【99】無理と諦めずに無我夢中の挑戦──小説『新・人間革命』第25巻「薫風」の章から考える/2022-12-18のあと

●個人会館は、弘教、発心、幸福、外交の城

 ついで、山口から九州に伸一は向かいました。この章は、北九州市、佐賀県での激励行が描かれていきます。時は、1977年(昭和52年)5月22日〜27日のこと。会合における「司会」のあり方から始まり、3人の歯科医学生への激励などが語られたあと、個人会館の重要性について触れられます。

 伸一は、峯子と共に小倉南区にある田部会館に向かう車中で、こう語ります。「個人会館は、いわば広宣流布という戦いの出城だ。人びとはそこで仏法の話を聞いて信心し、奮起し、人間革命、宿命転換の挑戦を開始していく。つまり、『弘教の城』であり、『発心の城』であり、『幸福の城』だ。またそこに集う同志の常識豊かで楽しそうな姿を見て周囲の人たちが、学会への理解を深めていく『外交の城』でもある」

 峯子は、笑みを浮かべながら「個人会館の果たす役割は、本当に大きなものがあります。また、会場を提供してくださる方のご苦労は、並々ならぬものがありますね。駐車や駐輪で近隣にご迷惑はかけていないか。会合の声が外に漏れていないか。皆さんの声が外に漏れていないか。皆さんの出入りの音がうるさくないか──と、気遣うことも本当に多いですしね。頭が下がります」と語っています。

    私の青年部時代の昭和50年代はまだまだ会館は少なく、私の妻の実家は中野区の閑静な住宅街にありましたが、ずっと会場として提供させて頂いていました。多い時は100人ほどの人々が出入りしていました。それなりに気遣ってはいましたが、ご近所にはさぞご迷惑だったろうと冷や汗かく思いです。その会場から数多くの人材が輩出されたことが何よりの喜びだと家族は語っていました。

●蒼蝿驥尾に附して万里を渡ってきた、との実感あり

    また、佐賀での懇談では、信心に励むうえで、最も大切な、極意は「師弟不ニ」にあるとしたあとに、次のように述べられています。「戸田先生は、不世出の、希有の大指導者だ。先生の一念は、広宣流布に貫かれている。その先生を人生の師と定め、先生の仰せ通りに、先生と共に、また、先生に代わって広宣流布の戦いを起こしていくんだ。(中略)  『立正安国論』に、「蒼蝿驥尾に附して万里を渡り」(御書26頁)という一節があるだろう。一匹のハエでも名馬の尾についていれば、万里を走ることができる。同じように、広宣流布の大師匠につききっていけば、自分では想像もしなかったような、素晴らしい境涯になれる」(280-281頁)

   ここは極めて大事なところに私には思えます。「先生の仰せ通りに、先生と共に、先生に代わって広宣流布の戦いを起こす」──これは普通の人間にとって、現実にはとても難しいことに思えます。ですが、そう決めてしまい、動くことをせずに、難しそうだからと最初から諦めてしまっては、事態は一歩も変わらず、「素晴らしい境涯」も望めません。

 大変でも、困難に見えていても、やろうと決めて祈って動くところから、名馬の尾についたハエになれることができるのだと確信します。ここでも「無我夢中」になることが大事だと思います。私自身の信仰体験でも、価値のない存在だったのに、遠くまでやってこれたようにしか思えないのは、結果を恐れず挑戦をしてきたからだとの実感があるのです。

●「創価」を貫く行動は「励まし」に次ぐ「励まし」

   佐賀文化会館の庭で伸一が会う人ごとに激励する場面が登場します。例えば、「何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、どんな病にも、負けることは絶対にない。必ず幸せになれるんです!」なとといった情景の描写のあと、次のように書かれており、読むものの胸を打ちます。

 【もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていく──地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。だから、伸一は必死であった。華やかな檜舞台に立つことなど、彼の眼中にはなかった。ただ、眼前の一人に、すべてを注ぎ尽くし、発心の光を送ろうと懸命であった。】(297-298頁)

   「励まし」につぐ「励まし」をされている池田先生の姿を見ました。かつ私自身も直接励ましを受けてきました。そのたびに、どんなに奮い立ったことでしょうか。それを今度は後輩たちや、仲間との交流のなかで、「励まし」をしようと決意し、実践をしてきました。また先輩や仲間から時に応じて励まされてもきました。このまごころの激励、励ましの応酬こそ、創価学会の凄さだと思えてなりません。(2022-12-17)

 

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