(29)「世直し菩薩」ってなんだろうか

前回、「歴史探偵」を生涯貫いて亡くなった作家の半藤一利さんと比較して、私たちは「世直し菩薩」であると述べました。菩薩とは、自分のことばかり考えて動く存在ではなく、世のため人のための「利他行」に勤しむ人間をさします。「世直し」なる言葉を付け加えたのは、単なる「利他」ではない、この社会のありようを良き方向に変えていくものであることを強調するためです。今回は、もう一歩深くその意味するところを掘り下げてみたいと考えます▲私が入会した昭和40年代は、公明党が誕生した直後でもあり、政治への関心が会内でも高まっていました。ただ当時は、社会的に恵まれない人々への直接的支援、団体への慈善活動はあまり進められませんでした。経済的困窮者にお金を手渡したり、団体に寄付することは「小善」で、法華経の信仰に立つ「大善」に比べれば、低いものと位置付けられていました。大善こそ、自ら価値を生み出すもので、手っ取り早く経済、財政支援をしてしまうと、相手の自主性を損なってしまい、ためにならない小善だというわけです。公明党の誕生で、ある意味で、分業のような仕組みができました。信仰は創価学会そのもので学び培うのですが、日常的な政治がらみの課題解決は公明党議員が対応するというものです▲公明党地方議員主催による「市民相談」が全国津々浦々で開かれました。創価学会の座談会で、生活の悩みを乗り切るパワーの源泉の何たるかを知り、政治力を必要とするものについては、地方議員との懇談でその解決への方途を得ていったのです。公明党議員に相談すると直ぐに動いてくれ、対価も要求されることはない、すごいという話をよく聞いたものです。勿論、そういう行為は議員任せではありません。普通の学会員も公明党支援の活動を通じて、政治の改革への道筋を理解して、いわゆる〝世直し活動〟への参画を誇りにしていったのです。近所の隣人の悩み事を聞き、要望解決に動く、御用聞きとも言える活動が創価学会員の実際の姿となっていきました。私が勝手に「世直し菩薩」と呼ぶ所以です▲こういうことに触れるたびに思い出すのは、先日亡くなった画家で絵本作家の安野光雅さんのことです。私は記者時代に一度だけ取材に行きじっくり懇談したことがあります。色んな会話を交わしましたが、長く忘れられないことがあります。それは、選挙のたびに公明、共産両党を支援される友人、知人からのアタックがありますが、公明党支援の方々は、毎回候補者の凄さを口にされてもそれ以上は時々の政治課題への言及もないといわれたのです。共産党は指導者には賛同できないが、前線の活動家は実によく勉強しているということも口にされました。随分前のことなので、その後は違うはず。一度再会して聞き直そうと思っているうちに、永遠のお別れになってしまいました。心底残念な思いと共に、党関係者としての自覚を新たにしています。(2021-2-8)

 

 

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