【16】サッカーと国家間競争の起源━━『コッホ先生と僕らの革命』を観て/11-25

 阪神とオリックスの優勝を祝うパレードで沸きかえった大阪・御堂筋と兵庫・神戸市役所前通り。このニュースをテレビで見て思うことが幾つかある。セリーグとパリーグの違いから始まって、本拠地と野球ファンの関係、大阪と兵庫の風土の差に至るまで、尽きぬ思いが湧き出でる。そんな折に、今年のサッカーJリーグでヴィッセル神戸優勝の報が伝わってきた。30年前に私が国会議員になった頃に、Jリーグが生まれ、サッカーブームが起こった。その頃、野球とサッカーの比較を政治の動向に例えて、旧55年体制は野球であり、サッカーは政治改革の時代だと見立てたものだ。端的にいうと、野球は攻めと守りが立て分けられて進むが、サッカーは目まぐるしく攻守が入れ替わるということに着眼したものだ◆そんな思いに浸っていた時に、サッカーというスポーツの由来を考えさせてくれるいい映画に出くわした。タイトルは『コッホ先生と僕らの革命』(2011年独映画)。時は1874年、ドイツのブラウンシュヴァイクのギムナジウム(日本の中学校)に元卒業生がドイツ初の英語教師として英国から母校に帰ってきた。英国で始まったサッカーを身につけてきたコッホ先生である。彼が、その存在すら知らなかった子どもたちや大人たちに、サッカーの面白さを分からせるまでの悪戦苦闘ぶりが描かれる。ついこないだ観た米映画『今を生きる』のキーティング先生を思い出させるような見事な授業風景だが、違うのは時代とドイツというお国柄。上意下達ぶりは尋常じゃなく、英国由来のものは徹頭徹尾反発される◆最初はコッホ先生を敬う気持ちのなかった子どもたち。彼らがサッカーの面白さに気づき、やがて学校当局や後援会組織の弾圧を跳ね除けるまでに立ち上がる様子が続く。学校の授業や体育館でサッカーを禁じられると、近くの森の中の広場で手製のゴールを作って、密かに興じる。それがバレてしまうも、また違う手をあみだす。そこに資産家(PTA会長)の父親と息子の葛藤、貧しい工場労働者の息子と母親の軋轢が対比されるように盛り込まれ、退学騒ぎへと発展するも、それも解決といった風に進み、最終的にコッホ先生の英国の友人の先生が子どもたちを連れて来ての英独子ども対抗サッカー戦。親たち始め地域住民が手に汗握る場面で思わずこちらも興奮してしまうという具合である◆幾世紀をも跨ぐ英独の歴史的敵対関係に思いをはせつつ、日本のスポーツの運命を考えた。明治の初めに米国から伝わった野球をめぐっては、先の大戦時の障壁を乗り越えて、今では大リーガーとして最高位の立場に大谷翔平選手がつくまでの存在になった。ヨーロッパでの人気は野球よりも専らサッカーだが、米国はその逆である。ところが日本では、後発ながら野球もサッカーも、そしてラグビーもバスケットボールも、といった風におよそ世界中のスポーツをとりいれて、そこそこに戦っている。前述したように、私はかつて自民党一党支配の55年体制下の政治を野球に例え、それが崩れた政治改革の時代はサッカーのようなものだと見立てた。それが30年経って、「55年体制復活」と言われるような事態が、野球人気の高まりとともに起きてきた。さてさてこれからの推移やいかに。(2023-11-26 一部修正)

 

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