Monthly Archives: 2月 2021

(30)あと3550回寝ると‥‥地球破滅か持続可能か

2030年まで、あと10年。目指すゴールは、この地球が破滅に向かうのか、それとも持続可能なものとして持ちこたえるのかの分岐点である。そう言われても、もう一つピンとこないという人が多いのかもしれない。それには、私見では二つ理由がある。一つは、10年という時間の呼称のせい。もう一つは、持続可能という言い方が災いしている、と思う▲そこで、考えた。仮にこの2月26日を起点日とすると、例えば、創価学会が創立百年を迎える2030年11月18日までは、3550日。これだと、かなりリアルにならないか。かつて、作家の山田風太郎が『あと千回の晩飯』という連載コラムを書いた。それくらいで死を迎えるとの覚悟を披歴していたのである。一日一日、一回ごとの晩飯が切ないほど大事に見えるというわけだ。同様にあと3550回寝ると、終着点に到着するとなると、すこしは真剣になるに違いない▲また、持続可能の語感は、わかりづらい。それより、破滅回避の方が直裁的で切実感が伴う。このように決めて毎日を過ごすことが、重要ではないか。翌27日は1日が経って、あと3549日に、そして今日28日は2日目で‥‥、といった具合である。こんな日々を意識しながら、地球温暖化回避目指して脱炭素化社会への具体的な努力を一人ひとりが続けたい▲私のような先の大戦直後に生まれた世代は、右肩上がりの高度経済成長下で青年期を過ごし、中年期でバブルを経験、それなりに恩恵に浴し、晩年になってのコロナ禍で初めて苦境に直面している。子どもや孫の世代に比べてなんと恵まれた人生であったことか。このまま、何もせずに逃げ切って、死を迎えることは、孫や子に顔向けできないほど恥ずかしい。(2021-2-28)

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(29)「世直し菩薩」ってなんだろうか

前回、「歴史探偵」を生涯貫いて亡くなった作家の半藤一利さんと比較して、私たちは「世直し菩薩」であると述べました。菩薩とは、自分のことばかり考えて動く存在ではなく、世のため人のための「利他行」に勤しむ人間をさします。「世直し」なる言葉を付け加えたのは、単なる「利他」ではない、この社会のありようを良き方向に変えていくものであることを強調するためです。今回は、もう一歩深くその意味するところを掘り下げてみたいと考えます▲私が入会した昭和40年代は、公明党が誕生した直後でもあり、政治への関心が会内でも高まっていました。ただ当時は、社会的に恵まれない人々への直接的支援、団体への慈善活動はあまり進められませんでした。経済的困窮者にお金を手渡したり、団体に寄付することは「小善」で、法華経の信仰に立つ「大善」に比べれば、低いものと位置付けられていました。大善こそ、自ら価値を生み出すもので、手っ取り早く経済、財政支援をしてしまうと、相手の自主性を損なってしまい、ためにならない小善だというわけです。公明党の誕生で、ある意味で、分業のような仕組みができました。信仰は創価学会そのもので学び培うのですが、日常的な政治がらみの課題解決は公明党議員が対応するというものです▲公明党地方議員主催による「市民相談」が全国津々浦々で開かれました。創価学会の座談会で、生活の悩みを乗り切るパワーの源泉の何たるかを知り、政治力を必要とするものについては、地方議員との懇談でその解決への方途を得ていったのです。公明党議員に相談すると直ぐに動いてくれ、対価も要求されることはない、すごいという話をよく聞いたものです。勿論、そういう行為は議員任せではありません。普通の学会員も公明党支援の活動を通じて、政治の改革への道筋を理解して、いわゆる〝世直し活動〟への参画を誇りにしていったのです。近所の隣人の悩み事を聞き、要望解決に動く、御用聞きとも言える活動が創価学会員の実際の姿となっていきました。私が勝手に「世直し菩薩」と呼ぶ所以です▲こういうことに触れるたびに思い出すのは、先日亡くなった画家で絵本作家の安野光雅さんのことです。私は記者時代に一度だけ取材に行きじっくり懇談したことがあります。色んな会話を交わしましたが、長く忘れられないことがあります。それは、選挙のたびに公明、共産両党を支援される友人、知人からのアタックがありますが、公明党支援の方々は、毎回候補者の凄さを口にされてもそれ以上は時々の政治課題への言及もないといわれたのです。共産党は指導者には賛同できないが、前線の活動家は実によく勉強しているということも口にされました。随分前のことなので、その後は違うはず。一度再会して聞き直そうと思っているうちに、永遠のお別れになってしまいました。心底残念な思いと共に、党関係者としての自覚を新たにしています。(2021-2-8)

 

 

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(28)ひたすら漕ぐことと拝むことー「歴史探偵」と「世直し菩薩」と。

先日、NHK総合テレビで放映されたETV特集『一所懸命に漕いできたー〝歴史探偵〟半藤一利の遺言』を見て感ずるところが少なくありませんでした。前回この欄で取り上げた、作家・半藤一利さんを偲ぶ番組だったのですが、彼が東大ボート部出身で、ボートを漕ぐことの大事さを強調していたことが印象に残りました。ただひたすら毎日、何時間も漕ぎ続けることで、人生の厳しい局面を乗り切ることに大事な精神力や体力を培うことが出来たといいます。ボートだけでなく、走ること、投げること、滑ること、素振りをすること、四股を踏むことなどなど、およそスポーツや武道などに取り組む際には、同じく無限のような繰り返しが重要になります▲半藤さんは、その番組の冒頭で「艇(ボート)だけじゃなくて昭和史も漕ぎつづけてきた。ゴールはなくても飽きずに一所懸命に漕いできた。毎日毎日漕いでいると、あるとき突然ボーンとわかることがある。オールがすうーっと軽くなるように。だから『続ける』ということ。決して諦めず、牛のようにうんうん押していくことです」と述べていた。『文藝春秋』の編集者を振り出しに、彼は歴史の真実を「探偵」するかのように、戦後日本を生き抜いていくのですが、そのきっかけは取材先での作家・坂口安吾との出会いだったとのエピソードは興味深いものがありました。「文献と文献の間に必ず何かおかしいと思うことがある。それをしっかりと推理し、探偵し、分析し、事実を掘り出すんだ」とのアドバイスの重みを語っていたのです。ボートをひたすら漕ぎ続けた青春から、生涯をかけて追い続けた「昭和史」を探偵する営みへー実に示唆に富む話でした▲スポーツや武道ではないのですが、私のこれまでの人生では、ひたすら「拝む」ことを続けてきました。それこそ、雨の日も風の日も、悲しく苦しい時も、嬉しく盛り上がる思いの時も、倦まず弛まず拝み、祈ってきました。半藤さんの「漕ぐ」とは、勿論似て非なるものですが、ある意味で大いなる共通性を感じます。彼は「漕ぐ」ことで培ったものをベースに、「歴史探偵」としての人生を全うし、遅れてきたるこどもたちのために「絶対、戦争を起こしてはならない」という遺言を残しました。翻って私たち創価学会員は、無限のように繰り返し拝み、世のため人のために利他の活動をし、平和な世界の実現を目指して生きています。「漕ぐ」「歴史探偵」「戦争を絶対起こさない」といった半藤さんのキーワードとあえて対比させると、私たちは、「拝む」「世直し菩薩」「平和な世界を絶対作る」ということでしょう▲今、コロナ禍で私たちは苦しんでいます。緊急事態がいつ明けるか。これを乗り越えると、また以前のような明るい社会が戻ってくるはず、と思い込んでいます。しかし、果たしてどうでしょうか。これも先日のNHKテレビが放映したもの(『2030 未来への分岐点』)ですが、地球温暖化現象の行き着く果ての2030年を大胆に描いていました。想像を絶する厳しい未来予測を眼前に見て、身も凍る思いになったのは私だけではないと思います。2030年までの10年間は、これまでの「自然破壊・飽食三昧」の現代文明を問い直し、全く違う価値観で生きる必要があります。「コロナ禍」には、忘れられがちな「あと10年の余命宣告」を受けた地球を思い起こさせる役割があるのではないかと、私は思います。つまり、〝Withコロナ禍〟で、あと10年生きるしかない、と決めるところから、新たな地球の活路が開けていくと思えてならないのです。(2021-2-1)

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