【21】無視された青年の歴史的集いー小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章から考える/8-2

★一紙も取り上げなかった創価の青年の集い

 昭和36年10月23日にヨーロッパから帰国した伸一は、この年の総仕上げの活動に全力を挙げていきます。そのハイライトが11月5日に国立競技場で開かれた男子青年部の総会と11月12日に開かれた横浜・三ツ沢競技場での女子部総会でした。前者は10万人、後者には⒏5万人の男女青年が参加していました。嬉々として集う青年たちの姿と総会の模様が描かれる一方、時代背景に横たわる課題について、こう記されています。(195頁~253頁)

 「青年には、時代と社会を担いたつ責任がある。しかし、青年たちに、その使命を自覚させることのできる指導者も、民衆の幸福と平和を約束する指導原理を示せる指導者もいなかった。そこに、不世出の大指導者である戸田城聖に代わって、青年たちの進むべき大道を開く、伸一の使命もあった」

 この日集った青年たちが「新しき人間世紀の幕を開く主体者として、生涯、広宣流布に生き抜くことを固く心に誓い、それを自身の誇りとし、誉れとしていた」ことに触れた上で、過去に改革に立ち上がった青年たちとの比較がなされています。それは、「武力による改革」ではなく、「人間革命という人間自身の生命の変革を機軸とした、平和裏に漸進的な社会の改革」であって、「民衆が主役となる時代の建設であった」というのです。

 さらに、「この十万人の男子部総会は、まさに、新たな人間の復権の勃興を象徴とする歴史的な集いといえた。ところが、それを報じた、一般の新聞は一紙もなかったのである」と続きます。(225頁)

 この当時16歳だった私は、前年の安保条約改定に反対する世の中の空気に強い関心を持っていました。暴力革命も辞さぬ極端な左翼思想と、政治的動きに関心を示さないノンポリ層の間に立って、選択すべき道に思い悩んでもいました。当時、創価学会の存在を知らず、真面目に人間変革から社会の変革へと繋げようとする青年たちがいることなど、想像すらできませんでした。

 新聞その他のメディアは、10万人もの青年が集まっていても、一宗教団体の偏頗な思想に取り憑かれた連中の集まりぐらいにしか捉えていなかったものと思われます。その後状況は多少変わり、創価学会の大きな催しや池田先生の平和提言などについて、それなりに取り上げられてきてはいます。

 しかし、創価の青年の心意気にたち至るような記事にはとんとお目にかかりません。公明党と創価学会といえば、いつも「婦人部」についてのステロタイプな視点ばかり。それなりに意味はありますが、青年の生き方の観点から創価学会の及ぼす影響について、メディアが触れようとしないことに、私は疑問を抱きます。

★実態とイメージのギャップの差を埋めること

 ついで、舞台は女子部総会へ。終了後、青年の育成の仕方や課題について、伸一の思索と戸田とのやりとりが披歴され、惹きつけられます。(248頁)

 「伸一は入会当初、青年部の先輩たちの姿を見て、学会が好きになれなかった。先輩たちの多くは、権威的で威圧的であり、自らはなんの責任も負おうとはしなかった。彼は、そんな姿に、いつも失望していた」とあり、率直にその思いを戸田城聖にぶつけます。戸田からは、「それなら、君自身が本当に好きになれる学会をつくればよいではないか」と、「明快な答え」が返ってきます。

このことがきっかけとなり、後に伸一は音楽隊の結成や体育大会の開催など「理想的な学会をつくる」ために企画実行していったことが記述されています。このくだりを読み、私は、創価学会の本質と一般的なイメージのギャップということを考えます。伸一がかつて感じた「失望」が、草創期の学会には確かにあり、それが世の学会観を形成するのに一役買っていたのです。それを払拭すべく伸一は苦闘し、見事に〝好きになれる〟学会をつくりあげました。

 私などはむしろ入会以前の創価学会への思い込みと、肌身で感じる実感との落差に驚きました。見ると聞くとでは、大違いだったのです。聞いていたイメージは、権威づくめのピラミッド型組織。現実に見たのは自由闊達な円型組織。これを世に説明せずにおくものか、と率直に感じて、友との対話の中で、あらゆる場面で話していったのです。(2021-8-2)

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