あと僅かで終わる今年・2023年は、映画監督小津安二郎が亡くなって60年、生誕120年でした。このことを記念して幾つかの媒体で特集が組まれたり、その作品が放映されたりしたので、改めてご覧になった方も少なくないと思われます。『東京物語』や『秋刀魚の味』といった代表作はさることながら、『お早よう』って作品は全く知りませんでしたが、NHKのBSをビデオで観て、色んな意味で感じるところが数多くありました。とりわけテレビが一般家庭に普及し始めた頃に小学生だった私の世代にとって、まるで60数年ほど前にタイムスリップしたかのように思える懐かしい映画でした◆昭和34年(1959年)に制作されたもので、小津の50作目になる記念碑的作品だといいます。東京の多摩川沿いの住宅地といっても、向こう三軒両隣りがひしめきあった庶民そのものの生活ぶりが描かれており、とても興味深いものです。テレビがない家庭での子どもと親とのトラブルを縦軸に、近所付き合いの中での噂話による揉め事を横軸にしたコメディタッチの映画。佐田啓ニ、久我美子、笠智衆、沢村貞子ら当時の有名俳優が続々と出てきますが、設楽幸嗣(したらこうじ)が子どもの主役で登場するのには、私と同世代の人だけに、まるで昔の同級生に突然出会ったような思いがしました。子ども同士がおでこをつつくと、おならがぷっと出るという遊びが題材に使われています。ついでに便が出てパンツを汚してしまうという設定には驚きました◆小津監督は「なんでもないことは流行に従う 重大なことは道徳に従う 芸術のことは自分に従う」という言葉を残しているように、自分の好みを貫き通す人だったようです。「愛情が持てないものはあまり取り上げたくない」とも述べていますから、彼の表現したシーンには愛情がこもっていたはず。あの当時の大相撲は若乃花(初代)の全盛期(栃若時代の異名あり)だったのですが、この映画の中のテレビの実況中継場面に「北葉山」が登場(相手は冨樫=後の柏戸)したのにはファンだった私は泣けました。なにしろ、闘志剥き出しの関取で、負けた時に土俵を拳で叩く様を未だに覚えているぐらいですから◆小津は戦争に従軍した数少ない映画人だったことはよく知られています。一方、生涯独身で母親と同居していたことはあまり知られていません。かつて與那覇潤は『帝国の残影──兵士・小津安二郎の昭和史』の中で、戦争を体験をしていながら直接的に戦争を想起させることは描かず、一方、家庭を持ったことがないのに、ひたすら家族を表現し続けたことを対比して評論していました。この本については、作者が『中国化する日本』で颯爽とデビューした後の作品だったことから覚えていますが、その謎探しについては記憶に定かではないのが残念です。思想家の趣きさえ漂う小津は、「ストウリイそのものよりもっと深い『輪廻』というか『無常』というかそういうものを描きたいと思った」と述べています。作家の平山周吉氏(『東京物語』の主人公の名に因んだペンネーム)は今年、大部の評伝『小津安二郎』を書いたことをETV特集『小津安二郎は生きている』で知りました。読んでみたいものです。(2023-12-28) ※文中の小津の発言はETV特集から引用。