【80】中国首脳との深くあつい出会い──小説『新・人間革命』第20巻「信義の絆」の章から考える/8-10

●周恩来首相との感動的、劇的な出会い

 ソ連訪問から2ヶ月ほどが過ぎた1974年(昭和49年)11月中旬。中国の北京大学からの招待状が伸一に届きました。12月2日の2回目の訪中までに伸一は、第一次訪中の感想を述べた著作(『中国の人間革命』)の執筆など、「日中友好」の絆を深めるあらゆる手立てを講じていました。この章の冒頭は、両国の関係改善から強化について、心の配り方について、深く考えさせられる示唆に富んだ内容です。(297-326頁)

    中ソの関係悪化という背景を受けて、両国の間を取り持つ糸口となる働きをしたいとする伸一は、鄧小平副総理との会談で「ソ連は中国を攻めようとはしていません」との見解を伝えました。同副総理は「それは大変に難しい判断を必要とします」と述べただけ。多くを語りませんでした。会談の冒頭での「問題は複雑です」との発言と合わせ、中国側の裏事情を感じさせるに十分な様子でした。伸一は機敏な対応で話題を変えます。このくだりからは、私は手に汗握る外交の機微といったものを感じ、興味津々の思いを深めました。(329頁)

   そして最終の舞台で周恩来総理との劇的な場面が登場します。体調が極めて悪く入院中であった同首相から、会いたいとの強い希望が伝えられてきたのです。

 【総理の手は白かった。衰弱した晩年の戸田城聖の手に似ていた。伸一は胸を突かれた。二人は互いに真っすぐに見つめ合った。伸一は痩せた総理の全身から発する壮絶な気迫を感じた。時刻は12月5日午後9時55分であった】76歳と46歳──「最初で最後の、生涯でただ一度だけの語らいとなった。しかし、その友情は永遠の契りとなり、信義の絆となった。総理の心は伸一の胸に、注ぎ込まれたのである」──こんなにも心に食い込む出会いの表現に、私はかつてであったことはありません。(338頁。345頁)

 この語らいで、伸一が「中国は世界平和の中軸となる国です」と述べたことに対して、周総理は「私たちは超大国にはなりません。また、今の中国は、まだ経済的にも豊かではありません。しかし、世界に対して貢献はしてまいります」と応じています。ここで使われた「超大国」とは、当時の米ソ両国を意識した、世界の覇権を求める国という意味でしょう。今、中国は経済的には米国に迫りつつあり、あらゆる意味でその「貢献」が問われています。周恩来と習近平──2人の「しゅう」が同じ「心根」を持った人であって欲しい、ということが率直な日本人の願望です。有為転変の世界をリアルなまなざしで見つめるしかない、と私は思うのです。

●ワルトハイム国連事務総長との交流

 翌1975年(昭和50年)1月6日。伸一は早くも今度は、米国に飛びます。10日には国連本部を訪問して、ワルトハイム事務総長と会談しました。ここでは、核兵器絶滅の道、人口問題の見解、国連大学の方向性などについての見解を書簡にして手渡すと共に、1000万人を超える『戦争絶滅、核廃絶を訴える署名』簿をも手渡しました。この背後には、平和を願う青年たちの努力に精いっぱい報いたいとの伸一の熱い思いがありました。(364-366頁)

 この時、伸一は「国連を守る世界市民の会」の提起をしていることが注目されます。〝人類は戦争という愚行と決別し、同じ地球民族として、力を合わせて生きねばならない。それには国家や、民族、宗教等々の枠を超えて、国連を中心に、世界市民として団結し、地球の恒久平和をめざすことだ〟との信念と決意が、その背景にありました。

 国家と国家がエゴをツノ突き合わせる事態は、ますます強まる一方です。そうした時に国家を超えた市民の連帯の渦こそ、重要だとの思いが伸一にはあったのです。当時、既に創価学会SGIの動きも底流にはありました。その確かなる手応えがこうした発言の背後にあったと思われます。それから50年足らず、分断の動き強まり、国連の危機は一段と激しさを増すばかり。伸一の先見の明は明らかなのです。

●キッシンジャー米国務長官との語らい

 ついで、キッシンジャー米国務長官との初の会談がワシントンD.C.で行われます。4年前の1971年(昭和46年)に、米中対立改善への流れを作ったニクソンの電撃的訪中の舞台回しをしたのが、同氏でした。米ソ戦略兵器制限交渉、ベトナム戦争の米軍漸次撤退の動きなどにおける彼の平和への屈強な信念を、伸一は見逃しませんでした。世界の平和に向けて語り合う日を待っていたのです。その思いが遂に実現しました。中東情勢をめぐって、2人は深い語らいをします。

 私は、この1年間における伸一の民間外交にこそ、世界平和を希求する真骨頂を見る思いがします。国家を担う政治家でも、外交の衝にあたる官僚でもない、こんな人物がこれまでこの世界にいたろうか、と深い尊敬の念を抱きます。(2022-8-11)

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