Monthly Archives: 3月 2023

【112】島は一つの国──小説『新・人間革命』第28巻「勝利島」の章から考える/3-29

●島では実証を示す以外に道はない

 【不屈の精神は、不屈の行動を伴う。寄せ返す波浪が、いつしか巌を穿つように、粘り強い、実践の繰り返しが、偉大なる歴史を生み出す。】──この一節から始まる「勝利島」の章は、創価学会離島本部の会員たちへの伸一の徹底した激励、体験談の連続から成り立っています。1978年(昭和53年)10月7日に開かれた第一回離島本部の総会を前に、全国各島での会員の体験談が紹介されていきます。(352-434頁)

    そのうち、北海道北部の西海岸にある羽幌から海路で30キロに浮かぶ「オロロンの島」で知られる天売島の佐田地区部長の体験談が強く胸に迫ってきます。2度にわたる頭蓋骨陥没の大怪我を乗り越えて、民宿経営で大きな実績を残した彼の頑張りぶりには心底から感動を呼ばずにはおきません。そうした活動体験報告を聞いた伸一は次のような話を離島本部の幹部にします。

  「島では、実証を示す以外に、広宣流布の道を開くことはできません。学会員が現実にどうなったかがすべてです。だから、功徳の体験が大事になる。そのうえで、最も重要なのが、学会員が、どれだけ島のため、地域のために尽くし、貢献し、人間として信頼を勝ち取ることができるかです。それこそが、広宣流布を総仕上げする決定打です」(384頁)

 私が初めて選挙に出た1990年代初め、姫路港から海路約18キロにある家島、坊勢島、男鹿島には、実直で熱心な学会員が一支部を形成していました。なかでも壮年のOさんはそれこそ幾たびかの転落事故で大怪我をしながらもその都度乗り越えて蘇り、町議会議員としても絶大なる信頼を勝ち得ていました。全てがお見通しとでも言える狭い島空間だけに、その功徳の体験や誠実な人柄は、あまねく知られていました。公明党の支持率の高さは群を抜いていましたが、会員相互の励ましあいが実を結んだものと思います。

●傲慢さが自己中心を招く

 吐噶喇(とから)列島は、鹿児島港から約200キロ南の海上に連なる12の火山の島々からなっています。行政的には鹿児島郡十島村が構成されています。学会では、この十島村と竹島、硫黄島、黒島からなる三島村で十島地区が結成(1964年)されていました。鹿児島市内に住む石切広武が地区部長の任を受け、地区員の激励に当たっていましたが、そこに至るまでの彼の体験が紹介されていきます。

 経済苦にあった石切は、苦境を脱し、食品会社を起こして全国に販路を広げ、借金も返済するなど、見事に実証を示していきました。伸一が鹿児島を訪問した際(1958年)に、石切が現況報告をします。その口調に潜む傲慢さを伸一は見逃さず、厳しく注意するくだりに襟を正さずにはおられません。「題目を唱え、折伏をすれば、当然、功徳を受け、経済苦も乗り越えられます。しかし、一生成仏という、絶対的幸福境涯を確立するには、弛まずに、信心を貫き通していかなくてはならない。信心の要諦は持続です。(中略)   私はたくさんの人を見てきましたが、退転していった人の多くが傲慢でした。慢心があれば、自己中心になり、皆と団結していくことができず、結局は広宣流布の組織を破壊する働きとなる。あなたには、信心の勝利者になってほしいので、あえて言っておきます。」(390-391頁)

 南の果ての島々に通い続ける地区部長の発心の陰に、師のこうした厳しい指導があったことに感動します。広宣流布の戦いにとって、慢心、自己中心は、組織破壊のキーワード であると、改めて銘記するのです。

●一国を支えるような大きな心で

 第一回離島本部の総会には、全国120の島々から代表が集ってきました。その際に、伸一は島の広布推進の要諦を語っていくのです。(440-442頁)

 「一つの島というのは、見方によれば、国と同じであるといえます。したがって皆さんは、一国を支えるような大きな心をもって、自分が、この島の柱となり、眼目となり、大船になるのだとの決意に立つことが大切です。そして、常に島の繁栄を願って、島民のために活躍していっていただきたいのであります」と述べ、離島での信心即生活の原理をやさしく語っていきました。

 最後に、開目抄の「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」から始まり、「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234頁)で終わる有名な一節を通して、「たとえ、島の同志の数は少なくとも、励ましてくれる幹部はいなくとも、〝私は立つ!〟と決めて、広宣流布という久遠のわが使命を果たし抜いていただきたい」と強調していきました。

 大聖人の「疑う心なくば」と、伸一の「一国を支えるような大きな心をもって」の2つの言葉が私の胸に激しく響きます。離島で「一人立つ」精神で頑張る同志に負けるな、と。(2023-3-29)

 

 

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【111】「大物語」のなかで生きること──小説『新・人間革命』第28巻「核心」から考える/3-23

●〝日中新時代〟の暗転とこれから

 1978年(昭和53年)9月11日、中日友好協会の招聘を受け、山本伸一を団長とする第四次訪中団が上海虹橋国際空港に到着しました。3年5ヶ月ぶりでした。「歴史は動く。時代は変わる。それを成し遂げていくのは、人間の一念であり、行動である」から始まるこの章は、1968年の伸一の「日中国交正常化提言」に端を発する10年の戦い及びその前史について紹介されていきます。その中で、伸一の確信が胸を打たずにおかないのです。

 【ともあれ、伸一の日中国交正常化提言から満10年にして、〝日中新時代〟を迎えたのだ。歴史は変わる。人間と人間が胸襟を開き、真摯に対話を重ねていくならば、不信を信頼に変え、憎悪を友愛に変え、戦争を平和へと転じていくことができる──それが、彼の哲学であり、信念であり、確信であった。】(244頁)

 伸一の信念の反映として、苦節10年を経て「日中平和友好条約」がこの年8月12日に調印され、10月に国会で批准が承認されました。そして同時に、鄧小平副総理ら中国首脳が建国いらい初めて来日したのです。この時から、日中蜜月の時代は10年ほど続きますが、その後、江沢民氏の登場(1989-2002)で暗転し、胡錦濤時代(2002-2012)を経て、習近平氏の今へ(2012〜)と厳しい関係に変化していくのです。

 伸一の民間外交の展開の下支えによって開かれた〝日中新時代〟ですが、この30年で逆転してしまいました。これから日中関係を良き方向に持っていくには今一度、不信を信頼に、憎悪を友愛に変えて、平和に向けて戦争への機運を変えていかねばなりません。悲観的に見ずに楽観的に日中関係を捉える視点も重要なのです。

●いかなる「物語」のなかで生きるか

 この後、伸一たち一行は上海から蘇州、無錫、南京、北京へと各地を訪れます。上海では、近代中国の父・孫文が晩年を過ごした故居で、宮崎滔天、梅屋庄吉ら日本人との友情に想いを馳せ、周西人民公社ではそこで働く青年と語らいます。この間に幾つもの大事な着眼点が披歴され、読者の思索が誘われます。

 孫文については、その生き方に「天道」という考え方が確立されていたことが触れられます。「ただわれらは、中国の改革と発展を、既に自らの責任と定めているのだ。何があろうと、生ある限り、その心を断じて死なせない。(中略)  世界の進歩の潮流と合致し、『善は栄え、悪は滅びる』という天の法則に則るならば、最後は必ずや成功を勝ち取ることができる」との言葉が引かれ、広宣流布に生きる創価の同志の生き方との共通性が語られるのです。

 【私利私欲、立身出世といった〝小物語〟を超え、人びとのため、世界のためという〝大物語〟を編むなかに、人生は真実の輝きを放つ】(260-261頁)

    いかなる「物語」のなかで生きることが最も相応しいか。大学時代(1965-68)に考えに考えました。学生運動華やかだった当時のこと。社会革命に生きるか。会社組織で自らを磨くか。こうした道筋を前に、私は「第三の選択」としての「創価の大物語」に、師とともに生きることを決意しました。あれからほぼ60年。自分が選んだ「大物語」は、終わることのない日々波乱に満ちた壮大なものだとの手応えと確信を深めています。

●青年と語ればその国の未来がわかる

   人民公社での青年との語らい。「私たちの世代は、長征に参加することはできませんでした。しかし、今、人民に尽くそうと、武器を工具に替えて戦っています。そこに長征の精神があると思います」──こう語る青年に、伸一は「素晴らしい決意です。崇高な心です。感嘆しました。未来は、あなたたち青年の双肩にかかっています。健闘を期待します」このやりとりのあと、訪中団のメンバーに次のように語ったのです。(268頁)

 「これからの中国は、大発展していくよ。青年が真剣だもの。現代化に対する皆の覚悟を感じるもの」

【その国の未来を知りたければ、青年と語ればよい。青年に、人びとのため、社会のために尽くそうとの決意はあるか。向上しようという情熱はあるか。努力はあるか──それが、未来のすべてを雄弁に語る。】

 日本の青年はどうでしょう。戦後直ぐに生まれた世代は、かつての仲間と会うたびに、今の時代を嘆きがちです。日本はやがて滅びるとまで。何もなし得なかった自分たちの過去を棚上げして。それは「小物語」に生きてきた人間が「大物語」の存在を理解できないことと同義のように思えてなりません。

 【社会の「革新」のためには「核心」すなわち、心を革めることが不可欠である──そのとらえ方に、若き周恩来の慧眼がある。】(297頁)

 「核心」は、まさに「人間革命」に通じるものです。「共産中国」に目を奪われ過ぎて、この国の本質を見失わないよう自戒したいものです。(2023-3-23)

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【110】悠々と信念の大道を進む─小説『新・新人間革命』第28巻「大道」の章から考える/3-15

●〝慈悲〟という生き方、哲学の確立

 われらは詠い、われらは歌う!広宣流布の天空には、壮大なロマンの、詩と歌の虹が輝く──冒頭この出だしから24行の詩が続きます。

 この章も学会歌の作詞作曲を通して伸一が会員を激励しゆく姿が描かれていきます。1978年(昭和53年)7月24日。この年2回目となる四国訪問から始まります。半年前の訪問時に示された幹部革命の烽火について触れられたあと、以下のような記述がなされています。私には極めて大事なところだと思われます。(124頁)

 【幹部の意識革命、人格革命がなされ、〝慈悲〟という生き方が確立されていけば、それは全会員に波及し、励ましの輪は、地域、社会に幾重にも広がっていこう。そして、現代にあって分断されつつあった人と人の絆は、復活していくにちがいない。広宣流布とは、見方を変えれば、仏法の法理を各人が、自己自身の生き方、哲学として体現し、信頼の絆をもって人びとと結ばれていくことであるといってよい。その輪を広げ、人間を尊び、守り合う、生命尊厳の時代、社会を築き上げていくことが、創価の同志の重要な使命となる】

 〝慈悲〟という生き方が自己自身の哲学として体現されること。そして信頼の絆で人びとと結ばれていくこと。この2つが創価学会員の重要な使命だと言われています。うち続く各種選挙支援の闘いの中で、この2つがどう展開されているか。友人が何に困っていて、政治がどうそれに応えているか。それを見抜いたうえで、公明党の実績を語ることで、信頼を勝ち取るというパターンが大事であることを痛感します。

●思いの丈と魂のこもった祈り

 四国から岡山を経て名古屋へ。この間に四国の歌、中国の歌などが作られ、同地では中部の歌「この道の歌」が完成します。その歌を合唱団に続いて独唱したのが三重の富坂良史県長でした。(156頁)

 【長身で大柄の彼が、胸を張って歌い始めた。その声が辺りを圧倒した。何があろうが、リーダーが微動だにせず、悠々と歌声を響かせ、信念の大道を突き進んでいくならば、創価の大城は盤石である。勝負の決め手は、リーダーの一念にある。】

 富坂のモデルは、富岡正史さん。このあとしばらく経って、全国高等部長の任命を受けます。私はこの人のもとで、副高等部長の任を拝しましたが、実は正史さんの叔父にあたる富岡勇吉さんにも大変お世話になりました。勇吉さんは潮出版社の社長をされましたが、私とは中野区の壮年、男子部の幹部同士としてのお付き合いでした。メディアの経営者として、ものを書くことは虚業であり、経営の実に携わることが実業であるといった観点でのアドバイスを頂いたことがあります。目の前がパッと開けた感がしました。

 このあと、東濃文化会館で、5回にもわたる記念勤行会が行われます。毎回渾身の指導がなされていきます。御書の一節や法華経の教えを引いての丁寧な励ましがされていくのですが、私は祈りについての指導が印象深く残っています。(166-179頁)

   「祈りは、ひたすらご本尊に思いの丈をぶつけていけばいいんです。そのさい、〝信〟を入れること、つまり、どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りを捧げることです」

 ここで、祈りについて、「思いの丈をぶつける」と、「魂のこもった」いう形容句が極めて重要に響きます。私としては、一心不乱に、自身の願いをありのままに祈ることだと、確信してきています。昨今、携帯電話の氾濫によって、ご本尊に祈っているのか、スマホに繋がっているのか不明なケースが散見されます。ご本尊直結ということは、自ずから、余計なものを介在させずに、ストレートに祈ることだと思います。

●東京の歌「あゝ感激の同志あり」

 この後、東京、東北、北陸、神奈川、北海道、長野と各方面の歌が作られていきますが、伸一が一つひとつの歌にどれだけ思いを込めて作っていったかが胸に迫ってくるのです。このうち、関西・兵庫で生まれ育ったものの、信仰は東京で培わせていただいた私としては、『東京の歌』に強い思い入れがあるのです。

 この歌の歌詞を解説する中で、次のように強調されています。(186頁)

   「曲名にも入っていますが、『感激』ということが歌の主題です。信心に励んでいくうえでも、幸福を確立していくうえでも、それが最も大事だからです。『感激』できる人は、何事にも感謝していける。清新で謙虚な、豊かな生命の人です。反対に、傲慢で、人が何かしてくれて当然であると考えている人には、『感激』はない」

 この歌は「ああ感激の同志あり」とのタイトルで、朝、昼、夕、夜の4場面ごとに戦うさまが描かれています。学生時代(19歳-22歳)から、この歌を初めて聴いた時まで約13年。歌うたびに懐かしい共戦の日々が浮かんで、涙さえ催すのです。(2023-3-15)

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【109】痛快な人間ドラマは学会歌と共に──小説『新・新人間革命』第28巻「広宣譜」の章から考える/3-8

●ウクライナ詩人の「勝利の歌」と「春の力」

「『私の心に、勝利の歌が響く。春の力が、魂に沸き起こる』──ウクライナの詩人レーシャ・ウクラインカは叫んだ」との一節が「広宣譜」の章の書き出しです。「草創期以来、創価の同志の痛快なる人間ドラマは、常に歌と共にあった。広宣流布の伸展も、庶民の朗らかな歌声がこだまするにつれて、勢いを増していった」とあります。1978年(昭和53年)6月30日の学生部幹部会の席上で、新学生部歌が発表になりました。

 「伸一が作詞作曲した学生部歌『広布に走れ』は、学生部のみならず、瞬く間に日本中の友に愛唱されていった」──この当時、宗門からの執拗な学会攻撃がありました。学生部歌が発表されたその日の朝に聖教新聞紙上に「教学上の基本問題について」と題する創価学会の見解が掲載されたのです。宗門の理不尽な批判に答えるものでしたが、この頃の空気の厳しさを吹き飛ばすかのように、学生部歌は歌われていきました。

 「広き曠野に 我等は立てり 万里めざして 白馬も堂々 いざや征かなん 世紀の勇者 我と我が友よ 広布に走れ」──この一番に続き、二番の出だしは、「旭日に燃えたつ 凛々しきひとみ」。三番は、「今ほとばしる 大河の中に」と続きます。伸一は、歌詞を作りゆく中で、学生部の代表らに、「学生部員は、創価学会丸の船長、乗組員となって、民衆を守り、〝大河の時代〟を切り開いていくんだよ」と呼びかけます。(12頁)

    この歌が発表された学生部結成21周年の記念日での講演で、伸一は「私どもにとって、最大の未来の節となるのが、二十一世紀です。この時こそが諸君の本舞台です。現在の勉学も、訓練も、仏道修行も、その本舞台に躍り出ていくためにある。(中略)  二十一世紀こそ、われわれの勝負の時であると申し上げておきたい」と。

 21世紀に入って既に20年余。当時の学生部員たちも40歳代から50歳代の働き盛りです。あらゆる分野で活躍しています。コロナ禍とウクライナ戦争の併発という現代史でも特筆されるような激流の最中に世界はあります。この章はウクライナの詩の一節から始まりました。実は聖教紙上にこの章が掲載され始めたのは2014年11月。マイダン革命といわれる動きがキエフで始まったのが同年2月。池田先生の深い思いが伝わってきます。

●関西の歌「常勝の空」完成へ

 この後、次々に各グループや方面、地域の愛唱歌を伸一は作詞作曲していきます。その中でも強く印象に残るのが関西の歌「常勝の空」です。この歌は同年7月8日に完成しますが、そこに至るまでの伸一の関西に対する深い思いが伝わってくるのです。中でも、公職選挙法違反という無実の容疑で捕われた、伸一が1957年(昭和32年)7月17日に釈放された後の抗議集会での冒頭の場面が胸を撃ちます。(51-54頁)

   【「皆様、大変にしばらくでございました。堂々たる力強い声であった。兄とも慕う伸一が二週間余にわたって過酷な取り調べに耐え、今、元気に、自分たちの前に姿を現したのだ。関西の同志は感涙を抑えることができなかった。また、広宣流布の道は、権力の魔性との熾烈な闘争であることを痛感し、憤怒のなかに、一切の戦いへの勝利を誓った瞬間だった。「最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!伸一の獅子吼に、皆心を震わせながら、大拍手で応えた。関西の同志は深く生命に刻んだ。〝負けたらあかん!戦いは勝たなあかんのや!──ここに、関西の〝不敗の原点〟が、燦然と刻印されたのである。(中略)  ゆえに、彼は、関西の後継の勇者たちが、〝関西魂〟を永遠に受け継ぎ、新しき飛躍を期す誓いの歌として、「関西の歌」が必要であると考えたのである】

 「常勝の空」ができた2年後の昭和55年に、私は仕事上の転勤で、関西の地に移動しました。いらい1年半にわたって、兵庫、大阪を中心に走り巡りましたが、いつもこの歌と共にあったことを思い起こします。

●原点に返り、一から出直す

 ついで方面歌の作成は、九州に舞台が移りますが、その中で、当時の九州総合長が交代する場面が注目されます。副会長でその任についていた鮫島源治から、吉原力へとの交代です。伸一の鮫島への厳しい口調での指導が響きます。(75-76頁)

 「これを契機に、信心の原点に立ち返って、一兵卒の決意で、本当の仏道修行に励んで欲しい。これは信心の軌道を修正するチャンスです。(中略) もう一度、新しい決意で、一から信心を鍛え直す覚悟で組織を駆け回り、苦労に苦労を重ねて、人間革命していってもらいたい」

 鮫島のモデルになった人物を知っているだけに、強いインパクトを受けます。生半可な決意で創価学会の幹部をしてはいけないと痛感するのです。(2023-3-8)

 

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