【6】「立正安球」へ、気になる中国の動向ー『新・人間革命』第2巻「先駆」の章から考える/5-12

●「立正安国」の具体的展開

昭和35年5月24日未明、南米・チリ地震による大津波が東北、北海道など太平洋岸を襲いました。第二巻冒頭の「先駆」の章では、この時の対応が簡潔に記されています。新日米安保条約を強行単独採決した政府と、それに審議拒否で対抗した野党の衝突で、国会は空白状態。そのために対策の手が打たれるのは遅れ  に遅れました。山本伸一は、そういう状況の中で、「立正安国」の実現の必要性を改めて痛感します。

「日蓮仏法の本義は、『立正安国』にある。大聖人は民衆の苦悩を我が苦とされ、幸福と平和の実現のために、正法の旗を掲げ、広宣流布に立たれた。つまり、眼前に展開される現実の不幸をなくすことが、大聖人の目的であられた。それは、「立正」という宗教的使命は、「安国」という人間的社会的使命の成就をもって完結することを示していた。そこに仏法者と、政治を含む、教育、文化、経済など、現実社会の営みとの避けがたい接点がある」(42頁)

宗教的使命が、人間的社会的使命の成就で完結するとは如何なることでしょうか。また、仏法者と現実社会の営みとの避け難い接点とは。この世に生きる全ての人々の幸せを願う仏法者の使命感が、現実の営みという行動の中で、一つひとつプラスの結果を出していくことだと、私は理解しています。

「宗教は、人間の意識を変え、精神を変え、生命を変える。宗教のいかんで、人は強くもなるし、弱くもなる。愚かにもなれば、賢明にもなる。建設にも向かえば、破壊にも向かう。創造の主体である、その人間の一念が変化すれば、環境、社会も、大きな転換を遂げていく。それが立正安国の原理である」(54頁)

正しい宗教を持った人間が、強い心と、賢明な姿勢で、建設に向かう一念を持ち、環境変革、社会変革に立ち向かえば、自ずといい結果が出てくるーこれが立正安国の原理だということでしょう。正しい宗教とは何を指すのかとの論争は長い歴史を引きずってきており、今も続いています。しかし、日本国内での宗教間競争については、ほぼ決着がついたと見ても間違いはないと思われます。

●具体的な「立正安国」の場としての沖縄

昭和35年7月16日に山本伸一一行は沖縄を初めて訪問します。この頃、核ミサイルが沖縄に次々と配備されようとしていました。

「山本伸一は、〝戦争に苦しみ、不幸の歴史を刻んできた、この沖縄の人びとが真正の仏法によって救われることは、日本国中の民衆が幸福になっていく証明となろう〟」との思いを持ち、「この地に平和の楽土の建設を誓いながら那覇国際空港に降り立った」(55頁)

この時の訪問を第一歩として、伸一は以後8回に及ぶ沖縄旅の展開が描かれますが、その根底には、平和の楽土を築かずにはおくものかとの圧倒的に強い信念がうかがえます。戦後日本は安全保障の分野で見れば、沖縄の犠牲の上に平和が成り立っていることは紛れもない事実です。であるからこそ、この地を「立正安国」の戦いの最先端にするとの決意を伸一は抱き、それに合わせた行動をとってきたといえましょう。第一歩から60年余。平和の楽土への道のりは表面上は遠く、〝戦い未だ終わらず〟を実感せざるを得ません。

●「安国」から「安世界」「安球」へ

21世紀に入って20年。交通機関の発達、グローバル化の進展のなかで、地球は一段と狭くなってきました。一方で「一国平和主義」「自国ファースト」が叫ばれる中で、共存共栄の世界構築の大事さが迫ってきます。新型コロナ禍の蔓延によって、否が応でも地球は運命共同体であるとの思いに立たざるをえません。ウイルスの前に国境はないという当たり前のことに、人々は漸く気付き始めたのです。

日蓮仏法の広宣流布の戦いは、「立正安国」の原理の敷衍化でした。今や舞台は大きく地球全体に、世界中に広がっており、創価学会インターナショナル(SGI )の動きに目を見張らざるを得ないのです。それゆえ、世界の現状は、安国を「安世界」「安地球」に読み替えることを必要としているといえましょう。

今、世界の「覇権」は、米中間で争われていますが、今世紀半ばを待たずに、主役交代かとの声も聞かれます。その中国は、「人類運命共同体」の理念のもとに「一帯一路」構想を掲げて、中東からヨーロッパ、アフリカ大陸各国への影響を強めようとしているのです。その行程の中で、中国各地の数多い大学に附設されているという「池田思想研究所」がどういう役割を果たすのか。私の中国人の友人がそこで教員をしていることもあり、大いなる注視をしています。(2021-5-12 一部修正=5-13)

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