Monthly Archives: 9月 2021

【31】危うく、脆い「核抑止論」ー小説『新・人間革命』第7巻「操舵」の章から考える/9-18

●豪雪に負けない人たちの感動的な記録

昭和38年1月24日の夜に、新潟県下で降った豪雪によって、富士宮市の総本山大石寺からの帰りの団体列車が立往生した事故 が起きます。この章冒頭で、その顛末が語られていきます。車中には新潟支部と羽越支部の会員約900人が乗っていました。この時の豪雪は「三八豪雪」と言われ、北陸・信越地方に記録的な被害をもたらしたものです。宮内駅で止まったまま。最終的に60時間もの間、閉じ込められた登山者たちを激励する輸送班員や、幹部の振る舞い、周辺の学会員たちのおにぎりなどの炊き出し、参議院公明会の議員たちの実態調査や救援対策などに動く、真剣な姿が克明に描かれています。(295~319頁)

この豪雪で、26本の列車が止まり、そのうち6本が27日まで立往生し、乗客はパニック状態に陥ったりするなど、惨憺たる状態が随所で起こったといいます。想像するに難くありません。「そのなかで、学会員の乗った団体列車では、皆、最後まで整然と行動していたことは注目に値しよう。それは長岡の同志の救援も含め、信仰の力を証明するものであったといってよいだろう」(319頁)と記されています。

私も昭和42年、大学3年の夏から冬にかけて、数ヶ月の間だけ、輸送班員をしたことがあり、総本山に向かう会員輸送の任務につきました。忘れもしないことには、品川駅の団体待合所に行く時間に寝坊して遅刻してしまったことがあるのです。一般の登山客と同じ時間に到着するあり様で、本山に着くまで、罰として、輸送班員の魂である腕章を付けさせて貰えませんでした。それから暫くして、肺結核に罹ってしまい、あえなく退任する羽目になったのです。遅刻の汚名をそそぐ活躍もなく、病気になり輸送班を辞めるとは恥ずかしい限りでした。尤も、その発病から私の信仰が本格的に始まり、人生の骨格をなす体験を掴むことになるのですが‥。

そんな私ですが、今でも🎵前進漲る我学会の、今若獅子は毅然たり、で始まる「輸送班の歌」は誦じています。懐かしい思い出です。であるがゆえに、この豪雪に直面した列車に任務担当でついていた輸送班の先輩たちを、とても誇らしく思います。また、「現場第一主義」で駆けつけた先輩議員たちの行動にも。

●依然として幅利かす「核抑止論」

海外訪問から1月27日に帰った伸一は、諸会合への出席の合間に、ケネディ大統領との会見の準備に力を注ぎます。彼は、戸田先生が「第一の遺訓」とした「原水爆禁止宣言」(1957年)について語り合い、世界平和への突破口にしようと強く期していました。この宣言は、原水爆を使用したものは、ことごとく死刑にすべきだというものです。原水爆を絶対悪と断ずる、その思いの中で、核兵器の製造を可能にする、正当化の論理に使われてきたのが「核抑止論」だとして、厳しく言及しています。(320頁~321頁)

「核兵器を正当化していたのが、いわゆる核抑止論であった。つまり全面核戦争になれば、人類が滅びるかもしれないという恐怖が、〝戦争を抑止する〟というのである」「全世界を震撼させたあの事件(キューバ危機)は、核抑止論という〝恐怖の均衡〟による平和の維持が、いかに脆く、危ういものであり、それ自体、幻想に過ぎないことを、白日のもとにさらしたといえる」

「核抑止」の考え方は、残念ながら世界の外交現場でも、国際政治学の分野でも、一定以上の大きな力を持ってきました。結果として、曲がりなりにも世界が滅びず、一応の平和が保たれているではないか、という主張に要約されます。核は悪だとする立場とは真っ向から対立してきました。そんな中、僅かではあっても、着実に前進をし、希望の光を繋いできたのが、国連NGO のひとつとしての創価学会SGIの一連の運動です。

「核兵器禁止条約」の実現を待望する動きにも拘らず、「核抑止論」があいも変わらず幅を利かせています。しかし、世界は「米ソ冷戦」の時代とは大きく変わり、ソ連の消滅から米国の後退、中国の台頭という新たな段階に入っています。この環境の流動化の前で、従来の考え方にとらわれない、新しい構想の兆しも見えてきています。理想と現実の狭間で、退かない、絶えざる核廃絶への努力が求められているのです。(2021-9-18)

 

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【30】「『欧州』は人類一体化の実験場」ー小説「新・人間革命」第7巻「早春」の章から考える/9-13

●ヨーロッパ統合への動きと逆流と

昭和38年(1963年)1月、山本伸一はアメリカでの西部総会に出席したあと、ヨーロッパに向かいます。この当時、イギリスのEEC(ヨーロッパ経済共同体)加盟が世界の注目の的でした。この動きについて、極めて重要なやりとりが二つなされています。(229〜239頁)

一つは、ド・ゴールがイギリスのEECへの加盟を拒否したことについて、世界もヨーロッパも「分断」の方向に進んでいるのではないか、との問いかけに対する伸一の答えです。

「私は、むしろ、長い目で見るなら、ヨーロッパの統合は〝歴史の必然〟であると思っている」と述べたあと、縷縷その背景に言及。更に「このヨーロッパの統合化への試みは、将来の人類の統合化、一体化への実験場ではないかと、私は思う」とし、「世界連邦にせよ、あるいは世界国家にせよ、いずれ、歴史は、世界平和へ、人類の一体化へと向かっていくにちがいない。いや、そうさせなければならない」との決意を披歴しているのです。

もう一つは、随行の青年が、ヨーロッパでのメンバーとの語らいの中で、創価学会が国家を超えて、人間と人間を結ぶ宗教であると実感した、と述べたことへの伸一の反応です。

「そうなんだよ。戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。仏法の哲理がそれを教えているからだ」

この二つの問答は、60年の歳月を一段と意味深いものにさせます。ヨーロッパでの統合化への流れは、紆余曲折を経てEECからEUへと、大きく進んできました。しかし、例えば、フランス始め大陸各国とイギリスの確執は未だ収まりません。EUからのイギリスの離脱は、コロナ禍での英国製ワクチン(アストラゼネカ)への、EU によるネガティヴキャンペーンと、続いています。変わらざる現実と、理想への熱意との絶え間なきせめぎあい。人類の未来へ、身の引き締まる思いです。

60年前と今。分断から統合化へ、そしてまた新たな分断へ。このように表面上の動きは一見、前進と逆行の繰り返し。何も進んでいないように見えます。しかし、国境を越えたヨーロッパでの広宣流布の流れは、水嵩を増し、とどまることを知らないのです。伸一の発言における「長い目で」と「やがて」の二つの言葉に注目せざるをえません。この戦いが尋常ではないことに腹をくくることで、限りなき希望も感じ、強い決意も漲ってきます。

●レバノンでの「人間」と「対話」の考察

伸一たちは1月22日にローマからレバノンのベイルートに向かいます。当時学会員は一人もいなかったこの国を、なぜ訪問したのでしょうか。アーノルド・トインビーをして「生きた宗教史の博物館」と言わしめた、その地の宗教事情を視察するためだったとされています。「対話」と「人間」をめぐる興味深い考察がなされています。(259-266頁)

不安定極まりなく紛争がうち続くレバノンで、平和と安定のために、必要なのは、「やはり宗派間の対話なのか」との問いかけに、伸一は、肯定した上で、それでも互いの利害がぶつかり合う現状があることに、「宗派を超えた人間対人間の対話が必要だ」と強調し、「同じ人間として、まず共通の課題について、忌憚なく語り合うこと」であり、「〝共感〟の土壌をつくっていくこと」が最も大切なことだと、力説しています。「〝宗派〟ではなく、〝人間〟を見つめ、宗派間の対話以上に、人間間の対話をしていく以外にない」との結論です。宗教間の争い絶えぬこの地域の基本的な方向性を示したといえましょう。

あの「9-11」から20年が経った今、アフガニスタンから米軍が撤収することで、より一層事態は紛糾しています。宗教間の対話の混乱に加えて、「世界の警察官」たろうとする米軍の介入。そして半端な撤収。再びの泥沼化。この地において、いつ原点としての「人間関対話」が始まるのでしょうか。暗澹たる思いになりがちです。

しかし、この後、伸一は「戸田先生が『学会は人間宗でいくんだ』と言われたことがあるが、どこまでも人間が根本です。我々は、こういう大きな心でいこうよ」と述べています。四角四面の教義を押し立てるのでなく、人間臭い「人間宗」で、どこまでもいこう、と戸田先生は仰ってるーそうか、人間的なことが大事なんだ。背伸びせずありのままで、自由でやりたいことをやろう、とあらぬ方向へ解釈を拡大する癖がつい鎌首をもたげてしまいます。(2021-9-13)

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【29】「分断」深める米国の今後ー小説『新・人間革命』第7巻「萌芽」の章から考える/9-8

●ニューヨークでの先輩幹部とその後の出会い

昭和38年(1963年)が明け、1月8日に山本伸一はアメリカ、ヨーロッパ、中東のレバノン、インド、香港への旅に出発します。この章では、アメリカでの一週間が語られます。2年3ヶ月前にニューヨークの地区結成に伸一と共に出席した清原かつ副理事長が率直な感想を述べる場面が印象的です。(174頁)

「私には、これが同じニューヨークだとは、とても思えない変わり様です。最初のニューヨークの座談会の時なんか、みんな泣いてばかりいて、信心の歓喜なんて、まったくなかったんですから。(中略) 信心に励むというのは、勇気をもって、すべてに挑戦するということです。私は、ニューヨークの皆さんこそ、『信心の勇者』として、アメリカ広布の先駆となっていく方たちであると思います」と。話す合間に横合いから伸一が「そうだ」「その通り」と合いの手を入れて、場内を沸かせ、盛り上げるくだりがグッときます。

実は私が創価学会に入って暫く経った頃、清原婦人部長の指導を聞くのがとても好きでした。開口一番、「皆さーん。(どこどこで)こういう体験があったんですよ」と、具体的な地域の名を挙げながら、身近な信心の体験談を話されました。躍動感溢れる口調で、聴くものを惹きつけずにはおかない魅力がありました。観念的な話よりも具体的な体験が印象に残りました。

この後、ニューヨークのメンバーとの質問のやりとりを通じて、伸一は、信仰を深めていくためには、いかに幹部は質問する人に丁寧に答えることが大事かを語っていきます。かつて私は入会してまもない頃、「なぜ御本尊に向かって唱題することで、人の幸不幸が影響されるのか?」などと出会う先輩幹部にあれこれ片っ端から訊いたものでした。答えは納得できることや、できないことなど、色々でしたが、懐かしい思い出です。

公明新聞の記者になって、柏原ヤス参院議員(清原かつはモデル名)の議員会館の部屋に取材に行っことがあります。部屋の隅に、でっかい仏壇がすっぽりジッパー付きの大きいケースに包まれて置いてあったのにはたまげました。それこそ、色々信心のことを質問すれば良かったのですが、柄にもなく何もきけずに終りました。少々残念なことでした。

●アメリカ広布と「分断」に思うこと

ニューヨーク支部結成を兼ねた東部総会が終わったあと、伸一は参加者から、今後世界各国でも政界に参加していくことになるのかと訊かれますが、その必要はないと否定します。そして政治だけでなく、文化、教育などあらゆる分野で、個人個人の自発的行動による社会的貢献の大事さを訴えていくのです。

「一言に広宣流布といっても、その進め方は、それぞれの国情によって異なってくる。日本でそうしてきたからといって、国情も考えずに、ほかの国でも、同じことをすれば、将来、取り返しのつかない失敗を犯してしまう場合もある」(184頁)との記述が続きます。

アメリカ社会は幅広い多様性を示すなかで、共和、民主の二大政党が交互に政権を交代して、安定した民主主義のもとに自由な国家運営を誇ってきました。しかし、このところ両党間の亀裂が深まり、南北戦争時さながらの「分断」の傾向が顕著になってきました。昨今のコロナ禍では、ワクチン接種を巡って賛否が支持政党間で割れる有様。そんな中だからこそ、いずれにも与せずアメリカ社会全体に貢献する、アメリカSGIの存在が貴重なものになると、私には思われます。

更に、伸一は「体制の溝、国家の溝といっても、結局は人間の心の溝からすべては始まっている。だからその人間の心の溝に、私は橋を架けたいんだ」(193頁)と強調しています。

この当時の課題は東西体制間の核戦争の脅威でした。今は、その問題もさることながら、同国内における民衆の心の溝が一段と深刻になっています。社会の闇が一層深まれば深まるほど、それを押しやり、明るく照らす〝太陽の仏法〟の必要性が強まるものと確信します。米社会の有り様に関心を持ち続け、無事・平穏を見守りたい思いです。(2021-9-8)

 

 

 

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【28】「反核」への真摯で具体的な戦いー小説『新・人間革命』第7巻「文化の華」の章から考える/9-4

●「人間性の勝利」めぐるエピソード

昭和37年(1962年)は、創価学会では「民衆の大地に、山本伸一によって、次々と文化の種子が下され、発芽していった年であった」とされます。具体的には、9月27日に学術部、芸術部が新たに誕生します。そして各地で音楽祭や文化祭が開かれていくのです。

「伸一は、広宣流布は、民衆の大地に根差した文化運動であるととらえていた。彼は、ある時、青年たちに〝広宣流布とは、いかなる状態をいうのか〟と問われて、『文化という面から象徴的にいえば、たとえば庶民のおばあちゃんが、井戸端会議をしながら、ベートーベンの音楽を語り、バッハを論ずる姿といえるかもしれない』と答えたことがある」(43頁)ー象徴的にせよ、面白く愉快な例え方です。

ピアノを幼児の時から弾いてきた家内も、もはや70歳なかばのおばあちゃん。サスペンス映画や、お笑い番組の合間に、ピアノ独奏やら交響楽団の演奏を聴いたりしていますから、私の知らないところで、ばあさん達と〝井戸端〟ならぬ〝電話端〟で音楽談義をしているのでしょう。たぶん。

続いて、「人間性の勝利とは、民衆のなかから、真に偉大なる〝芸術の華〟〝文化の華〟が開く時でもある」(44頁)とあります。政治、哲学、思想といった分野には特に強い関心を持つ私など、テレビの好みも違い、家内からは「全く何も知らないんだから」「〝昭和〟だねぇ」と、〝世間知に疎い〟と馬鹿にされます。「人間性」をめぐる夫婦間の微妙な落差が気になります。コロナ禍で、人に会う機会が以前に比べて減った今こそ、〝ライフスタイルの革命〟の時かもしれません。「人間性の勝利」が持つ意味について、いささか心騒ぐ日々です。

●「キューバ危機」への向き合い方

10月14日に文化祭が行われた8日後、「人類を震撼させる大ニュースが世界に流れた」とあり、いわゆる「キューバ危機」をめぐる一連の動きが克明に語られていきます。(50~83頁)

このなかで、「山本伸一は、このニュースを聞くと愕然とした。〝核戦争など、絶対に起こさせてなるものか!〟この日から全精魂を注いでの、懸命な唱題が始まった」との記述があります。さらに、後半の部分で、「『一身一念法界に遍し』(御書412頁)である。強き祈り、真剣なる一念は大宇宙に遍満していく。ゆえに、伸一は、直面している危機の回避を、ひたぶるに祈った。題目で全地球を包み込む思いで。仏法者の平和への戦いは、強盛な祈りから始まる。そして、祈りは決意となり、智慧を湧かせ、勇敢なる信念の行動となる」と。

このくだりに深い感動を覚えます。核戦争への一触即発の危機にあって、右往左往したり、傍観したり、せいぜい評論することが一般である時に、かくほどまでの強い意志のもとに、全身全霊を込めての唱題で立ち上がった人がいたことは、心底から感動します。この時の祈りから、その後の平和に向けての世界の指導者との真剣な対話という行動へと繋がっていくのです。

さらに、この章の最後で、キューバ危機を経て間もなく、ケネディ米大統領から、会見を申し込まれたことが明かされています。伸一は一瞬、その意図をめぐり、政治的に利用されることを憂慮し、どう回答するか、「頭脳をめまぐるしく回転」させます。心理的葛藤についての二頁にわたる詳細な分析は極めて興味深いものがあります。「何秒間の沈黙のあと」、伸一は会見を受諾しました。核戦争を回避していくためにも忌憚なき語らいをしよう、と。(99頁)

会談は、翌昭和38年(1963年)2月に予定されたのですが、残念なことに自民党筋から横槍が入り、断念を余儀なくされました。そして、やがてケネディの死によって永遠にその機会は消えてしまうのです。その辺りについては、後の章で詳しく語られていきますが、まさに現代政治の裏面史を垣間見るようで、迫力満点です。(2021-9-4)

 

 

 

 

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