以前に、この著者(帯津三敬病院名誉院長)の『粋な生き方』という本を取り上げた際(No143/8-23号)に、この本も一緒に読んでいたのだが、書くことはせずにいた。この人の本はどれも興味深く読めて、役に立つ。サブタイトルに「患者さんが教えてくれた32の心得」とある。「生・老・病・死」の4ジャンルごとに、①元気なころ②老いを意識したころ③病を得たとき④死を意識するころ━━の4章をあてて、それぞれについての「心得」に言及している。常日頃の患者との接触を経て、教えて貰ったというより、気付かされたものを展開してるに違いない。それぞれの章から、印象に残るくだりを挙げてみる◆まず、①では、「いのちのエネルギーを高めて生きること」が「真の養生」だとして、人生の価値は長さだけではなく「質が大切」だとする。29歳で大腸がんで亡くなった女性患者は、地質の研究に一生を捧げた人だった。亡くなる3週間前に書かれた詩を帯津さんは読み「地質を通して地球の46億年の歴史を見て、宇宙の 150億年を感じてきた」に違いないと見抜く。「80年90年とかからないと卒業できないのが凡人なら、若くして亡くなる人の多くは養生の天才で、短い時間で単位をとることができた」と。そして「健康は大切ですが、健康ばかりに目が向かって、『古狸が穴の中で眠りこけている』ような生き方はやめて、何かに燃える生き方をしよう」と呼びかける。ほぼ80年を生きてきて、未だ中途半端な身でしかない我が身には耳が痛い◆②では、「年を取ったら、大いに羽を伸ばして、あちこち飛び回ればいい」と、老後は自由を謳歌しようと、提案する。その際に江戸期に生きた著述家・神澤杜口が、日本各地の伝説や異聞を集めた『翁草』全200巻を著したことを実例として挙げて、絶賛している。しかもこの人物は44歳の時に妻に先立たれており、以後40年間の一人暮らしの間でこれだけの偉業を成し遂げたのだ。これこそ「大きな自由」ではないか、と。帯津さんも奥さんに先立たれており、一人暮らしを謳歌している。妻という存在は、若い時は「恋人」だったが、やがて「妹」から「姉」になって、ついには「母」を経て、「看護士」「介護士」に成り果てる━━というのが定番。これが私の持論である。ならば、どこかの時点で一人立ちして生きるのもいいものかも知れない◆次に、③では、〝患い上手〟=名患者になるすすめを説く。「自分が名患者になれば、周囲にあるものがすべて名医、妙薬に変わる」といい、「自分が変わる。そしたら、結果的にまわりも変化してくる」と。このセリフは、信仰の世界の真っ只中で若き日から生きてきた私は、よく聞いてきたし、自身もまたよく使ってきた言い回しだ。自立した個人の「一念の転換」によって、客観的事情はいかようにも変わる、と。主観の意志の強さしだいだというわけだ。だが、果たして「医療」に十分な効力があるかどうか。主体としての患者本人の意志の強さと、助縁者の医師との共同作業的側面があろう。患者の気ままさは勿論許されないが、医師に頼りすぎもまた少なからざる問題を引き起こす◆④では、46歳で亡くなった哲学者の池田晶子の「池田は死んでも、わたしは在る」との言葉を引用して、「池田晶子というレッテルを貼ったひとりの人間は消え去ってしまうけれども、私の本質であるいのちは永遠に残る」との名言を遺したと、絶賛している。これを聴くと、私は、日蓮仏法でいう「空仮中の三諦論」を思い起こす。生身の人間は一代の寿命が尽きて物質的(仮諦)には、消え去ったかに見えても、人間存在を成り立たせてきた性格(空諦)や、いのちの本質(中諦)は変わらず、永遠に流れゆくというものである。池田の言葉は見事にこの仏教哲理と相呼応していると思われる。「死後のこと」について、帯津さんはとても大事なことを言っている。「この世に未練を残して嫌々あっちの世界に行くのではなく、『決断』して『選び取って』、意気揚々と旅立っていく」ことが大事だとした上で「想像力を最大限に発揮して、それにふさわしい魅力的で楽しい世界をイメージするようにしています。そうすれば、その瞬間が来るのを大いに楽しみにできるようになるのです」と。この「死後の世界のイメージを持っておこう」との提案は中々大事でユニークなもののような気がする。帯津さんは、死に際しては、「虚空」に向かうロケットのように最高の爆発力で勢いよく飛び立とうという。そううまくいくかなあと思いつつ、一日の終わりのささやかな酒宴に舌鼓を打つことだけは、帯津方式を真似をして実践している私なのである。(2024-10-9)
【他生のご縁】国会での前議員の会合で講演を聴く
衆議院議員のOB会に帯津良一さんが見えて講演をされた時からの繋がりです。年齢は私よりほぼ10歳上の小太りの方でした。初お目見えから既に10年。今はもう90歳寸前でしょうが、粋なじいさんぶりは更に、磨きがかかっているようです。
夕方が来ると、病院に勤務する女性の医師、看護師、各種従業員たちとテーブルを囲んで酌み交わす。それが最大の楽しみです、と語られた時の嬉しそうなお顔とお声の響き。それは今もなお耳朶から離れません。