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(22)第二次安倍政権の8年はなぜ「安定」してきたのか?

安倍晋三首相が辞任を表明して一夜明けました。全国紙5紙を読んだ上で、我が胸と頭を去来することを述べてみたいと思います。政治がらみのことをこのページで取り上げることはなかったのですが、首相が辞める決断が「病」という人間存在の根源に関わることに起因するので、あえてタブーに挑みます。

●賛否両論大きく割れる評価

首相は辞任を決断した理由を、持病(潰瘍性大腸炎)が再発・悪化して、職務を続けることが困難になったとしています。第一次安倍政権を投げ出したのが2007年。その後、5年足らずのお休みの期間を経てカムバックしたのが2012年暮れ。以来7年8ヶ月もの長い間、激務に耐えてこられたわけです。この病に一番いけないのはストレスだと言いますから、ストレスにも打ち勝ち、再発を防いできたのは想像を絶する精神力と絶妙に効力を発揮した薬の力だったと言えるのでしょう。私は、安倍晋三という人を考える際に、まずこのことを評価したいと思います。脳梗塞と大腸憩室炎を患った上に定年で辞めた私には到底真似のできない7年8ヶ月です。人間として、信じられないくらいの強い人だと褒め称えたいと思います。

その上で、安倍首相の評価を巡っては、高い得点を与える向きと低い査定しか下せない人と大きく二つに分かれるということを指摘します。前者には、経営者たちが多く、「アベノミクスの実行など国政全般にわたり、多大なる実績を挙げてこられた。我が国の国際的なプレゼンスは著しく向上した」(中西宏明経団連会長)、「賃上げや女性活躍推進などによる労働力不足への対応で、日本経済を回復軌道に乗せたのは高く評価されるべき事実だ」(新浪剛史・サントリーホールディングス社長)などと絶賛しています。普通の人々の間でも、株式投資愛好家には概ね評判がいいようです。

一方、後者は、メディア関係者に多いようです。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」などをめぐる疑惑や、黒川検事長定年延長問題、河井議員夫妻事件などの取り扱いは、日本の民主主義に暗い影を投げかけただけでなく、公私混同の典型だとの手厳しい批判が渦巻いてきました。一般の民衆の間でも、格差拡大をもたらした張本人として、安倍首相を厳しく指弾する声は強いものがあります。本来なら、前掲の一連の疑惑事件で、首相逮捕も免れないのではないかとの見方さえ交錯しているほどです。

●コロナ禍には勝てなかった安倍政権

史上最高の長きにわたって首相の座に座ってきた人だけに、評価が一方に偏ったものにならないのは、ある意味当然でしょう。コロナウイルスの蔓延という事態がなければ、未だ未だ続投したかも知れず、一部ではこの秋に解散すれば、今の野党には負けるわけがなく、さらなる長期政権も夢じゃないとの見方が専らでした。過去にこれだけの不祥事や疑惑に塗れながら命脈を保ち続けた例は極めて稀であるが故、よほど野党がだらしないからだとか、メディアの力不足をあげつらう向きもありました。そういう意味では、コロナ禍に負けたといえましょう。これまでの内なるストレスの積み重ねにも負けなかったのに、外からのコロナ禍がもたらすストレスには勝てなかった、と。

辞意表明の記者会見で、首相を追及する声は弱く、殆ど最後に一連の疑惑事件に触れ、コロナ対策と合わせ、共通するのは政権の私物化だとして、「こうした指摘は国民の誤解なんでしょうか」とチョッピリおよび腰で訊くだけ。これに対して同首相は、「説明ぶりなどについては、反省すべき点はあるかもしれないし、誤解を受けたのであれば、そのことについても反省しなければいけないと思います。私物化したことはないということは申し上げたい」と短くさらり受け流すのみ。この説明で引き下がってしまうメディアでは、結局は「安倍一強」に勝てなかったはずという他ありません。

●なぜ第二次安倍政権は「安定」してきたのか

今日の新聞各紙の一面での論評を読んで感じることは、二つあります。一つは、病に倒れた人には優しいとの印象です。二つは、安倍長期政権が何故に安定してきたのかが論じられていないことです。前者は、日本人に特徴的なことでしょうが、ここは割り切って、ここまで保ちえた健康への配慮は配慮として、国民への説明責任があらゆる意味で希薄だったことにはもっと論及があって当然だと思われます。

各紙の論評を担当した、朝日の栗原健太郎(政治部長)、毎日の小松浩(主筆)、読売の橋本五郎(特別編集委員)、日経の吉野直也(政治部長)、産経の佐々木美恵(政治部長)の五人は、全員私が懇意にしている人たちです。首相が復活した7年8ヶ月前に、20年間の政治家生活に別れを告げて引退した私が、現役時代に付き合った手練れの記者ばかりです。その彼らだからこそ、あえて苦言を呈したいと思うのです。総じて上品過ぎないか、と。

後者については、安倍政権が混乱、不安定の極致だった民主党政権の後を受けて登場したことと、無縁ではありません。ただ、これも遠因を探ると、安倍一次、福田、麻生と小泉政権の後に続いた、迷走自民党政権の反省の上に成り立っていると言えましょう。つまり、第二次安倍政権のキーワードは「安定」だったのです。自民党がそれを求めるのは当たり前でしょう。しかし、もう一つの与党・公明党までそれに付き合ったことが大きいと私は思います。

それは、色々あっても、「不安定」にまたぞろ陥ることだけは避けたいとの思いが公明党に強くあったのです。私などは、「安定」も大事だが、それより「改革」を優先させるべきだと思ってきました。モリ、カケ、さくら、黒川、河井と連鎖した不祥事に、いつまで公明党は付き合うのかとの不満は、党内に決して少なくなかったのです。それを抑えて、ひたすら安倍政権を支えてきたのは山口公明党だったのです。

もし、公明党が与党の中で異を唱え、「安倍ノー」に立ち上がって、野党に回る選択をしていたら、果たして日本の政治はどうなっていたか。これには対した想像力はいらないと思います。公明党が先頭に立って野党としてのかたまりを形成していたら。恐らくは30年前の政治に逆戻りをしていたと思います。その意味で、安倍政権の7年8ヶ月を総括することは、公明党の7年8ヶ月を総括することと直結するのです。

この簡単なことに誰も気がつかない、いや気がついていても書かないとはいったいどういうことでしょうか?こう投げかけてとりあえず、この論考はひとまず終わります。(2020-8-29)

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