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【68】民衆のための権力ー小説『新・人間革命』第17巻「民衆城」の章から考える/4-28

●師弟の深くあつい絆

 1973年(昭和48年)4月下旬のある日。聖教新聞社の前を通りかかった伸一は、荒川区の婦人部員たちと出会います。その中の一人が16年前の昭和32年8月の夏季ブロック指導の際に、伸一から病気の指導を受けた女性でした。そこから、その直前の7月の「大阪事件」に話が及びます。昭和31年の4月に行われた参院大阪地方区の補欠選で、一部に選挙違反者が出たことを口実に、青年部室長であった伸一が不当逮捕されたのでした。ここでは、権力の不当な動きをめぐる戸田先生の伸一へのあつい思いが語られていきます。(240-248頁)

   伸一は北海道で夕張炭労事件の解決に奔走していました。そこへ大阪府警への出頭の連絡がきて、空路大阪に向かいますが、途中乗り換えのために東京・羽田空港に降り立ち、そこで戸田先生たちと出会います。この場面は強く胸を打ちます。「憔悴し、やせ細っていた」戸田先生は、伸一を見つめ、意を決したようにこう言います。

 「われわれがやろうとしている広宣流布の戦いというのは、現実社会との格闘なのだ。現実の社会に根を張れば張るほど、難は競い起こってくる。しかし、戦う以外にないのだ。また、大きな難が待ちかまえているが、伸一、往ってきなさい!」

 それに対し、伸一は「はい!」と言うと、戸田の顔に視線を注ぎ、健康状態を聞きます。戸田はそれには答えず、「心配なのは君の体だ‥‥。絶対に死ぬな。死んではならんぞ」 次の瞬間、戸田の腕に力がこもった。彼は伸一の体を抱き締めるように引き寄せ、沈痛な声で語った。「伸一、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして、一緒に死ぬからな」

 師弟のやりとりで、これほど激しく胸を揺さぶられる場面はこれ以外にあまりないように思われます。矛盾に満ち溢れた不合理な問題が次々と学会本体を襲う状況下で、師と弟子が相互に身体を気遣いあわれるこの場面こそ、永遠不滅の師弟愛の極致ではないでしょうか。師匠に甘えるだけの柔な弟子でしかなかった自身の来し方を振り返る時に、申し訳なさと恥ずかしさが募るのみです。

●権力の魔性との戦い

   以上のような描写が思い起こされたあと、荒川での夏季ブロック指導期間での戦いに触れられていきます。伸一は、7月3日に逮捕、2週間勾留されたあと、17日に大阪拘置所を出ます。その半月あとの8月8日の座談会で、伸一は「大阪事件」のなんたるかを語っていきます。(250-265頁)

 「この事件の本質はなんであったかー。ひとことで言えば、庶民の団体である創価学会が力をもち、政治を民衆の手に取り戻そうと、政治改革に乗り出したことへの権力の恐れです。そして、これ以上、学会が大きくなる前に、叩いておこうとした。学会には常勝の若武者がいる。まず、それを倒そうと、私を無実の罪で逮捕した。さらに壊滅的な打撃を与えようと、衰弱されている戸田先生にまで手を伸ばそうとしたんです」

 「大阪事件」以後、今日まで権力が抱く「創価学会への恐れ」は幾たびも形を変えて浮上してきました。今は、公明党の与党化という状況もあって、一見なりを潜めたかに見えます。しかし、それはいつ何時再び牙を剥き出すかしれません。この問題は、与党、野党という問題ではないと私には思えます。政治改革は未だならず、途上でしかありません。それを成就するために、追撃の手を緩めれば、権力は民衆を睥睨する方向に向かってきます。また、その手を頑なに行えばまた、弾圧の動きがでてきます。この辺りを見据えながら緩急自在に、大衆のための政治改革を目指し続け、権力の統御に取り組むしかないと思われます。

●「ヨーロッパ会議」が設立

   この後、5月8日に伸一が出発した一年ぶりの英仏両国への旅の目的の一つは、「ヨーロッパ会議」の設立に向けての準備会議でした。フランス、西ドイツ、イギリス、イタリア、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、スイス、オーストリア、スペイン、ギリシャの13カ国で出発した同会議の模様が綴られていきます。(312-317頁)

    【日蓮大聖人は、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつりて候ぞ」(御書1467頁)と仰せである。その国、その地域にいる人こそが、地域広布の主体者として責任を担っていくというのが、広宣流布の方程式である。】

 現代に応用できる大聖人の世界観の披歴に感激します。「欧州における人間主義の連合体」としての「ヨーロッパ会議」は、この時に設立され、創価学会SGIの今日の発展の礎となってきています。今、ロシアによるウクライナ戦争という忌むべき事態を迎え、世界は歴史的な試練の時を迎えています。悲惨な戦火の拡大が収まるよう、停戦・平和をただ祈るのみです。(2022-4-28)

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【67】父と娘のあつい絆ー小説『新・人間革命』第17巻「希望」の章から考える/4-23

●「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」との教え

 「来たりけり 世紀の門出の 交野校」「万葉の 花も喜ぶ 入学式」「師のもとに いのちはもえる 女子学園」ー1973年(昭和48年)4月11日、創価女子学園の入学式が行われました。中学148人、高校239人の乙女たちが北は北海道から南は奄美群島まで、全国各地から、生駒連山に抱かれるように聳え立つ交野市の学びやに集まってきたのです。伸一は入学式のその日に胸躍る思いを込めて冒頭の句を詠いました。この章では、創価女子中学、高等学校の設立前の背景から、2008年までの経緯が語られていきます。(104-237頁)

 入学式の挨拶で創立者の伸一は、「伝統」「平和」「躾」「教養」「青春」の五項目を語ります。2項目目の「平和」について、「私が今から皆さんに望むことは、『他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない』という信条を培っていただきたいということであります」と、強調しました。

 女子中学、高校生の門出にあたって送る言葉として、「平和」は他の4つに比べて異質のように思われます。しかし、伸一は「平和」といっても、日々の自分の生き方、行動の中にこそあるということを訴え、「他人の不幸の上に、自分の幸福を築かない」ーとの信条が女性の生涯を崇高なものにすると確信していたのです。

 私は今、生命のかけがえのなさを心底から叫びたくなる衝動に駆られ続けています。平々凡々と生きて来たわけではないのですが、過ぎゆく時の流れに思わず待ったをかけたくなる心情を如何ともし難いのです。そんな私は出来る限り若者と接触すべく心がけています。かつて尊敬する大先輩から、「日々子どもと闘って若いエネルギーを貰っている」と聞き刺激を受けたことがありますが、いま改めてその記憶が蘇ってくるのです。

●〝教育の芯〟をどこに求めるかの「77年」

 女子学園の開校3年目。1975年(昭和50年)の入学式には全六学年が揃いました。この時に、創価高校、創価大学の一期生3人が新任の教師として赴任してくるのです。3人とも高校時代から創立者の伸一に接し、教育への燃ゆるが如き熱情を感じ、人間教育の素晴らしさを知りました。そして後輩の育成をすることで、師の恩に報いたいと、教師の道を選んだのでした。「苦労して植えた種子が今、芽吹き始めたことを感じて、たまらなく嬉しかった」伸一の心情が語られていきます。(195-197頁)

    翌1976年(昭和51年)3月、初めての卒業式を迎えます。卒業生代表の答辞が胸を打ちます。「山本先生は、『希望の乙女像』を指して『姿は女王、心は勇士』と教えてくださいました。優しくて聡明な女性として、しかも、人間としての芯を確立した、不動の人生ー。私たちにとってその芯こそ、学園で生命に築いた〝父と娘の絆〟なのです」ー弟子の道を歩みゆこうとする、乙女たちの深い決意が伝わってくるのです。(208-209頁)

   「教育」の重要性。私たちは常日頃から聞き、口にします。しかし、戦後77年の日本は、いわゆる「戦後民主主義」のもたらした〝芯なき惨状〟というような現実が広がっています。教育における「戦前」の否定が、「戦後」の出発だったのですが、もはや総決算の時期をとっくに過ぎていながら、依然として立ち上がっていない混迷する実態を目にすることが多いのです。

●平和をいかに、人間のための社会をいかに作るか

 開校から9年後の1982年(昭和57年)、女子学園は転機を迎えます。男子生徒も受け入れて男女共学の学校として再出発することになりました。その転換点に当たって、1978年から女子学園で教鞭をとっていた伸一の長男の正弘が、男子クラスの担当を自ら名乗り出るなど、その奮闘ぶりが描かれていきます。(231-233頁)

   そして、この章の最後に、関西と東京の創価学園についての開校いらいの足跡がまとめられ、伸一の考える「教育観」が披歴されています。

 【人間は等しく幸福になる権利を持っている。それを実現するための価値創造の教育、人間主義の教育が創価教育である。ゆえに、一人ひとりが、その実現に生涯を傾けていってこそ、創価教育の結実がある。したがって、学園出身者は、「平和をいかに創造するか」「人間のための社会をどう実現するか」といった、人類の不幸をなくすための闘争を永遠にとどめてはならない。不幸を見過ごすな!民衆を守れ!人間を守れ!平和を守れ!それこそが山本伸一の学園生への遺言であり、魂の叫びなのだ】(237頁)

   明治維新から77年後の敗戦。そして今に至る77年の苦戦。この2つのサイクルを振り返ると、あるべき「教育」の姿が浮かんできます。それこそ「幸福への価値創造をするための人間主義の教育」であり、その根底の思想を生み出しゆくものこそが「法華経」なのです。(2022-4-23)

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【66】陰の推進力あってこその「兄弟会」ー『小説・新人間革命』第17巻「本陣」の章から考える/4-17

●遠心力と求心力ー師弟不ニについての迷い

 創価学会の歴史の上で広布第二章と呼ばれる、1973年(昭和48年)が幕を明けました。伸一は、戸田城聖先生が逝去された昭和33年の冒頭に詠まれた「今年こそ 今年こそとて 七歳を 過ごして集う 二百万の民」の歌を思い起こします。この歌の由来は、7年前の昭和26年に遡ります。その年の5月3日に第二代会長に就任された戸田先生は、会員75万世帯(200万人)の達成を宣言されました。この願業は昭和32年12月に達成。うたい残された大願成就の戦いの要諦が新年に語られます。

 この「今年こそ」の一念の決意に立ち返り、伸一は再び勇猛果敢な大闘争の開始を誓ったのです。まず青年部への〝激烈な鍛え〟からこの章は始まります。(15-36頁)

 各部部長会の席上、男子部長の野村勇が伸一に以下のように質問します。「『広布第二章』を迎えて、学会は社会に開かれた多角的な運動を展開していくことになりますが、その際、心すべきことはなんでしょうか」ーこの質問こそ、当時の男子部の最大の関心事でした。社会の各分野で勝利の実証を示すために、どう戦うかと思い悩んでいたからです。

 伸一は即座に答えた。「師弟の道を歩めということです」(中略)  「君は、なぜ『師弟の道』なのか、疑問に思っているのだろう。それは遠心力と求心力の関係だよ』(16頁)

 野村勇は当時の男子部員の衆望を担ったリーダーでした。社会的に優れた人材をどう輩出するかに強い関心を持っており、後輩たちにもそれはよく分かっていました。ー「師弟の道」は分かっていますが、その上に立ってどうするかですー伸一はそんな男子部員たちの思いを代弁する野村の言動の奥底を見抜いていました。

 「遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。この求心力の中心こそが、師弟不ニの精神だ」

 生意気で増上慢な私など、このくだりこそ自分に与えられたものとの思いを強く抱きます。かつて、私は信心を円(組織)と点(人)に例えて、こう説明していました。求心力と遠心力のバランスがとれた状態が〝円周上の点〟で、遠心力が強過ぎると、点は円周上を越えて飛びだしてしまう。点は求心力を強めて円の中心に近づくことが大事。理屈でこう言いながら、一方では、それは分かってるという傲慢な命もどっかりと居座っていたのです。

●中野区での「青少年スポーツの集い」

 この年、2月4日。伸一は「中野・青少年スポーツの集い」に出席するために、区体育館に向かいました。記念撮影や懇談をしながら、伸一は集まっていた1300人余のメンバーを前に、こういいます。(44-62頁)

 「戸田先生の師子の精神を受け継ぐ中野の皆さんは、学会員の誰からも、〝中野の同志がいれば、大丈夫だ〟といわれる人材の山脈を、また、友情の万里の長城を築いていってください。そして全員が社会にあって、それぞれの分野で第一人者となり、見事なる信心の実証を示していただきたい」

 このあと、みんなに将来何になりたいかを問いかけていきます。女優、アナウンサー、国連事務総長、作家など次々と声があがっていきました。「みんなの将来の希望をメモに書いて提出してください。そして、それぞれが、自分の掲げた目標に向かって、三十年後をめざして進もうじゃあないか!」「青年は大志をいだいて社会で力をつけ、リーダーになっていくことが大事です。力なくしては何もできません。(中略) そして、これから三十年間、二月四日を中心にして、毎年、集いたいと思うがどうだろうか!」

 「中野兄弟会」はこうして誕生しました。伸一は集った青年たちに目標を自ら決めさせ、一人一人がその成就に向かってどう努力していくかを見守ることにしたのです。毎年、本部周辺などに集い、お互いの成長を確認しあっていきました。皆が感動したのは伸一の出席であり、それが叶わずとも、その深い思いが毎回うかがえたことなのです。

 「中野兄弟会」は、明年結成50年を迎えます。今もなお、毎年2月4日前に、藤井達也(モデルの実名)議長からそれぞれの現状をたずねる激励の葉書連絡が入ります。彼のもとの事務局メンバーが実態の報告をまとめ本部に提出しているのです。伸一とのあの日の誓いが持続しているのはひとえに、この事務局の重い責任感と結束のおかげなのです。伸一はそのことをこう述べています。

   【彼は自らが表舞台に立とうとするのではなく、皆の陰の力に徹する、謙虚な人柄であった。その責任感は、人一倍強く、深夜までかかって黙々と書類をまとめ、忍耐強く、懸命に皆と連携をとってきた。(中略)  物事が存続していくには、必ず、陰の推進力となって、地道に献身している人がいるものだ】

 藤井議長を間近で見てきた私は心底から、この人あっての「中野兄弟会」を実感します。(2022-4-17)

 

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【65】今に命を込める大事さー小説『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」から考える/4-12

●「頭の中にいれよ、 メモはダメだ」

 欧米の旅から5月末に帰国した伸一は、7月には東北へと足を伸ばします。大学会の結成、記念撮影会などに出席するためです。その途上に、のちに「昭和47年7月豪雨災害」と呼ばれる大雨がこの地域にも激しく襲いました。各地で次々と届く被害の報告に、的確な指示を出しつつ、激励行を重ねます。(227-274頁)

 山形での撮影会の合間に、青年時代に勤めていた大東商工の近くの食堂で働いていた婦人と約20年ぶりに再会します。当時伸一が政治、経済、法律、漢文、化学、物理学など百般の学問を個人的に受けた「戸田大学」の学舎こそ、その大東商工の入っていたビルの一室でした。ここから厳しい個人教授の様子(時に他の青年達も参加)が語られていきます。

 この中で強く印象に残るのは、戸田先生が語ったある蘭学者の体験を通じてされた話です。長崎で学んだ蘭学の全てを記録していた筆記帳を難破事故でなくしてしまい、「頭の中には何も残ってなかった」のです。「だから君たちは頭の中に入れておくのだ。メモはダメだ」ー伸一は毎回、生命に刻みつける思いで、戸田の授業を聞いた。(237頁)

 これまで私の人生でも多くのことを学び勉強する機会がありましたが、およそノートを取ったものを後で見直すことは殆どありませんでした。あの東日本大震災の時に、津波で家を始め何もかも全てを失った人が、「身体が覚えていることだけは、持っていかれてない」と新聞で語っていたことが妙に強烈に残っています。

●窮地に陥った時にどう挑むか

 豪雨災害に直面した各地に駆けつけて、伸一は会員を激励していきます。被害にあった会員から「なぜ我々はこんな目にあうのか」「どこに原因があるのか」など様々な疑問が寄せられます。問いかけへの答えのうち、つぎのものはとても印象的です。

 「長い人生には、災害だけでなく、倒産、失業、病気、事故、愛する人の死など、様々な窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。(中略)  では、どうすれば、苦難に負けずに、人生の勝利を飾れるのか。仏法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです」「人は、窮地に陥ったから不幸になるのではない。絶望し、悲観することによって不幸になるんです」(251-252頁)

   私もこれまで様々な窮地に陥ってきました。病気、父母や嬰児、弟の死などに直面しました。今も身近な家族に異常な老いや、心にまつわる各種の深刻な不都合が押し寄せてきています。つい、なぜいつまでもこんな問題に苦しまねばならないのか、との嘆きが浮上してきがちです。その都度、負けるもんかと強気の心を奮い起こし、朗々と題目をあげて身体中に勇気と強い心意気を漲らせていくようにしています。弱気に、臆病に、悲観的になることが一番の敵です。己心の魔に打ち勝つ強情な信力こそ第一と決めているのです。

●正本堂の建立と破壊

    総本山大石寺に建立寄進された正本堂。1972年(昭和47年)10月12日に完成奉告大法要が行われました。富士山を背景に聳えたつ白亜の殿堂は、今まさに羽ばたこうとする鶴の翼を広げた勇姿を思わせるものでした。その式典の一部始終から始まり、完成に至る背景が語られていきます。(274-341頁)

    14日に行われた落慶大法要の挨拶に立った伸一は「正本堂ができあがったことで、基盤づくりは終わり、大聖人が目的とされた肝心要の広宣流布の『本番』が、この十月から、いよいよ始まったわけでございます。遂に広宣流布の総仕上げの幕開けを迎えたのであります」と述べました。(323頁)

   入会して7年。社会人として3年。信心の基礎も、新聞記者の基本も先輩から叩き込まれ、これからいよいよ本格的に飛翔しようとしていた私にとって、この正本堂建立は、大きな区切りでした。学会にとって「広布第二章」の開幕。私個人の歴史においても、結婚し家庭を持った出発の時でした。あの頃の溌剌たる思いが今に鮮明に蘇ってきます。

 ところが、実はこの時から僅か四分の1世紀(26年)足らず、1998年(平成10年)6月に、正本堂は時の法主日顕によって、なんと解体されてしまうのです。

【八百万信徒の赤誠を踏みにじり、大聖人御遺命の「本門寺の戒壇」たるべき大殿堂を破壊するという大暴挙である。大聖人の法門に対する大変な反逆である】(341頁)

   【日顕の常軌を逸した、この蛮行の淵源には、伸一と会員を離間させ、会員を信者として奪い取ろうとする悪辣な陰謀があった】(342頁)

   この時から24年ほどが経ち、今や大石寺は「謗法と申すは違背の義なり」(御書4頁)と御聖訓にあるように、無惨な謗法の寺院と化しています。先年、友人の車でそばを通りました。往時とは全く違う佇まいにただ呆れたものです。(2022-4-12)

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【64】人類の今を予測した語らいー『小説・新人間革命』第16巻「対話」の章から考える/4-6

●トインビーとの対談の背景にあるもの

 この小説のほぼ半分に位置する第16巻。いよいよアーノルド・J・トインビー博士の登場です。『歴史の研究』で有名な20世紀を代表する英国の歴史学者。1972年(昭和47年)4月末に、伸一はこの人物との対談を最大の目的にして、約1ヶ月の欧米への旅にでます。この章では、まず対談の相手である同博士との関係について語られていきます。(120-226頁)

   伸一はトインビーの著作が翻訳・出版されるたびに直ちに買い求めて精読。その挑戦に刮目しました。

【まず、その学説が、従来の西欧中心型の歴史観から脱却している点に驚きを覚えた。(中略)  西欧人として無意識のうちに芽生えてしまう、偏見や優越感と葛藤しながら、虐げられた民衆の「声なき声」に耳を傾け、執筆を続けたことに、伸一は感嘆したのである】

 戦争を始めとする人類の苦悩に真正面から挑み、歴史を通して未来の平和と繁栄と幸福の方途を探り出すことに、全身全霊を傾ける同博士に伸一は強い共感を覚えたのです。そこへ、1969年(昭和44年)秋に同博士から、一通の手紙が届きます。そこには創価学会と伸一に寄せる思いが率直につづられていました。

 傑出した人物は相互に響きあうものを持つ、といいますが、一通の手紙をもとに、希代の歴史家と宗教指導者の交流が始まります。年齢の差ほぼ40。人類の未来を見据えての東西の知性の語らいを前に、学び、聞き、考え、そして動くことの重要性を心底から感じます。対談から50年。私たちも少しでも挑戦せねば、との思いがしきりに募ってきます。

●対談の3つのポイントめぐって

 対談にあたって、伸一は3つのテーマを考えました。第一に「人間とは何か」という問題。人間を多面的にとらえたうえで、「いかに人生生きるべきか」との根本命題に迫るものです。第二に、「世界の平和を実現する方途について」。人類の愚かな歴史を断ち切り、地球を平和的に統合する方法を見いだす試みです。第三に、「生命の根源に迫る」対話。縦に生命の永遠を、横に宇宙を論じる宗教・哲学論です。

 この章を改めて読むに際して、私は新たな思いでおふたりの対談を全集第3巻の最初の頁から繰りました。冒頭は人間の動物的側面、「性」についてです。上下2段650頁を超える大著がこのテーマから始まることに小さな驚きを覚えました。この対談集が『21世紀への対話』との題名で世に問われたのは、1975年(昭和50年)の春のこと。私は30歳でした。関心の高いテーマが満載されたこの本に知的興奮を覚えたものです。どこまで、読み込めたか。どれだけ身につけることができたか。「光陰矢の如し」を感じるだけ、焦りのみ多いことは抗えません。

 私が最も深く惹きつけられたところは、対談最終日の5月19日の最後の最後に、伸一が博士に「山本伸一個人に、何か忠告があれば、お願いします」と述べた箇所です。博士は「〝行動の人〟に対して〝机上の学者〟がアドバイスするなど、おこがましいことです」と、述べたうえで次のように語ります。(213頁)

 「ミスター・ヤマモトと私とは、人間がいかに生きるべきか、見解が一致した。あとは、あなたが主張された中道こそ、今後、あなたが歩むべき道なのです」一言一言に魂の重みがあった。伸一は、〝私の分まで行動してほしい〟と、博士からバトンを託されたような思いにかられた。

 この対談で「中道」をいかに伸一が強調したかが分かり、ついほっこりした思いになりました。仏教における「中道」と、ここから敷衍される政治における「中道」と。一段とその必要性が高まっています。既に幾度か触れてきましたが、政治の世界での公明党の中道主義貫徹へ、私はいま強い関心を持ち、見守っているところです。

●現在を見抜いたような「権力悪」への懸念

 今現在、世界はロシアによるウクライナ戦争の只中にあります。21世紀に入った直後にアメリカでの同時多発テロに端を発し、対テロ戦争が始まりました。また、20世紀末の湾岸戦争から、イラク戦争、アフガン戦争など相次ぐ戦争の惨禍は枚挙にいとまがありません。しかし、今度のロシアの蛮行はいささか赴きをことにします。一度はソ連の崩壊、民主ロシアの誕生との流れで、決着がついたと、思い込んでいたものが根底から覆ってしまったからです。

 戦争が語られた「対話」では、「世界独裁制の出現」を博士は予測しています。それに対して池田先生は、「きわめて大胆なご意見」とされる一方、「人類は世界的な独裁体制を出現させるに至るかもしれません」(池田大作全集第3巻402頁)と危惧を表明。人類の未来における「平和と幸福」への努力に、「最後まで残るのは権力悪の問題」だと喝破されています。

 プーチンの「権力悪」にどう立ち向かうか。人類は今まさに正念場を迎えています。(2022-4-7)

 

 

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