【67】父と娘のあつい絆ー小説『新・人間革命』第17巻「希望」の章から考える/4-23

●「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」との教え

 「来たりけり 世紀の門出の 交野校」「万葉の 花も喜ぶ 入学式」「師のもとに いのちはもえる 女子学園」ー1973年(昭和48年)4月11日、創価女子学園の入学式が行われました。中学148人、高校239人の乙女たちが北は北海道から南は奄美群島まで、全国各地から、生駒連山に抱かれるように聳え立つ交野市の学びやに集まってきたのです。伸一は入学式のその日に胸躍る思いを込めて冒頭の句を詠いました。この章では、創価女子中学、高等学校の設立前の背景から、2008年までの経緯が語られていきます。(104-237頁)

 入学式の挨拶で創立者の伸一は、「伝統」「平和」「躾」「教養」「青春」の五項目を語ります。2項目目の「平和」について、「私が今から皆さんに望むことは、『他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない』という信条を培っていただきたいということであります」と、強調しました。

 女子中学、高校生の門出にあたって送る言葉として、「平和」は他の4つに比べて異質のように思われます。しかし、伸一は「平和」といっても、日々の自分の生き方、行動の中にこそあるということを訴え、「他人の不幸の上に、自分の幸福を築かない」ーとの信条が女性の生涯を崇高なものにすると確信していたのです。

 私は今、生命のかけがえのなさを心底から叫びたくなる衝動に駆られ続けています。平々凡々と生きて来たわけではないのですが、過ぎゆく時の流れに思わず待ったをかけたくなる心情を如何ともし難いのです。そんな私は出来る限り若者と接触すべく心がけています。かつて尊敬する大先輩から、「日々子どもと闘って若いエネルギーを貰っている」と聞き刺激を受けたことがありますが、いま改めてその記憶が蘇ってくるのです。

●〝教育の芯〟をどこに求めるかの「77年」

 女子学園の開校3年目。1975年(昭和50年)の入学式には全六学年が揃いました。この時に、創価高校、創価大学の一期生3人が新任の教師として赴任してくるのです。3人とも高校時代から創立者の伸一に接し、教育への燃ゆるが如き熱情を感じ、人間教育の素晴らしさを知りました。そして後輩の育成をすることで、師の恩に報いたいと、教師の道を選んだのでした。「苦労して植えた種子が今、芽吹き始めたことを感じて、たまらなく嬉しかった」伸一の心情が語られていきます。(195-197頁)

    翌1976年(昭和51年)3月、初めての卒業式を迎えます。卒業生代表の答辞が胸を打ちます。「山本先生は、『希望の乙女像』を指して『姿は女王、心は勇士』と教えてくださいました。優しくて聡明な女性として、しかも、人間としての芯を確立した、不動の人生ー。私たちにとってその芯こそ、学園で生命に築いた〝父と娘の絆〟なのです」ー弟子の道を歩みゆこうとする、乙女たちの深い決意が伝わってくるのです。(208-209頁)

   「教育」の重要性。私たちは常日頃から聞き、口にします。しかし、戦後77年の日本は、いわゆる「戦後民主主義」のもたらした〝芯なき惨状〟というような現実が広がっています。教育における「戦前」の否定が、「戦後」の出発だったのですが、もはや総決算の時期をとっくに過ぎていながら、依然として立ち上がっていない混迷する実態を目にすることが多いのです。

●平和をいかに、人間のための社会をいかに作るか

 開校から9年後の1982年(昭和57年)、女子学園は転機を迎えます。男子生徒も受け入れて男女共学の学校として再出発することになりました。その転換点に当たって、1978年から女子学園で教鞭をとっていた伸一の長男の正弘が、男子クラスの担当を自ら名乗り出るなど、その奮闘ぶりが描かれていきます。(231-233頁)

   そして、この章の最後に、関西と東京の創価学園についての開校いらいの足跡がまとめられ、伸一の考える「教育観」が披歴されています。

 【人間は等しく幸福になる権利を持っている。それを実現するための価値創造の教育、人間主義の教育が創価教育である。ゆえに、一人ひとりが、その実現に生涯を傾けていってこそ、創価教育の結実がある。したがって、学園出身者は、「平和をいかに創造するか」「人間のための社会をどう実現するか」といった、人類の不幸をなくすための闘争を永遠にとどめてはならない。不幸を見過ごすな!民衆を守れ!人間を守れ!平和を守れ!それこそが山本伸一の学園生への遺言であり、魂の叫びなのだ】(237頁)

   明治維新から77年後の敗戦。そして今に至る77年の苦戦。この2つのサイクルを振り返ると、あるべき「教育」の姿が浮かんできます。それこそ「幸福への価値創造をするための人間主義の教育」であり、その根底の思想を生み出しゆくものこそが「法華経」なのです。(2022-4-23)

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