(31)疫病禍に苦しむ人類のこの800年ー寺島実郎『日蓮論』から考える

寺島実郎氏の雑誌『世界』のコラムから

1222年に生まれられた日蓮大聖人(以下、日蓮と略す)はこの2月16日が、ご生誕800年の記念日だった。これに関して雑誌『世界』3月号に、寺島実郎氏(評論家・日本総合研究所会長)の「脳力のレッスン」なる連載コラムが目をひいた。今回(227回目)のテーマは、「日蓮ー日本の柱たらんとする意識の意味」である。寺島さんは論壇における団塊の世代の旗手的存在で、その国際政治・経済分析は鋭く、評判は高い。その彼がどう日蓮の意識の意味を読み解いたかー僅か四頁の論考だったが、読み応えがあった。

今回のテーマは、私が19の年からこの55年あまり追いかけてきた、私の人生そのものであり、まさに礎とも魂ともいうべき人物のものだけに大いに興味をそそられて読んだ。しかも我が家は代々浄土真宗の門徒。少年の頃から高校生時代にかけて、親父の後ろに座って阿弥陀経を唱え、白骨の章に聞き入ったものだ。その父が最後に改宗し創価学会に入会、家族6人全員が私の折伏で南無妙法蓮華経と唱えるようになった。私が33、父69歳の時のことである。

親鸞と日蓮を比較するなかで、日蓮の政治、社会に深く関わろうとする姿勢に、寺島氏はその独自性を見出す。その生き方に格別のものを感じながらも、存在基盤そのものを形成する法華経については、曖昧な位置付けに終わっている。それは法華経を信奉しながらも、念仏にとらわれ続けたという宮澤賢治のことで締めくくっていることが象徴していよう。それはそれで興味深いことなのだが、もう一歩立ち至って欲しかった気はする。

親鸞との中途半端な比較に終始

結論的には、この人らしくないいささか中途半端な論考に終わっていることは否めない。内村鑑三がその著作『代表的日本人』で、法華経について「我々には格別に素晴らしいとも思えないこの経典が、昔の人々にはとても深い意味あるものと思われたのだ」と評しながら(寺島氏はこのくだりを読み「苦笑を禁じ得ない」としている)も、日蓮については「日蓮以上に独立独歩の人は考えられない‥。受身で受容するばかりの日本人にあって、日蓮は例外的存在とし、『仏教を日本の宗教とした』」と断じていることを引用している。

寺島氏も法華経には理解に手を焼いたことを明らかにしつつ、「伝えようとする本質に心を澄ますと、全てのいのちの平等と全ての人間の尊厳を謳歌する思想が重く存在することに気付く」と評価を下す。ただし、結局は日蓮仏法と親鸞の教えを近代日本を二分するものとしての位置付けるだけに終わっていることには、表層的に過ぎるものとして不満を禁じ得ない。世界を文字通りまたにかけて動き、現代を凝視する寺島氏なら、800年前に日蓮が生きた時代から、コロナ禍で喘ぐ現代世界を照射し、深く抉る論考を提示してほしいと思うこと切なるものがある。その視線が日本国内に留まっているのはまことに惜しい。

今、コロナ禍で注目される宗教の力

親鸞と日蓮が示す教義の価値や意味について、その差異をここで明らかにするつもりはない。一般的には、片や文学希求、一方は政治志向と、二分されがちな傾向が明白であろう。そうした分析はさておき、今、日蓮生誕800年の節目において、注目すべきことはただ一つ。コロナ禍への対応に喘ぐ現代世界で、リアルな力を持つ宗教は日本発の創価学会SGIであるということではないか。念仏を唱える人が外国で耳目をそばだてるほどいるとは聞いた試しがない。私は入会から56年、「無間地獄」から完全に蘇り、「法華経の行者の祈りの叶わざることなし」を心底から実感するに至っている。

キリスト教がかつてペストなど感染症の猛威を前に、大衆救済になすすべもなかったことで、「神は死んだ」との言い回しをほしいままに許したことを現代人は忘れない。今世界中を席巻する勢いにある新型コロナ禍を前に、創価学会SGIのメンバーは試練に耐えながら、意気軒高である。「立正安国」から「立正安世界」へと池田先生のもと、世界に生きる日蓮門下の意識は大きく飛翔しているのだ。

こうした観点に目を注いでこそ、「日蓮の800年」を論ずる意味があるものと私には思われる。(2021-3-5)

★読書録「面白いのは推理小説だけじゃないー森本穫『松本清張 歴史小説のたのしみ』、後の祭り回想記「自衛隊が体験した軍事のリアル」、回顧録「〝晴走雨曇読〟の日々」を更新しました。

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