Monthly Archives: 5月 2022

【73】激変する世界の今を生き抜くー小説『新・人間革命』第18巻「飛躍」の章から考える/5-29

●「大悪起これば大善来る」の現代的意味

 前年からの第四次中東戦争、石油危機に始まる世界経済の激動の中で、1974年(昭和49年)は幕を開けました。新年の勤行会に集った会員を前に、伸一が「減劫御書」の次の一節を拝読するところから始まります。

 「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮堤うちみだすならば閻浮堤内広令流布はよも疑い候はじ」(1476頁)    大聖人のご在世当時にも、大地震、疫病、蒙古襲来などと、今と同様に、いやもっと厳しい状況が日本を襲っていました。その中で「決して、悲観すべきはでない、むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来する」と宣言されているのです。(291頁)

   【伸一は、 激動する社会にあって、「大悪」を「大善」に転じ、広宣流布を実現していくには、〝如説修行〟すなわち、仏の教え通りに修行し、信心に励むことの大切さを訴えねばならないと思った。】とあります。ここを読むに際して、私は「個と全体の問題」があろうかと思います。個人としていかに真剣に祈り動いても、社会全体を動かす力に連動せねば、事は成就しません。一方、全体としてどんなにまとまっても、正しい仏法に基づいたものでないと、意味をなさないのです。

 ここでは、「広く文化活動、社会活動を推進し、『世間法』との関わりを、深く、密にしていくことになります」(294頁)と述べられていますが、私は今に当てはめると、政治選択の重要性を意味すると思います。大聖人のご在世当時の蒙古襲来に匹敵することがいつ何時起こるかもしれません。緊迫する国際情勢の中で、日本の舵取りを的確に進めていく政党はどこなのか、が問われる選挙が重要になってきます。「安定」を叫ぶ自民党と「改革」を重視する公明党の連立政権が〝よりまし〟選択をもたらすと確信します。〝大悪〟の到来を防ぐ、賢明な政治の現代的展開によって、〝大善〟がもたらせられると思います。

●憲法3原理の厳守と、時代の変化への「補強、調整」の必要性

 次に舞台は1月20日の第22回青年部総会に移っていきます。ここでは野村勇男子部長の「『社会の年』と青年部の使命」と題する話での、「平和憲法の擁護」が注目されます。そこには、伸一のかねての問題提起を受けての、青年部の総意が反映されていました。

 【もちろん、時代も、社会も大きく変化していく。それにともない、長い歳月の間には、条文の補強や調整が必要になることもあろう。しかし、日本国憲法の精神それ自体は、断じて守り抜かなければならないというのが伸一の信念であった。】(314頁)

  現在の公明党の憲法についての姿勢は、このくだりを明確に意識しています。かつて私は公明党憲法調査会の座長として、太田昭宏同会長らと共に、環境権など新しい条文を明記する「加憲」を推進していきました。それこそ「補強、調整」に当たります。基本的人権、国民主権、恒久平和主義の3原理を守ることは言うまでもないことです。その上に立って、変化する時代、社会に呼応する適切な行動であると、確信しています。

●香港の今を考える

 ついで伸一は1月26日に10年ぶりに香港に出発します。5泊6日で、香港広布13周年の意義をとどめる記念撮影会などの行事への参加、創価大学の創立者として、香港大学、香港中文大学への公式訪問などが予定されていました。この香港への旅はまた、「言論・出版問題」などの悪影響を被っていたマスコミの批判などへの正しい認識をもたらす目的もありました。内外の課題について、懸命に手を打っていく伸一と、それに呼応する現地会員たちの麗しい師弟の絆に、感動を禁じ得ません。(326-395頁)

  そんな中で、香港男子部長の梶山久雄が、香港の地で広布に生きるために自分の名前を中国名に変えたいとの相談を伸一にする場面が登場、心を打たれます。伸一は、香港の人になりきろうとする彼の心意気に深い感銘を受けつつ、「腰掛けのつもりでいたのでは、その地域の広宣流布を本当に担うことはできない。骨を埋める覚悟がなければ、力は出せないものだ」といいました。さらに、【己のいるその場所で、深く、深く根を張ることだ。信頼を勝ち取ることだ。そうすれば、断崖絶壁のような逆境にあろうとも、いつか必ず勝利の花を咲かせることができる。】(371-372頁)

 今香港の会員は「断崖絶壁のような逆境」にあるのではないかと、私は密かに推測しています。「一国二制度」から、北京中央政府が直接支配する非自由な社会になってしまったからです。この状況こそ、21世紀の世界広布の前途を占う正念場だといえます。一方、中国各地の大学に付設された池田大作思想研究所の存在もあり、一縷の希望も持っています。勝利の花を咲かせるべく戦う、会員たちの姿を思い浮かべながら、エールを送るしかありません。(2022-5-29)

 

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【72】続く現代の脅威を見据えてー小説『新・人間革命』第18巻「前進」の章から考える/5-23

●四国での学生部員の〝戦いと死〟をめぐる、深く重い〝顕彰〟

 1973年(昭和48年)11月、伸一は四国指導に赴きます。ここでは冒頭に、聖教新聞購読の戦いに懸命に取り組む愛媛の会員や〝無冠の友〟(配達員)の奮闘ぶりが描かれていき、四国文化会館へと場面は移っていきます。

 同会館の前の二本の桜。そのうちの一本は、愛媛で学生部グループ長をしていた岡島喬雄の遺徳を顕彰するために植樹された木でした。彼は、愛媛大学を出て高校の教師になって5ヶ月後の1969年(昭和44年)9月に23歳で亡くなっています。座談会に友を誘うべくバイクで向かっている途上に軽トラックにはねられた不慮の事故でした。伸一はこの時の訪問で、その木々の前に立ち、語りかけるところから始まります。(226-244頁)

 父親の勧めで高校2年の時に創価学会に入会していた岡島は、腎臓の機能障害始め幾つかの病を抱えた、病弱な身体の青年でした。当初は信仰に真剣に向き合えず悩むだけだった彼が、会員の激励に立ち上がっていきます。そしてやがて思索を深めつつ、学生部活動、聖教の通信員と全てに果敢に挑戦していくようになりました。この辺りの心の推移を彼は日記に書き続けていましたが、ここでは逐一それが紹介され、胸打つのです。

 学生部の友人たちが温かい励ましを続けた様子が描かれていきます。とりわけ、彼が深い信頼と尊敬を寄せたのが部長でした。彼から広布への責任感と信心への確信、同志を思いやる心の大切さを学んでいきました。【彼は、部長のIさんについて、こう日記に記している。「Iさんの顔を見るのが楽しい。絶対に安心してついていける人だ。私はこの人を知ったことにより、私の人間革命は大いに駒を進めた」人間が精神を磨き鍛えて、成長していくには、触発が不可欠である。それには、良き先輩、良き同志が必要である。ゆえに学会という善の組織が大切なのである。】

 私はこの岡島青年の立ち居振る舞いを読んで驚きを隠せません。昭和40年頃の学生部員の戦いぶりが彷彿として甦ってきます。彼と私は同い年。腎臓病(私は肺結核)、入会時期(私は大学一年)、親の信心(私の方は未入信)と、微妙な違いはあるものの極めて境遇が似通っています。日記も「埋没抄」と銘打って書いていました。グループ長や部長の励ましが55年の歳月を超えて甦ってきます。事故死に遭った彼の無念が心底偲ばれます。

 実は彼が慕いぬいた「I部長」のモデルは、私が尊敬してやまない新宿の石井信二先輩です。私たちは職場は違えど同じ本部職員(私は公明)でした。この50年の間、陰に陽に激励を受けてきましたが、私が引退後一段と、触発されています。信心の軌道を外すなとの思いやりを電話の声から常に感じます。心底凄い人だと思います。

 当初、この箇所だけ、なぜ「I部長」とイニシャルになっているのかと考えました。岡島君は本名を書いたはずです。暫くして、ここに学会の真実、伸一の本意があると深く気付きました。浅はかな自分を恥じました。

●中東戦争からウクライナ戦争へ、現代世界の脅威未だやまず

 この年、10月にアラブ諸国とイスラエルが戦争に突入し、第四次中東戦争が始まります。ここから、関連諸国や国際石油資本が原油価格の大幅な値上げに相次いで踏み切り、たちどころに資源小国・日本は多大な影響を蒙ります。いわゆる「オイルショック」の到来です。この石油危機を契機に時代はインフレと不況に絡めとられ、日本経済が大きな転機を迎える中で、庶民の暮らしは激しさを増していくのです。

 伸一は、そんな状況のなか、11月23日の品川区幹部会に出席して30分のスピーチをします。社会の激動、混乱の奥に潜む根本原因について、日蓮大聖人の諫暁八幡抄の一節を通して、語っていきます。(269-275頁)

 【大聖人は、人々の「正直な心」が失われ、人の道にも、仏法の道にも外れてしまったがゆえに、八幡大菩薩は去り、社会は不幸の様相を呈したと指摘されている。】➖伸一は、結論的に、「私たち(法華経の行者)の戦いによって、人々が正法に目覚めていくならば、八幡大菩薩をはじめ、諸天善神は再び帰り、その働きを示してくれる」との原理を断言するのです。

 このあと、歴史学者トインビー博士の「人類の生存に対する現代の脅威は、人間の一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」との言葉が引用されています。伸一とトインビーの歴史的対談が行われてちょうど50年の節目を迎えた今日、「ウクライナ戦争」が勃発。「第四次中東戦争」等のときと同様に庶民の暮らしに大きな悪影響が続いています。私たちは人類の「心の中の革命的な変革」=「人間革命の戦い」未だならず、を改めて自覚せざるをえません。歴史は善の方向に直行するのでなく、蛇行、逆流が常だということも。(2022-5-23)

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【71】生あるうちにこそー小説『新・人間革命』第18巻「師恩」の章から考える/5-17

●白糸会での入魂の指導

 人材育成に強く深い思いを抱いていた伸一は、来る日も来る日も焦点を強く絞って動いていました。1973年(昭和48年)8月の夏期講習会では、5年前に結成していた白糸会の3回目の集いに出席し、一メンバーと三度めになるボートに乗り、皆との懇談で入魂の指導をします。結成からの経緯に触れられていきます。(102-127頁)

   小さな滝の前で、伸一は「一高寮歌」を歌おうと呼びかけます。皆は力強く歌い出すものの、途中できこえなくなってしまいます。歌詞がうろ覚えだったのです。それについて伸一は次のように語ります。

 「しょうがないな。何事も中途半端ではだめだ。どんなことも、途中でやめてしまっては、なんの役にも立たない。物事は徹することだ。やり遂げることだよ。最後までやり遂げた人こそが勝利者なんだ。戦い続ける人が仏なんだ」それから伸一は、真剣な表情で語った。「私は、生涯、何があっても、命の燃え尽きる日まで、広宣流布の道を歩み抜きます。それが私の誓いです。(108頁)

   昭和43年に結成された白糸会は、当時の男子部・隊長(地区責任者)、年齢は25歳以下との条件のもと、全国の代表55人で構成されていました。この当時、大学会の結成が全国で相次いでいましたし、東京各区での撮影会を通じ兄弟会も作られていましたが、そのいずれとも違う特徴(庶民の、土着の強さ)を持った青年たちの集いでした。このほかにもありとあらゆる人材を育てる目的をもったグループが作られていきました。

 白糸会は、結成時最高年齢だった人は、今79歳。「青春時代の誓いを断じて果たそう」「山本先生の恩に報いよう」と、日々頑張っています。直接薫陶を受けたそのような人が、各地での一度も師匠と会えないままの人たちに、いい影響を、刺激を与えているでしょうか。そのことこそが今最も問われていると思います。

●広布途上に逝いた人たちへの祈り

 夏期講習会のあと、伸一は、ハワイ、神奈川を訪問した後、9月8日に北海道に飛びます。ここでは13年ぶり3度目の恩師の故郷・厚田村訪問の様子が語られていきます。(129-157頁)  と同時に、北海道女子部長だった嵐山春子の13回忌法要に出席し、この日発刊された彼女の戦いを追悼する書『北国の華』のことが触れられるのです。

 伸一の追悼の一文は、「一瞬に永劫の未来を込め、私は再び爽やかな告別の歌を、新生の、地涌の讃歌を送りたい。嵐山さん、どうか、やすらかに。そしてまた、悲しみのなかから毅然と立った春子さんのおかあさん、妹さん、弟さん、お元気で➖。あなたは再び、〝生〟ある人として、広布第二章の戦列へ、欣然と加わっていることだろう。かたみを宿す嵐桜は、永遠に、北海道の妙法回天の旅路を見続けることであろう」と、結ばれていました。

 私のような人間でさえ、日々の勤行の追善の際に、先に逝いた先輩、後輩、同志の数が増え広がっていきます。伸一の思いを重ね、それぞれの人たちへのあの日あの時のことが思い起こされ、決意新たになるのです。

●日御碕灯台に立って

 更に、伸一は9月16日には島根、鳥取の「`73山陰郷土祭り」に向かいます。17日に島根県出雲市の日御碕(ひのみさき)灯台近くに立ち寄り、岬の下での雄大な景色を眺めつつ、次の御書の一節を。思い返します。

「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神は我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云うところあり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり」(879㌻)  この御書の一節を通し、「出雲をはじめ山陰地方は、その伝説のうえからも、景観のうえからも、光り輝く太陽の国といえる。ここに生きる人びとがその自覚をもち、郷土の建設に取り組んでいくならば、新時代をリードする、山河光る希望の天地となるにちがいない」と、伸一は断じます。

 実は、昨年末に私は出雲市の中小企業経営者の皆さんとご縁ができました。信仰は異にしますが、思いは同じ。私ももう一度この伝説の地・出雲から、地域おこし、この国おこしに取り組もうと決意しました。この地で、『77年の興亡』の出版を思い立ったのです。

 ●小学校時代の恩師への思い

 伸一は、栃木県幹部総会に訪れた11月6日に、自身の小学校時代の恩師檜山浩平先生と会い、感動の語らいをします。(189-200頁)  その場面にあって、次のような伸一の思いを込めた一節が深く心をうつのです。

 「お世話になった先生の恩には、生涯をかけて報いていこう」「自分が教わった教師全員に、強い感謝の念をいだき、深い恩義を感じていた」

 「親孝行したい時には親はなし」と同様に、お世話になった先生も私の場合、もはやほんの僅かの現実に愕然とします。人生は短いことを改めて思い知り、若き後輩たちへの激励を代わりにしようと決意しています。(2022-5-17)

 

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【70】「師弟と御書」という原点ー小説『新・人間革命』第18巻「獅子吼」の章から考える/5-11

●映画『人間革命』の制作の背景

   映画『人間革命』を初めて観たとき、深い感動と共に、とても愉快な気分を私は抱きました。折伏や座談会の場面で、日常的に使っていた仏法用語がばんばん出てきて、あたかも裏方が檜舞台に出てきたかのように思えたのです。この章は、1973年(昭和48年)7月7日に行われた東宝スタジオでの試写会の模様から始まります。

 日本を代表する脚本家の橋本忍氏がこの映画のシナリオを引き受けてくれたところの記述が胸を打ちます。その決断は、映画「人間革命」を通して、人間の「心」を探究し、それを示すことによって混迷した現代社会の闇を晴らしたい、その思いから、でした。「山本伸一の講演集などを読むなかで、人間が自己の欲望をコントロールし、自律するところに、新しい文明、文化の創造の道があるという伸一の考えに、強く共感した。さらにその方途が『十界論』にあると、彼は確信したのである。」(16頁)と。

  地獄、餓鬼、畜生界から始まり、菩薩、仏界に至る「十の生命の働き」については、創価学会に入った誰しもが最初に耳にし、教えて貰う仏法法理の登竜門です。私もなるほど、とがてんし、幾度も幾度も友人に話してきています。私の場合は、「早朝に満員電車の中に飛び込んだサラリーマン」の場合に例を取って〝十の範疇〟の説明をして、悦にいっていました。映画では、戸田先生に扮した名優・丹波哲郎が熱演しています。

 映画の脚本作りに際しては詳細な資料収集が必要でした。その役目を担ったのが本部渉外部長・鈴本琢造たちであったことに触れられています。このモデルこそ、私が大学時代に肺結核で悩んでいた時に激励をしてくれた人でした。雨の降る日に中野・鷺宮の会場O宅の前で、濡れるといけないよ、と傘をさしかけてくれたことは、大袈裟だなあと、思いながらも忘れられない優しい心遣いでした。昭和43年初頭のことと記憶します。

●心が離れた聖教新聞記者たちへの思い

  この頃、「言論・出版問題」の後遺症とも言えるような深刻な事態が、聖教新聞の記者の一部に起こってきていました。これには「創価学会への確信を失い、広宣流布の情熱を失った記者の精神は、あまりにも空虚であった」とされ、伸一のあらゆる観点からの指導、激励が続けれていく様子が語られていきます。(40~60頁)

   【広宣流布の尊き最前線の学会員は、「言論・出版問題」で、学会員がどんなに非難中傷され、いわれなき悪質な喧伝がなされようが微動だにしなかった。(中略)  自分も体験をもち、身近な人たちの体験を共有してきた壮年や婦人には、仏法と学会への確固不動の確信があった。しかし、心揺らいだ記者たちは、いわゆる苦労知らずであり、確たる信仰体験に乏しかった。そのため信仰の根っこがなく、基盤が脆弱だったのである。】

 この当時、ほぼ同世代の記者たちの中から、残念な人が出ていたことを噂で聞きました。改めて、自身の信仰体験の尊さに深い感動をし、己が使命を自覚したものです。私が担当していた高等部員たちにも、親の信仰の後を継いだだけの2世が多かったため、「大事なのは信仰体験だよ。自分にないと思う人は、御本尊に、体験を掴ませてください、この信仰の偉大さを実感させてくださいと、拝むんだよ」と始終強調していました。

 ここでは、日蓮大聖人の「御義口伝」の「第五作獅子吼の事」が引用され、深く印象に残ります。(51頁)「師とは師匠授くるところの妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり 作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり」(御書七四八㌻)

  これは法華経勧持品の「仏前に於いて、獅子吼を作して、誓言を発(おこ)さく‥‥」(法華経四一七㌻)のお言葉で、「一言すれば、師から弟子へと仏法が受け継がれ、師弟が共に題目を唱え、広宣流布の戦いを起こすことが、『獅子吼を作す』ことになる」と、「その中核こそ、本部職員であらねばならない。そして仏法の正義を叫び、人類の幸福と平和の道を示す聖教新聞は、師弟共戦の獅子吼の象徴である」と力説されています。

 「師弟」論を考えるにつけ、思い起こすことがあります。ある友人が、「仏法修行において、師の重要性は分かるけれど、とても御書通りの実践は難しい。池田先生のような凄まじい戦いは自分には出来ない。遠くから祈り、自分なりにやるほかない」と言ったのです。これは結構よく見受けられる考え方です。私の心中にも同調する思いが浮き沈みしないと言ったら嘘になります。

 これについては、中心に一歩でも二歩でも近づこうとする姿勢が大事だと思います。それがないと、結局は惰性に陥ってしまい、本来の軌道から外れてしまいます。それを防ぐためには、「自分なり・遠巻き」論ではいけないのだと、自らに言い聞かせています。(2022-5-11)

※この項、公開するのが遅れてしまいました。(5-17)

 

 

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【69】完全燃焼こそ蘇生の源泉ー小説『新・人間革命』第17巻「緑野」の章から考える/5-7

●深夜の6分間の停車

 東京都内各地での記念撮影会を終えた伸一は、1973年(昭和48年)5月に欧州に旅立ち、帰国後の6月5日の福井を皮切りに、岐阜、群馬、函館と次々に訪れます。それぞれ各地で深い絆を会員と結ぶ姿が描かれていきます。まず、福井では13年前の1960年2月の忘れられぬ出来事が語られます。(336-341頁)

 それは、京都から金沢に向かう列車の敦賀駅での6分間の停車時間に起きたことでした。伸一が乗った列車が午前2時半頃に着くと知った50人ほどの人々が、一目お会いしたいとプラットフォームに集まってきていたことが発端でした。みんなの気持ちは痛いほどわかるものの、周囲に迷惑をかけ顰蹙を買うようなことはしてはならないとの判断から、伸一は車内から外に出ず、代わりに同行していた十条が皆に会い、その思いを伝えました。この時の自身の対応に「やはり、一目でも会うべきでなかったか‥‥」と、悔やむ思いを持ちます。

 【すべての責任を担って、「最善の道」をめざそうとすればするほど、反省は尽きなかった。だが、そのなかで人間は磨かれ、自己完成への歩みを運ぶことができるのだ。『悔恨がないのは、前進がないからである』とは、トルストイの達観である。伸一は、以後、福井を訪問するたびに、『敦賀の駅にきてくれた人』のことを語り、感謝の意を表してきたのである。】

 私は年中反省することが多いのですが、その都度、宮本武蔵の「我事において後悔せず」との言葉を思いだし、その失敗、逡巡を忘れようとします。しかし、ここでは悔恨を前進の糧にしようとする姿が窺え、ほっとします。

●身体のハンディと幸福感

 6月7日は岐阜へ。文化祭での「郡上一揆」を題材にした、創作劇『一人立つ』で主人公に扮した目の不自由な青年・長松正義のことが語られていきます。(359-369頁)

   【入会前は著しく乏しい視力で生きねばならないことを嘆き、自らの宿命を呪う毎日であった。しかし、信心に励むなかで長松は、そのハンディをかかえながら、最高の仕事をし、幸福になることに、自分の使命があることを自覚したのである。ヒルティは断言する「試練は、将来われわれの上に咲き出ようとする、新しいまことの幸福の前ぶれである。】(367頁)

    私の入会前の問題意識は、「身体的ハンディと人生の絶対的不平等」でした。しかし、入会後に、この長松のような問題を抱えた同志を幾人も見てきました。「自由グループ」「自在会」などと命名された障がいを持った人たちです。彼らと交流するたびに、強い刺激を受けました。人間は一念のありかしだいで、自由にも、不自由にもなることに、発奮したものです。

●完全燃焼の大事さ

   聖教新聞岐阜支局での伸一と記者、通信員との語らいでの二つの場面が強く印象に残ります。一つはどうやって睡眠時間を確保するか。もう一つは、言論の大闘士について。それぞれ次のように述べています。

 前者は、「それには一瞬一瞬、自分を完全燃焼させ、効率的にやるべきことを成し遂げていくことです。人間は一日のうちで、ボーッとしていたり、身の入らぬ仕事をしている時間が、結構多いものなんです。そうではなく、『臨終只今』の思いで、素早く、全力投球で事にあたっていくんです」(375頁)

   先日、兵庫に応援に来てくれた尊敬する大幹部と懇談した際に、優れた芸術家は健康で長生きする人が多いということで、意見が一致しました。彼の発言の背景にはこの伸一の発言があると見られました。私は「ものごとに熱中して、没我の状態に長くあることが人生を健康で豊かなものにする」との持論を述べたものです。

 後者は、「広宣流布は言論戦なんだから、青年は言論の力をつけなくてはならない。そのためには、優れた論理展開の能力を培うことも大事だが、句や歌で、的確に心を表現する力も必要です。」(379頁)

  長文と短文と、そして論理展開と感情表現と。文章力修行に王道はありません。努力、努力また努力なんでしょう。熱中して自我を忘れるほど完全燃焼のときを持つことが人間を甦らせるとは、不思議なことです。

●音楽は世界の共通語

 以上のことは、次の群馬でも強調されます。伸一は、群馬交響楽団のメンバーとの懇談で以下のように発言しています。

 「それぞれの立場で人間文化の花を咲かせ、社会に貢献していくことが、仏法者の使命なんです。そして、そのためには常に自分の魂を燃え上がらせ、〝さあ、今日も頑張るぞ!〟という、満々たる生命力をたたえていかなければならない。その源泉が題目です」(396頁)

 「音楽は人間と人間の心を結ぶ、世界の共通語」「歓喜の共鳴音」と、続きます。先日『今こそ平和の響を〜ウクライナ侵攻と芸術家たちの闘い』をTVで観ました。「戦争」で沈む世界に、音楽の重要性を感じました。(2022-5-7一部修正)

 

 

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