Monthly Archives: 9月 2022

【88】見えない心に無限の力──小説『新・人間革命』第22巻「命宝」章から考える/9-27

●「病気の医師」でなく、「人間の医師」たれ

 1975年(昭和50年)9月15日は、医師や薬剤師らで構成されるドクター部の第三回総会が行われました。これに初めて出席した伸一は、積極的な意味での健康の重要性を語り、「『病気の医師』でなく、『人間の医師』であれ」と力説しました。その際に大聖人の「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財よりも心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(御書1173頁)を拝読し、三つの財宝のうち、なぜ心の財が一番大事なのかについて、以下のくだりを始め、様々な角度から強調されています。(307-336頁)

 【心は見えない。しかし、その心にこそ、健康の、そして、幸福のカギがある。心の力は無限である。たとえ、「蔵の財」や「身の財」が剥奪されたとしても、「心の財」があれば、生命は歓喜に燃え、堂々たる幸福境涯を確立することができる。】(334頁)

    この3つの種類の財宝についての考え方は、とかく誤解をする向きがあるように思えます。例えば、心の財がいくらあっても、身や蔵の財がなければ、始まらない。故事に〝衣食足りて礼節を知る〟、〝窮すれば鈍する〟ともいうではないか、との視点です。これらは、人間にとって、有限のものと無限のものを比較するところからくる誤りでしょう。健康は、老化との戦いなど限りがあります。富も自ずと無限というわけにいきません。一方、心は本来、無限に充ちています。その豊かさによって、今の弱さも貧しさも、いつでもプラスの方向に変えられるということを指摘されているのです。

 私の友人に、この3つはいずれも大事で、蔵の財も身の財も心の財もみな第一なりと読むべきだと、我見を展開して憚らない人がいます。それは次元の違うものを一律に捉えようとするものだといえましょう。無から有を生じさせる根底の力は心にあり、蔵や身の財は後からついてくるものと、ここは抑える必要があります。

●広島の本部総会で示された核廃絶と日本の進路

 この年11月9日に、広島の地で本部総会が開かれました。戦後30年の節目を迎え、伸一は1時間20分にも及ぶ大講演で、幾つもの提言を表明しますが、私としては、「核兵器廃絶」と「日本の目指すべき進路についての言及に注目します。とりわけ、これからの日本の喫緊の課題として、政府が「弱者救済」を最優先させることをあげる一方、長期的には、「『経済大国』の夢を追うのではなく、文化をもって、世界人類に貢献する『文化の宝庫』『文化立国』とすべきであると提唱した」(360-361頁)とのくだりです。

 この時から約50年。「弱者救済」を社会・経済的課題として、公明党は政府に強く迫る姿勢を堅持してきました。その気運はあまねく日本社会の隅々にまで行き渡ってきています。もちろん、こういうテーマに、〝これで終点〟といった区切りはありません。永遠の指標だと思います。

 その際に、「弱者」存在の位相が時代の流れと共に、大きく変化していくことに注意する必要があります。経済格差の拡大で、「弱者」が少数化するどころか、中流層の下層への転落という観点も見逃せません。この当時は紛れもなく、「経済大国」への道をひた走っていました。それが今は、GDPで中国に追い抜かれるなど、国力の下降状況が懸念されています。だから、「夢よ再び」のごとく、経済大国へと、V字型の経済成長の復調を狙う空気が蔓延しています。しかし、それでいいのでしょうか。むしろ、「脱成長」へと舵取りを大転換すべきときではないか、とさえ私は思うのですが、さてどうでしょう。

●軍事政権下で苦しむ各国リーダーへの激励

 広島滞在中に様々な戦い──未来部への激励、海外各国指導者への指導やら、広島、呉など地域の友への訪問、激励など──を寸暇を惜しまず展開します。どれひとつとっても見逃せない重要なものばかりですが、私はここではあえて、軍事政権下に苦しむ国の幹部への伸一の指導に強い関心を持ちます。(365頁-404頁)

   【世界広布とは、仏法の人間主義の哲理を持って、人類を結び、世界の平和と人びとの幸福を実現することである。しかし、どの国や地域にも、軍事政権下にあって活動が制限されるなど、さまざまな困難が山積していた。伸一は力を込めて語った。「実情は厳しいかもしれない。でも、だからこそ、自分がいるのだという自覚を忘れないでいただきたい。私たちは獅子だ。どんな逆境も、はね返して、歴史の大ドラマをつくる使命をもって、生まれてきたんです」】(375頁)

   先日私が出席した地域の座談会で、未来部担当の女性が、「今ウクライナの戦争で苦しむSGIのメンバーがロシアのプーチン大統領の心に内在するはずの仏性を覚醒させる題目をあげているそうです。感動しました」と報告していました。嗚呼。(2022-9-27)

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【87】いつも見守ってくれてる存在──小説『新・人間革命』第22巻「波濤」の章から考える/9-20

●七つの海の波濤を越える物語の数々

   創価学会には沢山の人材育成グループがありますが、「波濤会」は、外国航路の船員たちの集いで、1966年(昭和41年)暮れに結成前夜の兆しがあり、5年後の1971年に結成されます。ここでは、1975年(昭和50年)8月の夏季講習会に第5回大会が開かれるまでの様々な動きやら、それ以降の各地の写真展に至るまでの感動的な様子が語られていきます。伸一の激励とそれに応えんとするメンバーの心意気が胸を打ちます。(204-264頁)

   波濤会が誕生してから、伸一が初めてメンバーの代表と会ったのは、結成大会の翌年1972年4月の兵庫県同志の記念撮影会の席上でのこと。その場で結成された三大学会に、波濤会の代表7人が加わっていました。神戸商船大学寮歌〝白波寄する〟の合唱に耳を傾け、じっと視線を注ぎながら、心でこう語りかけます。

 〝みんな、半年、一年と、船の中で孤軍奮闘する日々が待っているだろう。しかし、決して負けないでほしい。君たちには私がいるんだ!いつも、じっと見守っているぞ。凛々しく、胸を張って、威風堂々と歌った、この光景を絶対に忘れないでほしい〟──激励の言葉をかけた後に、次の様に記されています。

 【短いやりとりであったが、伸一は彼らと師弟の原点をつくろうと、真剣であった。原点があれば、心は揺れない。何があっても、そこに返れば、新しい力が湧く。原点を持つならば、行き詰まりはない。】(222頁)

  波濤会の原点が神戸にあると知ったのは、このくだりを聖教新聞紙上で読んだ頃ですが、その時から約13年。今年5月に、波濤会の写真展が神戸港埠頭であり、私は大学同期の友人を連れて初めて見に行きました。白い制服に身を包んだ波濤会員が丁寧に写真の説明をしてくれたものです。偶々そこに、近くの民放ラジオ局に勤める友人が通りかかったのです。驚きながら、〝波濤の語らい〟を。楽しいひと時になりました。

●女子部学生局の集いでの渾身の指導

 1975年9月9日、女子部学生局のメンバーの集いに伸一は姿を現し、激励をします。そこでは開目抄の一節『詮ずるところは天も捨てたまえ諸難にもあえ身命を期とせん』(御書232頁)を引いて、いざというときに信心を捨ててしまってはならないことを強調したのです。(267頁)

 「大聖人は『開目抄』で、さらに『善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし』(御書232頁)と仰せになっている。いかなる理由があろうが、信心を捨てれば敗北です。不幸です。地獄のような、厳しい苦悩の生命に堕ちていく」と力説し、御本尊を信じ切っていく中に幸福の大道があり、広宣流布の大願に生き抜いて行ってほしいと訴えます。

 ここでの「いかなる理由があろうが」の一句は本当に大事だと思います。私も信心して57年半。色んなことがありました。生きるか死ぬかの崖っぷちも一度ならずあり、坂道を転びそうにならなかったというとウソになります。その都度、原点の日(師と初の出会いの4-26)を思い起こし、奥歯をくいしばって耐えたものです。

 更にこの時のスピーチで、伸一が夜の会合の終了時間を8時半とする提案をしていることが注目されます。会合が早く終われば、家で勉強もできるし、早く休める、帰宅が遅くなれば、両親も心配するし、事件や事故に巻き込まれないとも限らない、と。

 若い男子青年の場合、ややもすれば遅くまでの会合が続くことが多かったことを思い出します。この『8-30運動』がどんなに有難いことだったか。本当にわかるのは相当時間が経ってからですが、革命的な提案でした。今は、コロナ禍のせいで、リアルの会合も少なく、リモート全盛の時代です。隔世の感が強くします。

●人材を見つけるということについて

 次に、7月始めの女子部首脳との懇談会での模様が印象的です。人材育成グループの人選の仕方について問われた伸一はあらゆる角度からアドバイスをしていきますが、私は次の所が目に止まりました。(283-284頁)

 「人材を見つけるということは、自分の眼、境涯が試されることでもある。たとえば、地上から大山を見上げても、その高さはよくわからない。しかし、高いところから見れば、よくわかる。同じように、自分に、人材を見極める目がなく、境涯が低ければ、相手のすばらしさを見抜くことができない。だから、自分を見つめ、唱題し、境涯を高めていくことだ」

 【人材を見つけようとすることは、人の長所を見抜く力を磨くことだ。それには、自身の慢心を打ち破り。万人から学ぼうとする、謙虚な心がなければならない。まさに人間革命の戦いであるといってよい】

 若い日に寝ても覚めても人材発掘に汗を流し、真剣に悩み祈ったことがあります。今はどうすれば、公明党の中に人材群を築けるかを悩み考え、闘っています。(2022-9-20)

 

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【86】わずかな変化や異常さを見逃さぬ敏感さ──小説『新・人間革命』第22巻「潮流」の章から考える/9-14

●イベントと寄付行為のどちらが大事か?

 第12回全米総会を中心とした「ブルー・ハワイ・コンベンション」に出席するために、伸一は1975年(昭和50年)7月22日に日本を発ちました。海外訪問の第一歩を記した初のハワイ訪問から15年が経っていました。あの時は手違いがあり、出迎えの姿はなく、座談会に集う人たちの数もわずか30数人でした。そのハワイに、全米から多くのメンバーが集い、州知事も出席しての全米総会です。準備のために、ワイキキの海に浮島のステージを作る大作業が行われました。地元テレビ局の取材に舞台設営担当のマーフィーがあたりました。(128頁)

   浮島を造るのに相当の費用がかかっているはず。そのお金をベトナムの孤児とか、世界の恵まれない子どもたちを助けるために使おうとは思いませんか、との皮肉混じりの質問が寄せられました。それに対して、マーフィーが答えた言葉が印象に残ります。

 そうした活動ももちろん大事ですが、そのためには、市民の一人ひとりが勇気と希望をもって、平和のために行動していこうとの心を呼び覚ますことが必要です。そのメッセージを送ることで、平和への大きな潮流が広がっていきます。その催しこそがこのコンベンションなのです。──こう回答したのです。

 日本でも創価学会の活動に対して寄せられる声の中で、これに類似したものがありました。入会したばかりの頃の私も、このテレビ局の人間のように、もっと直接的な寄付や募金を集めればいいのに、と思ったことが正直ありました。しかし、ここでマーフィーが答えたように、市民の心に平和への潮流を起こすには、迂回のように見えるイベントの大事さに気付いたものでした。草創期には必要なことでしょう。現在は、イベントと寄付とどちらも大事で、平行的な試みが大切だと思っています。

●批判する者と創造する者と

   コンベンションの演目の舞台に立った演奏者の紹介がされていきますが、その中で、ジャズピアニストのハービー・ハンクスの体験が注目されます。彼の音楽はデビュー当時の米国で、魂を揺さぶられる思いがするとの新風を巻き起こす一方、「これはジャズではない」とこきおろす評論家もいたようです。いつの時代もどんな世界でもつきまとうことなのでしょう。

 ハンクスのことについて触れたくだりで、ロシアの芸術家ニコライ・レーリッヒの「人間は『批判する者』と『創造する者』とに分けられる」との言葉が紹介されています。その上で、ハンクスを「ジャズ界の王者になる人です」と励ます伸一と、それに応えんとするハンクスの心意気、努力が語られます。このうち、彼の記者会見での言葉が読む者の胸に痛烈に響きます。(156-157頁)

 「ジャズは奏者のありのままの心の表情です。したがって、奏者の心がどこまで豊かかどうかで、その音楽の内容も決まっていきます。そして、豊かな心をもてるかどうかは、奏者が自己の心を豊かにする生命の哲理をもっているかどうかで決まってしまいます。その生命哲理が日蓮大聖人の教えであることを、私は自分の体験から知ったのです」

 批判か創造かと問えば、大多数の人間は批判する者を嫌います。しかし、評論と聞くと、ややニュアンスは違ってきます。一般的には、それに加えて、行動する人や、ついていくだけの人などというように細分化する向きもあります。私は常日頃「批判」「評論」に傾きがちな人間だと、自己認識しています。創造者の側面、行動者の立場、そしてそれを分析し評論する視線を忘れぬようにと、いつも心がけていますが、併せ持つことは難しいと自覚するばかりです。持って生まれた性格の特質に由来するのでしょうか。

●悪い報告の大事さ

  「ブルー・ハワイ・コンベンション」は大成功に終わるのですが、しかし、現実には想定外の事故が起こっていました。浮島で火災が発生したのです。発煙筒の火の粉が資材に燃え移ってしまいました。油断からの事故です。火災が起こるかもしれないと、当然視して注意を怠らなければ事故は防げます。それをしなかったので、起こってしまいました。(163-166頁)

    会場に到着した伸一は、焼け焦げた臭いが漂っていることから、何かあると察知しました。役員の青年に「安全は確認できてるね。大丈夫だね」と聞いたところ、「はい。もう大丈夫です」との答えがありました。しかし、その場では何も言わずにすましました。【リーダーには、微細な変化や異常を見逃さぬ敏感さがなくてはならない】と、この箇所では指摘されれいます。

 全ての行事が終わったところで、「良い報告よりも、むしろ、事故など、悪い事態が生じた時こそ、きちんと報告することが大事です」と、幹部の〝悪しき姿勢〟を厳しく注意します。こうした過ちに触れられるところは少ないだけに、事の重大さが身に染みて感じられました。(2022-9-15)

 

 

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【85】真心、誠意がすべてを動かす──小説『新・人間革命』第22巻「新世紀」の章から考える/9-9

●共産党最高首脳との対話

 この年昭和50年は、戸田城聖第二代会長が先の大戦の敗戦直前の7月に出獄されてから30年が経つ年でもありました。この章冒頭では、記念集会において、伸一が戸田先生の「地球民族主義」の提唱を始め、世界の平和に向けて生涯走り抜かれた姿を宣揚。と同時に青年部代表が聖教新聞紙上で、『青年が語る戸田城聖観』と題する座談会に取組む様子が触れられていきます。5月末にソ連から帰国した伸一は、この頃各界の指導者、識者との対話に全力を注いでいました。そのうちの3人との対話が紹介されていきます。(38頁-92頁)

   7月12日に行われた宮本賢治共産党委員長と伸一との対談は、作家松本清張氏の仲介でした。毎日新聞の企画で幅広い「人生対談」として7月15日から39回にわたって連載されました。この間、7月27日には創価学会と共産党の間で、いわゆる〝創共協定〟が結ばれています。「相互理解への最善の努力をすることや、誹謗中傷を行わないことなどをうたった7項目を合意した」のです。協定期間は10年でしたが、延長はされませんでした。

 実は、この頃、共産党と公明党の最前線の党員、学会員の間ではトラブルがたえませんでした。ポスターが剥がされた問題や、ビラの配布を巡ってのいざこざが日常茶飯事でした。都内各所で暴力沙汰寸前に至るような雰囲気が漂っていました。そんなことがこの「協定」以後次第になくなっていきました。勿論、機関紙を通じての批判合戦は今になお激しく続いていますが、現場で学会員が行きすぎた軋轢や揉め事で困ることは次第に影を潜めていったのです。

 「ビッグ対談」とされたものの、中身の記憶は忘却の彼方ですが、〝余計な紛争〟にピリオドが打たれたことは率直にいって嬉しいことでした。後に衆議院議場で共産党議員と肩を並べて座るようになって、同党の権力追及への異常なまでの熱意に驚く一方、あいも変わらぬ〝嘘つき体質〟に呆れたりもしたものです。

●文芸家協会理事長との手紙のやりとりに感銘

 一方、伸一はこの春から、日本文芸家協会理事長で作家の井上靖氏との手紙によるやりとりにも取り組んでいました。この往復書簡は『四季の雁書』と題して総合月刊誌『潮』7月号から連載されました。連載開始に先立って、3月始めに二人が懇談をした内容も紹介されています。また、それに至るまでに、昭和43年のいわゆる言論問題において、文芸家協会の中から学会に対し抗議声明を出せとの声がありました。

 しかし、井上理事長は、『潮』の編集長に対して「先生(伸一)のことが、人間的な理解が伴わない形で、誤解されたまま、マスコミに喧伝されているのではないでしょうか」と述べ、マスコミの陥りやすい問題点を指摘しています。と同時に、自分が理事長である限り、抗議声明を出すつもりはないし、させませんと断定しました。このことを編集長から聞いて伸一は、「その真心が、熱く心に沁みた。この人のことは、終生、絶対に忘れまいと思った」とあります。当時、『潮』執筆者の中で、付和雷同的に執筆拒否をする者がいました。「苦境」に立った者への井上氏の思いやりが、私のような人間にも心底から有り難く心に響きました。

 往復書簡の中で、私が強く共鳴したのは、〝生涯青春〟をめぐるやりとりです。伸一の「青年期の信念を死の間際まで、貫き、燃やし続けるところに、真実の青春の輝きがある」との思いに対して、井上氏が「青春の姿勢を、死の瞬間まで崩すべきではない」と共鳴しています。〝生涯青春〟と口では言っても、死の間際に立ったことのない者は、自信が揺らぎがちです。日々の生活の中で鍛錬を怠らぬよう身に刻みたいものです。

 ●松下幸之助氏との心和む「往復書簡」

 また、松下電器産業の創業者・松下幸之助氏と伸一との往復書簡は、『人生問答』にまとめられていますが、ここではその中身が要約されています。とくに、私は「松下政経塾」の構想を述べて意見を聞いた幸之助氏に、伸一が賛同表明をためらったことに興味を持ちました。伸一は彼の健康を気遣い、政治家の育成よりも自身の健康、長寿を第一にして欲しいと思ったからでした。それでも意思を変えない幸之助氏に、伸一は折れました。すると、「ぜひ塾の総裁に‥」と松下氏は迫ったのです。

 これには驚きました。そこまで、松下幸之助という人は、伸一に信頼を寄せていたのかと。周知のように、「松下政経塾」は、多くの政治家を生み出しました。その大部分は旧民主党に参画しました。そして、一期生の代表・野田佳彦氏は首相にまでなりました。私は多くの同塾出身者を知りえましたが、概ね好感を持てる人達だったことが印象に残っています。松下幸之助氏と伸一の深く熱い交友が、松下電器の後継のパナソニック社に、そして政経塾出身の政治家に宿っていることを深く期待します。(2022-9-9)

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【84】精神のシルクロードの開拓──小説『新・人間革命』第21巻「宝冠」の章から考える/9-2

 

●テレシコワソ連婦人委員会議長(宇宙飛行士)との会見

 パリでの日程を終えた伸一たち一行は、5月22日に次の訪問地モスクワに向かいます。ソ連訪問は2回目。一週間の旅程で、限りなく深い日ソ交流の数々が展開されていきますが、私がまず感動したのは同国婦人委員会のテレシコワ議長との会談です。1963年(昭和38年)に、ボストーク6号で宇宙を旅した、世界初の女性宇宙飛行士で、宇宙からの「ヤー・チャイカ」(私はカモメ)の第一声が世界に知れ渡りました。(347-357頁)

 この時の場面で印象に残るのは、女子部の代表が、宇宙飛行士、妻、母親の三役を果たすにあたって、どのような努力を払ったのかとの問いに対しての同議長の答えです。「妻の時は妻に専念し、母でいるときは母に専念し、ベストを尽くしました。そして宇宙飛行士の時には、宇宙飛行士として全力を尽くし抜きました」

 これに対して、「簡潔にして的を射た答えである」と思った伸一は【人間は幾つもの課題を抱えているものだ。大事なことは、〝すべてやり切る〟と心を定め、その時、その時の自身の課題に専念し、全力で取り組んでいくことである。子どもと接している時に、仕事のことで悩み、仕事中に子どものことに心を奪われていれば、どちらも中途半端になってしまう】と述べています。

 人生万般にわたって大事なのは、当面する課題に熱中することだと思います。少し飛躍しますが、生死の問題も基本は同じです。死後のことや生命の永遠性について、なまじっかな想像力であれこれ悩まず、生きてる時は生きてるなかでの課題に集中、専念することが大事です。「死の瞬間は爆発だ」──だから、生の最高の状態で死を迎えることが大事だと、ある名医が述べています。言い得て妙です。それで行こうと、私も決意しています。

●モスクワ大学での名誉博士号受賞と講演

 この時の訪ソで最大のイベントは、モスクワ大学での伸一への名誉博士号授与式と、「東西文化交流の新しい道」との講演でした。海外の大学から名誉博士号を受賞されるのはこの時が初めてで、【意義深き「知性の「宝冠」】とされています。講演は、前年の米国カリフォルニア大学バークレー分校に続く2回目でした。

 「民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり、人間と人間との心をつなぐ『精神のシルクロード』が今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります。それというのも、民衆同士の自然的意思の高まりによる文化交流こそ、『不審』を『信頼』に変え、『反目』を『理解』に変え、この世界から戦争という名の怪物を駆逐し、真実の永続的な平和の達成を可能にすると思うからであります」(379-380頁)

 この講演を聞いたホフロフ同大学総長は、「私たちは〝精神のシルクロード〟の開拓者になって」いく、と決意を述べると共に、「モスクワ大学の歴史に永遠に輝くものであり、両国の民間友好と、平和事業の前進へ、多大な貢献を果たしました」と力説したのです。

 今、プーチンロシア大統領のウクライナ戦争を前に、憤りと無力感を感じる人は多いと思います。しかし、この時に伸一によって打ち立てられた「精神のシルクロード」は、のちにゴルバチョフ大統領に受け継がれたことは間違いないと思います。残念ながらその流れはひとたび止まってしまいましたが、必ずや、未来において、また花開くに違いないことを確信します。

 そのゴルバチョフ大統領もつい先日(8月30日)に亡くなったことが報じられました。彼が世界史に果たした役割(ソ連崩壊)は何にも増して大きいと思いますが、一方ロシア国内では受け入れる人たちが少ないとの歴史的事実も見逃せません。残念なことです。地球民族主義的観点でしか、真っ当な位置付けは難しいのでしょう。

●コスイギン首相とのやりとり

 この後、コスイギン首相との会談が行われました。中ソ関係が史上最悪の状況にあり、日中平和友好条約の締結もソ連にとって大きな関心事でした。同首相が伸一に率直な意見を求めた場面での伸一の答えが、極めて印象に残ります。

 「何があっても、大局観に立って、悠々とすべてを見下ろすように様子を見ていくことも、一つの方法ではないかと思います」【(中ソ)両国首脳は、伸一という一つのパイプを通して、戦争を避けようとする心音と息づかいを感じていたのかもしれない】(395頁)

 演劇でいえば、舞台も役者も交代しました。日本と中国、ロシア、そしてアメリカも、すべての関係、流れが激しく揺れています。変わらないのは今それをじっと見つめる観客であり、各国の国民です。伸一が「悠々とすべてを見下ろす」ことの大事さを為政者に伝えましたが、同時に舞台を見上げる民衆も、変化に一喜一憂せず、悠々と事の本質を見抜くことが大事なのでしょう。(2022-9-2)

 

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