野で仕事をしてきた。その間、この「協定」の壁に遮られ、幾度となく溜息をついてきた▼要するに日本、公明党、そして我が身の力不足を実感してきたのである。この本のサブタイトルは、「『基地のある街』の現実」。これは、かつて公明党の先輩たちがやった調査をもっと細かくさらに徹底して調べ上げたものだ。著者はふたり。大学准教授と新聞記者。特に前者には沖縄研究奨励賞、石橋湛山賞を受賞した『日米地位協定』なる著作があり、既にこの欄で取り扱っている▼この本を実際に手にするまで、山本さんが沖縄の基地を徹底して歩き書いたものと誤解していた。現実には全国北は三沢から、南は嘉手納基地まで7箇所(首都圏は一括り)が対象になっていて、沖縄はそのうちの一つだけ。その点は失望したが、それは私の勝手な思い込み。改めて、日本全国が米軍のもとで金縛りにあっていることがよくわかった。日本は未だに米軍の支配下にあるのだ。要するに、〝未だ独立ならず〟ということが分かった。「戦場で失ったものは、(話し合いの)テーブルでは取り返せない」という格言が胸に響く。(2022-8-21   一部修正)

 

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【45】気分は「日清、日露に勝った」直後──鈴置高史『韓国民主政治の自壊』を読む/8-12

 韓国は鑑賞する分においては、映画と同じように面白い国だ。尤も、当事者としてこの国と付き合うとなると厄介で、とても面白いなどと言っておれないだろうが。私には韓国ウオッチャーが友人に多い。つい先ほど、新しくその仲間に付け加えたいと思いたくなる人に出会った。といっても、テレビの解説番組を通じて一方的に見染めただけである。失礼ながら、お顔は見れば見るほどユニークである。この人物の書いたものも読もうと言う気になった。それがこの本だ。一読、裏切られなかった。章ごとのポイントを挙げる▼出だしの第1章は、コロナ禍。一度は抑え込んだように見えた。「西洋の没落」到来とばかりに喜んだのも束の間。瞬く間に自らの新規感染者数が世界最高レベルへと逆流。「K防疫こそ韓国人の優秀さを示す」などと呑気なこと言っておれなくなった。次いで、「あっという間にベネズエラ」の第2章。民主主義を掲げて当選しながら、その制度を壊してしまったベネズエラのチャペス大統領と文在寅前大統領は同じ穴のむじな、だと暴く。司法を掌握しようとの試みは、権威主義の国では左派だろうと右派だろうとどこでも起こるから、との指摘は納得がいく▼「そして、友達がいなくなった」との第3章は「反米、従中、親北」路線の当然の帰結だ。米国に歯向かうそぶりを見せつつ、中国に迎合し、北朝鮮と仲良くするとの路線では、誰にも相手にされないのは当たり前だろう。「政治の自壊が止まらない。韓国の知識人は今、激しい内部抗争のあげく滅んだ李氏朝鮮を思い出す」で始まる最終章は、韓国の行方を、縮んだ経済では国民をなだめるだけの分配が難しいと占う▼それでいて、「韓国は経済、外交、内政とあらゆる面で岐路に立っている」と、決定的な断定を避けた口ぶりは、韓国が苦手の日本人には物足りないかも。でも、ご安心を。「おわりに」では、きっちり、落とし前をつけている。まず、「35年間の植民地と独立後の南北分裂、朝鮮戦争による貧困」で、「周辺国から、一人前には扱われず、その劣等感は積もりに積もった」韓国人だが、「今や旧・宗主国の日本を豊かさで超え、誰からも無視されない国になったと自信満々だ」と持ち上げる。その上で、「せっかく描いた『世界に冠たる韓国』という自画像を壊す気にはならない」がゆえに、「韓国の気分は『日清・日露に勝った』直後」だと結ぶ。虚像の上に立った韓国は、波打ち際の砂の城のように、あっという間に流されるとの見立てなのである。(2022-8-12)

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【44】東西文明の融合を果たすのは日本か、それとも?──安田喜憲『水の恵みと生命文明』を読む/8-10

 人間による「自然収奪」を中心においた文明は、「自然との共生」を主眼にした文明とは全く違う。この本における著者の主張は、ここが最大のポイントである。前者を人間中心主義と呼び、畑作牧畜民による「動物文明」と位置付ける。一方、後者は、〝自然との共生主義〟とでも呼ばれるもので、稲作漁撈民による「植物文明」とする。この二分化を基本に、収奪文明と共生文明、物質エネルギー文明と生命文明、男性原理の文明と女性原理の文明などが対比されつつ語られていく。実はこの本は、著者が各地で講演された内容をベースに、様々な媒体に発表されたもので、全部で9つのパートにわけて掲載されている。ユーモア巧みな講演上手の著者が年来の持論を展開したもので、冒頭のエッセンスが繰り返し登場する。わかりやすく読みやすい。「国連SDGSの動き」に見るように、2030年が地球にとっての命運を決する分岐点とされ、これからの10年足らずの人類の振る舞いが注目されている。まさにその時に多くの人々に読んで欲しい本である★安田喜憲さんは、日本で初めて、文明や歴史と自然環境の関係を解き明かす「環境考古学」を提唱したことで知られる。湖の底に沈んだ堆積物、花粉の分析などに取り組んできたことが機縁となったという。この本の第1章は「『人生地理学』と私」。当初「地理学」を志した安田さんは、その道の先達・創価学会の初代会長牧口常三郎先生との学問上の出会いをされる。伝統的な「地理学」が、中心都市を基点に同心円状に広がって形成される「中心地論」に拘泥したのに対して、牧口先生はそれを日本には合わないと否定された。川の流域に沿って、水との関わりが強い空間認識を持たれていた。加えて「郷土」「文明」に着目されたことも合わせ、安田氏が高く評価されていることは興味深い。また、学者として15年ほども不遇をかこっていた同氏は、梅原猛氏と運命的な出会いをし、世に大きく浮かび上がっていく。学問の世界の異端児は師匠譲りだということも分かった気がして実に面白い。人の世の出会いの摩訶不思議なることを改めて痛感する★この本において、様々なことを気づかされ、再認識したが、そのうち最大のものが富士山の「世界文化遺産」認定問題だ。これに深く関わってきた同氏は、三保松原を含めるべきだとの議論に固執した。これこそ、森里海の生命の水の循環の場であり、生物多様性を守る格好の舞台だったからだ。それを分からず、富士山頂と駿河湾は離れ過ぎている、分けて考えるのが当然とのユネスコのイコモス(国際記念物遺跡会議)。それに同調する日本人。最終的に安田さん達の粘り勝ちで、三保松原が認められたことは極めて大きい。単に距離の問題ではないことが改めてこの本を読んで分かった、自分が恥ずかしい★この本を読んで考えることは多い。冒頭に挙げたように、畑作牧畜民と総称されるヨーロッパ系の文明と共に生きてきた人々と、稲作漁撈民と呼ばれるアジア系住民の相剋の行方である。ここで注意すべきは中国はアジアに位置するが、この両文明の対決では、欧米の側に括られる(ただし、安田さんがいう長江文明は例外として)。この帰趨については、「『植物文明』は『動物文明』にやられっぱなし。(中略) 勝たなければ、稲作漁撈民、『植物文明』としての日本民族は自滅するしかない」と、ある。そう危機感を述べる一方、安田さんは、東洋と西洋のバランスをとっていくことができるのは、「明治以降、欧米の文明原理を真摯に導入したにもかかわらず、江戸時代以降の歴史と伝統文化をも失わなかった日本人をおいてほかにない」と述べる。尤も、長江文明の遺産に中国が気づけば、この国もまた東西融合の鍵を握りうると思うのだが、さてどうだろうか。(2022-8-10)

 

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