Monthly Archives: 11月 2022

【96】周りも遠くも照らしゆく存在に──小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章から考える/11-26

●「常識を大切に」との社会部での指導

    創価学会社会部──職場や職域を同じくするメンバーが、互いに信仰と人格を磨き合い成長することを目的に結成された部のことです。1973年(昭和48年)10月に、団地部、農村部(農漁光部)、専門部と共に、社会本部を形成するものとしてスタートしました。伸一は1977年(昭和52年)2月2日に東京での社会部の勤行集会に出席し、次のような激励をしています。

 「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136頁)と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」(302頁)

   この指導の前に、伸一は、日蓮仏法は人間のための宗教であるとした上で、皆を温かく包み込みながら幸せにしていくのが仏法者の生き方であることを力説。従来の日蓮教団が排他的、独善的で過激な集団であるととらえられてきたことの原因は、「仏法即社会」の視座の欠落がある、と述べられています。

 「仏法即社会」について、頭ではわかったつもりでも、振る舞いの上でわかったと言えるかどうかは疑問です。勤行、折伏、学会活動などを通じて、世間の人とは違うことをしているとの意識は知らず知らずのうちに芽生えがちです。社会の〝いわゆる常識〟を変えていくとの気構えが時に裏目にでてしまうといえましょう。私自身若かった日に、常識豊かな行動を心がけていましたが、妙なヒロイズムがあったかもしれないのです。

●自身の境涯革命の原理としての「三変土田」

   一方、第一回の「農村・団地部勤行集会」が同年2月に東京で開かれ、全国からメンバーが駆けつけます。伸一はそこでも懇談的に話を進めていきました。会長就任時の『水滸会』での語らいに触れられていますが、そこでの『三変土田』の法理が、深く印象に残ります。(354-363頁)

   【「三変土田」とは、法華経見宝塔品第十一で説かれた、娑婆世界等を仏国土へと変えていく変革の法理である。「三変」とは、三度にわたって変えたことであり、「土田」とは、土地、場所を意味している。】──このくだりから、4頁にわたって、縷々解説が加えられていきます。その後に【つまり、「三変土田」とは、生命の大変革のドラマであり、自身の境涯革命なのだ。自身の一念の転換が、国土の宿命を転換していく──この大確信を胸に、戸田城聖は、敗戦の焦土に、ただ一人たち、広宣流布の大闘争を展開していったのである。】と結論的に述べられるのです。

 かつて初信の頃に法華経全体がおとぎ話的に思え、宗教的限界に翻弄されることがありました。常識的にあり得ないことが書かれている、結局どの宗教も荒唐無稽さにおいて同じじゃないか、との考えに陥ったのです。しかし、幾度も読み、考えていく中で、これは比喩の極致であって、人間の内奥世界を描く一手法であることに気付きました。一念の転換が国土の宿命さえ転換するという原理を確信して突き進むことと、それを信じられずに怠惰なままの日常に甘んじて、なるようにしかならないと諦めることの差を感じ、前者に傾倒していったのです。

●「直達正観」という宇宙根源の法則

 さらに、伸一はここで、地域社会のパイオニアである農村部と団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦としての『直達正観』という宇宙根源の法則について、語っていきます。(365-366頁)

   「大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法則です。深遠な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります」

 こう述べられた後に、テレビに譬えて、法華経以前の釈尊の仏法、法華経、天台の法門、大聖人の仏法を説明されているのです。つまり、ひとつひとつの部品→テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにした→それを理論的に体系づけた→テレビ自体としての御本尊を残された、と。「テレビを見るためには、スイッチをいれ、チャンネルを合わせなければならない。それが御本尊への信心であり、仏道修行です」と。k

 この見事な譬えを聞いたとき、確かにそうだと唸りました。途中の段階で迷い逡巡していても埒はあかない。テレビを見ることによる価値を享受した上で、そこに至る理論を学べばいい、と。この順序が逆になると、混乱するのが関の山だと分かったのです。(2022-11-26)

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【95】歴史を動かし変えていくのも人間──小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から考える/11-18

●自己の変革、生き方の転換がこれからの時代のテーマ

  新たな年1977年(昭和52年)が明けました。この年は座談会運動で魅力ある地区を作ることが目標とされ、伸一も先頭切って東京各区の勤行会などに出席し、仏法への大確信を訴えていきました。1月31日の女子部の会合では、21世紀にはどこに力点をおいて仏法を語っていくかについて、次のように述べています。

 まず、前提として、牧口初代会長の時代は、「価値論を立て、『罰』という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた」し、戸田第二代会長の時代は、「広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した」とあります。

 その上で、これからの時代は、【〝心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる──つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくに違いない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ〟】と強調しています。(205頁)

 1960年代から70年代にかけて、先進国を席巻したのは政治、経済への変革に向けての「社会革命」の嵐でした。ちょうどこの時代に青年期を過ごした私の周りの世代は、外なる世界を変えることに関心が集中していました。その時に、内なる世界の革命に向かって立ちあがろう、「社会革命」ではなく「人間革命」こそ優先されるべきだ、との創価学会の主張は、大いなる議論を巻き起こしていきました。

 あれから歳月が経って、人間変革を待望する流れは大きく強まってきました。一方で、旧態依然とした政治、政治家を変えていくこと、強まる経済格差の時代にどう立ち向かうかが問われています。腐敗した政治を変えるべく、創価学会は公明党を立ち上げて大衆の中に入っていきました。今再びそういう時がきていると思います。与党だから自民党を批判しないでいいということにはなりません。与党だからこそ、今の政治、経済に責任を持って大衆の悩みを聞く一方、喜び溢れる「座談会」にせねばと痛切に思います。

●青年教育者運動への思い

 ついで、この章では教育部の活動に焦点が移り、青年教育者に対する熱い思いが伝わってきます。第一回の青年教育者大会は、1975年(昭和50年)に開かれていましたが、この大会に伸一が寄せたメッセージには、烈々たる思いがほとばしっています。(244頁)

   「教育は、未来創造の、歴史の方向を決める地下水脈のようなものでありましょう。現在、行われている教育の姿に、未来の輪郭はあるといってよい。あえて言えば、深まりゆく危機の時代の突破口は教育にあり、と私は訴えたい。その意味で、皆さんの使命と責任は極めて大きいのであります」と。

 本日の創価学会創立記念日の聖教新聞1面に、アメリカの中学校の歴史の教科書に池田先生の言葉と写真が掲載されているとの記事が出ていました。「歴史は人を動かす。しかし、その歴史を動かし変えていくのも、人間なのである」と。2006年5月11日付けの英字紙「ジャパンタイムス」に掲載されたコラム「未来を創る力」から引用されたものです。古今東西の9人と併記されているのですが、あらためて、日本との違いを実感します。と共に、今に生きる門下生も全力で戦おうと決意する次第です。

●世界宗教の条件とは何か

 この章最後は、東京教育部第一回の勤行集会での懇談です。伸一はテーブルを前に出し、みんなは周りをぐるっと取り囲みました。宇宙旅行の話からキリスト教をめぐる話まで、話題は多岐にわたりましたが、私はそのうち宗教の世界性についてのくだりに注目します。(276頁)

 伸一は、キリスト教が普遍的な世界宗教として発展した理由は、「民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求して行ったことにある」とした上で、「日蓮大聖人が『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(御書1467頁)と仰せになっているのも、それぞれの地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、仏法を弘むべきであるとのお考えの表明であるといってよい」とあります。

 キリスト教の神学者であり、創価学会の良き理解者でもある佐藤優さんは、その著『世界宗教の条件とは何か』の中で❶宗門との決別❷世界伝導化❸与党化──の3つを挙げています。この本は、未来を担う学生部の精鋭たちに語られた素晴らしい内容を持つものです。私も賛同する一人ですが、❸については誤解なきよう心する必要があると思います。与党化を当然とするところから退廃が始まりかねないからです。(2022-11-18)

 

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【94】仏法の因果の理法の凄さ──小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章から考える/11-13

●自身の慣れ、惰性を打ち破る大事さ

   この章は、事故をいかにして起こさないかについて、さまざまな角度から述べられています。直接取り上げられているのは、創価学会の会員や建物をどう護るかですが、世の中全般に応用が効くテーマです。1976年(昭和51年)晩秋の夜、本部周辺を歩く伸一と牙城会(会館警備に携わる)メンバーとの語らいから始まります。

 まず山形県酒田市での大火(10月末)から何を学ぶかについて触れらています。危機管理とは、自身の「慣れ」という感覚を打ち破るところから始まる、とあります。更に「注意力というのは、一念によって決まる。〝事故につながりそうなことを、絶対に見落とすものか〟という、責任感に裏打ちされた祈りが大事なんだ。その祈りによって、己心の諸仏諸天が働き、注意力を高め、智慧を沸かせていくからだ」(104頁)と。

 牙城会員に、会館を護るに際しての具体的な注意事項を伸一は伝えていきます。「事故を防ぐには、みんなで、よく検討して、細かい点検の基本事項を決め、それを徹底して行っていくことだ。(中略) 基本を定めたら、いい加減にこなすのではなく、魂を込めて励行することだ。形式的になり、注意力が散漫になるのは、油断なんだ。実は、これが怖いんだ」とも。

 昨今油断からとしか言いようがない、事故、事件が相次いでいます。児童が密閉された送迎バス内に取り残されて死に至る事故から、大臣の失言に至るまで、呆れるばかりの基本を無視し、不用意で無責任な行動や発言が社会全般に目立ちます。法相の「死刑」にまつわる驚くばかりの発言は、人間の生死に関する無頓着さだけでなく、大臣として目立ちたい、お金につながりたいというようなさもしい感情が仄見えるものでした。

 彼とは過去に一緒に仕事をしましたが、なかなか優秀で有能な人材でした。その心の奥底に傲慢さがひそんでいたというしかありません。公明党議員のなかにも昨今政治家として恥ずかしい不祥事が相次いでいます。惰性と油断です。自戒と猛省を促したいものです。

●真剣、誠実、勤勉であることが勝利への道

   ついで女子部の白蓮グループ(会合の運営一切に携わる)についての激励が展開されます。

 【仏法では「因果応報」を説いている。悪因には必ず苦果が、善因には必ず楽果が生じることをいう。しかもその因果律は、過去世、現在世、未来世の三世にわたって貫かれている。過去における自身の、身(身体)、口(言葉)、意(心)の行為が因となって、現在の果があり、現在の行為が因となって、未来の果をつくるのである】(144頁)

    【他人の目は欺くことができても、仏の眼は絶対に欺くことはできない。広宣流布のために祈り、尽くし、苦労した分だけが自身を荘厳するのだ。仏法の因果の理法の眼から見る時、真剣であること、勤勉であること、誠実であることに勝る勝利の道など、断じてないのである】(147頁)

   「冥の照覧」──人間自身に備わった因果律を信じるか信じないか。これが日蓮仏法の究極ですが、それを確信することの重要性が繰り返し語られます。若き日よりこの法理の捉え方をめぐって悩み考え、先輩、同僚、後輩、友人と語り合ってきました。押しては返す海辺の波のように、人生の苦難は襲いきたります。つい弱気が頭をもたげますが、その都度、強気で楽観性を持って、立ち向かおうと我が身を励ましています。

●「諸法実相抄」講義を通じて人間の生き方示す

   1977年(昭和52年)は、「教学の年」。創価学会は新年から山本伸一の聖教新聞紙上での日蓮大聖人の『諸法実相抄』講義でスタートします。

 【人間とは何か。生命とは何か。自己自身とはいかなる存在なのか。なんのための人生なのか。幸福とは何か。生とは何か。死とは何か。──仏法は、そのすべての、根本的な解答を示した生命の哲理である。したがって、仏法を学び、教学の研鑽を重ねることは、人生の意味を掘り下げ、豊饒なる精神の宝庫の扉を開く作業といってよい】(166頁)

【「諸法実相抄」講義で伸一は、大宇宙、社会の一切の現象は、妙法の姿であること、そして、御本尊は、大宇宙の縮図であり、根源であることを述べていった】(170頁)

【題目を唱えれば、もちろん功徳はある。しかし、〝病気を治したい〟という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる】(176頁)

 この講義が掲載された年、私は32歳。中野区男子部長となり、同区内を駆け巡る原動力にしていました。そして『新・人間革命』のこのくだりを聖教新聞で拝読した2010年10月頃は65歳。ひとたび落選した後に蘇って当選という史上初の経験をしたあの選挙の翌年でした。生命の底からの感動と共に大衆の中に分け入っていったものでした。(2022-11-13)

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【93】「精神革命」の傍観者から実践者へ──小説『新・人間革命』第24巻「母の詩」の章から考える/11-5

●東西の実践者の革命的対談より半世紀

 アンドレ・マルローは、〝行動する知識人〟として知られた戦後のフランスを代表する作家。1976年(昭和51年)の8月末に、彼と伸一との対談集『人間革命と人間の条件』が出版されました。二人は、1974年と75年の二度にわたって対談、それをまとめたものです。これには著名な評論家・桑原武夫の「実践者の対話」という序文が寄せられました。ここからこの章は始まります。(7-13頁)

    桑原は伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚をつづける大実践者」と評した上で、マルローがなぜ、創価学会に強い関心を寄せているかについて語ります。「政治権力によって教団が骨抜きにされてしまった日本とは異なり、宗教が政治権力と拮抗しうる力を持った西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本とは比較にならぬほど強い興味をもっている」と。

 マルローは、西欧でかつて人間形成の役割を果たしてきた宗教的秩序が、今や失われてしまったと指摘すると共に、「会長は、日本で、この人間形成のための偉大な宗教的秩序という役割を果たすことができます。世界的価値の見本を示すことができましょう」と述べています。世界の精神的現状への強い危機感を示すマルローに対して、伸一は21世紀をどう見るかを聞きます。彼は「現在の与件からはいまだ予想できない」としつつも、「まさに一つの精神革命といっていい」ほどの〝計り知れないほどの現象〟が現れると答えました。我が意を得た【伸一は、その精神革命の基軸たり得るものこそ、仏法であるとの確信を力説した】と、あります。

 この対談を読んだ当時、私は30歳になったばかり。21世紀には「素晴らしき新世界」がくると勝手に楽観的な希望を持ちました。しかし、現状は表面的には逆の方向にあります。人類は西も東も、南も北も混迷と混乱の一途を辿っているかに見えます。だがそれを嘆くだけでは、傍観者です。「精神革命の方途」を知った人間が「自己変革への不断の戦い」を持続し、更に周りに広げゆく実践者として立ち上がるしかないのでしょう。

●母親が境涯を高め、聡明さを身につけること

 続いて、各方面での文化祭に舞台は移ります。東京文化祭での激励のあと、伸一は母の容態の急変を聞き大田区の実家に向かうところから、「自身の母への回想」と〝母なる存在への思索〟が展開されていきます。とりわけ伸一の作詞した『母の歌』をめぐっての動きと、現実に永眠しゆく母への思いが交錯したくだりは強く読むものの胸を揺さぶります。(42-87頁)

   【母性、母親への賛辞は、時には自分を犠牲にしてまで子どもを守り、生命を育もうとする愛の、強さと力への賞賛である。「開目抄」には、激流に流されても、幼子を抱き締めて、絶対に離さなかった母の譬えが引かれている。子を思う慈念の功徳によって、母は梵天に生じたと説かれる。大聖人は、人間の一念の在り方を、この母の慈念を手本として示されたのである】──こう原理が示された上で、具体的な母のありようが次に描かれています。【母は子どもにとって最初の教師であり、生涯の教師でもある。それゆえ、母が確固たる人生の根本の思想と哲学をもつことが、どれほど人間教育の力となるか。人間完成へと向かう母の不断の努力が、どれほど社会に価値を創造するか。母が境涯を高め、聡明さを身につけていった時、母性は、崇高なる人間性の宝石として永遠なる光を放つのだ】

 昨今の世相は残念ながら母の子への虐待など、信じられないような無体な犯罪が日常茶飯に報じられています。何かが狂っている──人間性の破壊を目の前に、こう思わざるを得ない現実をどう変えていくか。時代の綻びたる〝無教育現象〟を座視せず、ここでも傍観者から実践者への転換が求められています。

●牧口園はなぜ東海研修所に開設されたのか

 この年の3月に静岡県熱海市の東海研修所に、初代会長牧口常三郎の遺徳を顕彰するための牧口園が開園されていました。伸一は9月14日にここを訪れます。大沢光久園長に、伸一はなぜここに牧口園を開設したかのわけを、温暖で風光明媚なところだからと強調します。また、研修会では、なぜ、先師と恩師を守り、宣揚するのかと問いかけ、それは、私たちに、大聖人の仏法を、御本尊を、御書を教えてくださったのが牧口先生、戸田先生であったからだと力説します。(90-92頁)

 先師、恩師を敬い、尊敬していてもその心を具体的に表す実践がなければ、絵に描いた餅と同じです。牧口先生が冷たい監獄で最後を迎えられたからこそ、温暖で風光明媚なところを宣揚する場所として選び、先生の死身弘法のご一生に弟子としての赤誠の志を顕すのだ──伸一のこの熱い思いを知って、慄然とします。観念だけでは通用しないことを学ばねばなりません。(2022-11-5)

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