【93】「精神革命」の傍観者から実践者へ──小説『新・人間革命』第24巻「母の詩」の章から考える/11-5

●東西の実践者の革命的対談より半世紀

 アンドレ・マルローは、〝行動する知識人〟として知られた戦後のフランスを代表する作家。1976年(昭和51年)の8月末に、彼と伸一との対談集『人間革命と人間の条件』が出版されました。二人は、1974年と75年の二度にわたって対談、それをまとめたものです。これには著名な評論家・桑原武夫の「実践者の対話」という序文が寄せられました。ここからこの章は始まります。(7-13頁)

    桑原は伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚をつづける大実践者」と評した上で、マルローがなぜ、創価学会に強い関心を寄せているかについて語ります。「政治権力によって教団が骨抜きにされてしまった日本とは異なり、宗教が政治権力と拮抗しうる力を持った西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本とは比較にならぬほど強い興味をもっている」と。

 マルローは、西欧でかつて人間形成の役割を果たしてきた宗教的秩序が、今や失われてしまったと指摘すると共に、「会長は、日本で、この人間形成のための偉大な宗教的秩序という役割を果たすことができます。世界的価値の見本を示すことができましょう」と述べています。世界の精神的現状への強い危機感を示すマルローに対して、伸一は21世紀をどう見るかを聞きます。彼は「現在の与件からはいまだ予想できない」としつつも、「まさに一つの精神革命といっていい」ほどの〝計り知れないほどの現象〟が現れると答えました。我が意を得た【伸一は、その精神革命の基軸たり得るものこそ、仏法であるとの確信を力説した】と、あります。

 この対談を読んだ当時、私は30歳になったばかり。21世紀には「素晴らしき新世界」がくると勝手に楽観的な希望を持ちました。しかし、現状は表面的には逆の方向にあります。人類は西も東も、南も北も混迷と混乱の一途を辿っているかに見えます。だがそれを嘆くだけでは、傍観者です。「精神革命の方途」を知った人間が「自己変革への不断の戦い」を持続し、更に周りに広げゆく実践者として立ち上がるしかないのでしょう。

●母親が境涯を高め、聡明さを身につけること

 続いて、各方面での文化祭に舞台は移ります。東京文化祭での激励のあと、伸一は母の容態の急変を聞き大田区の実家に向かうところから、「自身の母への回想」と〝母なる存在への思索〟が展開されていきます。とりわけ伸一の作詞した『母の歌』をめぐっての動きと、現実に永眠しゆく母への思いが交錯したくだりは強く読むものの胸を揺さぶります。(42-87頁)

   【母性、母親への賛辞は、時には自分を犠牲にしてまで子どもを守り、生命を育もうとする愛の、強さと力への賞賛である。「開目抄」には、激流に流されても、幼子を抱き締めて、絶対に離さなかった母の譬えが引かれている。子を思う慈念の功徳によって、母は梵天に生じたと説かれる。大聖人は、人間の一念の在り方を、この母の慈念を手本として示されたのである】──こう原理が示された上で、具体的な母のありようが次に描かれています。【母は子どもにとって最初の教師であり、生涯の教師でもある。それゆえ、母が確固たる人生の根本の思想と哲学をもつことが、どれほど人間教育の力となるか。人間完成へと向かう母の不断の努力が、どれほど社会に価値を創造するか。母が境涯を高め、聡明さを身につけていった時、母性は、崇高なる人間性の宝石として永遠なる光を放つのだ】

 昨今の世相は残念ながら母の子への虐待など、信じられないような無体な犯罪が日常茶飯に報じられています。何かが狂っている──人間性の破壊を目の前に、こう思わざるを得ない現実をどう変えていくか。時代の綻びたる〝無教育現象〟を座視せず、ここでも傍観者から実践者への転換が求められています。

●牧口園はなぜ東海研修所に開設されたのか

 この年の3月に静岡県熱海市の東海研修所に、初代会長牧口常三郎の遺徳を顕彰するための牧口園が開園されていました。伸一は9月14日にここを訪れます。大沢光久園長に、伸一はなぜここに牧口園を開設したかのわけを、温暖で風光明媚なところだからと強調します。また、研修会では、なぜ、先師と恩師を守り、宣揚するのかと問いかけ、それは、私たちに、大聖人の仏法を、御本尊を、御書を教えてくださったのが牧口先生、戸田先生であったからだと力説します。(90-92頁)

 先師、恩師を敬い、尊敬していてもその心を具体的に表す実践がなければ、絵に描いた餅と同じです。牧口先生が冷たい監獄で最後を迎えられたからこそ、温暖で風光明媚なところを宣揚する場所として選び、先生の死身弘法のご一生に弟子としての赤誠の志を顕すのだ──伸一のこの熱い思いを知って、慄然とします。観念だけでは通用しないことを学ばねばなりません。(2022-11-5)

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