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【75】失敗こそ大勝利の因ー小説『新・人間革命』第19巻「凱旋」の章から考える/6-11

 

●ブラジルの入国拒否という障壁

 世界広宣流布への行く手に一つの障壁が立ちはだかっていた➖1974年(昭和49年)3月、アメリカからブラジルに入るべく、ロサンゼルス・マリブ研修所に伸一はいましたが、同国からビザ(査証)が発給されなかったのです。この国には8年前に初訪問した際にも、常に政治警察の監視の下での行動を余儀なくされていました。同国に深く充満していた創価学会への誤認識があったのです。それが未だ続いていました。(105-111頁)

    ブラジルに入ることを断念した伸一は、斎木安弘ブラジル理事長に断腸の思いで以下のように激励します。

 「勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。ブラジルは、今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ。また、そうしていけるのが信心の一念なんだ」

 ブラジル創価学会の同志の皆さんがこの時の悔しさ、無念さを胸に秘めてその後凄まじい闘いを展開して、見事に変毒為薬したことは30巻下「誓願」の章に登場します。負けた時に大・大勝利の因を作ったのです。

 私は初めての選挙(1990年)に出て落選しました。「常勝関西」と言われている地で、一敗地にまみれたことはショックでした。多くの皆さんに悔しい思いさせてしまったことを深く恥じ、反省しました。すべて「ご仏智」であり、「きっと何か大きな意味があるはず」と前向きに捉えて、再起を誓いました。あれから30年余。勝利の連続を刻印出来ました。今は全国屈指の兵庫参院選の大勝利を固く期しています。

●ブラジルからパナマへの訪問先の転換

 ブラジルへの訪問が難しくなって、直ちに一行の訪問先はパナマに変更されました。この国は太平洋と大西洋、また南北アメリカを結ぶ、文明の交差点ともいえる要衝の地。それを現実のものにしたのがパナマ運河です。かねて憧れを抱いていた伸一は、それまで交流の少なかった両国関係を転じ、相互理解のための人間交流に道を開こうと意欲を燃やします。

 この時の緊急パナマ訪問で、当初は要らなかった(ブラジルはポルトガル語の国)スペイン語通訳が必要となりました。ペルーの担当としてリマに入っていた吉野貴美夫が急遽パナマに呼ばれて、その任に就くことになります。ここでの通訳にまつわるエピソードはまことに興味深いものです。吉野のスペイン語通訳について、「6割くらいしか先方に伝わっていない」との評価に、本人は〝申し訳ない。私が先生の通訳をするなんて無理だったのだ。通訳を代えていただくしかない‥‥〟と打ちのめされる思いでした。

 ところが、伸一からは「私の通訳を初めてやって、六割も伝えることができたのは彼だけだよ。すごいね。すごいじゃないか!自信をもってやりなさい」と、思いがけない言葉が発せられたのです。伸一は、「トインビー博士との対談以来、世界の知性との交流、世界広布のためにも本格的な各国語の通訳の必要性を痛感して」おり、自らの手で通訳の育成をするしかない、と決意していたのです。こう庇って貰った吉野は、その心に応えようと固く決意をするのでした。

 この時以来、吉野は奮起します。のちにラカス大統領の通訳を英語かスペイン語かどちらを選択するかとの大事な場面が訪れます。両方の言語が通訳され、大統領がどちらの言葉で答えるかが注目された場面が印象に残ります。「吉野の声はひときわ大きかった。生命力みなぎる彼の声に共鳴するかのように、大統領の口から発せられたのはスペイン語であった」との描写に、思わず読むものも拍手したくなりました。(142頁)

   私はこんな大舞台に直面したことはありませんが、人を育てる時の指導者のこころと、それに応える弟子の心意気をここから学びました。大事な時には、自信を持って大きな声でいこう、と。

●ペルーでの大学間交流の始まり

 パナマから訪れたペルーは、8年前にもブラジル同様に厳しい警察の目が向けられていました。そうした中、感動的な場面が語られていきますが、サンマルコス大学でのゲバラ総長との会見が最も大事なものだったと思われます。(183-193頁)

   そこでは「新しい大学像とは」「教授と学生の断絶について」「学生自治会の運営について」など、創価大学創立以来、伸一が熟慮してきた問題が取り上げられました。これらはまた、同大学においても直面する最も大事なテーマでした。その場で伸一は「教育国連の構想」を語り、「世界大学総長会議」の開催を提案したのです。

 この時の語らいが後に南米の大学からの伸一への最初の名誉博士号贈呈のきっかけとなっていきました。青年の育成に最も深い関わりを持つ大学相互の交流がこうして始まっていくのです。(2022-6-11)

※今回より1ヶ月休載します。

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【74】挑戦、挑戦、また挑戦ー小説『新・人間革命』第19巻「虹の舞」の章から考える/6-4

●沖縄復帰後初の訪問

 今年2022年は、沖縄が本土復帰して50年ですが、48年前の1974年(昭和49年)は、沖縄広布20周年の佳節にあたっていました。伸一は、この年2月2日、7度目の沖縄訪問をします。復帰後初めてです。沖縄本島だけでなく、石垣島、宮古島など離島をも訪問、8泊9日に及ぶ渾身の指導の様子が語られていきます。(8-16頁)

 那覇空港に着くなり、幹部たちから復帰後の厳しい環境にも関わらず、新たな心意気が述べられました。これに対して伸一は新時代への対応としての心構えを語る一方、沖縄本部で未来部員に対して激励をします。

 「状況や事態は刻々と移り変わっているし、時代も人びとの感性も変化している。したがって、広宣流布を進めるうえでも、常に挑戦を忘れてはならない。『月月・日日につより給へ』(御書1190頁)です」(12頁)

 「指導者となる諸君には、生涯、労苦という尊い荷物を引っさげて生きる決意がなくてはならない。人びとのために、勇んで労苦を引き受けてこそ真の指導者です。さらに、労苦は自身を磨く研磨剤であり、最大の財産です。どうか、苦難に挑み、雄々しき師子の道をたくましく進みきってもらいたいのであります」(14頁)

 常に挑戦を忘れるなとの激励です。時代や人間の感性の変化にも、対応していくにはこちらの感性を研ぎ澄ませていく必要があります。毎朝夕の勤行の際に重ねる思索の大事さ、時に応じて目にする情報に鋭敏なアンテナを張り、自分の頭で考えることの重要性を認識します。常に楽をしようと思ってしまう自身の生命の傾向性を反省します。「勇んで労苦を引き受けてこそ」との師の励ましを受けた子どもたちに思いを馳せました。

●石垣、宮古島などにも

 初めて訪れた石垣島で、伸一は20年後、30年後は「日本のハワイ」として必ず脚光を浴びていくと、断言し、次のように語りました。

 「そうした時代になればなるほど、八重山の自然や伝統文化を守ることが大事になります。経済的な豊かさばかりを追い求め、自然を破壊し、伝統文化を失っていくならば、本末転倒であり、八重山の生命線を断つことになる」「人生にはさまざまな困難や苦悩がある。真実の幸福は、いかなる事態に直面しても、決して負けない、強い心をもつ以外にありません。さらに、日々、歓喜し、感動し、感謝できる、豊かな心を持つことです」(38頁)

   石垣島には私も過去に三たび訪れたことがあります。素晴らしい自然風土に圧倒されたものです。ここでの激励は、目先の利益を追い求めるばかりでは、足下が崩れることになってしまうと指摘、しっかり石垣島本来の歴史文化伝統を守りゆくことを強調されています。その基本が、「強い心」と「豊かな心」にあるとの励ましには、胸打たれます。70歳台半ばを超えた自分は今も、「弱い心と貧しい心」との格闘の日々だからです。

 次に宮古島に移った伸一は、宮古伝統文化祭に出席、平良市民会館での「久松五勇士」の感動的な演技を観賞します。「この美しい美しい宮古が、豊かな人間性に潤う『永遠の都』として『人間の平和と幸福の都』として栄えゆくことを、心から念願いたしております」と述べ、頭がくらくらするなか、自らを鼓舞して激励を重ねたのでした。

【人の心を打つのは、話術の巧みさではない。美辞麗句でもない。〝君よ立て!〟との、生命からほとばしる必死の思いが、友の心に働きかけるのだ。励ましとは、炎の一念がもたらす魂の触発なのである。】(56頁)

 私も幾たびか池田先生の友への励ましの場面に出会い、私自身にも凄まじい激励の言葉をいただきました。1968年(昭和43年)4月26日に、「しっかり信心するんだよ!でなければ、死ぬよ!」との一言は衝撃でした。肺結核の宣告を受け、先生の指導を直接受けながらも、いい加減な一念を見破られての別れ際の言葉でした。

●新たな人材育成へ、「高校会」の結成

 宮古訪問を終えて、2月6日に那覇に戻った伸一は三大学会の合同総会に出席します。そこで、エリートは民衆に君臨するためにいるのではない、民衆に支え、守るためにいる➖このことを、絶対に忘れてはならない、と訴えたあと、「高校会」結成の構想を発表、以下のように述べたのです。

 「高校生のなかには優秀であっても、経済的な事情などで、やむなく大学進学を断念せざるをえない人もいるでしょう。特に大都市に比べ、離島ではそういうケースが多い」「妙法の同窓会ともいうべき『高校会』が軌道に乗るならば、将来の学会にとっても、さらに社会にとっても、大きな意味を持つものであると、深く確信しています!」(72頁)

 当時、高等部担当幹部だった私は、池田先生の着想止まるところ知らず、と大いに感激したものです。今、地方の「高校会」の存在について、その後の発展状況を追う必要を痛感しています。(2022-6-5)

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