【44】東西文明の融合を果たすのは日本か、それとも?──安田喜憲『水の恵みと生命文明』を読む/8-10

 人間による「自然収奪」を中心においた文明は、「自然との共生」を主眼にした文明とは全く違う。この本における著者の主張は、ここが最大のポイントである。前者を人間中心主義と呼び、畑作牧畜民による「動物文明」と位置付ける。一方、後者は、〝自然との共生主義〟とでも呼ばれるもので、稲作漁撈民による「植物文明」とする。この二分化を基本に、収奪文明と共生文明、物質エネルギー文明と生命文明、男性原理の文明と女性原理の文明などが対比されつつ語られていく。実はこの本は、著者が各地で講演された内容をベースに、様々な媒体に発表されたもので、全部で9つのパートにわけて掲載されている。ユーモア巧みな講演上手の著者が年来の持論を展開したもので、冒頭のエッセンスが繰り返し登場する。わかりやすく読みやすい。「国連SDGSの動き」に見るように、2030年が地球にとっての命運を決する分岐点とされ、これからの10年足らずの人類の振る舞いが注目されている。まさにその時に多くの人々に読んで欲しい本である★安田喜憲さんは、日本で初めて、文明や歴史と自然環境の関係を解き明かす「環境考古学」を提唱したことで知られる。湖の底に沈んだ堆積物、花粉の分析などに取り組んできたことが機縁となったという。この本の第1章は「『人生地理学』と私」。当初「地理学」を志した安田さんは、その道の先達・創価学会の初代会長牧口常三郎先生との学問上の出会いをされる。伝統的な「地理学」が、中心都市を基点に同心円状に広がって形成される「中心地論」に拘泥したのに対して、牧口先生はそれを日本には合わないと否定された。川の流域に沿って、水との関わりが強い空間認識を持たれていた。加えて「郷土」「文明」に着目されたことも合わせ、安田氏が高く評価されていることは興味深い。また、学者として15年ほども不遇をかこっていた同氏は、梅原猛氏と運命的な出会いをし、世に大きく浮かび上がっていく。学問の世界の異端児は師匠譲りだということも分かった気がして実に面白い。人の世の出会いの摩訶不思議なることを改めて痛感する★この本において、様々なことを気づかされ、再認識したが、そのうち最大のものが富士山の「世界文化遺産」認定問題だ。これに深く関わってきた同氏は、三保松原を含めるべきだとの議論に固執した。これこそ、森里海の生命の水の循環の場であり、生物多様性を守る格好の舞台だったからだ。それを分からず、富士山頂と駿河湾は離れ過ぎている、分けて考えるのが当然とのユネスコのイコモス(国際記念物遺跡会議)。それに同調する日本人。最終的に安田さん達の粘り勝ちで、三保松原が認められたことは極めて大きい。単に距離の問題ではないことが改めてこの本を読んで分かった、自分が恥ずかしい★この本を読んで考えることは多い。冒頭に挙げたように、畑作牧畜民と総称されるヨーロッパ系の文明と共に生きてきた人々と、稲作漁撈民と呼ばれるアジア系住民の相剋の行方である。ここで注意すべきは中国はアジアに位置するが、この両文明の対決では、欧米の側に括られる(ただし、安田さんがいう長江文明は例外として)。この帰趨については、「『植物文明』は『動物文明』にやられっぱなし。(中略) 勝たなければ、稲作漁撈民、『植物文明』としての日本民族は自滅するしかない」と、ある。そう危機感を述べる一方、安田さんは、東洋と西洋のバランスをとっていくことができるのは、「明治以降、欧米の文明原理を真摯に導入したにもかかわらず、江戸時代以降の歴史と伝統文化をも失わなかった日本人をおいてほかにない」と述べる。尤も、長江文明の遺産に中国が気づけば、この国もまた東西融合の鍵を握りうると思うのだが、さてどうだろうか。(2022-8-10)

 

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【43】「国際法など偽善に過ぎない」が‥‥──創価大学平和問題研究所『「人新世」時代をどう生きるか』を読む/8-3

 「大沼保昭文庫」が創価大学に出来た。それを記念するシンポジウムがさる3月6日に行われた。これはその記録である。サブタイトルに、大沼保昭先生の人間観、歴史観、学問観に学ぶ、とある。心打たれ、読むものを感動させずにはおかない。凄い小冊子である。ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争から、〝この世というもの〟を考える上で大いに参考になる★1990年代半ばに、中嶋嶺雄先生の主催される会で初めてお会いした。仰ぎ見る存在だったが、私とは同い年。その誼みで親しくさせていただいた。4年前に逝去され、その葬儀にも参列した。行動する学者として、いまわの際まで壮絶な仕事をされたことは知ってはいた。だが、遺作『国際法』の秘書役・蔦木文湖さんの語りを読み、仰天した。山田風太郎の『人間臨終図巻』の特別版と私には思われる★新聞記者として、また政治家として私は、人生の大半を、国際政治の現実を追うことに費やし てきた。やくざのいざこざと全く同じ。そんなものを追って何になる──時に、国際法学者を哀れみの眼差しで見たことも。そんな私が、大沼さんの「国際法など偽善に過ぎない」と言いつつ、同時に「意味がないわけではない」との発言をこの書で発見した。あまりにも謙虚で素直なことに、愕然とした★この書は人間・大沼保昭を、学問を通じ晩年近くに繋がった人たちが紡いでいてまことに興味深い。その中で愛娘・みずほさんの父親像が目を惹く。「皆さんが抱いている『好きだが嫌い。嫌いだが好き』とのもやもやした感情は私も共有できます」と、率直だ。「国際法に対するメッセージを」と父に迫った。大沼さんは、第二次世界大戦で日本がその活用を怠ったが故に国家滅亡の危機に瀕したとし、「国際法は日本国民が身につけ、活用すべきものだということにほかならない」と述べた。当たり前のことに聞こえる。だが、同時にたとえようもなく重く響く。(2022-8-3)

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【42】脱成長で豊かな社会は可能か——広井良典『人口減少社会のデザイン』を読む/7-26

 先日、大阪弁護士会有志による『環境・福祉・経済の鼎立は可能かーポスト成長・人口減少社会のデザインー』というタイトルのゼミナールにリモート参加した。「熊森協会」会長で弁護士の室谷裕子さんの紹介による。この本がテキストということで、開催前日までに大急ぎで読んだ。読みやすく種々啓発される好著である。実は、前に取り上げた『人新世の「資本論」』の中で、著者の斎藤幸平氏が、広井さんを「資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるという」、「旧世代の脱成長派」だと、厳しく叩いていた。そのため、どんな反論、反応がなされるか、ということにも関心があった。しかし、笑いながら「ベストセラーの本の中で、〝古い世代の脱成長派〟と言われていて、光栄に思う」とはぐらかされた。〝大人喧嘩せず〟ということだろうが、ちょっぴり物足りない思いはした◆この本で、著者は、人口減少社会の最先端を走る日本が、将来(2050年)において、持続可能な社会であるために、何をせねばならぬかについての論点と提言を展開している。それは、①将来世代への借金のツケ回しを早急に解消②若い世代への支援を強化して、「人生前半の社会保障」に力点を置く③「多極集中社会」の実現と、「歩いて楽しめるまちづくり④都市と農村の持続可能な相互依存」を実現する様々な再分配システムの導入など10個に及ぶ。広井さんは、〝持続可能な「定常型社会」〟という概念を作り出した人だが、この言い方はいささかわかりづらい。むしろ「経済成長を至上目標にせずとも、十分豊かで破滅しない社会」と言い換えた方がいいのでは。縮めると、「脱成長で生き抜ける社会」とでも言えようか◆10の提言の中で、印象深いものを3つ挙げる。まず、③。高度経済成長期の日本は東京への一極集中できたが、これからの人口減少社会では、むしろ逆。人の流れを全国へ拡散し、多極集中となるように、政治、行政がリードしていく必要があるということだ。「歩いて楽しめるまちづくり」がなされている一例として、姫路市が取り上げられているのは元同市民として嬉しい。駅前から一般車両の進入を廃し、水遊びが出来るサンクン・ガーデン(地下庭)が紹介されている。次に②。これまで老人、つまり「人生後半の社会保障」に主軸が置かれてきたが、これからは逆に子どもたちに目線を向けた社会保障の充実をめざせという。最近の自公与党、とりわけ公明党はしきりに、乳幼児から小中高生への教育無償化を叫び実現させているが、まさにこの路線と軌を一にしている◆最後が①。現役世代は自らの「借金」を、ひたすら将来世代にツケ回しをしようとしてきた。広井さんは、「困難な意思決定を先送りして、〝その場にいない〟将来世代に負担を強いるという点で、(諸外国と比較しても)最も無責任な対応」だと厳しく非難する。その上で、「富の規模と分配について、どのような理念の下にどのような社会モデルを作っていくのかという、『ビジョンの選択』に関する議論を日本は一刻も早く進めるべきなのである」と警鐘を乱打している。だが、この本が出されて既に3年近くが経ったが、全くその気配はない。参議院選が終わり、これからの3年は大きな選挙はないと期待されている。この時間を、ぜひこうした国の骨太なビジョンを作成するために費やして欲しいものだ。ともあれこれからの人口減少社会を考える上で大いに参考になった。(2022-7-28  一部修正)

 

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【41】人類の危機の連鎖を気づかせる➖スラヴォイ・ジジェク『パンデミック2』(岡崎龍監修/中林敦子訳)を読む/7-19

 本格的な夏の訪れと共に、コロナ感染者の数がまた一段と増えてきた。国内外の旅に手ぐすね引いて待っていた大人にも、夏休みに心躍らせていた子どもたちにも水が浴びせられた格好だ。「第7波の到来」との声に誰しもうんざりする。ジジェクの『パンデミック2』を読むきっかけは、テレビで斎藤幸平氏(『人新世の資本論』の著者)の解説を聞いたことによる。同氏は1冊目に当たる『パンデミック』の監修を担当していた。一方、この本は2020年春以降の情勢変化を踏まえた続編で、コロナ禍を題材にした現代文明論、哲学考、政治分析の赴きがある。著者の奥深く幅広い知性に圧倒されるばかり。参院選前に読み終えていたが、終了後改めて読み直し、コロナ禍を舐めてはならないことを痛感する◆ジジェクは、スロべニアの哲学者。精神分析学をテコに現代世界を俯瞰して解き明かす。「はじめに」の書き出しは「北北西で何か怪しい匂いがする」と、あたかもヒチコックの映画に思いを向かわせつつ、2020年6月、ドイツの食肉工場でのコロナのクラスター発生に繋げていく。第1章は、「マルクス兄弟主演の映画『我輩はカモである』」から口火を切る。以下14章まで、次から次へ映画やドラマを使い、小説を引用して、わかりやすい口調で、難解なコロナ禍での社会的事象や現実政治を腑分けする。更に「補遺」では、「権力と外観と猥褻性に関する四つの省察」と銘打ち、「新ポピュリズムの台頭を特徴とする世界」の動向を占う。具体的にはトランプ米大統領(当時)現象を料理する際の手の内を明かしてくれるのだ◆「彼は猥褻な噂が流れるような威厳のある人物ではない。彼は猥褻性を品位の仮面に見せようとする(公然と)猥褻な人物なのである」とするように、手を替え品を替えて幻想を打ち砕く。「我々が見ているのは『裸の王様』のリメイク版」だが、原作と違って「無邪気な子供の視線」は必要なく、「王様本人が自慢げに『俺は何も着ていない』と公言している」というように。トランプは過去の人ではない。今も米国を二分する人気を博し、2年後の返り咲きを狙っている。日本でも無縁ではない。反トランプの言説は「陰謀論」だとする動きがヒタヒタと水嵩を増している。トランプという〝暴れ馬〟をうまく御していたかに見えた、安倍晋三元首相。彼を亡くしてしまった日本が、やがて深刻な苦境に陥らぬことを願う◆コロナ禍は当初は「我々は皆同じ舟に乗っている」との認識で一致し、「人類は運命共同体」であることを楽観視させた。しかし、ジジェクは、今や「階級間の分断が爆発的に広がっている」とし、最下層にある人々(移民や紛争地に取り残された人々)にとっては、生活が困窮しすぎてCOVID-19(コロナ)は重要な問題ですらない」と危機意識を煽る。最前線でウイルスと闘っている看護師やエッセンシャルワーカーたちを、新時代の搾取階級だと位置付けさえする。混迷を続ける現代世界を救うのは資本主義の装いを変えることでなく、「コミュニズム」の見直しに期待する動きが日本でも漸く仄見えてきた。果たして、それが真に世界を、日本を救うよすがになるのか。それとも新たな混乱の深みへの機縁に過ぎないのか。その辺りに考えは及び、興味は尽きることがない。(2022-7-19)

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【40】精神科医作家の華麗なるデビュー作➖帚木蓬生『白い夏の墓標』を読む/7-13

 久しぶりに小説らしい小説を読んだ。ここで、小説らしいとは何か、と考えてみる。一にドラマチック。二に、リアリスティック。三に、ミステリアス。あとは欲をいえば、男と女の絡み合いがほどほどにあって、救いがちょっぴり。これが私の求める理想の小説像である。実はこれ、この本を読み終えて、頭に浮かんだものを羅列してみただけ。小説を以前ほど読まなくなったのは、歳を取ったことと関係する。読み進めるにつけて、過ぎ去りし時間への後悔が次ぎつぎと湧き出てあまり楽しくない。平板過ぎたり、リアル過ぎて悲しくなるのも嫌だ。だからといって荒唐無稽なのも。女性が描かれていない、貧しさと無縁なのも面白くない。それでいて、最後は明日への希望が湧いてこないと。この本は、今挙げたような、あって欲しいと思う要素が全部入っている。帚木さんのデビュー作である◆実は、『三たびの海峡』『逃走』『閉鎖病棟』といった初期の作品を感動のうちに読み進めながら、世に「帚木蓬生」の名をたかからしめた『白い夏の墓標』を、私は読まずにきた。なぜか。単純な思い込みだが、「医に関わる者の戦争犯罪」と聞いただけで、暗い雰囲気と結論めいたものが分かってしまう。だから敢えてそういうものは読まずに済ませよう。そんな感じで、きた。それがここへきて読む気になった。一つは新型コロナウイルスのパンデミック。「ウイルス」の犯罪化をどう描いているかに興味が湧いた。もう一つは、このところ大型化してきて、読み辛いものが多いこの人の作品からすると、手ごろな分量だという点。最初の数頁のとっかかりの悪さを乗り切れば、あとは一気に滑り出すボートのように心地よく進む。東大仏文科を出てTBS記者になるも、僅か2年で辞めて九州大医学部へ。卒業後は精神科医をやりながら小説を書く。今なお二足の草鞋をしっかり履き続ける、その才能の凄さ加減が嫌と言うほど分かった◆6つの章立てと展開は、実に技巧が凝らされ、考え抜かれたものだ。物語は肝炎ウイルスの国際会議に出るためにパリを訪問中の大学教授佐伯の舞台回しで進む。①その佐伯とベルナール老人とのいわくありげな邂逅②主人公黒田と佐伯の学生時代の出会い③現代に戻って、謎めいた佐伯のウスト行き④ウイルス研究に取り憑かれた黒田の手記の登場⑤黒田夫人ジゼルの衝撃の告白⑥黒田の娘クレールの快活な振る舞いと、ベルナールの締めくくり的手紙。➖仙台型肺炎ウイルスの研究で、米軍にその能力を買われた黒田が、アメリカに留学して、数奇な運命に巻き込まれていく、興味津々たるストーリーが展開していく。著者のいいたい最大のポイントは④の手記における、主人公の煩悶にあろう。「逆立ちした科学に向かう者と、まっとうな科学を目指す者に振り分けるものは一体何なのか。実は何もない」「もっとも恐ろしいのは、まっとうだと思い込み、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか」と。細菌兵器開発の実態を明解に暴くくだりである◆一方、この小説の面白さは、⑤の黒田とジゼルの逃避行に違いない。ハラハラどきどきの冒険談に引き込まれていく。だが、そこにいくまでの随所に盛り込まれた物語全体の伏線がたまらない。とりわけ黒田の生い立ちにおける貧しさと、それゆえの複雑な男女のもつれあいが味わい深い。そして巧みな比喩を駆使しての文章のうまさ。「白い綿球状の花をつけた牧草の上を靄が滑走していく。白い水蒸気の帯が深呼吸をするように、次々と山頂の方へ吹きあがっていくごとに、斜面はあざやかな緑に変わっていった」➖こうした表現に出くわすたびにため息が出る思いがする。自分はいつになったらこんな情景描写を繰り出せるかと。また、娘の若さそのものの強調ぶりに、場違いとも思える不思議さを感じる。と同時に、微かにちらついた不思議な影。ひょっとすると主人公は生きているのかも、との疑念が浮かび上がる。いやはや面白い小説を楽しめた。(2022-7-13)

 

 

 

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【39】沈黙は拒否するとの呼びかけ——岡部芳彦監修『魂の叫び ゼレンスキー大統領100の言葉』読む/6-13

 「セルフィーマン」──この本の監修をした岡部芳彦さん(ウクライナ研究会会長、神戸学院大教授)は、ゼレンスキー大統領から、こう呼ばれたとのエピソードを「はじめに」で紹介している。3年前の9月にウクライナ版ダボス会議と称される「ヤルタ・ヨーロッパ戦略会議」に出席した主要ゲストの集合写真の撮影のあとのこと。岡部さんが同大統領とツーショットを撮りたいと頼んだものの、シャッターを切ってくれる人がいなくて困った。その時彼が岡部さんのスマホを取り上げて自撮りしてくれた。1ヶ月経ち、即位の礼に来日した同大統領は、出迎えの列の中にめざとく岡部さんの姿を見つけ、冒頭の言葉を発したというのである。この最初の出会いの時のゼレンスキーが自撮りしてくれた写真を、2人で持ったショットがこの本の監修者紹介欄に掲げられており、微笑ましい◆当時、ヴォロディーミル・ゼレンスキーも岡部芳彦も日本ではあまり知られた存在ではなかった。だがロシアのウクライナ侵攻から100日が過ぎ、ゼレンスキーを知らない日本人はいないようになり、岡部さんも単なるウクライナ好きの大学教授だけではなくなった。この本は、ゼレンスキー大統領が口にした短いが魂のこもった100の言葉を岡部さんの解説と共に紹介した本である。恐らく編集スタッフが集めた語録の中から岡部さんが選びだし、それに解説を加えたのだろう。同大統領をめぐっては率直に言って、「喜劇俳優上がりの政治の素人が世界の人々の心を揺るがす名政治家になった」との評価が一般的である。この戦争がなければちょっと変わった平凡な政治家に終わったはず、とのしたり顔の解説も出回っている。未だ戦争が続いている中で、歴史がどう評価するか未決着の中での、危うい試みであることを百も承知で出された本だが、何はともあれ読んだ。その結果、深く心を揺さぶられた◆色んなことを考えさせられる。今も、そしてこれからも、たびたびこの本は開くことになるに違いない。100の言葉の中で、私なりのキーワードを一つ挙げる。それは「沈黙」という語句だ。3箇所に登場する。最初は、【043 悲劇は繰り返される】で「同じバビ・ヤールの地に砲弾が落とされても、世界が沈黙しているならば、80年間、『二度と繰り返さない』と言い続けてきたことに、いったいなんの意味があるというのだ。少なくとも5人が殺された。歴史は繰り返す‥‥」(2022-3-2 twitter の投稿より)    二つ目は、【069 沈黙は拒否する】で「われわれを支援してほしい。どんな方法でも。しかし、沈黙以外でだ。」(2022-4-3 第64回グラミー賞でのオンライン演説より)  三つ目は、【074 沈黙のナチズム】で「ナチズムは沈黙の中で生まれるのです。だから、民間人の殺害について、叫んでください。ウクライナ人の殺害について叫んでください。」(2022-3-2 大統領公式HPより)  岡部さんの解説で、キーウ近郊バビ・ヤールで、先の大戦下に僅か二日間で34000人ものユダヤ人が虐殺され、このたびロシア軍によって同じ地にあるホロコーストの被害者たちの追悼施設が爆撃の被害にあったことを知った◆「沈黙以外の方法で支援をしてほしい」これがこの本でのゼレンスキー大統領の言いたいことのエッセンスに違いない。彼は、グラミー賞授賞式の場で、「音楽とは真逆のものは何か」と自問し、「破壊された都市と殺された人々の静寂である」と自答し、「戦争では誰が生き延び、誰が永遠に静寂にとどまるのか、自分たちでは選べないのだ」と付け加えた。そして、集まったアーチスト達に「『あなたたちの音楽で』で、ロシアの爆撃がウクライナ街にもたらした『沈黙』を埋めてほしい」と呼びかけたという。感動せずにはおられない。日本の国会でのオンライン演説では「非難した人たちが、故郷に戻れるようにしなければならない。日本のみなさんもきっと、そういう気持ちがお分かりでしょう。住み慣れた故郷に戻りたい気持ちを」の言葉が選ばれている。あの時の演説では、日本の支援への感謝の言葉が目立ち、チェルノブイリ原発への言及が印象に残った。世界唯一の被爆国日本へのメッセージとしてはインパクトが弱く、物足りない気がしたものだが。(2022-6-13)

 ※参議院選挙が終わるまでしばらく休載します。

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【38】したたかな戦略で封じ込めるかー石川好『中国という難問』を再読する/6-7

 《先日NHKのラジオ深夜便を聴いていると、懐かしい声が聞こえてきた。作家の石川好さんが、中国の南京などにおいて、日本人による戦争被害をアニメや漫画で紹介する試みをしてきたことを話していたのである。彼が日中友好21世紀委員会の一員として、ユニークな運動を展開してきていることはかねて知ってはいた。しかし、これほどまでとは思わなかった。なかなか聞き応えのある中身で、強いインパクトを受けた。彼とは、私が新聞記者時代に取材をして以来、交友関係が続く仲である。彼が専門としてきたアメリカについての著作はほぼ全部読んできた。その後、中国にスタンスを移されてきたことは十分に知っていたが、この『中国という難問』は読んでいなかったのである◆一読、非常に新鮮な印象を持った。世に、「嫌中論」や、「中国崩壊論」的な論考は数多い。それを十分に意識した上で、単なる日中友好を叫ぶだけでなく、「大きく」「広く」「深く」「多い」国としての中国をあるがままに捉えようとの試みなのである。ありきたりの「友好論」ではなく、ためにする「反中論」でもない。等身大のかの国を真摯に掴もうとするアプローチの仕方は、中国に関心を持つ者にとって極めて参考になる。56もの民族を抱える多民族国家・中国。その憲法に少数民族の処遇が掲げられていることを「絵に描いた餅」だとはいうまい。我が日本国憲法にも類似した項目は少なくないのだから◆日中間に真の和解を実現するために、「日本国家から国民へ」と、「日本からアジアへ」の二つの謝罪が必要であるとしている。また、10年以上からの持論である「非西洋社会を代表しての弾薬を込めた謝罪(したたかな計算による戦略的な謝罪の仕方)」を提案するなど、いかにもこの人らしいアイデアが込められている。「崩壊や分裂でなく、大統一に向かっている」中国との付き合い方を日本は考えるべきだという。本当だろうか、などとはあえて疑わないでおこう。現代中国の現場を知る人の声に、まずは真摯に耳をそばだてたい》◆実は、この論考はちょうど今から10年前の2012年2月11日に書いて、読書録に書き、のちに電子本『60の知恵習い』に転載したものである。古さを感じさせないことに我ながら驚く。なぜ今ここに再録したのか。それは、習近平の就任直前に石川さんが書いたものではあるが、大筋において、10年後の中国の現状を言い当てているからである。「本当だろうか」と疑った風を見せた私など、身の置き場に困惑する。ウクライナに牙を剥き、歴史の逆転ものかは、襲いかかったプーチンロシアに、こよなく気を遣う習近平中国の明日を疑う人はあまりいない。台湾併合から尖閣諸島(魚釣島)に手を伸ばしてくることは明白だとの見たてが、今ほど現実感を伴って聞こえることはない◆石川さんのいった「謝罪論」とは、日本が自らのかつての植民地主義を、中国を始めアジアに謝って見せること(ポーズだけでなく、国民一人10万円、総額12兆円ほどを弁償)をさす。非西洋社会を代表しての日本の「謝罪」によって、西洋社会に「過ち」を覚醒させ、同じ行為を促し、破産に追い込むという算段である。過去の歴史的名謝罪の主役だったヴァイツゼッカー(対ナチス)やエリツイン(対シベリア連行)、レーガン(対日系米人)の巧みな演技を駆使しての「謝罪」を連想させ、日本に決断を迫るのだ。この〝石川流謝罪のすすめ〟は、荒唐無稽な夢物語だと切って捨てるには惜しい着想と思われる。被植民地国家群の対西洋植民地主義への一斉蜂起は、世界史を逆転させる「正義の夢想」だからである。ロシアのウクライナ戦争に端を発し、中国の台湾奪還、北朝鮮の日本報復を想起するという「地獄の連鎖」より遥かに心地よい響きを持つ。今、プーチンのロシアに対して、反戦の声が同国内から起こってくることを待望する向きは極めて大きい。と同じように、中国における反習近平の動きが気にならぬといえば嘘になる。「露中対欧米日」の専制主義と民主主義の確執を前に、かつてのロシアにおける「ゴルバチョフの役割」、中国における「周恩来の存在」➖ここらを睨んだしたたかな戦略で、北東アジアの〝今再びの惨劇〟を防ぎたい。(2022-6-8)

 

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【37】「令和維新」を誰が担うのかー大前研一『新・仕事力ーテレワーク時代に差がつく働き方』を読む/6-1

 大前研一という名前を聞いて何を感じるか。一般的には、強い憧れと少々の反発の二つに分かれるように思われる。90年代前半に、この人が「平成維新の会」なる政治団体を率いて一世風靡した頃を覚えている人は年配者には多いはず。あれから30年ほどが経ち、「あの人は今?」と去就を問う人もまた少なくなかろう。「維新」を名乗る政党が今政局の動向を左右する機運は否定できない。それをどう見ているのか。〝元祖維新〟のリーダーに聞いてみたい気がする。私はこの人と随分付き合った時期があり、疎遠になった今も畏敬の念は消えない。ここではそれに触れないが、「安倍・菅」政権の9年が過ぎ、コロナ禍の3年に一応の見通しが立ちかけた今、この人の今の主張(「令和維新」)に耳を傾けてみたいと思うに至った。最近の著書から『新・仕事力』を選んで読んでみた。ビジネス・ブレイクスルー(BBT)の会長、学長として、日本の将来を担う人材育成に渾身の力を注いでおられる姿が彷彿としてくる。一方で、安倍政権批判(出版は2年前)の矛先は留まるところを知らぬほど。否が応でも「大前研一健在」を思い知った◆憧憬と反発と➖この人について回る毀誉褒貶は、ご本人の強烈な個性によるところが大きい。そのよって来たる所以は、〝脱日本人的思考〟にあるように私には思える。この本にも早稲田大理工学部と東京工大修士課程では誰にも負けないと思っていたが、MITの博士課程に留学して欧米出身者が優秀なので驚いたとの記述があり、その後経営コンサルタント会社の「マッキンゼー」でいかに鍛えられたかと誇っている。かつては、「働かざるもの食うべからず」でしゃにむに働かせ、働いてきた日本人も今はむかし。日本的経営と働き方ののんびりさ加減は、天下内外に知れ渡っているものの、中々直らない。この本でのテーマ「働き方改革」については、随分前から警鐘を鳴らしてきた大前さんだが、政府は聞く耳を持たなかった。改めて大前流提言と日本の現実との落差の原因を考えてみる。答えは、大前氏の議論の進め方が合意の余地がないほどの厳しさがあり、長年の惰性を改めて方向転換することは至難だという点であろうか◆例えば、①同一労働同一賃金②生産性革命③正規社員化の推進④残業上限60時間⑤外国人労働者制限⑥教育無償化・給付型奨学金の推進という政策について、「矛盾だらけ」とバッサリ切り捨てる。しかも「アベノミクス『自体』失敗のオンパレード」で、首相の主張は「すべて詭弁、捏造である」とし、「皆が等しく貧乏になっていく」現実が進行している、と。こうくると、「給与・資産が日本の一人負け状態」、「的外れの働き方改革関連法」などといった現実を認識している向きも、素直に議論が出来なくなる。新型コロナ禍で在宅勤務やテレワークが拡大し、常態となりつつある今日、大前氏のかねてからの〝現場認識〟が正論と思えても、ついていけないとの隔絶感が否定できないと思われる。とりわけ、政治家を含む公務員の働き方改革を強調する大前氏の舌鋒は鋭過ぎる。アナログな行政システムの墨守ではなく、新たな国民データベースを優秀な高校生に作って貰う方が早い、とまでいうのだから◆一方、国全体でなく、大前氏の個人に対する働き方改革の呼びかけは、受け入れられやすそうに思われる。一言で言うと、自分の「メンタルブロックを外せ」に尽きるからだ。「自分の中の〝壁〟を壊しながら、『脳の筋トレ』を繰り返していけば、どれほど困難な問題に相対しても、また何歳になろうとも、的確な解決策を導き出せる」という。さてこう聞いて、私のような定年後世代は尻込みするか、どうか。「ヒト、モノ、カネ」の時代から「ヒト、ヒト、ヒト」と、ひたすら人間力が問われる時代という転機に直面して、つべこべ言ってるわけにはいかない。読み終えて、かつて「平成維新塾」作りに失敗した大前さんが、今取り組むBBT大学の卒業生の姿がリアルに見えてこないことが気になってくるのだが。(2022-6-1)

 

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【36】過去から未来へ、夢育むー小山満『シルクロードと法華経』を読む/5-28

シルクロード〜音の響きが心地よい。紀元前の昔から大陸を東西に結ぶ道をつたって、人が交流し絹に代表されるモノが動いた。そして仏教も。かつて日本人の多くは、壮大な繋がりに胸ときめかせ、夢を育んだ。この本は、その道筋の跡を追う試みである。著者の小山満さんと私は、創価学会学生部員として同じ時代を生きた。同い年だが彼の方が〝早いき〟で学年は私より上、学究肌で信仰心篤い人との印象が濃かった。〝雑学肌で信仰心薄い〟私には仰ぎ見る先輩であった。やがて違う道を歩み、老年になって再会した。若き日を共有した者同士、一気に昔に戻った。仏教美術研究の道に入った彼は、その後創価大教育学部教授、富士美術館長に。探究心溢れる少年の面影を残す雰囲気は昔のまま。50年の空白を超えるのに時間はかからなかった。6年前のことである▲『シルクロードと法華経』は、主著『仏教図像の研究➖図像と経典の関係➖』のエッセンスが抽出されたもの。学者人生の凝縮された所産をベースに、講演会で自在に語った記録である。仏教と無縁の人にとっても、関心が高いテーマをわかりやすく噛み砕いて説かれた入門書になっている。時を忘れ、家人の呼びかけも応じず、ひたすら読んだ。この本の凄さは、著者が訪れたシルクロード途上各地の遺跡探訪と、それに関わる写真画像がふんだんに披露されていること。分かりやすい。しかも、講演会に参加した人からの質問が適宜織り込まれている。通常、質疑応答は各章ごと末尾に掲示されることが多いが、この本では違う。講演の中身本文に質問がかっこ付きで登場、答えが直ぐ続く。普通、論旨が乱れるはずだが、そうなっていない。むしろ理解が進む。著者の貴重な工夫が伺える。大乗仏教の究極としての法華経がどう日本に伝わってきたか。経典、遺跡、翻訳の3つの角度から概説され、北魏、突厥から隋、唐を経て、飛鳥、奈良と京都の時代へと誘われる。随所で日蓮大聖人の御書からの関連部分の引用に出くわす。また、仏教関連の先達の学問的遺産をさりげなく紹介。興味を惹く。散逸していた資料が整頓されるような思いになる▲こういっても、仏教独自の難解さがあるのでは、との懸念を持たれる向きがあるかも。しかし、その心配はご無用。観光・歴史ガイドとしても読める。例えば、洛陽の素晴らしさを「黄河のほとりなのでみずみずしい町」だとして、大きな川のない西安と比較している。またタリバンに壊されたバーミヤン(アフガニスタンの首都カブール西百キロ)の二大仏についての記述も「壊されて中の像はない」が、「外側の枠の壁はさほど壊れていない」などリアルに迫ってくる。それぞれ、中国人論やイスラム原理主義など、その背景が語られて面白い。また、「聖徳太子否定論」を述べたくだりなども。太子信仰批判をめぐる混乱について、「私たちがしっかり正しく捉えていってあげないと(信仰の足場が)戻ってこない」と、学問の責任と継承する者への心構えが読み取れて、読むものはいずまいをただす。勿論、しかつめらしいことばかりではない。「カメラでいいものを撮ろうとしたら、横のラインとかどこかに基本の線を置く」などと、自身の体験を交えてのアドバイスも挿入されて微笑ましい。全編に「美術」の専門家としての、茶や陶器から絵画、庭園に至るまで豊富な知見が散りばめられており、読み応えがある▼加えて「現代中国」を考える上でのポイントが語られている。例えば、日本の風土、環境と中国のそれを比較して、日本の自然美が強調される。その一方で、中国は「人間の働きを大事にする」ことや、中国人に「一番になりたがる」傾向のあることなどを指摘。合点がいく。私の最も興味のある「世界と中国の未来」については、「アメリカに代わって中国が中心になる」との見立てを述べた上で、人間の思想の自由をもっと保障すべきだと、専制主義批判がなされている。そこで、習近平・中国と仏教との関係が知りたくなる。池田思想研究所が中国各地の大学に付設されているとは聞いているが、その意図の全貌は不透明だ。単なる政治的配慮に過ぎないのでは、との疑念もよぎる。香港をめぐる動向を見るとき、信教の自由が危ういどころか、その火は消えたと見る他ない。読み終えて、中国の民衆と宗教の関わりに思いが馳せる。(2022-5-28)

 

 

 

 

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【35】あれこれあるも強気は失せずー井戸敏三『兵庫と歩みて』(総集編)を読む/5-21

 「二十年 ふり返り見て 思うこと あれこれあるも 今は夢なり」➖井戸敏三前兵庫県知事の詠んだ短歌である。昨年夏の退任のあと、神戸新聞のインタビューに答えた『兵庫と歩みて』の末尾を締めくくっている。井戸さんと付き合ってきた多くの県民は、皆この一句に「おっと、出たぁ」と、にやりとしたはずに違いない。「井戸前知事の20年」とサブタイトルのついたこの記事は昨年11月23日から、今年の3月25日まで、15回に分けて同紙に掲載された。長沼隆之論説副委員長がまとめたものである。井戸さんは在任中に『一歩いっぽ』と題するエッセイ集を幾冊も出版してきた。「決断の重さを感じさせない気さくさが『キャラ』」(長沼)と言われる〝井戸風歩き方〟があちこちにみなぎった楽しい読み物だったが、今回のものは、その総集編ともいえよう◆私と彼とは1945年(昭和20年)生まれの同い年である。誕生した場所も、たつの市と姫路市と同じ西播磨。この20年、いや副知事として彼が戻ってきたのが96年だから、25年余にわたってお付き合い頂いた。これを読むと、この20年が、阪神淡路の大震災から、県下各地を襲った大水害、そしてコロナ禍へと、「災害多発の時代」そのものであったことを、改めて思い知る。心から懸命の戦いの労をねぎらいたい。その上で一点だけ注文を。私は「日本熊森協会」「奥山保全トラスト」の理事、顧問として長く兵庫県に物申してきた。その私が注目したのは、2004年に県下を縦断した台風23号の被害について述べたくだり(第8回)。間接的要因に山林の荒廃を挙げて「県民緑税(県民税均等割に800円上乗せ)を06年度に創設した。この税を活用して整備した森林は、流出割合が減ったとの実証実験の評価もある」と井戸さんは胸を張る。だが、現実は、焼け石に水。対症療法的対応の域を出ないのではないか。森林の全面的広葉樹林化を私たちは訴えている。兵庫の山と森の現状は抜本的解決には程遠いことを憂える◆この読み物は前知事としての思いの丈が散りばめられており、読み応えあるまとめとなっている。ただし5期目後半の振る舞いについては、私のような応援団から見ても首を傾げざるを得ない面が目立った。かの公用車の件や、コロナへの「うちわ対応」など、世間の批判にいささかムキになり、自分を正当化する反面、そのせいをメディアに向け続けた。「知事の独自性とか発信力が問われた」のは、「マスコミの作り上げた偶像」とし、大阪の吉村知事と自分との差異を「疑念なしとしない」と抗議の姿勢は露わだ。新聞記者根性が抜けきれない私だけに、ついメデイアの側の目線で見てしまう。多選批判にも「4年に1度選挙の洗礼を受けており」、「変わって欲しいから批判する」ので、「当選回数の問題じゃない」と、強気一辺倒である。今更しおらしくはなれないにせよ、後味はよくない。どこでも誰でも「多選の弊害」は著しいことは、普遍的なものではないか◆井戸さんのこうした姿勢の背景には、ご自身の知力、体力への過剰なまでの自信があると私は睨む。幕降りてなお、「憲法改正論議で地方自治の位置付け」に向けて、「提言や提案をしていけないかと考えて」いるとの発言や、「延期になったワールドマスターズゲームに出て、平泳ぎの50㍍、100㍍を泳ぎ切る」との意欲には驚くばかりである。官僚を経て地方自治体のトップとして生きてきた井戸さんの人生も、いよいよ総仕上げの段階に入った。彼が現役である限り、こちらも未だ未だと、勇を鼓舞して来た私たち戦後生まれ世代。その兄貴分として、兵庫の、そして日本文明の歴史的転換期を見守る守護神の役割を期待したい。

 そこで私もスローガン風の一句を。「大仕事 終えて 今なお 燃ゆる覇気 日本の夢を 挑み果たせよ」(2022-5-21)

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