(28)ひたすら漕ぐことと拝むことー「歴史探偵」と「世直し菩薩」と。

先日、NHK総合テレビで放映されたETV特集『一所懸命に漕いできたー〝歴史探偵〟半藤一利の遺言』を見て感ずるところが少なくありませんでした。前回この欄で取り上げた、作家・半藤一利さんを偲ぶ番組だったのですが、彼が東大ボート部出身で、ボートを漕ぐことの大事さを強調していたことが印象に残りました。ただひたすら毎日、何時間も漕ぎ続けることで、人生の厳しい局面を乗り切ることに大事な精神力や体力を培うことが出来たといいます。ボートだけでなく、走ること、投げること、滑ること、素振りをすること、四股を踏むことなどなど、およそスポーツや武道などに取り組む際には、同じく無限のような繰り返しが重要になります▲半藤さんは、その番組の冒頭で「艇(ボート)だけじゃなくて昭和史も漕ぎつづけてきた。ゴールはなくても飽きずに一所懸命に漕いできた。毎日毎日漕いでいると、あるとき突然ボーンとわかることがある。オールがすうーっと軽くなるように。だから『続ける』ということ。決して諦めず、牛のようにうんうん押していくことです」と述べていた。『文藝春秋』の編集者を振り出しに、彼は歴史の真実を「探偵」するかのように、戦後日本を生き抜いていくのですが、そのきっかけは取材先での作家・坂口安吾との出会いだったとのエピソードは興味深いものがありました。「文献と文献の間に必ず何かおかしいと思うことがある。それをしっかりと推理し、探偵し、分析し、事実を掘り出すんだ」とのアドバイスの重みを語っていたのです。ボートをひたすら漕ぎ続けた青春から、生涯をかけて追い続けた「昭和史」を探偵する営みへー実に示唆に富む話でした▲スポーツや武道ではないのですが、私のこれまでの人生では、ひたすら「拝む」ことを続けてきました。それこそ、雨の日も風の日も、悲しく苦しい時も、嬉しく盛り上がる思いの時も、倦まず弛まず拝み、祈ってきました。半藤さんの「漕ぐ」とは、勿論似て非なるものですが、ある意味で大いなる共通性を感じます。彼は「漕ぐ」ことで培ったものをベースに、「歴史探偵」としての人生を全うし、遅れてきたるこどもたちのために「絶対、戦争を起こしてはならない」という遺言を残しました。翻って私たち創価学会員は、無限のように繰り返し拝み、世のため人のために利他の活動をし、平和な世界の実現を目指して生きています。「漕ぐ」「歴史探偵」「戦争を絶対起こさない」といった半藤さんのキーワードとあえて対比させると、私たちは、「拝む」「世直し菩薩」「平和な世界を絶対作る」ということでしょう▲今、コロナ禍で私たちは苦しんでいます。緊急事態がいつ明けるか。これを乗り越えると、また以前のような明るい社会が戻ってくるはず、と思い込んでいます。しかし、果たしてどうでしょうか。これも先日のNHKテレビが放映したもの(『2030 未来への分岐点』)ですが、地球温暖化現象の行き着く果ての2030年を大胆に描いていました。想像を絶する厳しい未来予測を眼前に見て、身も凍る思いになったのは私だけではないと思います。2030年までの10年間は、これまでの「自然破壊・飽食三昧」の現代文明を問い直し、全く違う価値観で生きる必要があります。「コロナ禍」には、忘れられがちな「あと10年の余命宣告」を受けた地球を思い起こさせる役割があるのではないかと、私は思います。つまり、〝Withコロナ禍〟で、あと10年生きるしかない、と決めるところから、新たな地球の活路が開けていくと思えてならないのです。(2021-2-1)

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