Monthly Archives: 11月 2021

【41】異国の地で骨を埋めるー小説『新・人間革命』第10巻「幸風」の章から考える/11-24

●アメリカ広布にかける心意気

 1965年(昭和40年)8月14日から25日まで、伸一はアメリカ、メキシコ訪問の旅をします。ここでは、黒人の公民権運動やエチワンダ寺院の起工式などが描かれています。私が注目したのは、学会本部の職員の中で、初めて海外に派遣されることになった青年について書かれているくだりです。伸一は以下のように、彼に言います。(118-120頁)

  「ひとたび行く限りは、何年かしたら日本に帰ろうなどと考えるのではなく、同志に仕え、広布のために、アメリカに骨を埋める決意で行ってもらいたい。そうでないと、愚痴や文句が出たり、何かというと、〝日本に帰りたい〟と漏らすようになる。(中略) そうなれば、広宣流布のリーダーとしても職員としても失格です」(119頁)

 本部職員や聖教新聞の記者たちが、このような指導を受けて世界各地に飛び立つ様子を見聞きするたびに、キリスト教の宣教師たちのことを連想しました。日本の戦国時代前後に、ポルトガルやスペインから、日本にも布教にやってきました。史実として知るにつけ、使命感の重大さと布教の困難さに思いが至ります。現代にあっては、キリスト教を凌駕する勢いで、日蓮仏法の布教は世界で進んでいますが、原点を自覚するばかりです。

   今いるところではなく、どこか他のところに素晴らしき新天地があると思いがちなのが普通の人間でしょう。「足下を掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)との名言があります。まずは今いるところでいい仕事をし、足跡を残そうとの心がけが大事だと思われます。

●メキシコと戸田先生の夢

 一行は、カリフォルニア・ロサンゼルスからメキシコへと向かいます。この地は、恩師戸田城聖先生が「夢に見、訪問を念願した国」です。メキシコに戸田先生がことのほか関心を持っていたのはなぜでしょうか。「ラテンアメリカで最初の日本人の組織的な移住が行われたのがメキシコであったからかもしれない」とされています。師の強い関心の後を追いつつ、伸一はこの地の隅々にまでに新たな幸風を巻き起こしていきます。(144-177頁)

  イワダテ支部長がメキシコ在住40年になったことについて、最初は1-2年のつもりだったのが、「大好きになったから」と経緯を語ったのです。これに対して、伸一の次の言葉が印象深く残ります。「自分のいるところが好きにならなければ、そこで使命を果たし抜いていくことはできません。(中略)  自分が、そこを好きになれる〝良さ〟を見つけることから、価値の創造は始まっていくといえます」(158頁)

   「好きこそものの上手なれ」とは物事の基本ですが、良さの発見→好きになる→打ち込む、というパターンが人間がこの社会で生き抜く上でのカギを握っていると思えます。

●生命の底にともされた火としての記念撮影

 メキシコから帰国したのちに、伸一は全国各地への激励に走りますが、その際に「記念撮影」を通じて、会員との絆を強固なものにしていきます。この時から約10年間北海道から沖縄の離島まで全国各地で、最前線の同志たちとの記念撮影会が行われていきます。

 「伸一は激務のために、何度か、体調を崩したが、走り続けた。最愛の同志とともに、カメラに納まり、刹那に永劫をとどめんと、励ましの言葉を贈らんと」「伸一は、同志の心の暖炉に、永遠なる『誓いの火』を、『歓喜の火』を、『勇気の火』を、断じて、ともさねばならない、と決意していたのだ」「石と石とがぶつかり合うなかで、火は生まれる。広宣流布の火もまた、人間の魂と霊の触発のなかからしか生まれないことを、伸一は熟知していた」(191頁)

   この伸一の深く重い言葉の数々は、池田先生との記念撮影の場に臨み、臨機応変、変幻自在に繰り出されるその激励を受けた人なら、手にとるように分かるに違いありません。私も本当に得難いことに、昭和43年4月26日の第一回慶大会の開催時を始め、勿体なくも中野兄弟会、新宿兄弟会、伸一会など幾度となく、その座に連ねさせていただきました。今その幾葉もの写真を見るにつけ、師の魂によって、我が鈍感な命にも、誓いと歓喜と勇気の火が燃え上がったあの日、あの時の感激が、ありありと浮かんできます。

 その後、高等部や男子部幹部として、高校生、後輩を激励したりする時や、選挙に出た際にも選挙区内の各地の拠点で、支援者皆さんと、出来るだけカメラに収まりました。池田先生にしていただいたことの百万分の一でも真似ようと、絆を深める試みに挑みました。(2021-11-24)

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【40】映像、色彩を思い浮かばせる文章ー小説『新・人間革命』第10巻「言論城」から考える/11-17

●同志の死にたいする疑問を打ち破る激励

 1965年(昭和40年)は、小説『人間革命』の聖教新聞連載開始と共に幕をあけました。また、雑誌『言論』に『若き日の日記』の連載も始まることになりました。会長・山本伸一は全精魂を傾けてのメンバーへの激励と同時に、この年冒頭から怒涛の勢いで言論戦を展開していきます。

 その年の活動の始まる矢先に、二人の同志の死について触れられます。一人は、青年部の最高幹部を歴任した理事、もう一人は、鳥取県・米子市の支部長です。前者(49歳)は癌という病、後者(42歳)は、交通事故によるものでした。伸一の、遺された家族と、支部員たちへの渾身の激励が胸に強く迫ってきます。(16-35頁)

   「お父さんの一番の喜びは、君が広宣流布の指導者として、立派になっていくことだ。だから、一生涯、広布の使命に生き抜いていくんだよ」「生命は永遠です。ご主人は、すぐにまた生まれてきますよ。それを確信していくことです」「生命の深い因果というものは、宿命というものは、まことに厳しい。それゆえに、信心をしていても、さまざまな死があります。(中略) しかし、信心の眼をもって見るならば、そこには、深い、深い意味がある」「人は、生まれる時も、死んでいく時も一人である。三世にわたって自分を守ることができる力は妙法しかありません」

 私もこれまでの人生で、父と母、義父と実弟と嬰児の家族5人を亡くし、数限りないほどの友人、知人、同志を見送ってきました。抱いた思いもそれこそ千差万別ですが、上記のような激励を口にし、自身もその確信を深めてきました。人は例外なく死にます。生と死を、〝対立的次元〟で捉えると、死で終わることは最初から人生は悲劇と決まっています。そうではなくて、〝同一的次元〟で「生死不二」と捉えないといけません。「生も歓喜、死も歓喜」との名言を確信して、〝涙と笑いの悲喜劇〟を堂々と演じ切ることだと思います。

●聖教新聞の日刊化をめぐって

 新聞は毎日だされるものと、誰しも思うでしょうが、かつては違いました。聖教新聞も週三回の発刊という時代があったのです。昭和40年7月15日にそれが日刊化します。ここでは、その辺りの苦労談が描かれていきます。「聖教新聞がどうなっていくかは、諸君の双肩にかかっている。いっさいは人間で決まっていくものだ」と伸一は、聖教新聞の記者たちを前に語ります。(49-78頁)

 「自分の心に忍び寄る惰性と、挑戦を忘れた、あきらめの心であり、怠惰」が聖教新聞の発展を妨げる敵だとする伸一は、記者一人ひとりの人間が、「常に新鮮味溢れる自分自身となり、知性と勇敢なる人格をもった記者」たることを強調しています。(62頁)

  この時の懇談場に連なり、心構えから、様々な新聞作りのノウハウまでを池田先生から直接教わった先輩に、私も新聞制作のイロハを叩き込まれました。「君たち一人ひとりの人間の持つ力が、その日の新聞に表れる、それ以上でも以下でもない」、と。日に日に新たな自分になっていかない限り、人様に読んで貰える記事は書けないことを知りました。難しいことだけれど、それが新聞記者というものだ、と自覚したしだいです。

 伸一が展開している新聞評はまことに見事です。文章の書き出しで、どう人の心をつかむかについて、名言引用、結論の先だしなど、意表をつく、斬新な入り方の研究を提起しています。さらに、割り付け、文章論、写真論などについても。なかでも体験談の書き方で動作を描くことの重要性を具体的実例で示しているのは興味深いです。「悲しくて泣いた」との表現でなく、「泥にまみれた拳で、溢れる涙を拭った」とすると、映像も色彩も浮かんでくる、と。まるで、人気TV番組『プレバト』の俳句の先生を思い出しました。

 ●政治改革の原点としての東京都議選

 この年の7月に、予め予定されていた参院選に加えて、急きょ都議選が行われました。実は4月に都議会自民党において、議長選挙をめぐって、現職議長が贈賄容疑で逮捕されたのです。これに端を発し、議員から逮捕者が続出。それに対して都議会公明党が議会解散へのリコール運動を起こしたのです。その一部始終が語られていきます。(78-89頁)

 「最初、公明党が、党として総辞職を決めた時、皆心で喝采を送った。他党の議員が、解散し、選挙することを恐れ、自分のポストを守ることに汲々としている時に、ためらうことなく解散を主張し、都議会の信頼回復を第一義とした姿勢に、共感したのである」

 公明党なら、政治浄化、政治改革ができるとの生きた実例に全国の学会員は、感動したのです。そして清潔な党・公明党のイメージが世に定着する初デビューともなりました。あれから56年。断じて初心忘れるな、と党にも自分にも言い聞かせています。(2021-11-17)

 

 

 

 

 

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【39】公明党誕生とその時代ー小説『新・人間革命』第9巻「衆望」の章から考える/11-10

●1964東京オリンピックとその時代

 1964年(昭和39年)10月には、東京で初めてオリンピックが開かれました。ここでは様々な各国選手の活躍を追っています。当時、大学受験生だった私には懐かしい場面が蘇ってきます。それと共に、この時代背景が鮮やかに分析されているのです。(316-334頁)

  ここでは、フランス人ジャーナリストのロベール・ギランが、西欧で当時の日本の復興が「日本の奇蹟」と呼ばれたことについて、「民衆の不屈の勇気」が成功を築き上げたと、評価したことが紹介されています。著者はその点を踏まえて、「民衆の自主的な勤勉さ、向上への努力こそ、日本の復興の原動力であった」と捉え、「日本の経済成長は、創価学会が大発展しゆく時期と、符合している」と分析されています。(333頁)

   戦後日本の経済復興の目覚ましさについて、政権の経済運営の巧みさやら、単に日本人の勤勉さがもたらしたものと捉えられがちです。しかし、現実には、伝統的な日本人の美徳である「勤勉や努力」は戦後の荒廃の中で、次第に薄れていった時期であり、「資本家対労働者」という対立意識が色濃く、「労働者の勤労意欲も低下しがち」でした。

 ところが、当時500万世帯に達していた創価学会員は全国各地で「自分の仕事を通して、社会に貢献しよう、人格を磨こう、職場の勝利者になろう、と自ら懸命に働いた」のです。「仏法者としての誇りと信念と哲学が勤労の原動力」だとして、社会状況を大きく変えていったと見ることができます。このあたりの捉え方は、社会学の研究分析もまだまだ及んでいないようで、一般的には定着しているように見られないのは残念なことです。

 今年、57年ぶりに2回目の東京五輪が開かれました。コロナ禍中の開催ということで、二つの大会の背後の社会情勢を単純には比較できませんが、戦後の経済復興に貢献した草創期の先輩たちのエネルギーに負けない我々なのかどうか。自省する必要がありそうです。

●公明党誕生への深い思い

 この年11月17日。公明政治連盟(公政連)が発展的に解消し、公明党が誕生します。それまでの参議院議員主体から衆議院への進出が明確になります。生みの親としての著者は、その背景を詳しく書き起こしています。その必要性として、①日本の政治家における指導理念の欠落②腐敗と敢然と戦う清潔な党の出現③真実の大衆政党がないーの三つが挙げられています。「多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望」であると。(361頁)

   出発に際して「日本の柱 公明党」と、「大衆福祉の公明党」がスローガンとして掲げられました。「社会保障の不備、重い税負担、低い賃金‥‥。6、7人の家族が、一間のアパートで折り重なるようにして寝ている一家もあった。病気になっても、病院に行けない人もいた」ーこうした状況を前に、大衆福祉の確立こそ、大衆と共に語り、戦ってきた議員たちの「信念の叫び」だったと、語られている場面には胸揺さぶられます。(364頁)

    この数ヶ月後に、大学に入学すると共に、創価学会員、公明党員になった私は、まさに、学問を学ぶ中で、政治のあるべき姿と現実との乖離を実感していくのです。結党の日に上梓された『政治と宗教』が出版されるやいなや、読みふけったことを思い出します。「政治は大地に育つ千草万木のごとく変化の世界であり、相対的な世界である。宗教は大地のごとく政治・経済・教育等のあらゆる文化の本源であり、永久不変の哲理である。偉大なる宗教、偉大なる哲学のない政治は根無し草であり、権力の争奪、民衆の不幸を繰り返すのみである」(378頁)  大きな感動の中で日蓮仏法を実践することを誓ったものです。

 今、公明党結党57年を直前にして、我が胸を去来するものは多く、身が縮む思いです。原点に立ち返り、もう一度、「大衆と共に」語り、戦わねば、と。

   ●沖縄での小説『人間革命』執筆

 翌12月の1日、伸一は4度目の沖縄訪問に旅立ちます。そこで小説『人間革命』の執筆に着手することを深く心に期していたのです。「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命転換をも可能にする」ーこのテーマを描きゆくのは、「最も戦争の辛酸を舐め、人びとが苦悩してきた天地」である沖縄をおいて他にない、と。(386頁)

  文章は書き出しによって決まる、とは幾たびも聞いてきたフレーズですが、伸一のこの時の呻吟する様子は心底、胸を撃ちます。3頁にわたりその有様が綴られています。そして「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた‥‥」と、壮大な幕開けに繋がっていくのです。(2021-11-10)

 

 

 

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【38】社会主義と人間ー小説『新・人間革命』第9巻「光彩」の章から考える/11-5

●「一家和楽の信心」の重要性

 1964年(昭和39年)10月2日、伸一は東南アジア、中東、欧州への訪問に出発します。タイのバンコクの空港で、王大成地区部長夫妻と7人の子どもたちが出迎えました。その姿を見て、伸一は「一家和楽の信心」の大事さを強調します。

 「『一家和楽の信心』であれば、家族が共通の根本目的をもつことができる。それによって、家族が団結することができる。だから、一家が栄えていくんです。(中略) どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。」(236頁)

 「 一家和楽の信心」はなかなか難しい課題です。私の家では、1965年(昭和40年)に私が入信していらい、二人の姉と弟が相次いで入会。4年の間に母親も。最後に残った父親も、母の死に至る病を治したい一心で、遂に入会。私が入ってからほぼ12年後のことでした。母の死と引き換えのように、一家和楽の信心の入口に到達しました。その後、今日までの40年余で、それぞれの家族も紆余曲折の末、我が家の一人娘夫婦を除いて、皆入信したのです。正確には、娘の夫が未入信の故、娘は信仰を続けられない、と言うのが実態です。

 今、「一代限り」で終わるかどうかの瀬戸際にあり、思いは複雑です。浄土真宗の信徒の立場を投げ捨てた父は、墓も「妙法蓮華経」のものに替えたというのに。「このままでは、わしがやらねば、死んでも皆拝んでくれない」と言った父に、会わす顔がないと言うのが私の本心です。あと10年のうちに、何としても娘夫婦に継承を、と考えています。

●ハンガリー・ブタペストでの深い洞察

  伸一一行は、この時の旅で東欧二カ国(チェコとハンガリー)を訪れます。10月11日に着いたブタペストは、8年前にハンガリー事件(ソ連軍の侵入)が起こった地です。市内視察で当時の弾痕の残る建物を見つめながら、社会主義について考えを巡らせます。(275-285頁)

  伸一は、共産主義を生み出すに至ったマルクスの理論構築の動機には、ヒューマニズムはあったものの、人間とは何かの正しい認識がなかったことを指摘します。「完全無欠な社会を想定し、そこに強引に、人間を当てはめようとしたこと」など、「イデオロギーの論理が優先し、権力で社会体制を抑え、維持することが第一の目的となってしま」ったと捉えます。そして「問われるべきは、社会主義の政治的、社会的側面というよりも、それが歴史を動かすすべてであるという錯覚ーつまり、『人間』という視点の欠落である」と結論づけています。このほか、この10頁には深い社会主義についての洞察が伺えるのです。

 とりわけ、「人間の真実を知る生命の哲学なきゆえの、根本的な人間不信が、次々と人間を分断していくことになる。私は、この分断こそが、最大の悪の要因であると断定したい。広宣流布は、一人ひとりの人間に『仏』を見て、人間と人間を、信頼で結び合う尊き運動」であり、「未聞の実験である」とのくだりは圧巻です。世界中に「分断」が広く民主主義国家群を襲う一方、国家の強権力で「分断」を押し潰そうとする動き。現代の混迷はまさに、ここで伸一が「最大の悪の要因」と断定した「分断」状況の蔓延にあると言わざるをえません。

 世界の混迷が続く中、「未聞の実験」は失敗の淵にあるとの見方もあるほど前途は多難です。しかし、断じてそれは許されないのです。どう乗り越えるか。その鍵は、皆が当事者意識を持続させ、〝連続革命〟への闘魂を燃やすしかない、そう私は思っています。

 ●ノルウエー・オスロでの人間の一生を描く彫刻像の前で

   伸一一行は、次にノルウエーのオスロを訪れます。そこで、フログネル公園を見学しました。そこは、ノルウエーが生んだ大彫刻家グスタフ・ビーゲランの「人間の一生」をテーマに、生々流転の様子を描いた彫刻群が見られる場所です。

 伸一は、「ビーゲランの作り上げた像は、特別な人間ではない。民衆であり、権威も権力もまとわぬ、裸の人間である」とし、彼は「民衆のなかに、人間の尊貴なる〝光彩〟を見いだしていた」と感慨を抱くのです。(310頁)

  実は私も現役当時にこの場に立ち寄ったことがあります。伸一はビーゲランの「真実を見抜く」眼に感嘆したとしています。私は、その時、生から死に至る人間存在の冷厳な事実を改めて認識しました。オスロでの奇妙で不思議な実感を抱いたことが今鮮やかに蘇ってくるのです。彫刻芸術の持つ不可思議な力に打ちのめされたことを。(2021-11-5)

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