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【101】 「真剣勝負」の積み重ねと「精進行」──小説『新・人間革命』第26巻「厚田」の章から考える/1-4

●一人燃え立つところからすべては始まる

 山本伸一と妻の峯子は、1977年(昭和52年)9月30日、札幌市豊平区の札幌創価幼稚園を車で発ち、恩師・戸田城聖の故郷である厚田村(後の石狩市厚田区)を目指していました。そこには、師の名を冠した戸田記念墓地公園があり、この日は完成を祝う記念式典が予定されていたのです。冒頭、いわゆる「墓地問題」の経緯などと共に、創価学会初の墓地公園の所長に就いた伊藤順次の「厚田広布」の戦いが語られていきます。その中で、強く印象に残るのは、次のくだりです。

 【伊藤の心にあったのは〝厚田村は戸田先生の故郷であり、山本室長が、世界の広宣流布を誓った地である。その厚田村に、断じて仏法の光を注ぐのだ!〟との一点であった。〝師のために〟──そう思うと、挑戦の勇気が、無限の力が湧いた。一人立つ広宣流布の勇者がいれば、魂の炎は、一人、また一人と燃え広がり、明々と暗夜を照らし出す。一人立て!すべては一人から、自分自身から始まるのだ】(32頁)

    あらゆる戦いの勝利の源泉は、まず自分が一人立つことから始まると教えられてきました。その原理がここからは、読み取れます。ここは厚田という戸田先生有縁の地ですが、日本、世界いやこの地上すべて場所において、この原理が当て嵌まることが説かれているのが、この小説『新・人間革命』なのだと思います。

●絶望と思える戦いにも、粘り抜くことの大事さ

 さらに10月2日の午後、戸田講堂の食堂で行われた「北海道未来会」第4期の結成式で、伸一は、中学生、高校生の代表26人を前に、人生における極めて大切なことを次の様に、語っています。

 「人間にとって大事なことの一つは、〝粘り〟ということなんです。ある意味で、人生は、絶望との戦いであるといえるかもしれません。(中略)  人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」(59頁)

   決めた目標に向かって、諦めずに粘り抜くことの大事さを、ここでは力説されています。新しい年の開幕にあたって、それぞれ大きな目標を掲げて出発しました。これまで、私も幾たびも様々な目標を掲げ挑戦してきましたが、その積み重ねこそが〝自己実現〟であると確信して、今年も頑張ろうと決意しています。

●「一節でもいいから身で拝そう」

 伸一は北海道に滞在しているこの時(10月4日)に、『御義口伝』を研鑽御書とするように提案します。石狩川の渡船場で、同行していた北海道総合長の田原薫に対して、「『御義口伝』は難解かもしれない。それでも挑戦し、一節でもいいから、身で拝そうとしていくんです。すごい力になるよ」と。田原は、かつて学生部の代表に行われた『御義口伝』講義受講生だけに、伸一の「君たちは、創価新時代の令法久住の先駆なんだよ」の言葉が強く胸に響くのです。(99-100頁)

 「私も戸田先生にお仕えして以来、深く心に刻んできた『御義口伝』の一節がある。『一念に億劫の辛労を尽くせば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり(御書790頁)の御文です。──ここには、一生成仏の要諦が説き明かされている。「本来無作の三身」とは、一言すれば、自身に具わった仏の大生命である。その大生命を、瞬間、瞬間、涌き出していくための要件とは、わが一念に「億劫の辛労」を尽くすことだ」

 ここにある「一念に億劫の辛労を尽くす」の一節は、幾度となく目にし、耳にしてきました。その都度、その大事さは分かりながらも、その実、いい加減に捉えてきたのではないかとの反省が私にはあります。ただ、その一方で、自分にとって絶体絶命に思えるピンチの時には億劫とまでは行かずとも、千万ぐらいの辛労を尽くしたことを思い起こします。

 「無数の辛労を一瞬に凝縮したような、全身全霊を傾けた仏道修行のなかに、仏の智慧と生命力が湧き上がってくるのである」との一文が分かった瞬間は私にもありました。ともかく真剣に、真一文字に課題解決に向かって立ち向かうことなんだと、今では思っています。「精進行なり」なんだなあ、と。

 昨年11月号の『大白蓮華』から「世界を照らす太陽の仏法」のタイトルで、池田先生の『御義口伝』講義が始まっています。これが最後だとの思いで、私も声を出して口読に挑戦しています。新年号では、「秘とは、きびしきなり、三千羅列なり」の一節について、「因果の理法は厳然です。ゆえに仏法は勝負です。善は善として、悪は悪として、必ずその真実が明らかになる。いな、断固として明らかにしていくのです」とあります。従来、私は善悪を分けて考えてきました。しかし、今回、一人の存在に同居しているケースもあるのではないか、と。我見の罠に陥らずに考え続けたいと思います。(2023-1-4)

 

 

 

 

 

 

 

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【100】人を見つけ育てることの大事さ──小説『新・人間革命』第25巻「人材城」の章から考える/12-25

●頭のなかにきざみつけること

 佐賀から、舞台は熊本へ。1977年(昭和52年)5月末のこと。伸一は、青年部の代表に対して、勉強すること、学ぶ姿勢について厳しい指摘をしたあと、学会の人材の要件とは何かについて、語っていきます。きっかけは、会館の由来が書かれた石碑文を、県青年部長が幾度かつまり、読み間違えたことでした。

 「碑文は事前に、よく読んで、しっかり、頭のなかにきざみつけておくんです。急に言われて、上がってしまったのかもしれないが、そういう努力、勉強が大事なんです。戸田先生の、青年に対する訓練は、本当に厳しかった。『勉強しない者は私の弟子ではない。私と話す資格もない』とさえ言われていた」(309頁)と。

 戸田先生の厳しい訓練は、池田先生が時に応じて、会長を含めてそばにいる幹部にされている様子を通じて、教えていただきました。また、最高幹部を経験した大先輩や聖教新聞社で池田先生から直接訓練を受けた同僚、仲間からも聞いてきました。その都度、そばにいて薫陶を受ける人は大変だなあ、と思ったものです。私は、先生の指導を聞き、勉強すること、本を読むことだけはせっせと積み重ねてきました。しかし、それがどれだけ身についているかと自問すると、疑問です。頭の中にきざみつけ、身体に覚えこませることは並大抵ではないと思います。生涯学習を続けていくしかないなと思うだけです。

 テレビでドラマを見るたびに、俳優が長いセリフを覚えていることに、感嘆します。また、スポーツの実況中継を見るにつけ、彼ら彼女らの身体に染み込んだ咄嗟の動きにも驚嘆します。いったい普通の人とどこが違うのか。弛まぬ練習、訓練の繰り返し、連続しかないと思い、老いの身は天を仰ぐのです。

●広宣流布の師弟の道に生き抜く人

     ついで、幹部との懇談会での様子が語られていきます。学会の人材の要件とは何かがテーマですが、根本的な要件として、〝労を惜しまず、広宣流布の師弟の道に生き抜く人〟とする一方、若い女性のあり方について、極めて大事なとらえ方が次のように示されていきます。

【かつて、女性は、幼い時は父母に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うべきであるとされていた。近代の女性たちは、そうした服従の綱を断ち、自立の道を歩もうとしてきた。(中略)  本当に一つ一つの物事を自分で考え、判断しているだろうか。周囲の意見や、流行、大勢などに従っていないか。それが、何をめざし、どこに向かっていくかを深く考えることもなく、ただ、みんなから遅れないように、外れないようにと、必死になって追いかけて、生きてはいないだろうか。】(316頁〜317頁)

    ここは、若い女性への指摘なのですが、年老いた世代が読むと違ったとらえ方をしてしまいます。前半については、近代以前は女性の立場は服従の側面が強かったといえましょう。私のような戦後第一世代は、しばしば民主主義の時代に、強くなったのは「女性と靴下」だと聞かされたものです。半ば揶揄ですが、今やすっかり遠い昔のことで、女性は強くなりました。しかし、まだ道半ばで「男女雇用機会均等」といっても、現実はまだ遠く、理想とは違います。

 後半部分は、女性というよりも、人間全体に言えると思われます。男も基本的には同じだと思えてなりません。自立していない男性も多いのです。私のような世代の男が集まると、結婚した時は嫁は妻だが、やがて妹から姉になり、さらに母親になり、そして看護師や介護師になるという風な言い方がしばしば聞かれます。半ば自嘲ですが、当たっているようにも思われます。高齢を迎えると、男女の関係が逆転するケースも多いようです。

●「裏込」こそ城の基盤

 熊本の代表幹部との懇談で、伸一は、多彩な人材の必要性を強調します。「人材とは、表に立って指揮をとる人のように考えてしまいがちだが、裏で黙々と頑張る人を見つけ、育てなければ、難攻不落の創価城は築けません」と、述べたあと、こう続けています。

 「堅牢な城の石垣は、表の大きな石の裏側に『裏込』といって、砕いた小石が、たくさん組み込まれているんです。この『裏込』が、石垣内部の排水を円滑にし、大雨から石垣を守る。表から見えないが、その役割は重要なんです。学会の組織にあっても、陰で頑張ってくださっている方々は、城でいえば『裏込』にあたります」(389頁)

   リーダーが、陰で頑張ってくれている人を心から尊敬して、大切にしてくれているか。それを〝自分のことを分かってもらえてる。有難いな〟と思って下さってこそ、力が発揮される──「人を見つけ、育てる」ことの大事さ。先輩に、見つけられ、讃えられ、励まされる。そしてまた、自分が後輩に同じことをする──この繰り返しから、揺るぎない堅固な組織が構築されていくことを改めて、学びました。(2022-12-25)

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【99】無理と諦めずに無我夢中の挑戦──小説『新・人間革命』第25巻「薫風」の章から考える/2022-12-18のあと

●個人会館は、弘教、発心、幸福、外交の城

 ついで、山口から九州に伸一は向かいました。この章は、北九州市、佐賀県での激励行が描かれていきます。時は、1977年(昭和52年)5月22日〜27日のこと。会合における「司会」のあり方から始まり、3人の歯科医学生への激励などが語られたあと、個人会館の重要性について触れられます。

 伸一は、峯子と共に小倉南区にある田部会館に向かう車中で、こう語ります。「個人会館は、いわば広宣流布という戦いの出城だ。人びとはそこで仏法の話を聞いて信心し、奮起し、人間革命、宿命転換の挑戦を開始していく。つまり、『弘教の城』であり、『発心の城』であり、『幸福の城』だ。またそこに集う同志の常識豊かで楽しそうな姿を見て周囲の人たちが、学会への理解を深めていく『外交の城』でもある」

 峯子は、笑みを浮かべながら「個人会館の果たす役割は、本当に大きなものがあります。また、会場を提供してくださる方のご苦労は、並々ならぬものがありますね。駐車や駐輪で近隣にご迷惑はかけていないか。会合の声が外に漏れていないか。皆さんの声が外に漏れていないか。皆さんの出入りの音がうるさくないか──と、気遣うことも本当に多いですしね。頭が下がります」と語っています。

    私の青年部時代の昭和50年代はまだまだ会館は少なく、私の妻の実家は中野区の閑静な住宅街にありましたが、ずっと会場として提供させて頂いていました。多い時は100人ほどの人々が出入りしていました。それなりに気遣ってはいましたが、ご近所にはさぞご迷惑だったろうと冷や汗かく思いです。その会場から数多くの人材が輩出されたことが何よりの喜びだと家族は語っていました。

●蒼蝿驥尾に附して万里を渡ってきた、との実感あり

    また、佐賀での懇談では、信心に励むうえで、最も大切な、極意は「師弟不ニ」にあるとしたあとに、次のように述べられています。「戸田先生は、不世出の、希有の大指導者だ。先生の一念は、広宣流布に貫かれている。その先生を人生の師と定め、先生の仰せ通りに、先生と共に、また、先生に代わって広宣流布の戦いを起こしていくんだ。(中略)  『立正安国論』に、「蒼蝿驥尾に附して万里を渡り」(御書26頁)という一節があるだろう。一匹のハエでも名馬の尾についていれば、万里を走ることができる。同じように、広宣流布の大師匠につききっていけば、自分では想像もしなかったような、素晴らしい境涯になれる」(280-281頁)

   ここは極めて大事なところに私には思えます。「先生の仰せ通りに、先生と共に、先生に代わって広宣流布の戦いを起こす」──これは普通の人間にとって、現実にはとても難しいことに思えます。ですが、そう決めてしまい、動くことをせずに、難しそうだからと最初から諦めてしまっては、事態は一歩も変わらず、「素晴らしい境涯」も望めません。

 大変でも、困難に見えていても、やろうと決めて祈って動くところから、名馬の尾についたハエになれることができるのだと確信します。ここでも「無我夢中」になることが大事だと思います。私自身の信仰体験でも、価値のない存在だったのに、遠くまでやってこれたようにしか思えないのは、結果を恐れず挑戦をしてきたからだとの実感があるのです。

●「創価」を貫く行動は「励まし」に次ぐ「励まし」

   佐賀文化会館の庭で伸一が会う人ごとに激励する場面が登場します。例えば、「何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、どんな病にも、負けることは絶対にない。必ず幸せになれるんです!」なとといった情景の描写のあと、次のように書かれており、読むものの胸を打ちます。

 【もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていく──地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。だから、伸一は必死であった。華やかな檜舞台に立つことなど、彼の眼中にはなかった。ただ、眼前の一人に、すべてを注ぎ尽くし、発心の光を送ろうと懸命であった。】(297-298頁)

   「励まし」につぐ「励まし」をされている池田先生の姿を見ました。かつ私自身も直接励ましを受けてきました。そのたびに、どんなに奮い立ったことでしょうか。それを今度は後輩たちや、仲間との交流のなかで、「励まし」をしようと決意し、実践をしてきました。また先輩や仲間から時に応じて励まされてもきました。このまごころの激励、励ましの応酬こそ、創価学会の凄さだと思えてなりません。(2022-12-17)

 

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【98】人生の総仕上げとはいかなる生き方か──小説『新・人間革命』第25巻「共戦」の章から考える/12-11

●山口開拓指導から20年の懇談会で

 「山口開拓」──こう呼ばれた山口県への指導(1956年10月、11月〜1957年1月)から20年が経っていました。伸一は、1977年(昭和52年)5月に山口文化会館の落成を記念する勤行会に出席しました。この章は、東京から関西・滋賀を経て、九州から山口に入った伸一の激励行が描かれていきます。三回にわたる「開拓指導」では、400世帯から4000世帯を超えるまでの大発展を遂げました。その戦いに触れられつつ懇談会が開かれます。

 そこでは、草創の同志たちに、人生の〝総仕上げ〟とはいかなる生き方を意味するのかについて語られているくだりが、深く印象に残ります。「第一に報恩感謝の思いで、命ある限り、広宣流布に生き抜き、信仰を完結することです」から「第二に、人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです」「第三に、家庭にあっても、学会の組織にあっても、立派な広宣流布の後継者、後輩を残していくことです」まで、ユーモアを交えながら、極めて示唆に富む話が幾重にも展開されています。(149-160頁)

   ここからは計り知れないほどのヒントが得られます。例えば、戸田先生の「どこにいても、生きがいを感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ」との講演や、獄中からの牧口先生の「心ひとつで地獄にも楽しみがあります」と葉書の一節などが紹介されています。これらから、あらためて「境涯」というものの持つ意味を考えざるを得ません。

 昭和40年代半ばのこと。中野区鷺宮のとあるアパートの一室でひたぶるにいつもお題目を上げておられた80歳くらいの壮年がいました。楽しそうに、悠々とされたその喜びの表情が当時学生部員だった私の瞼に焼き付いています。と同時に、「豊かな『心の財』を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは表情にも、言動にも、人格にも表れます」(155頁)との言葉が思い起こされます。いつも難しい表情で、笑顔が乏しい自分の顔つきに恥じる気持が生じます。これではダメだと思いつつ、鏡に向かって作り笑いをする私なのです。

●世界広布の道がいかに険路であるか

 この後、山口市内の亀山公園のなかに宣教師フランシスコ・ザビエルの記念聖堂が立っていることを聞いた伸一は、かつて彼の書簡集を読んだことを思い起こします。そこから異郷の地での布教の厳しさが語られていきます。ザビエルの言動から、世界広布の道がいかに険路であるかが読むものに強く響くのです。(160-167頁)

   ザビエルの「説教にも、討論にも、最も激しい反対者であった者が、一番先に信者になった」との言葉や、後輩の宣教師への「あなたがたは全力を挙げてこの地の人びとから愛されるように努力しなさい」との助言が紹介されています。そして、恩師・戸田城聖から、伸一は「世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。東洋に、そして、世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって」と託されたことが語られます。

 キリスト教の世界における布教がいかに凄まじい苦難のものであったかは、よく知られています。仏教でそうした歴史を持っているのは、日本発では創価学会SGIだけでしょう。宣教師や僧侶ではなく、普通の市民の手になる布教ゆえ、苦労の質も違います。先年、ヨーロッパを訪問した際に、ドイツ広布に後半生を捧げてきた壮年、婦人の日本人幹部に会いましたが、日本広布に比べてなお未だ草創期にあることを実感しました。

●「何があっても20年」を合言葉に

 さらに山口文化会館での勤行会で、伸一は20年前の当時を回顧しながら、こう訴えています。(175頁)

 「戸田先生は、よく『二十年間、その道一筋に歩んだ人は信用できるな』と言われた。二十年といえば、誕生したばかりの子どもが成人になる歳月です。信仰も、二十年間の弛まざる精進があれば、想像もできないほどの境涯になります。(中略) しかし、それには、人を頼むのではなく、〝自分が立つしかない〟と心に決め、日々、真剣に努力し、挑戦し抜いていくということが条件です。ともかく、『何があっても二十年』──これを一つの合言葉として、勇敢に前進していこうではありませんか!」と。

 私の信仰生活はやがて60年になります。自分自身の境涯を顧みれば、お寒い限りではありますが、この20年で、やり通したことといいますと、ネット上での「読書録」と、「政治評論」が挙げられます。まだまだ未熟ですが、それなりに努力してきたという自負はあります。20年前にはここまで続くとは思っていなかったのですが、「継続は力なり」を実感します。読者からの声が何よりの励みです。(2022-12-10)

 

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【97】大震災直後の執筆、掲載に深い意義──小説『新・人間革命』第25巻「福光」の章から考える/12-3

●「生涯青春」──もう一度草創期の思いで

 伸一は、1977年(昭和52年)3月11日に東京から福島に向かいます。新しく完成した福島文化会館の開館記念勤行会への出席が目的でした。ここで創価学会の組織、幹部のあり方に関する根源的な指導がなされていきます。ある意味で、この章は苦難、困難にどう立ち向かうかの観点から最も重要なことが書かれています。

 「人生で大事なのは、ラインの中心者を退いたあとなんです。その時に、〝自分の使命は終わったんだから、のんびりしよう〟などと考えてはいけません。そこから信心が破られてしまう。戦いはこれからですよ。(中略)  八十歳になろうが、九十歳になろうが、命ある限り戦い、人びとを励まし続けるんです。『生涯青春』でいくんですよ」(48頁)

   この章が聖教新聞紙上で連載が始まったのは2011年(平成23年)9月1日付けからです。その年には、あの東日本大震災が発生しました。その半年後に、最も被害が大きかった福島県について書かれた章なのです。「福光」のニ字に伸一の万感の思いが込められています。奇しくも34年前の「3-11」から書き起こされています。

 1995年(平成7年)の1月17日には阪神淡路大震災が起こっていました。あの日のことは兵庫県の人間として、命の底に焼き付いています。「大災害の時代」とも規定される今に生きる人間の宿命を感じつつ、「戦いはこれから」、「命ある限り戦い、人びとを励まし続ける」実践を誓うものです。伸一の「この7年間に何人の人に仏法を教えましたか」との問いかけに、1人も実らなかったと答えた草創の先輩幹部に対して、「もう一度草創期の思いで、戦いを起こしましょう」と呼びかけた逸話ほど胸に深く染み込むものはありません。

●「班十世帯の弘教」からの連想

 このあとも、草創期から戦ってきた2人の女性との様々な足跡が語られていきます。その中で、かつて彼女たちが所属していた文京支部の「班十世帯の弘教」にまつわるエピソードが胸を打ちます。これが提案されたのは昭和32年のことですが、当時支部長代理をしていた伸一によるものでした。この当時、戸田第二代会長が願業として掲げていた会員75万世帯の達成がもうひと息にまで迫っていました。

【〝この七十五万世帯達成の大闘争に加わるということは、広宣流布の前進に、燦然たる自身の足跡を刻むことになる。子々孫々までも誇り得る歴史となる。その意義は、どれほど大きく、尊いことであろうか‥‥〟そう思うと、一人でも多くの同志を、その戦列に加えたかった。そして、班十世帯の弘教を提案したのだ。特に、これまで折伏を実らせずにいた人や、新入会の同志などの、弘教の大歓喜の闘争史を創ってほしかったのである。】(59-60頁)

 これを読み、私が入会した昭和40年から4年の間に、次元は違いますが10世帯の個人折伏をしたことを連想します。姉から始まり母に至る4人の家族と、高校同期の仲間たち4人を含む10人です。その時の歓喜たるや、凄いものがありました。班長や班担当員さんが喜んでくれたものです。あれから50年余。我が胸中の闘争史は今もなお輝きは失っていませんが、新たな歴史を刻まねばと思うこと大なるものがあります。

●どんな状況にも壊されない〝心の財〟

 ついで、勤行会の後での代表幹部との懇談で、ある壮年幹部からの、常磐炭鉱の閉山で他の地域に移らねばならなくなるなどの厳しい生活状況に直面するメンバーをどう励ませばいいかとの質問を受けました。その際に伸一は、生活苦に喘ぐ同志たちに大事なアドバイスを渾身の思いを込めてしていきます。(85-90頁)

    「厳しい状況になればなるほど、磨き鍛えてきた生命という〝心の財〟は輝いていくんです。閉山だろうが、不況だろうが、〝心の財〟は壊されません。なくなりもしません。そして、〝心の財〟からすべてが築かれていきます。いわば、逆境とは、それぞれが、信心のすばらしさを立証する舞台といえます。人生の勝負は、これからです。最後に勝てばいいし、必ず勝てるのが信心です。苦闘している皆さん方に、『今の苦境を必ず乗り越えてください。必ず勝てます。勝利を待っております』と、お伝えください」(89-90頁)

 この箇所が掲載された当時の福島県に住む多くの人たちは、絶対絶命のピンチに立っていました。その際のこの伸一の伝言は、津波に家が押し流されようが、原発事故で住まいを奪われようが、〝心の財〟は壊されません、と響いたに違いありません。

 福島第一原発のあの事故から11年余り。岸田政権は、原発稼働へとこれまでの方針を切り替えようとしています。ウクライナ戦争の影響もあり、深刻な電力不足が背景にあるのでしょうが、安全未確認のままの原発回帰には反対です。今後の動向を注目したいと思います。(2022-12-3)

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【96】周りも遠くも照らしゆく存在に──小説『新・人間革命』第24巻「灯台」の章から考える/11-26

●「常識を大切に」との社会部での指導

    創価学会社会部──職場や職域を同じくするメンバーが、互いに信仰と人格を磨き合い成長することを目的に結成された部のことです。1973年(昭和48年)10月に、団地部、農村部(農漁光部)、専門部と共に、社会本部を形成するものとしてスタートしました。伸一は1977年(昭和52年)2月2日に東京での社会部の勤行集会に出席し、次のような激励をしています。

 「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書1136頁)と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」(302頁)

   この指導の前に、伸一は、日蓮仏法は人間のための宗教であるとした上で、皆を温かく包み込みながら幸せにしていくのが仏法者の生き方であることを力説。従来の日蓮教団が排他的、独善的で過激な集団であるととらえられてきたことの原因は、「仏法即社会」の視座の欠落がある、と述べられています。

 「仏法即社会」について、頭ではわかったつもりでも、振る舞いの上でわかったと言えるかどうかは疑問です。勤行、折伏、学会活動などを通じて、世間の人とは違うことをしているとの意識は知らず知らずのうちに芽生えがちです。社会の〝いわゆる常識〟を変えていくとの気構えが時に裏目にでてしまうといえましょう。私自身若かった日に、常識豊かな行動を心がけていましたが、妙なヒロイズムがあったかもしれないのです。

●自身の境涯革命の原理としての「三変土田」

   一方、第一回の「農村・団地部勤行集会」が同年2月に東京で開かれ、全国からメンバーが駆けつけます。伸一はそこでも懇談的に話を進めていきました。会長就任時の『水滸会』での語らいに触れられていますが、そこでの『三変土田』の法理が、深く印象に残ります。(354-363頁)

   【「三変土田」とは、法華経見宝塔品第十一で説かれた、娑婆世界等を仏国土へと変えていく変革の法理である。「三変」とは、三度にわたって変えたことであり、「土田」とは、土地、場所を意味している。】──このくだりから、4頁にわたって、縷々解説が加えられていきます。その後に【つまり、「三変土田」とは、生命の大変革のドラマであり、自身の境涯革命なのだ。自身の一念の転換が、国土の宿命を転換していく──この大確信を胸に、戸田城聖は、敗戦の焦土に、ただ一人たち、広宣流布の大闘争を展開していったのである。】と結論的に述べられるのです。

 かつて初信の頃に法華経全体がおとぎ話的に思え、宗教的限界に翻弄されることがありました。常識的にあり得ないことが書かれている、結局どの宗教も荒唐無稽さにおいて同じじゃないか、との考えに陥ったのです。しかし、幾度も読み、考えていく中で、これは比喩の極致であって、人間の内奥世界を描く一手法であることに気付きました。一念の転換が国土の宿命さえ転換するという原理を確信して突き進むことと、それを信じられずに怠惰なままの日常に甘んじて、なるようにしかならないと諦めることの差を感じ、前者に傾倒していったのです。

●「直達正観」という宇宙根源の法則

 さらに、伸一はここで、地域社会のパイオニアである農村部と団地部の友に、日蓮仏法の偉大さと仏道修行の要諦としての『直達正観』という宇宙根源の法則について、語っていきます。(365-366頁)

   「大聖人の御生命である御本尊を受持し、題目を唱えることによって、直ちに成仏へと至る、宇宙根源の法則です。深遠な生命哲理を裏付けとして、実践的には、極めて平易ななかに、一生成仏への真髄が示された、合理的な、全人類救済のための、大法なのであります」

 こう述べられた後に、テレビに譬えて、法華経以前の釈尊の仏法、法華経、天台の法門、大聖人の仏法を説明されているのです。つまり、ひとつひとつの部品→テレビの組み立て方を示し、全体像を明らかにした→それを理論的に体系づけた→テレビ自体としての御本尊を残された、と。「テレビを見るためには、スイッチをいれ、チャンネルを合わせなければならない。それが御本尊への信心であり、仏道修行です」と。k

 この見事な譬えを聞いたとき、確かにそうだと唸りました。途中の段階で迷い逡巡していても埒はあかない。テレビを見ることによる価値を享受した上で、そこに至る理論を学べばいい、と。この順序が逆になると、混乱するのが関の山だと分かったのです。(2022-11-26)

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【95】歴史を動かし変えていくのも人間──小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から考える/11-18

●自己の変革、生き方の転換がこれからの時代のテーマ

  新たな年1977年(昭和52年)が明けました。この年は座談会運動で魅力ある地区を作ることが目標とされ、伸一も先頭切って東京各区の勤行会などに出席し、仏法への大確信を訴えていきました。1月31日の女子部の会合では、21世紀にはどこに力点をおいて仏法を語っていくかについて、次のように述べています。

 まず、前提として、牧口初代会長の時代は、「価値論を立て、『罰』という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた」し、戸田第二代会長の時代は、「広く庶民に、仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した」とあります。

 その上で、これからの時代は、【〝心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくる──つまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める、日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!もちろん、経済苦や病苦などを解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくであろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくに違いない。つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ〟】と強調しています。(205頁)

 1960年代から70年代にかけて、先進国を席巻したのは政治、経済への変革に向けての「社会革命」の嵐でした。ちょうどこの時代に青年期を過ごした私の周りの世代は、外なる世界を変えることに関心が集中していました。その時に、内なる世界の革命に向かって立ちあがろう、「社会革命」ではなく「人間革命」こそ優先されるべきだ、との創価学会の主張は、大いなる議論を巻き起こしていきました。

 あれから歳月が経って、人間変革を待望する流れは大きく強まってきました。一方で、旧態依然とした政治、政治家を変えていくこと、強まる経済格差の時代にどう立ち向かうかが問われています。腐敗した政治を変えるべく、創価学会は公明党を立ち上げて大衆の中に入っていきました。今再びそういう時がきていると思います。与党だから自民党を批判しないでいいということにはなりません。与党だからこそ、今の政治、経済に責任を持って大衆の悩みを聞く一方、喜び溢れる「座談会」にせねばと痛切に思います。

●青年教育者運動への思い

 ついで、この章では教育部の活動に焦点が移り、青年教育者に対する熱い思いが伝わってきます。第一回の青年教育者大会は、1975年(昭和50年)に開かれていましたが、この大会に伸一が寄せたメッセージには、烈々たる思いがほとばしっています。(244頁)

   「教育は、未来創造の、歴史の方向を決める地下水脈のようなものでありましょう。現在、行われている教育の姿に、未来の輪郭はあるといってよい。あえて言えば、深まりゆく危機の時代の突破口は教育にあり、と私は訴えたい。その意味で、皆さんの使命と責任は極めて大きいのであります」と。

 本日の創価学会創立記念日の聖教新聞1面に、アメリカの中学校の歴史の教科書に池田先生の言葉と写真が掲載されているとの記事が出ていました。「歴史は人を動かす。しかし、その歴史を動かし変えていくのも、人間なのである」と。2006年5月11日付けの英字紙「ジャパンタイムス」に掲載されたコラム「未来を創る力」から引用されたものです。古今東西の9人と併記されているのですが、あらためて、日本との違いを実感します。と共に、今に生きる門下生も全力で戦おうと決意する次第です。

●世界宗教の条件とは何か

 この章最後は、東京教育部第一回の勤行集会での懇談です。伸一はテーブルを前に出し、みんなは周りをぐるっと取り囲みました。宇宙旅行の話からキリスト教をめぐる話まで、話題は多岐にわたりましたが、私はそのうち宗教の世界性についてのくだりに注目します。(276頁)

 伸一は、キリスト教が普遍的な世界宗教として発展した理由は、「民族主義的な在り方や、化儀、戒律に縛られるのではなく、ギリシャ文化を吸収しながら、世界性を追求して行ったことにある」とした上で、「日蓮大聖人が『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(御書1467頁)と仰せになっているのも、それぞれの地域の人びとの諸事情や文化を考慮し、仏法を弘むべきであるとのお考えの表明であるといってよい」とあります。

 キリスト教の神学者であり、創価学会の良き理解者でもある佐藤優さんは、その著『世界宗教の条件とは何か』の中で❶宗門との決別❷世界伝導化❸与党化──の3つを挙げています。この本は、未来を担う学生部の精鋭たちに語られた素晴らしい内容を持つものです。私も賛同する一人ですが、❸については誤解なきよう心する必要があると思います。与党化を当然とするところから退廃が始まりかねないからです。(2022-11-18)

 

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【94】仏法の因果の理法の凄さ──小説『新・人間革命』第24巻「厳護」の章から考える/11-13

●自身の慣れ、惰性を打ち破る大事さ

   この章は、事故をいかにして起こさないかについて、さまざまな角度から述べられています。直接取り上げられているのは、創価学会の会員や建物をどう護るかですが、世の中全般に応用が効くテーマです。1976年(昭和51年)晩秋の夜、本部周辺を歩く伸一と牙城会(会館警備に携わる)メンバーとの語らいから始まります。

 まず山形県酒田市での大火(10月末)から何を学ぶかについて触れらています。危機管理とは、自身の「慣れ」という感覚を打ち破るところから始まる、とあります。更に「注意力というのは、一念によって決まる。〝事故につながりそうなことを、絶対に見落とすものか〟という、責任感に裏打ちされた祈りが大事なんだ。その祈りによって、己心の諸仏諸天が働き、注意力を高め、智慧を沸かせていくからだ」(104頁)と。

 牙城会員に、会館を護るに際しての具体的な注意事項を伸一は伝えていきます。「事故を防ぐには、みんなで、よく検討して、細かい点検の基本事項を決め、それを徹底して行っていくことだ。(中略) 基本を定めたら、いい加減にこなすのではなく、魂を込めて励行することだ。形式的になり、注意力が散漫になるのは、油断なんだ。実は、これが怖いんだ」とも。

 昨今油断からとしか言いようがない、事故、事件が相次いでいます。児童が密閉された送迎バス内に取り残されて死に至る事故から、大臣の失言に至るまで、呆れるばかりの基本を無視し、不用意で無責任な行動や発言が社会全般に目立ちます。法相の「死刑」にまつわる驚くばかりの発言は、人間の生死に関する無頓着さだけでなく、大臣として目立ちたい、お金につながりたいというようなさもしい感情が仄見えるものでした。

 彼とは過去に一緒に仕事をしましたが、なかなか優秀で有能な人材でした。その心の奥底に傲慢さがひそんでいたというしかありません。公明党議員のなかにも昨今政治家として恥ずかしい不祥事が相次いでいます。惰性と油断です。自戒と猛省を促したいものです。

●真剣、誠実、勤勉であることが勝利への道

   ついで女子部の白蓮グループ(会合の運営一切に携わる)についての激励が展開されます。

 【仏法では「因果応報」を説いている。悪因には必ず苦果が、善因には必ず楽果が生じることをいう。しかもその因果律は、過去世、現在世、未来世の三世にわたって貫かれている。過去における自身の、身(身体)、口(言葉)、意(心)の行為が因となって、現在の果があり、現在の行為が因となって、未来の果をつくるのである】(144頁)

    【他人の目は欺くことができても、仏の眼は絶対に欺くことはできない。広宣流布のために祈り、尽くし、苦労した分だけが自身を荘厳するのだ。仏法の因果の理法の眼から見る時、真剣であること、勤勉であること、誠実であることに勝る勝利の道など、断じてないのである】(147頁)

   「冥の照覧」──人間自身に備わった因果律を信じるか信じないか。これが日蓮仏法の究極ですが、それを確信することの重要性が繰り返し語られます。若き日よりこの法理の捉え方をめぐって悩み考え、先輩、同僚、後輩、友人と語り合ってきました。押しては返す海辺の波のように、人生の苦難は襲いきたります。つい弱気が頭をもたげますが、その都度、強気で楽観性を持って、立ち向かおうと我が身を励ましています。

●「諸法実相抄」講義を通じて人間の生き方示す

   1977年(昭和52年)は、「教学の年」。創価学会は新年から山本伸一の聖教新聞紙上での日蓮大聖人の『諸法実相抄』講義でスタートします。

 【人間とは何か。生命とは何か。自己自身とはいかなる存在なのか。なんのための人生なのか。幸福とは何か。生とは何か。死とは何か。──仏法は、そのすべての、根本的な解答を示した生命の哲理である。したがって、仏法を学び、教学の研鑽を重ねることは、人生の意味を掘り下げ、豊饒なる精神の宝庫の扉を開く作業といってよい】(166頁)

【「諸法実相抄」講義で伸一は、大宇宙、社会の一切の現象は、妙法の姿であること、そして、御本尊は、大宇宙の縮図であり、根源であることを述べていった】(170頁)

【題目を唱えれば、もちろん功徳はある。しかし、〝病気を治したい〟という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる】(176頁)

 この講義が掲載された年、私は32歳。中野区男子部長となり、同区内を駆け巡る原動力にしていました。そして『新・人間革命』のこのくだりを聖教新聞で拝読した2010年10月頃は65歳。ひとたび落選した後に蘇って当選という史上初の経験をしたあの選挙の翌年でした。生命の底からの感動と共に大衆の中に分け入っていったものでした。(2022-11-13)

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【93】「精神革命」の傍観者から実践者へ──小説『新・人間革命』第24巻「母の詩」の章から考える/11-5

●東西の実践者の革命的対談より半世紀

 アンドレ・マルローは、〝行動する知識人〟として知られた戦後のフランスを代表する作家。1976年(昭和51年)の8月末に、彼と伸一との対談集『人間革命と人間の条件』が出版されました。二人は、1974年と75年の二度にわたって対談、それをまとめたものです。これには著名な評論家・桑原武夫の「実践者の対話」という序文が寄せられました。ここからこの章は始まります。(7-13頁)

    桑原は伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚をつづける大実践者」と評した上で、マルローがなぜ、創価学会に強い関心を寄せているかについて語ります。「政治権力によって教団が骨抜きにされてしまった日本とは異なり、宗教が政治権力と拮抗しうる力を持った西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本とは比較にならぬほど強い興味をもっている」と。

 マルローは、西欧でかつて人間形成の役割を果たしてきた宗教的秩序が、今や失われてしまったと指摘すると共に、「会長は、日本で、この人間形成のための偉大な宗教的秩序という役割を果たすことができます。世界的価値の見本を示すことができましょう」と述べています。世界の精神的現状への強い危機感を示すマルローに対して、伸一は21世紀をどう見るかを聞きます。彼は「現在の与件からはいまだ予想できない」としつつも、「まさに一つの精神革命といっていい」ほどの〝計り知れないほどの現象〟が現れると答えました。我が意を得た【伸一は、その精神革命の基軸たり得るものこそ、仏法であるとの確信を力説した】と、あります。

 この対談を読んだ当時、私は30歳になったばかり。21世紀には「素晴らしき新世界」がくると勝手に楽観的な希望を持ちました。しかし、現状は表面的には逆の方向にあります。人類は西も東も、南も北も混迷と混乱の一途を辿っているかに見えます。だがそれを嘆くだけでは、傍観者です。「精神革命の方途」を知った人間が「自己変革への不断の戦い」を持続し、更に周りに広げゆく実践者として立ち上がるしかないのでしょう。

●母親が境涯を高め、聡明さを身につけること

 続いて、各方面での文化祭に舞台は移ります。東京文化祭での激励のあと、伸一は母の容態の急変を聞き大田区の実家に向かうところから、「自身の母への回想」と〝母なる存在への思索〟が展開されていきます。とりわけ伸一の作詞した『母の歌』をめぐっての動きと、現実に永眠しゆく母への思いが交錯したくだりは強く読むものの胸を揺さぶります。(42-87頁)

   【母性、母親への賛辞は、時には自分を犠牲にしてまで子どもを守り、生命を育もうとする愛の、強さと力への賞賛である。「開目抄」には、激流に流されても、幼子を抱き締めて、絶対に離さなかった母の譬えが引かれている。子を思う慈念の功徳によって、母は梵天に生じたと説かれる。大聖人は、人間の一念の在り方を、この母の慈念を手本として示されたのである】──こう原理が示された上で、具体的な母のありようが次に描かれています。【母は子どもにとって最初の教師であり、生涯の教師でもある。それゆえ、母が確固たる人生の根本の思想と哲学をもつことが、どれほど人間教育の力となるか。人間完成へと向かう母の不断の努力が、どれほど社会に価値を創造するか。母が境涯を高め、聡明さを身につけていった時、母性は、崇高なる人間性の宝石として永遠なる光を放つのだ】

 昨今の世相は残念ながら母の子への虐待など、信じられないような無体な犯罪が日常茶飯に報じられています。何かが狂っている──人間性の破壊を目の前に、こう思わざるを得ない現実をどう変えていくか。時代の綻びたる〝無教育現象〟を座視せず、ここでも傍観者から実践者への転換が求められています。

●牧口園はなぜ東海研修所に開設されたのか

 この年の3月に静岡県熱海市の東海研修所に、初代会長牧口常三郎の遺徳を顕彰するための牧口園が開園されていました。伸一は9月14日にここを訪れます。大沢光久園長に、伸一はなぜここに牧口園を開設したかのわけを、温暖で風光明媚なところだからと強調します。また、研修会では、なぜ、先師と恩師を守り、宣揚するのかと問いかけ、それは、私たちに、大聖人の仏法を、御本尊を、御書を教えてくださったのが牧口先生、戸田先生であったからだと力説します。(90-92頁)

 先師、恩師を敬い、尊敬していてもその心を具体的に表す実践がなければ、絵に描いた餅と同じです。牧口先生が冷たい監獄で最後を迎えられたからこそ、温暖で風光明媚なところを宣揚する場所として選び、先生の死身弘法のご一生に弟子としての赤誠の志を顕すのだ──伸一のこの熱い思いを知って、慄然とします。観念だけでは通用しないことを学ばねばなりません。(2022-11-5)

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【92】「猶予付き死刑囚」との自覚──小説『新・人間革命』第23巻「敢闘」の章から考える/10-31

●臨終の事を習いきったのかとの自問

 1976年(昭和51年)夏、男女青年部の結成25周年を迎え、伸一は中部指導に赴きます。その際に三重県白山町の三重研修道場で開かれた第一回青春会総会(7月23日)で、女子部に対する根源的な指導をしました。ここでは「宿命」について次のように語られています。(289-292頁)

  「人生には生老病死の四苦がつきまとっています。生まれてくること、生きること──そこにも、常に苦しみがあります。生を受けても、経済的に豊かな家に生まれる人もいる。反対に、食べていくことさえ大変な、貧しい家に生まれる人もいる。(中略) そこに宿命という問題がある。これは学問や科学では割り切れない問題です。既成の宗教でも解決できません。日蓮大聖人の大仏法にしか、この問題を解決し、乗り越えていく道はありません」と述べ、女性の一生に即して、結婚による嫁と姑、夫の仕事や病、死別、出産した子どもの先天的な病、自身の難病など細かく例を挙げ、信心が宿命を乗り越えていくためのものであると、力説しています。

 私の身近なケースで言うと、姉の出産した子どもの病が最も難題でした。そこから夫婦間の齟齬が起き、家族生活の破綻の危機に直面しました。ですが、信仰の力で乗り切りました。また、私自身、最初に授かった子どもが重度の障害を持っていました。生まれ落ちると同時に、というか死産の状態でこの世に出てきたのです。入信前後に、こうした「宿命」について常に考えていただけに、見事なまでの一致に驚愕しました。あの子の生命力が強ければ、一緒に悩み暮らしたかもしれません。また、それを契機に力強い人生を歩んだかも分からないのです。妻も私も、重度身体障害の娘を授かると同時に死別したことの意味を深く考えたものです。

 続いて「老」と「死」について伸一が語っているところが注目されます。文豪ユゴーの『人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない、猶予づきの死刑囚なのだ』という言葉や、トインビー博士の「日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった」との発言が引用されています。

 若き日の私は、日蓮大聖人の「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書1404頁)のくだりを読み、心底同意して、懸命に祈り、考えました。そして、政治、法律、経済、文学などの諸学問を学習しました。様々な信仰上の体験、学問上の経験も一応型通り積ませていただきました。では、今全て盤石かどうか。残念ながらそうは言えない心許なさが76歳の今もつきまといます。今も日々我が生命の弱さと戦い続けているのです。

●長田耕作の話と明石の関わり

 一方、7月26日に同じ研修道場で中部学生部の夏期講習会があり、懇談会の場が持たれました。そこで神戸出身の長田耕作学生部長とのやりとりが注目されます。寿司職人であった彼の父親と母親の苦労が語られ、苦難を乗り越えて蘇生してゆく姿が描かれていきます。そこで、戸田城聖先生の生まれ故郷の「厚田村」とその歌にまつわる思い出が語られ、「学生部厚田会」が結成されていくのです。(312-320頁)

    実は、先年、この長田耕作のモデルとなった中部の幹部に私は直接電話をして、体験談を改めて少し聞き直したり、その背景などを聞きました。なぜかといいますと、長田家に「初信の功徳」が現れたとの記述のあとに「かつて面倒をみた知人が、兵庫県の明石にある店舗を貸すから、もう一度寿司店を開かないか」との連絡をくれたとあるからです。つまり、この一報から長田の家族に幸運がもたらされたのです。私は今、明石に住んでいます。明石の学会員同志は、この小説のこの箇所に出てくる「明石」の文字に伸一とのえにしを感じていると伺いました。この事を伝えて、お互いの信心の激励に供したかったのです。

●幹部の堕ちていくパターン

 8月25日には九州研修道場での「伸一会」の懇談会の模様が描かれています。そこでは幹部が退転していくケースについて、厳しい口調で次のように語られていく場面が印象に強く残ります。(368-371頁)

 「私は戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが堕ちていく姿を、いやというほど見てきました。地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです」とのくだりです。(369頁)

   実は私は伸一会メンバーなのですが、2期生ですので、こ場には臨んではいません。しかし、先輩幹部から口伝えで聞きました。この指導は全ては当たらずとも、部分的一致を感じ、〝当たらずといえども遠からず〟を戒めてきました。長く生きると「進まざるを退転という」事例に数多直面します。これではいけない、と我が身を叱咤激励するのです。(2022-10-31)

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