【19】理想の社会保障を求めてー小説『新・人間革命』第5巻「開道」の章から考える/7-23

●「いつの日か美術館を作りたい」との思い

 昭和36年10月10日、山本伸一たちは西ドイツからオランダ、フランス・パリへと向かいます。パリでは、ルーブル美術館を訪れました。同美術館中庭で、伸一を囲む芸術談義が始まります。(43頁〜48頁)

 本来、偉大な芸術、文化の根底には、哲学、そして宗教的な何かがある。ルーブル美術館の数々の名品も、多くはキリスト教という土壌の上に咲いた精華であり、そこには、宗教によって耕された〝聖なる心〟が投影されているといえよう。山本伸一は、未来を思い描くように言った。

「宗教と、芸術、文化というのは、本来、切っても切れない関係にある。古来、仏教も、多くの芸術、文化の華を咲かせてきた。これから広宣流布という民衆の生命を耕す大文化活動が進めば、日蓮大聖人の仏法を根底にした、新たな芸術、文化の絢爛たる華が開いていくことになる。楽しみだな‥‥。そうした芸術の創造のためにも、また民族、国境を超えて、民衆と民衆の相互理解を深める交流のためにも、いつの日か美術館を作りたいね」

 この語らいから22年後の1983年(昭和58年)11月に、東京八王子市に東京富士美術館がオープンします。以来すでに38年が経っており、私もこれまで幾たびか、この美術館に足を運んだことがあります。その多くは、ヨーロッパから搬送された美術品が展示される機会でした。その都度、感動を新たにします。

 かつて私は古寺に造詣深い友人に勧められるまま、奈良や京都の寺院に足を運び、仏像の前に佇む機会がありました。仏教を根底にした美術、芸術の何たるかが分からず、率直に言って、単にグロテスクな表現に過ぎないのではないか、との印象を抱きました。この美しさが分からないのかと、嘆かれたものですが、いかんともしがたかったことを覚えています。かの有名な『大和古寺風物誌』の、あのシーンそのままでした。

 一方、初めて訪れたスペインのプラド美術館で見たゴヤの一連の絵画作品は胸に強く迫ってきました。こういうものはいい、と。中野京子さんの『怖い絵』に見るような、考えさせられる絵画にも凄く惹かれます。要するに、私は絵にも物語性を求めてしまうのです。尤も、その昔に見た、地獄絵図のような仏教絵画ではなく、ワクワクするような仏教美術作品に、であいたいと思うのですが‥。今のところ出くわしていないのは残念至極です。

●高齢化社会に向けて個人と社会全体の取り組み

 10月13日に一行はイギリス・ロンドンへ。翌日、市内を回って大英博物館やバッキンガム宮殿などを訪れる合間に、公園で、とある老人と会話を交わします。伸一は、高齢化社会を前に社会保障制度の現実の一端を知ろうとしていたのです。その老人とのやりとりに始まる老齢社会への考察は、今や後期高齢者となった私にとって、極めて身近に思えてなりません。政治の世界で仕事をしてきた立場から、結論的に述べられた以下のくだりが身に沁みいります。(64~76頁)

「高齢化社会に備えるためには、従来の社会の在り方そのものを考え直し、政治はもとより、医療機関、企業、住民など、社会全体での取り組みが求められる。しかも、それらは一朝一夕に対応できることではない。それだけに、国家の指導者には未来を見すえて万全な対策を練り上げていく構想力と、それを実行していくリーダーシップと、責任感が求められる。また、そうでなければ、国民が不幸である」

 2000年の介護保険の導入を始め、高齢社会の仕組みに大きくメスを入れる社会保障の充実に公明党も力を入れてきました。確かに確実に事態は変わってきてはいます。しかし、それで十分かどうか。残念ながら、高齢者にとって、生きづらく住みにくい日本社会の現実は、広がる格差のもと一段と厳しさが募っています。高齢社会への創価学会の取り組みは着実に進んできていますが、社会全体での取り組みは未だしの感が強いのです。これはどうすればいいのでしょうか。

 解決へのヒントは、ユダヤの詩人サムエル・ムントの『青春』と題する詩の最後の一行にあるように思えます。この詩は、「山本伸一がイギリスにあって考えた心の若さという問題を巧みに表現していた」とされています。そこには「理想を失うとき初めて老いる」と、あるのです。逆に言えば、個人も社会も、押し潰されるような「現実」に負けてしまわない限り、「老いない」との意味でしょう。社会全体の「理想」実現に向かって、さらに頑張らねば、と私は闘志を掻き立てています。(2021-7-23)

 

 

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