【48】氷塊をも溶かすヒトの愛おしさ━━映画『極北のナヌーク』を観て/9-3

 標題の映画を観たのは、放送大学の「231オーディトリアム」(BSテレビの231ch)で放映されたものによる。映画の前後に講師による解説がつけられて、見どころ、抑えどころが語られる。タイトルは「〜米仏映画黄金期への招待〜」。米映画は放送大学教授の宮本陽一郎氏、仏映画は同・野崎歓氏が担当。私は既に20本ほど観てきており、様々な意味で勉強になり、今や我が映画鑑賞の上での欠かせぬ手ほどきの映像となっている。このことをこのコーナーで紹介するのは初めてだが、興味を持たれた向きはぜひこの番組をご覧になることをおすすめしたい◆さて、今回の1922年に作られた映画『極北のナヌーク』(「ほんとうの極北の生活と愛の物語」)はいわゆるドキュメンタリー映画(これはサイレント映画)というジャンルに仕分けされた史上最初のもの。フィクションではなく、現実に極北の地━━カナダの再北部の零下30度といった極寒の地で生活するイヌイットと言われる民族の生活ぶりを、克明に描いたものとして極めて得難く、見応えのある映像となっている。この映像をこの世に送り出した監督のロバート・フラハティ氏は、ひとたびは映像フィルムを焼失する事故に合いながら再度挑戦したというが、現地で生活を共にしたというだけあって、出来栄えは見事というほかない。約百年前の作品で、文化人類学的見地からも高く評価されている。今回放送大学の講義では、極北人類学が専門の大村敬一教授が宮本講師の対談者として登場、ご自身も1989年に同地域を30日間訪れて、映画で紹介されているものと、ほぼ似た体験をしたことが語られていて実に興味深かった◆この映画のタイトルを日本人は『極北の怪異』とつけたようだが、いささか率直に過ぎよう。登場する主人公の本名は夫がアラカリアラック(妻はアンヌ)だが「ナヌーク」と別称されている。子どもたち3人を含め、いわゆる地域住民が一体となった生活の様子が事実と虚構がないまぜになって作られている。それは、いわゆる〝やらせ〟ではなく、当事者と観察者=撮影者とが一体となって、意志を通いあわせながら、より後代の視聴者に分かりやすいように作られている。フィクションではなく、限度ギリギリの「ナチュラル・フィクション」とでもいえようか。放送大学の講義&対談でも、そのあたりについて後年に批判の対象になったようなことに触れられていたが、私自身は見ていて全く違和感はなく、人類史上で最も今現在に近い歴史上の特異な民族の生態を極めて素直に興味深く観ることが出来て、大いに充足感を抱いている◆哺乳類で氷塊下に生息するセイウチが息をするために自ら開けているごく小さな穴を見つけて、ナヌークがそこに銛を突っ込む瞬間と、その後の格闘(引き揚げようとする力と、苦しみながらあらがう力の壮絶な氷海面と氷海下の力比べ)は圧巻である。そして獲得した獲物をその場で腑分けしつつ、肉片を食べる口もとや表情はまさに「怪異」というべきかもしれない。2人の学者はそれを「野蛮」と表現していたが、私はむしろ「素朴」と言いたい。一見変哲もないカヌーの中(底部)から岸に着いて4-5人の大人や子どもが次々と現れる場面、氷で住まいを丹念にかつ念入りに造る場面(1時間ほど)や、交易所で物々交換している場所で、〝音の缶詰〟としての蓄音機を眺め回してレコード版を齧ってみせるくだりなど印象的なシーンがふんだんに出てくる。そして、毛皮をまとった母親の背中から素っ裸の幼児が転がるように出てきて、抱き上げられるところでは思わず感歎の声を上げるほどの温かさを感じた。この氷に囲まれた中の空間で男と女の裸の交流の姿を思わず想像してしまうが、それはさすがにないだろう。サブタイトルに、ライフ(生活)とラブ(愛)の2文字が入っているが、ヒトという存在の温かさと愛おしさとを心底から感じた。(2024-9-3)

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