夏の高校野球も大詰め。今年は甲子園球場が出来て百年ということもあり、106回めの高校野球が大いに盛り上がった。実は私は小学校高学年の頃から春夏の高校野球の観戦にスコアブック持参でほぼ毎年観に行ったものだ。父親が仕事先の関係から全日程の入場券を毎年貰ってきていたので、夏休みに基本的にはひとりで幾たびも観に行った。あの早稲田実業の王貞治も、新宮高校の前岡勤也(旧姓でその後、井崎姓)も、浪商の坂崎一彦もみんな甲子園で、目の前で観た。氷水の入った「かち割り」をストローでチュウちゅうと吸いながら。あの単純素朴な水の美味かったことがいまでも忘れられない。全国の高校球児が甲子園を目指して涙ぐましい闘いを繰り返していることはよく知られているが、その3年間に様々のドラマが生まれていることは殆ど知らない。作家の重松清が描いた原作を映画化した『アゲイン━━28年目の甲子園』を観て、単純に涙を流し、感動した。このケースは、不祥事が元で大会に出られなくなった球児たちの無念の思いが今再び曝け出された後に、誤解が劇的に溶けてハッピーエンドになるというもの。初老になったかつての青年たちの「家族の破綻」に、観ている後期高齢者の胸が疼く。野球に「アゲイン」はあっても、帰らざる人生に「アゲイン」のないことが切ない◆京都、大阪、神戸の京阪神「三都物語」は、それぞれのお国自慢が絡み合って面白い。「歴史と文化」の観点からすると、「京」に〝艶やかさ〟の点で、「阪・神」は後れを取らざるを得ない。今、NHK 大河ドラマで毎週放映される『光る君へ』は30回を超えて、いよいよ『源氏物語』の誕生背景があらわになってきた。宮中奥深くの女御たちの美しい着物姿に、毎週目が釘付けになっている皆さんは少なくないと思われる。映画『舞妓はレディ』は、周防正行監督の手になるミュージカルだが、京における舞妓さんの「誕生と日常」が分かってとても楽しい映画である。とりわけ京言葉の習得過程や踊りの稽古風景など興味深い。実は私は議員在職中は、京都・祇園とは無縁で、仕事や観光で彼の地に行くことがあっても、せいぜい「哲学の道」を散策するぐらいであった。それが引退してよりこの方、東京と神戸に住む2人の後輩の圧倒的な〝祇園好き〟に連れられて、幾たびか祇園に足を運ぶことなった。先般も、元公明党番記者で今は京都のある大学の教授になっている友人共々、京都の〝祇園の夜〟を学んだ。京都の「歴史と文化と伝統」を目の当たりにしたのだが、この映画はその「手引き書」ともなる◆私は1945年昭和20年生まれだが、その年はいうまでもなく先の大戦が終了した年。今年で79年が経った。戦争直後に日本が戦って敗れた国・アメリカがこんな映画を作っていたのか、と深い思いに浸ったのが米映画『素晴らしき哉、人生!』(1946年公開)である。実はこのシネマブログの第一回目には、同じ年に作られた『我が人生最良の年』を取り上げたものだ。これは文字通り、戦争が終わって復員してきた〝米兵たちの戦後〟を描いたものだった。一方、前者の方は、戦争に行かなかった(耳の障害が原因で)銃後の青年の、まさに夢の物語。アメリカンドリームの原型ともいえる。両映画に共通しているのは長かった戦争が勝利に終わった、高揚感とでもいうべきものが漂っていることであろう。国破れて山河ありで、焼け野が原のなか、必至に生活再建に取り組んでいた、日本人との天地雲泥とも言うべき違いが分かって感慨無量である。冒頭の、天上世界の天使と天使見習いとの設定が面白い。地上の不幸な人のもとに降り立って、その人を幸せにする試みを請け負って、成功すれば「翼」が貰えるという仕掛けから始まる。最終的に見事なオチがついての大団円。降りしきる雪のもとでのクリスマスイブのお話とあって、今ではアメリカ社会の年末定番のホームコメディともなっているとのこと。こんな映画が私の一歳くらいに出来ていたとは!未だ観ていない人にはお勧めだ。(2024-8-20)