【2】現実に立脚した公明党の「平和主義」ー『新・人間革命』第一巻「新世界」から考える/4-19

●安保条約改定時に示された考え方

舞台は昭和35年。敗戦から15年を経て「政治の季節」の只中にありました。「日米安保条約」の改定を巡って、日本中が騒然としていたのです。第一巻の第二章「新世紀」の章は、山本伸一がハワイ・ホノルルから米本土西海岸のサンフランシスコに到着するところから始まります。そこはちょうど100年前に遣米使節団が着いたところであり、同時に約10年前にはアジア太平洋戦争の占領期を経て講和条約が結ばれ、日米安全保障条約の調印がなされところでもありました。日本では「改定」を巡って激動の兆しが漂う時期における訪問だったのです。

日米安保条約の「改定」に至る経緯について、80頁から100頁まで丁寧に記された後、創価学会として、この問題への「統一見解」を出すべきではないかとの青年の問いかけに対して、山本伸一は次のように3点にわたって答えています。(話し言葉のまま、主旨を転載)

1)安保に対する考え方はさまざまだ。反対も賛成もいる。どちらの選択にも一長一短がある。学会としてこうすべきだとは言えない。学会にもいろいろな考えがあってよいのではないか。2)政治と宗教は次元が違う。宗教の第一の使命は一切の基盤となる「人間の生命の開拓」にある。宗教団体である学会が政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、その同志を信頼し任せたい。3)ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、私も発言します。いや先頭にたって戦う。

ここには宗教と政治、創価学会と公明党の関係の基本が端的に示されています。

●「戦争」への関与が懸念された四つのケース

公明党誕生前夜のこの時から60年余。様々な政治課題が起こるたびに、学会の考え方と公明党の動き方が注目を浴びてきました。その都度、宗教は大地、政治はその土壌の上に繁茂する樹木といった捉え方を思い起こしたものです。現実的な対処の仕方としては、学会と公明党の執行部間での協議会が設置されて、時々のテーマについて意見交換がなされました。

この60年の間に「戦争」への日本の関与が懸念されたケースは、大きくいって四つあります。一つは、ベトナム戦争への対応。二つは、PKO(国連平和維持活動)への取り組み。三つ目は、イラク戦争への関わり方、四つ目は、「安保法制」への態度です。公明党にとって前二者は野党時代、後の二つは与党になってからのものです。それぞれについて忘れ難い思いがよぎりますが、私が議員現役時に関わったのは三つ目だけ。その前の二つは先輩の世代、最後のものは引退後の後輩世代が対応しました。そのうち、未だ記憶に新しいのが5年前に制定、施行された「安保法制」です。

●公明党の「平和主義」と「安保法制」

「安保法制」については、他国の戦争に加担することを可能にしかねない「集団的自衛権」行使の是非をめぐるものが根幹を形成していたことから、日本中で賛否両論が巻き起こりました。憲法9条の枠を超えてでも国際社会のルールに合わせたい(国際法重視)とする自民党。それはならず、日本のルールとしての自国防衛に徹するべき(日本国憲法優先)だとする公明党。与党内の両者のぶつかり合いでしたが、公明党は、憲法9条の解釈で出来ること、出来ないことの問題点を丁寧に整理し、従来からの「個別的自衛権」の範疇に限る対応に収めたのです

以上のような公明党の態度に、野党の皆さんを始めとする反対勢力は、一枚看板の「平和主義」に相違するではないか、と攻撃してきました。しかし、それは勘違いというものです。公明党はかつての日本社会党のような「非武装中立」や、一切の軍事的対応を拒否するような非現実的な立場をとるものではありません。自国の領域を水際で防御するための必要最小限の防衛力を持つことを肯定しているのです。そして「行動する国際平和主義」の名の下に、積極的な国際貢献をすることこそ、憲法前文に謳われた精神に叶うものだとしてきました。

こうした公明党の姿勢を創価学会も、現実に立脚した「平和主義」と認めて、支援してくださっているのです。(2021-4-19 一部修正)

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