【30】「『欧州』は人類一体化の実験場」ー小説「新・人間革命」第7巻「早春」の章から考える/9-13

●ヨーロッパ統合への動きと逆流と

昭和38年(1963年)1月、山本伸一はアメリカでの西部総会に出席したあと、ヨーロッパに向かいます。この当時、イギリスのEEC(ヨーロッパ経済共同体)加盟が世界の注目の的でした。この動きについて、極めて重要なやりとりが二つなされています。(229〜239頁)

一つは、ド・ゴールがイギリスのEECへの加盟を拒否したことについて、世界もヨーロッパも「分断」の方向に進んでいるのではないか、との問いかけに対する伸一の答えです。

「私は、むしろ、長い目で見るなら、ヨーロッパの統合は〝歴史の必然〟であると思っている」と述べたあと、縷縷その背景に言及。更に「このヨーロッパの統合化への試みは、将来の人類の統合化、一体化への実験場ではないかと、私は思う」とし、「世界連邦にせよ、あるいは世界国家にせよ、いずれ、歴史は、世界平和へ、人類の一体化へと向かっていくにちがいない。いや、そうさせなければならない」との決意を披歴しているのです。

もう一つは、随行の青年が、ヨーロッパでのメンバーとの語らいの中で、創価学会が国家を超えて、人間と人間を結ぶ宗教であると実感した、と述べたことへの伸一の反応です。

「そうなんだよ。戸田先生が『地球民族主義』と言われた通り、創価学会は、やがて、国家や民族、人種の違いも超えた、世界市民、地球市民の模範の集まりになっていくだろう。仏法の哲理がそれを教えているからだ」

この二つの問答は、60年の歳月を一段と意味深いものにさせます。ヨーロッパでの統合化への流れは、紆余曲折を経てEECからEUへと、大きく進んできました。しかし、例えば、フランス始め大陸各国とイギリスの確執は未だ収まりません。EUからのイギリスの離脱は、コロナ禍での英国製ワクチン(アストラゼネカ)への、EU によるネガティヴキャンペーンと、続いています。変わらざる現実と、理想への熱意との絶え間なきせめぎあい。人類の未来へ、身の引き締まる思いです。

60年前と今。分断から統合化へ、そしてまた新たな分断へ。このように表面上の動きは一見、前進と逆行の繰り返し。何も進んでいないように見えます。しかし、国境を越えたヨーロッパでの広宣流布の流れは、水嵩を増し、とどまることを知らないのです。伸一の発言における「長い目で」と「やがて」の二つの言葉に注目せざるをえません。この戦いが尋常ではないことに腹をくくることで、限りなき希望も感じ、強い決意も漲ってきます。

●レバノンでの「人間」と「対話」の考察

伸一たちは1月22日にローマからレバノンのベイルートに向かいます。当時学会員は一人もいなかったこの国を、なぜ訪問したのでしょうか。アーノルド・トインビーをして「生きた宗教史の博物館」と言わしめた、その地の宗教事情を視察するためだったとされています。「対話」と「人間」をめぐる興味深い考察がなされています。(259-266頁)

不安定極まりなく紛争がうち続くレバノンで、平和と安定のために、必要なのは、「やはり宗派間の対話なのか」との問いかけに、伸一は、肯定した上で、それでも互いの利害がぶつかり合う現状があることに、「宗派を超えた人間対人間の対話が必要だ」と強調し、「同じ人間として、まず共通の課題について、忌憚なく語り合うこと」であり、「〝共感〟の土壌をつくっていくこと」が最も大切なことだと、力説しています。「〝宗派〟ではなく、〝人間〟を見つめ、宗派間の対話以上に、人間間の対話をしていく以外にない」との結論です。宗教間の争い絶えぬこの地域の基本的な方向性を示したといえましょう。

あの「9-11」から20年が経った今、アフガニスタンから米軍が撤収することで、より一層事態は紛糾しています。宗教間の対話の混乱に加えて、「世界の警察官」たろうとする米軍の介入。そして半端な撤収。再びの泥沼化。この地において、いつ原点としての「人間関対話」が始まるのでしょうか。暗澹たる思いになりがちです。

しかし、この後、伸一は「戸田先生が『学会は人間宗でいくんだ』と言われたことがあるが、どこまでも人間が根本です。我々は、こういう大きな心でいこうよ」と述べています。四角四面の教義を押し立てるのでなく、人間臭い「人間宗」で、どこまでもいこう、と戸田先生は仰ってるーそうか、人間的なことが大事なんだ。背伸びせずありのままで、自由でやりたいことをやろう、とあらぬ方向へ解釈を拡大する癖がつい鎌首をもたげてしまいます。(2021-9-13)

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