【9】生命の根本法は全てを包含するー『新・人間革命』第2巻「民衆の旗」の章から考える/6-2

●内なる生命の至極の法とは

昭和35年11月27日に、第2回学生祭が日比谷公会堂で開かれました。学生部の雑誌『第三文明』の発刊が実現した直後、ここでは演劇『三国志』が上演されました。「戸田先生亡きあと世界広布の大業に続こうとする後継の決意みなぎっていた」もので、伸一は「確かな手応えを覚えた」のです。

その際の講演で、山本伸一は「あらゆる思想、哲学も、南無妙法蓮華経という生命の究極の『一法』、すなわち大聖人の仏法に立脚してこそ、真の人間の幸福を実現しゆくものとして開花するのであります」「真実の人間復興、文芸復興を進めていくには、人間を開花させる、内なる生命の至極の法を求めてゆくことが不可欠です」と語る一方「南無妙法蓮華経とは生命の根本法であり(中略)、いっさいの思想家、哲学者の説いた哲理というものは、いわばその一部分を示しているにすぎない」(296~299頁)と、真の宗教と思想、哲学との関係を述べています。

私が座談会で折伏を受けた昭和40年(1965年)頃、世の中は政治的にも思想的にも左右の激突で、「資本主義対社会主義」の二極対立の様相を呈していました。「民衆の旗」に描かれる舞台の5年後になります。私は大学に入ったら、一生持するに足りうる思想、哲学を身につけよう、そのためにあらゆるものを学ぼうと心に決めていました。そこへ、真っ先に生命の根本法を説く日蓮仏法が目の前に現れたのです。以来56年。紆余曲折を経ながら、御本尊を拝み(信)、友人、知人を折伏し(行)、仏法哲学を学ぶ(学)という、創価学会活動に邁進してきました。

●思想、哲学をリードする真の宗教とは

哲学、思想、宗教ーこの関係をどう捉えるか。哲学は、人文科学の中に学問として位置付けられています。一方、思想は「文化」の範疇、宗教は「文明」の次元のものというのが私の把握の仕方です。一般的には宗教=非科学的なものと決めつける傾向が強く、哲学的側面からの分析に不慣れな向きが多いようです。創価学会も数多の誤解を受けてきています。

欧米先進国の間では、昔から今に至るまで良しにつけ悪しきにつけ、キリスト教という宗教を軸に政治も社会も動いています。中近東・アラブ世界からアジアにおけるイスラム教も同様です。そこへ行くと、日本は宗教の位置付けが違っています。冒頭での山本伸一の指摘する宗教と思想・哲学の関係は一般的には理解されにくい環境にあったと思われます。

半世紀ほどが経ち、時代は無思想の風潮、支配的哲学なき時代と言われて久しいものがあります。今に生きる人々を惹きつけるに足る思想・哲学が見当たらないというのです。日蓮仏法の哲学性、創価思想の卓抜さに傾倒するに至ったものからすれば、自家に伝わる「伝家の宝刀」の存在を忘れて嘆く人々を見るようで、もどかしい限りです。

今、SGIの飛躍的展開と共に、その哲学性、思想性が注目されるようになりました。「世界宗教」としての存在が脚光を浴び、漸く本来の価値に人々が気づくようになってきたのです。(2021-6-2)

(2021-6-2)

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