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(16)目から歯へ。手をじっと見る日々ー「生老病」の旅路の果てに❷

☆口も目ほどにガタが来て

目から耳ときて、テーマは、そして次に鼻の下にある口に移ります。正確には歯です。実は私は幼き頃には歯は丈夫だと言われてきました。というより、そう思い込んできました。それが何時ごろからでしょうか。どうもおかしいと思いかけてきたのは、40歳を過ぎたぐらい。東京から姫路に越してきた今から30年くらい前のこと。偶々かかった歯科医が悪かったのか、痛みを感じて治療に行くと、次々と歯の神経を抜かれてしまいました。その上に被せものを乗せたのですが、それが20年ほどたつと、次々とおかしくなってきたのです。

これって、時間的な経緯を踏まえないと、およそまともには理解できないと思われます。つまり、若い時と、年老いた時とでは、全く歯に対する受け止め方がちがってきます。じつは、私は歯に関する著作(正確にいうと共著作)があります。これは、姫路に住む河田克之さんという歯科医との間で、私の引退後に刊行したもので、『ニッポンの歯の常識は?だらけー反逆の歯科医と元厚生労働副大臣が歯の表裏を語る』(ワニ・プラス社)という長ったらしいタイトルです。親友の志村勝之(浪花のカリスマ臨床心理士の異名を持つ男)が、わざわざ大阪から治療に、河田歯科医院に来る(それほどの名医との入れ込み)ということがきっかけになって、私も河田先生と親しくなり、この本の出版のお手伝い(インタビュー役)をする羽目になりました。

本については是非一読して頂ければと思いますが、実は出版後、衆参両院の全議員に本を贈呈しました。河田先生のたっての要望です。議員諸氏はあまり読むとは思えない(私の経験上からも)ので、一計を案じ、アンケート票を添付しました。こうすれば、議員は反応するだろう、少なくとも読んだか読まずに放置したかが分かると思ったのです。さてさて、結果は?この辺りについては、別の機会に譲ります。

国会議員を辞したあとぐらい(70歳台直前)から、秋の日のつるべ落としのように一気に歯が不都合をきたしてきました。奥歯にものを挟んだように、とか歯に衣着せぬとの表現がありますが、肝心の挟む奥歯が無くなり、絹をきせようにも歯がなくなってしまった現状はまことに辛いものです。世にハチマルニイマル(8020)と言いますが、確かなる目標かもしれません。ハチマルゼロゼロ(8000)にならぬように、せっせと歯磨きに勤しみ、うがいをする日々です。

☆口八丁手八丁は遠い昔ー今や‥‥

「働けど 働けど なお我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る」ー石川啄木の詠んだ有名な詩の一節ですが、昨今、私も手をじっと見る機会がしばしばあります。ただし、啄木の視点とは違って、妙な痛みとこわばりを感じるからです。実は、80歳台に突入する直前に逝った我が父が、生前しきりに手のひらを私に見せて、「何だかおかしいだろう、この手のひら」って、言うことがありました。見ると、皮膚が捩れて、ところどころ微妙に盛り上がったりしています。当時は「ヘェ〜」というだけで、なんの力にもなってやれませんでした。

ところがそれから30数年。なんと、全く親父と同じ症状に私も襲われています。気になるか、ならないかは極めて判じ難いのですが、気にしだすと痛みが走るのです。医者に聞くと、なんとか症候群という立派な名を持つ障害の一種です。治せるか、と訊きましたら、痛みを感ずる皮膚の部しょを全て剥がす手術をするしかないーという意味のことを言われる始末。その時点で治療は諦めました。体質が親父に似てるということでしょう。彼も糖尿病を持っていました。私もこの病については語るべきものが多いのですが、ここでは触れません。原因はそこに帰着しそうです。親父の死んだ歳に近づくにつれて、手のひらをじっと見る機会が増え、連帯感を感ずるのは嬉しいような、寂しいような、不可思議な気分です。

手には10本の指があります。子供の頃は、鉛筆を強く持って書く機会が多く、右手中指の第一関節の内側にタコができるほどでした。いまもその名残りはあるのですが、今や、アイパッドにせよ、スマホにしろ、使うのは右手中指の先端ばかり。この指には今も昔も大いなる負担をかけています。ラジオ体操をする際に、担当者が手のひらを握ったり、開いたりのグーパー運動をする様に指示があります。こんな運動なんて、とバカにしていました。ところが、いかにこの動作が大事かが今ごろになってわかってきたのです。口八丁手八丁と言われたのは遠い昔のこと。やがて、口はもぐもぐ手はもごもごといった日が近いようです。(2020-4-29)

 

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(15)お題目を巡る捉え方について、二つのケース

お題目を唱えることを意味のない繰り返しとみる表現

様々な本を読んでいて、「お題目のように」 と言った比喩表現に時々でくわします。唱題の効用を全く認めず、意味のないことを繰り返すことに使ってるのです。言葉の使い方になぜ「宗教批判」を折り込むのでしょうか、理解に苦しみます。
先日も、「万葉集をお題目のように唱え(ながらも)、その和歌が『源氏物語』を「物語取り」しているのに気づかない」というくだりを読んで、「うーん。この人もか」と残念な思いに駆られました。万葉集を繰り返し繰り返し読んでいながらその意味がわかっていないと言ってるのです。ここは単純に、何度も幾たびも読みながら、だけでいいのに、わざわざお題目のように唱え、としているところに、問題あり、と思いました。
作家としてその存在は知っていても、個人的には全く知らない人の場合、ご本人に注意を促したり、感想を伝えるわけにはいきません。今回のケースはたまたま作家個人を知っていたものですから、直接伝えてみました。

貴方はお題目の力を知っていますか?ご存知ないのなら、どうしてこういう使い方をされるのでしょうか。物事の繰り返しの愚を例えるのに、お題目を上げることを充てるのは、随分余計なことに思えます。私のような日蓮仏法を信奉し、日々唱題に取り組んでいるものにとって、お題目を繰り返し唱えることに意味がない、と言われることはいささか困惑します。どうして、繰り返しの無意味さを例えるのに、「宗教批判」にまで立ち入るのでしょうか。もっと他の表現を使って然るべきでしょう?と。

反発が返ってくることを覚悟してこのことを伝えたのですが、あにはからんや。その作家は、「あっ、すみません。その通りですね。気付きませんでした。つい一般的な慣用句の使い方と同様に使ってしまいました。言われてみると、その通りです。知らないくせに、お題目を繰り返しの無意味さに喩えてしまいました。信者の皆さんには耳障りなんでしょうね」と言われました。私はこの人の人格の深さに大いに感じ入りました。すぐさまこういう反省をする人は立派だと思います。彼はその後、すでに書き溜めている文章を推敲していて、同様の使い方をしてしまってるくだりを改めて発見してしまったと、言われました。指摘して良かったと改めて思いました。

『納棺夫日記』を読んで

もう大分以前のことですが、『おくりびと』という映画を観る一方、その原作『納棺夫日記』(青木新門著)を読んだことがあります。これはもう映画よりも、原作の衝撃は大変なものがありました。脱日本と言ってもいい北国・富山の冬の風景を背景に、胸に迫る人間の末期の数々の姿と納棺夫という職業に就いた著者の心を描いた1章と2章には深い感銘を受けたものです。作家・吉村昭氏を師と仰ぎ、また認められた人の文章だけに、余分なものを削ぎ落としたキリリと引き締まった文章の連続に感心しました。

ですが、宗教論に立ち至った第3章はいただけなかった。なんだか九仞の功一気にかくというべきか。全く蛇足としか私には思えない議論でした。恐らく著者が親鸞を尊敬し、浄土真宗を信奉する人で、私が日蓮仏法の信者であることと無縁ではないものと思われます。ここでいちいち上げつらいはしませんが、率直に言って前半だけで止めておかれたらもっと凄い印象に貫かれた本になると思いました。面白かったのは、あとがきで、私のこの感想をお見通しとしか言いようがないことを書いておられたことです。多くの人から1ー2章は良かった。それで止めておけば良かったのに、と言われた、と。でも3章も良かった。それあったればこその本という読者も多くいることも付記されていました。

で、私がここで触れたいのはそういうことではありません。あとがきの中に、とても忘れられないことが触れられていたのです。それは、ある葬儀に際して著者が納棺夫として湯灌をしていたときのこと。

ー硬直した腕を折り曲げていくのに悪戦苦闘していたら、参集してお題目をあげていた人のうちの一人が、「あれ、見てみなされ、あんなに硬直していたのに、お題目あげたらあんなに柔らかくなって」と叫んだ。すると、お題目が一斉に止んで、「ほんとだ、ほんとだ、お題目をあげたらあんなに柔らかくなって」と言いながら全員が私の手元を覗き込むように見ていた。ー著者は「私はあきれてしまった。あの時ほど、宗教というものに不信感を抱いたことはなかった。あれは決してお題目を唱えたから柔らかくなったのではない。宗教の熱心な信者は、往々にしてこうした事象を己の信じる宗教の功徳にしてしまう」と続けています。

描写風景から察するに、法華経の信者の皆さんが仲間の遺体の周りで枕経としての法華経方便品、寿量品自我偈を唱えた後の唱題の時のことでしょう。この記述に接して、私は二つのことを感じます。一つは、お題目の力は、必ず硬直した体を一時的には柔らかくするのです。実際にそのことを見分した人は数多くいます。しかし、ずっとそのままではあり得ないでしょう。やがては硬直化は免れません。したがって第二には、どの時点を取るかによって違ってくるということです。尤も、青木新門さんは、最初から最後まで遺体は堅いものだと言われるやもしれませんが。

青木さんには、恐らく私たち法華信者のお題目への過信が馴染まなかったのだと思われます。私からすると、親鸞という人の説いた教えはどちらかといえば死後のもので、生者には無力のように思えます。そしてそれは文学的なあまりにも文学的な傾向を持つ生き方に通用するもので、元気溌剌とした明日に生きる青年(その意気に満ちた中高年も)のものとはいえないようです。この辺りのことはなかなか曰く言い難く、難しいものを含んできます。

結論的には、お互いの信ずるところをあまり過剰に他人に押し付けることは、直接間接を問わず、いい結果を生まないということではないだろうか、と思うに至っていますが、さて貴方はいかがですか?(2020-4-2)

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