【21】無視された青年の歴史的集いー小説『新・人間革命』第5巻「勝利」の章から考える/8-2

★一紙も取り上げなかった創価の青年の集い

 昭和36年10月23日にヨーロッパから帰国した伸一は、この年の総仕上げの活動に全力を挙げていきます。そのハイライトが11月5日に国立競技場で開かれた男子青年部の総会と11月12日に開かれた横浜・三ツ沢競技場での女子部総会でした。前者は10万人、後者には⒏5万人の男女青年が参加していました。嬉々として集う青年たちの姿と総会の模様が描かれる一方、時代背景に横たわる課題について、こう記されています。(195頁~253頁)

 「青年には、時代と社会を担いたつ責任がある。しかし、青年たちに、その使命を自覚させることのできる指導者も、民衆の幸福と平和を約束する指導原理を示せる指導者もいなかった。そこに、不世出の大指導者である戸田城聖に代わって、青年たちの進むべき大道を開く、伸一の使命もあった」

 この日集った青年たちが「新しき人間世紀の幕を開く主体者として、生涯、広宣流布に生き抜くことを固く心に誓い、それを自身の誇りとし、誉れとしていた」ことに触れた上で、過去に改革に立ち上がった青年たちとの比較がなされています。それは、「武力による改革」ではなく、「人間革命という人間自身の生命の変革を機軸とした、平和裏に漸進的な社会の改革」であって、「民衆が主役となる時代の建設であった」というのです。

 さらに、「この十万人の男子部総会は、まさに、新たな人間の復権の勃興を象徴とする歴史的な集いといえた。ところが、それを報じた、一般の新聞は一紙もなかったのである」と続きます。(225頁)

 この当時16歳だった私は、前年の安保条約改定に反対する世の中の空気に強い関心を持っていました。暴力革命も辞さぬ極端な左翼思想と、政治的動きに関心を示さないノンポリ層の間に立って、選択すべき道に思い悩んでもいました。当時、創価学会の存在を知らず、真面目に人間変革から社会の変革へと繋げようとする青年たちがいることなど、想像すらできませんでした。

 新聞その他のメディアは、10万人もの青年が集まっていても、一宗教団体の偏頗な思想に取り憑かれた連中の集まりぐらいにしか捉えていなかったものと思われます。その後状況は多少変わり、創価学会の大きな催しや池田先生の平和提言などについて、それなりに取り上げられてきてはいます。

 しかし、創価の青年の心意気にたち至るような記事にはとんとお目にかかりません。公明党と創価学会といえば、いつも「婦人部」についてのステロタイプな視点ばかり。それなりに意味はありますが、青年の生き方の観点から創価学会の及ぼす影響について、メディアが触れようとしないことに、私は疑問を抱きます。

★実態とイメージのギャップの差を埋めること

 ついで、舞台は女子部総会へ。終了後、青年の育成の仕方や課題について、伸一の思索と戸田とのやりとりが披歴され、惹きつけられます。(248頁)

 「伸一は入会当初、青年部の先輩たちの姿を見て、学会が好きになれなかった。先輩たちの多くは、権威的で威圧的であり、自らはなんの責任も負おうとはしなかった。彼は、そんな姿に、いつも失望していた」とあり、率直にその思いを戸田城聖にぶつけます。戸田からは、「それなら、君自身が本当に好きになれる学会をつくればよいではないか」と、「明快な答え」が返ってきます。

このことがきっかけとなり、後に伸一は音楽隊の結成や体育大会の開催など「理想的な学会をつくる」ために企画実行していったことが記述されています。このくだりを読み、私は、創価学会の本質と一般的なイメージのギャップということを考えます。伸一がかつて感じた「失望」が、草創期の学会には確かにあり、それが世の学会観を形成するのに一役買っていたのです。それを払拭すべく伸一は苦闘し、見事に〝好きになれる〟学会をつくりあげました。

 私などはむしろ入会以前の創価学会への思い込みと、肌身で感じる実感との落差に驚きました。見ると聞くとでは、大違いだったのです。聞いていたイメージは、権威づくめのピラミッド型組織。現実に見たのは自由闊達な円型組織。これを世に説明せずにおくものか、と率直に感じて、友との対話の中で、あらゆる場面で話していったのです。(2021-8-2)

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【20】宗教相互で〝善の競争〟をー小説『新・人間革命』第5巻「歓喜」の章から考える/7-29

◆サン・ピエトロ大聖堂前広場での懇談

 一行は昭和36年10月15日にースペインに入り、スイス、そしてオーストリアを経て、19日に今回の旅の最終訪問地であるイタリア・ローマに到着します。伸一はバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂を見学したあと、同広場を歩きながら同行の青年たちと懇談をします。

 同行の青年から、他の宗教との接し方について、日蓮といえば非寛容な宗教だとの捉え方があることについて、時代や状況に応じて折伏をどう考えるかについてなどの質問が出されていきました。それについて伸一は自身の体験などを織り交ぜて丁寧に応えていきます。

 この中で、私が注目して読んだのは、〝善の競争〟という言葉が出てきたくだりです。(151頁)

「人類の歴史は、確かに一面では、宗教と宗教の戦争の歴史でもあった。だからこそ、平和の世紀を築き上げるには、宗教者同士の対話が必要になる。(中略)仏教とキリスト教、仏教とユダヤ教、仏教とイスラム教なども、対話を開始していかなければならない。それぞれ立場は違っていても、人間の幸福と平和という理想は一緒であるはずだ。要するに、原点は人間であり、そこに人類が融合していく鍵がある。そして、宗教同士が戦争をするのではなく、〝善の競争〟をしていくことだと思う」

 さらに続けて、「〝善の競争〟というのは、平和のために何をしたか、人類のために何ができたかを、競い合っていくことです。また牧口先生が言われた、自他ともの幸福を増進する〝人道的競争〟ということでもある」と。

 かつて、創価学会は世の中における様々な恵まれぬ存在に対して、寄付などの直接的救済活動に手を染めず、その生き方の根本を正すために、宗教の正邪を問うべく折伏活動に邁進しました。前者を「小善」、後者を「大善」と位置付けて。当初私はいわゆる慈善事業をすれば学会理解は進むのにと疑問に思いました。しかし、「お金」で済ませてしまうと、その場は凌げても、より根本的な問題点を見失いがちになるということに気づきました。「善」「人道」の観点から、より高次元な取り組みが必要だということなのです。

 阪神淡路の大震災や東北の大震災にあって、被災者への避難場所としての会館の提供から始まり、人類の平和に向けての具体的な提言やら、「反核平和」に向けての展示出版活動など、〝善の競争〟〝人道的競争〟にチャレンジする創価学会の営みは特筆されて然るべきです。すぐ、「経済的支援」を求めがちな自身に対する自省の念も込めて、「財の競争」ではない、この宗教間における真の提案を真摯に受け止めたいのです。

◆仏法への大きな認識の差

 この一連の懇談、質疑応答(140頁〜155頁)の最後で、十条潔が投げかけた質問に、伸一が「一抹の不安を感じた」とあります。ここは見逃せないところだと思います。それは、伸一が述べたことを他の宗教との妥協と捉え、仏法を受け入れない場合は厳しく糾弾していくべきでは、と十条が述べたことについてです。

 伸一は、そういうことでは「自己満足に終わり、友情も壊れ、反目しあうことになる」し、「複雑な現実の世界のなかで、人類の融合をめざしていくには、粘り強く対話を重ね、人間として、深い友情を育んでいく以外にない。宗教で人間を裁断するという発想は改めなければならない」などと注意しています。

 と同時に「今の最高幹部と自分の間に、仏法への大きな認識の違いが生じていることに気がついた」とし、「宗教者の社会的使命に眼を閉ざした幹部の思考に、一抹の不安を感じた」と書かれているのです。

 この懇談は私の入会の4年前に行われていたのですが、私が入会して以降も基本的には、十条さんのような考え方が横行していたように思われます。さらに、この章が聖教新聞に連載された1996年当時も、未だ定着はしていなかったかもしれません。伸一のこの記述を目にして、それぞれが我が身の来し方を思い起こして、ゾッとしたというのが真実に近いように思われます。ことほど左様に、師の思いを弟子は知らず、旧態依然とした古い考えに取り憑かれていたのです。(2021-7-29)

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【19】理想の社会保障を求めてー小説『新・人間革命』第5巻「開道」の章から考える/7-23

●「いつの日か美術館を作りたい」との思い

 昭和36年10月10日、山本伸一たちは西ドイツからオランダ、フランス・パリへと向かいます。パリでは、ルーブル美術館を訪れました。同美術館中庭で、伸一を囲む芸術談義が始まります。(43頁〜48頁)

 本来、偉大な芸術、文化の根底には、哲学、そして宗教的な何かがある。ルーブル美術館の数々の名品も、多くはキリスト教という土壌の上に咲いた精華であり、そこには、宗教によって耕された〝聖なる心〟が投影されているといえよう。山本伸一は、未来を思い描くように言った。

「宗教と、芸術、文化というのは、本来、切っても切れない関係にある。古来、仏教も、多くの芸術、文化の華を咲かせてきた。これから広宣流布という民衆の生命を耕す大文化活動が進めば、日蓮大聖人の仏法を根底にした、新たな芸術、文化の絢爛たる華が開いていくことになる。楽しみだな‥‥。そうした芸術の創造のためにも、また民族、国境を超えて、民衆と民衆の相互理解を深める交流のためにも、いつの日か美術館を作りたいね」

 この語らいから22年後の1983年(昭和58年)11月に、東京八王子市に東京富士美術館がオープンします。以来すでに38年が経っており、私もこれまで幾たびか、この美術館に足を運んだことがあります。その多くは、ヨーロッパから搬送された美術品が展示される機会でした。その都度、感動を新たにします。

 かつて私は古寺に造詣深い友人に勧められるまま、奈良や京都の寺院に足を運び、仏像の前に佇む機会がありました。仏教を根底にした美術、芸術の何たるかが分からず、率直に言って、単にグロテスクな表現に過ぎないのではないか、との印象を抱きました。この美しさが分からないのかと、嘆かれたものですが、いかんともしがたかったことを覚えています。かの有名な『大和古寺風物誌』の、あのシーンそのままでした。

 一方、初めて訪れたスペインのプラド美術館で見たゴヤの一連の絵画作品は胸に強く迫ってきました。こういうものはいい、と。中野京子さんの『怖い絵』に見るような、考えさせられる絵画にも凄く惹かれます。要するに、私は絵にも物語性を求めてしまうのです。尤も、その昔に見た、地獄絵図のような仏教絵画ではなく、ワクワクするような仏教美術作品に、であいたいと思うのですが‥。今のところ出くわしていないのは残念至極です。

●高齢化社会に向けて個人と社会全体の取り組み

 10月13日に一行はイギリス・ロンドンへ。翌日、市内を回って大英博物館やバッキンガム宮殿などを訪れる合間に、公園で、とある老人と会話を交わします。伸一は、高齢化社会を前に社会保障制度の現実の一端を知ろうとしていたのです。その老人とのやりとりに始まる老齢社会への考察は、今や後期高齢者となった私にとって、極めて身近に思えてなりません。政治の世界で仕事をしてきた立場から、結論的に述べられた以下のくだりが身に沁みいります。(64~76頁)

「高齢化社会に備えるためには、従来の社会の在り方そのものを考え直し、政治はもとより、医療機関、企業、住民など、社会全体での取り組みが求められる。しかも、それらは一朝一夕に対応できることではない。それだけに、国家の指導者には未来を見すえて万全な対策を練り上げていく構想力と、それを実行していくリーダーシップと、責任感が求められる。また、そうでなければ、国民が不幸である」

 2000年の介護保険の導入を始め、高齢社会の仕組みに大きくメスを入れる社会保障の充実に公明党も力を入れてきました。確かに確実に事態は変わってきてはいます。しかし、それで十分かどうか。残念ながら、高齢者にとって、生きづらく住みにくい日本社会の現実は、広がる格差のもと一段と厳しさが募っています。高齢社会への創価学会の取り組みは着実に進んできていますが、社会全体での取り組みは未だしの感が強いのです。これはどうすればいいのでしょうか。

 解決へのヒントは、ユダヤの詩人サムエル・ムントの『青春』と題する詩の最後の一行にあるように思えます。この詩は、「山本伸一がイギリスにあって考えた心の若さという問題を巧みに表現していた」とされています。そこには「理想を失うとき初めて老いる」と、あるのです。逆に言えば、個人も社会も、押し潰されるような「現実」に負けてしまわない限り、「老いない」との意味でしょう。社会全体の「理想」実現に向かって、さらに頑張らねば、と私は闘志を掻き立てています。(2021-7-23)

 

 

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【18】宗教弾圧に見る類似性ー小説『新・人間革命』第4巻「大光」の章から考える/7-18

●コペンハーゲンでの教育についての考察

 昭和36年10月4日、山本伸一は初の欧州への旅に出発します。「大光」の章では、デンマークから西ドイツ(当時)への行程について述べられています。ここでまず私が注目するのは、デンマークの「フォルケホイスコーレ」という「国民高等学校」と訳される「民衆の大学」についての記述です。日本ではあまり知られていないのですが、デンマークのユニークな教育の発信源がこの「フォルケホイスコーレ」でした。

 牧口常三郎先生が『創価教育学体系』の「諸言」(序文)で、その創設者であるグルントウィと後継者・コルについて紹介されており、伸一はコペンハーゲンで、その深い絆で結ばれた麗しい師弟の姿について思い起こしています。「フォルケホイスコーレ」とは、「教師が学生と共同生活をしながら、自由な対話の中で学んでいく」ものであり、「人生の知恵を育み、知識を習得するとともに、市民こそ社会の主体者であるとの自覚を培うもの」でもあって、「人間と人間の触発による、生きた教育の場」だったといいます。

 山本伸一は、「自分もコルのように、先師牧口常三郎と恩師戸田城聖の教育の理想を受け継ぎ、一刻も早く、創価教育を実現する学校を創立しなければならないと思った」とあります。私はこのくだりを読んで、草創の頃の創価学会が、しばしば「校舎なき総合大学」だと言われてきたことを思いだしました。昭和40年に東京・中野区で私が入会を決意した座談会でも、小学校の先生をされていた紹介者からそう言われたことを覚えています。伸一の強い創価教育への気概が会内の隅々にまで行き渡っていたのだと思われます。素晴らしい校舎の創価大学が出来てちょうど50年。今もなお会員の多くは、〝校舎のない大学〟で学んでいるとの自覚を持っています。そしてこれを〝創価教育の素晴らしき二重構造〟と私は呼びたいのです。

●ライン川の岸辺でのナチスドイツに関する語らい

「人間と人間の触発による生きた教育の場」との表現にピッタリするのが、伸一を囲む懇談、座談、質問会の場です。この章でも、ライン川の岸辺の語らい(326頁〜346頁)は、その感が濃く、印象深く迫ってきます。この刻(とき)は、男子部幹部の黒木昭が「こうしてライン川を見ていると、あのハイネの作った『ローレライ』の歌を思い出しますね」と、伸一に語りかけたことから始まっています。

話題は『ローレライ』の作者ハイネがユダヤ人であったことによる、独裁者ヒトラーの悪業へと移り、その歴史的背景が語られていきます。ナチス政権が誕生した1933年頃、約50万人ほどのユダヤ人が住んでいましたが、彼らは独自の宗教的な共同体を形成して、その存在を守り抜いていました。その共同体を、反ユダヤ主義者たちは「国家の中の国家」と言って危険視していくのです。

「〝ユダヤ人の忠誠は、彼らだけの『国家内国家』に対するもので、彼らがキリスト教国家に対して忠誠であるわけがない〟」との論理で、〝国際ユダヤ主義〟がドイツ国家にとって危険極まりないものとされていきます。この政治的な「人種差別主義」に肥大化されゆく経緯は、決して対岸の火事で済むものではありませんでした。戦前の日本に話題は移り、神道の国教化によって、「いつのまにか日本には信教の自由はおろか、何の自由もなくなっていた」事実が語られます。

「こうした事態がこれから先も起こりかねない」と、伸一は男子部長の谷田昇一に注意を促しています。私たちは戦時下の日本での牧口、戸田両先生への宗教的弾圧が、ドイツでのナチスによるユダヤ人虐殺と、根底において類似性を持っていたことに気づかざるを得ません。そして、それは今でも、虎視眈々と反創価学会勢力が狙っていることと、決して無縁ではないと思われるのです。(2021-7-18)

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【17】史上初の権力の側からの改革ー小説『新・人間革命第4巻「立正安国」から考える/7-13

●「文明論之概略」に見る福沢諭吉の仏教観

昭和36年7月3日。総本山にやってきた伸一は、戸田先生の墓前で来し方への思いを巡らします。牧口、戸田両師への国家による弾圧、自身に対する大阪事件ー「広宣流布とは、権力の魔性との戦いであることを痛感」するのです。そして、思いは、国家権力に取り込まれ、擁護されてきた、仏教を始めとする日本の宗教のあり様に及びます。その決定的な例証として福沢諭吉の指摘を挙げるのです。

彼の代表作『文明論之概略』の次の箇所を引いて、仏教各派の「延命と繁栄を図る術」の実態を指弾しています。すなわち、福沢が「仏教盛んなりといえども、その教は悉皆政権の中に摂取せられて、十方世界に遍く照らすものは、仏教の光明にあらずして、政権の威光なるがごとし」と一刀両断しているくだりです。

福沢諭吉は、いわゆる無神論者であったことが遍く知られています。ただし、宗教を否定したのではありません。一身の独立を重んじる上で、既成仏教のあり方が妨げる存在になると見たのです。私見では、浄土真宗の家に生まれた影響が強かったものと思われます。法華経の本質に迫る機会があったれば、「自力本願」を旨とする日蓮仏法に共感を抱くに至ったことは間違いないと、想像するのですが。江戸期から明治の時代背景にあって、日本文明の台頭を促した彼の役割を考えると、宗教とそれなりの距離を置いたことは意味のあることだったと思います。

●自然災害の多発と疫病の蔓延と「立正安国論」

8月2日からの夏期講習会で、山本伸一は立正安国論を中心に御書講義をしますが、その核心部分は今を生きる私たちにとって極めて示唆に富む内容となっています。(264頁から290頁まで)

「創価学会の使命は、日蓮大聖人が示された、この立正安国の実現にある。宗教が、現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる」「その世界に、恒久平和の楽園を築き上げるために、人間主義の哲学をもって、人びとの生命の大地を耕していくことが、立正安国の実践であり、そこに創価学会の使命がある」「創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる〝悲惨〟の二字を根絶していくことが私たちの使命です」ーこう我々の「使命」について、語られています。

この御書講義から60年。創価学会は瞬時も休むことなく壮絶な戦い、実践を展開してきています。宗教団体としての「人間を第一義とする思想の確立」から始まり、文化・芸術的土壌を培う民主音楽協会の取り組みやら、具体的な身の回りの政治、経済、社会的課題解決に挑む公明党への支援など、ありとあらゆる問題に挑戦しているのです。

時代の状況は明らかに半世紀前とは大きく変化してきています。自然災害はおさまらず〝巨大災害の時代〟の呼称さえ冠せられる一方、新たな感染症に悩む状況を招来しているのです。さらに、国際社会に目を転じますと、かつての米ソ対決から米中対決へと、舞台の質的変化は流動的で、人類にとって予断を許さぬ危機的状況が続いています。核の脅威、気候温暖化やエネルギー、食糧、水危機など地球を破滅に追いやる恐怖のネタに事欠かない有様なのです。

この時をどう捉えるか。私たちが若き日に抱いた「総体革命の実現」「地球民族主義の確立」「第三文明の勃興」は未だならず、〝更なる連続革命〟に邁進するしかない、と私は決めています。確かに直面する状況は厳しいものがありますが、かつての野党から与党になって改革を進める公明党、世界の多くの国で水嵩を増す創価学会SGIは極めて心強い存在となっています。未だ少数勢力とはいえ、日蓮仏法を信奉する人々が国家の中枢に存在していることは見逃せぬ事実です。史上初の権力の側からの改革に着手し続けていると、私は見たい。広宣流布への道は険しくても歩き続けるなら必ず素晴らしき風景が眼前に現れるものと確信しているのです。(2021-7-13)

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【16】何事にも両面があることの絶妙さー小説『新・人間革命第4巻「青葉」の章から考える/7-7

●仕事と学会活動の両立という矛盾を超えて

青年期における最大の課題は仕事や勉強と学会活動の両立です。私も勉強については悩み、苦しみました。結局、勉強を捨て活動優先にしてしまい、今に至る後悔の源になっています。

山本伸一は両立に悩む青年の質問にこう答えています。「苦しいな、辛いなと思ったら、寸暇を見つけて祈ることです。祈れば、挑戦の力がわいてくるし、必ず事態を開くことができます。そして、やがては、自由自在に、広宣流布のため、活動に励める境涯になっていきます」と。

ここで興味深いのは、現実は矛盾だらけ、相反することばかりだと述べているくだりです。諺にも『武士は食わねど高楊枝』に対して、『腹が減っては軍は出来ぬ』があり、『人を見たら泥棒と思え』というかと思えば『渡る世間に鬼はない』があるとの例を挙げた後、御書の中にもある、とこう続けられています。

「御書にも、一見、相反するかのように思えるご指導もあります。たとえば、あるお手紙のなかでは、たった一遍の題目でも成仏できると仰せになっています。しかし、別の箇所では、どんなに題目を唱えても、謗法があれば、全く功徳はないという意味の指導をされている。またあるお手紙では、百二十まで生きても、名を汚して死ぬよりは、一日でも名をあげることが大事であると述べられている。ところがほかのところでは、若死にしてしまえば、なんにもならないとの仰せもあります」(170頁)

これ以外にも、いくつもあります。妻子眷属を思うな、とある一方で妻や子どもを大事にせよとあったり、寸暇を惜しんで生きろと言われているかと思うと、しっかり睡眠をとるように、とか。かつて私も仲間との会話の中で、こうした矛盾を探し、いったいどっちなんだと単純に笑い合う材料にしてしまったものです。

伸一は、「何事にも両面があり、一方に偏らないからこそ人間的なんです。つまり、人間が生きるということは、相反する課題を抱え、その緊張感のなかで、バランスを取りながら、自分を磨き、前へ、前へと、進んでいくということなんです」として、「苦労してやり遂げていくところに、本当の修行があり、鍛えがある。また、その苦労が、諸君の生涯の財産になる」と励ましています。

こうしたやりとりを通じて、伸一は人生や生き方を教え、生命を錬磨する人間教育を現実に展開していったのです。私はこの箇所を読み、改めて自分のいたらなさを痛切に感じます。何事にも両面があるという事実の絶妙さや、人間的とは何かということに思いが至らなかった我が身を恥じる思いでいっぱいになります。

●映像の力についての先見性と神戸

神戸、兵庫の二支部合同の結成式は、神戸王子体育館で行われました。昭和36年5月11日のことです。ここで伸一は記録映画の制作の発表をしました。なぜ神戸の地を選んだかについて、「古くから、海外との貿易の基地となってきた神戸は、新しき文化の都であると考えていたから」だとあります。また、日本の六大都市の中で、最後となった支部結成を、「希望につながる発表をもって、その新たな出発を祝いたかったから」だとも。いらい60年が経った今日、映画、映像の持つ重要性は計り知れぬ大きさを持ちます。それを早くに見抜き、準備を進めた伸一の凄さに刮目する思いです。(175頁)

神戸、兵庫に対する熱い思いを知って、この地で生まれ育った私として奮い立つ思いを抱かざるをえません。当時は高校一年生。日蓮仏法との出会いは後の事(4年後)とて、知る由もありませんでした。ですが、このくだりを聖教新聞紙上で読んだ(4巻の掲載は1995年7月17日〜96年2月10日)頃は、奇しくも阪神淡路の大震災直後でした。神戸、兵庫の復興に向けて立ち上がっていた私たちにとって、強いエールとなり、かけがえのない励ましのメッセージとなったのです。(2021-7-7)

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【15】心は声の響きに表れるー小説『新・人間革命』第4巻「凱旋」の章から考える/7-1

●「声仏事」の拡大解釈の是非

 昭和36年4月3日、伸一は戸田先生の四回忌法要の翌日から全国各県に支部結成大会に飛び、会合の合間にメンバーを激励します。島根県松江市では、口べたで、皆を納得させる話ができないと悩む壮年幹部に「声仏事」と筆で書き、「御書には『声仏事をなす』(708頁)とあります。語ることが仏法です。お題目を唱えて、ともかく、人を励まし続けていくことです。(中略)一言でもよい。信心と真心の一念の声を発することです」(117頁)との言葉を添えて、激励しました。

 「声仏事をなす」とは、仏道修行における「声」の働きの重要性を語ったものです。朝な夕なの勤行に際しても、朗々と声を発して題目を唱えることの大事さを先輩幹部から聞かされました。また、座談会における発言でも、折伏の場面でも確信溢れる明瞭な響きの言葉で話すことを強調されました。

 死にゆくものは、「耳」が最後の最後までその役割を果たすー意識が薄れゆく中でも耳は聞こえているーということと裏腹に、生きているものの最大の証(あかし)は声に表れると、私は理解しています。若い頃に、声を鍛えるために色々と努力をし、工夫もしましたが、中々難しいものと実感しています。というより、自分の声を自分の耳で聞くのは、違和感がどうしても伴います。これって俺の声か、との疑問です。もっといい声のはず、と自惚れがついて回るのです。

 そんなことから始まって、ついつい街頭での演説や国会の質問の際にも、今日の喋りは声仏事をなしてなかったな、などと拡大して判定する癖がついてしまいました。先日も、ある後輩議員の委員会質問をテレビで聞いていて、メリハリが利かない弱い声音だと聞こえたので、つい電話で、「しっかり拝んでるのか。声仏事をなすだよ」などと偉そうに言ってしまいました。私は激励のつもりでしたが、彼はそう受け取れなかったかも。魔の声だったのでは、と反省しています。

●計り知れない供養の功徳

 この章では、供養の功徳について、詳しく語られています。(125頁〜139頁)

 そこでは、仏典を引き、日蓮大聖人の御書を通して、「喜捨の心は、境涯を高め、無量の功徳をもたらし、それがまた、信心の確信を深める。そこに、幸福の軌道を確立する、仏法の方程式がある」と、強調されています。

創価学会が広宣流布を進める上で、必要な経費を担わせていただく役割を持つものを財務部員といいます。入会したばかりの頃は、財務や供養といっても、あまりその価値が分かりませんでした。正本堂建立の特別なご供養に際しても、1ヶ月分の家庭教師代ぐらいしか、それにあてる気持ちはなかったのです。しかし、後年になり、様々な功徳を実感した結果、こんなにも凄い活動をする団体への報恩感謝の一念を表すために、貢献したいと思う様になりました。

 具体的に触れることはさし控えますが、ご供養の精神に則り、私も心ばかりの財務を精一杯背伸びして、させていただいたことがあります。そのときに、信じられないほどの凄い功徳をいただきました。天にも昇る気持ちとはこれだ、という場面でした。いらい、財務、供養の功徳を誰憚ることなく語っています。(2021-7-1)

 

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【14】権力の魔性との不断の戦いー小説『新・人間革命』第4巻「春嵐」の章から考える/6-25

●大阪事件での伸一の「孤立無援」

大阪事件とは、昭和32年の参議院大阪地方区の補欠選挙で起きた創価学会員による買収事件と、戸別訪問による逮捕から始まり、伸一の逮捕・勾留へと発展していった事件を指します。「権力の魔性との激しい攻防戦」が続いていました。昭和36年3月6日から8日にわたって、大阪地裁で裁判が開かれましたが、その間での弁護士団との打ち合わせ場面は、胸詰まる思いに迫られます。

「無実の人間がどうして断罪されなければならないのでしょうか。真実を明らかにして、無罪を勝ち取るのが、弁護士の使命なのではありませんか」「それはそうなんですが。検察は巧妙に証言を積み上げてきている。それを覆すのは容易ではないのです」ー伸一の問いかけに弁護士のひとりはこう答えます。伸一は「孤立無援を感じていた」とあります。(40頁)

「国家権力の横暴を許せば、正義も人権もなくなってしまうことを恐れた」伸一は、この事件に対して「断固、無罪を勝ち取ってみせ」るとの強い決意で挑みます。壮絶な戦いを経て、やがて「無罪」となりました。この頃から20世紀の終盤までの約40年間。私たち学会員はただひたすら「国家悪」と「権力の横暴」に対して、断じて許さないとの思いで戦ったのです。

21世紀に入って公明党が政権与党になり、一転して内側から国家権力の悪と横暴に戦うように変化しました。ただ、今の立ち位置が永遠に続くものではなく、事態は流転します。変わらないのは「権力の魔性」です。個も全体も、どんな状態になろうとも、「魔との戦い」を忘れない、これが全てだと思われます。

●兵庫県下で起きた村八分事件の背景

昭和36年当時、各地で学会員への不当な村八分が深刻になっていました。兵庫県丹波地域の青垣町では、神社への奉仕や参拝を巡って学会員と地域住民との間で軋轢が深まり、信教の自由まで侵される事態へと発展していきました。更に同様の事件が同じ兵庫県三田市でも。この背景には、「日蓮仏法は個人の精神に深く内在化して」いった結果として、「同志は個の尊厳にめざめ、自己の宗教的信念を表明し、主張してきた」ことがあります。そのために「個」を埋没させてきた「旧習の抑圧」としての「村八分事件」が起こったのだと、位置付けられています。(47頁〜64頁)

こうしたケースはその後も陰に陽に長く続いていきます。勿論当初のように、信教の自由を冒したり人権を損うまでに至ることは、なりを潜めています。私見では、それは学会員の側の賢明な対応が根付いてきたからだといえると思います。私自身もつい先年まで400世帯ほどの地域の自治会長をしていましたが、神社への参拝を求められることが多く、そのたびに衝突事件を思い浮かべました。私自身は信仰と地域の氏神への畏敬の念は別と割り切ってきました。

兵庫県下二つの町と市で起きた事件は遠い昔のことで、今では無縁のように思われがちですが、油断は禁物です。日本人が外国へ行く際に、宗教欄への記入について、無宗教と書いたり、空欄にしたままにしておく傾向が続く限り、いつまた再発するやもしれないと、思わないではいられないのです。(2021-6-25)

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【13】新たな文化創造の原動力ー小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」の章から考える/6-21

●混迷する時代を開く「東洋哲学研究所」

 第3巻で描かれるアジアへの旅の間に、伸一は東洋への広宣流布をどう進めるかについて深い考えを巡らせます。その結果として、二つの構想を持つに至ります。

 一つは、「日蓮大聖人の仏法を弘めるうえからも、法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を世界に展開していける人材を育む必要がある。それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していきたいと思う(中略)名称としては『東洋学術研究所』でもいいし、『アジア文化研究所』でもいい」との構想です。(315頁〜316頁)

 もう一つは、「真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか」と述べています。この二つの構想は、「やがて、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)や民主音楽協会などの設立となって実現し、新たな文化創造の原動力となっていった」とあります。(316頁〜319頁)

「東洋哲学研究所」が5月29日にオンラインシンポジウム「21世紀における信仰と理性ー創立者の『スコラ哲学と現代文明』の視座から」を開いたことを私は聖教新聞紙上で知りました。その際に山崎達也同所研究員の『信における内在と超越ー中世スコラ哲学から法華思想へ』との講演タイトルに目が止まりました。実は私の高校時代の同期に、中世スコラ哲学や東方教父の分野に造詣の深い哲学者がいます。九州大学名誉教授の谷隆一郎君です。かつて、彼から「君の信奉する法華経と僕の学んでいるスコラ哲学について語り合いたいね」と問いかけられたことがあるのです。

池田先生のかつての講演『中世スコラ哲学と現代文明』を読んではいましたが、同研究所での取り組みなどには考えが及んでいませんでした。そこへ、この企画です。これはこれは、と思い東洋哲学研究所の旧知の蔦木栄一研究員に連絡しました。谷名誉教授の〝値打ち〟を知っている彼は大層驚き、喜んでくれました。さて、「東方教父」の大学者である我が友と「東哲」の縁結びの役割を果たせることになるかどうか。若き俊英の研究員に下駄を預けるだけではならじと、谷の代表作『人間と宇宙的神化』なる専門書と睨めっこする日々になりました。

 ●力尽きる人々を甦らせる「民主音楽協会」

民主音楽協会の代表理事を務めた吉田要さん(故人)とは、一緒に中野区創価学会の幹部をしていました。また、前代表理事の小林啓泰さんとも中野区男子部仲間で、「中野兄弟」の深い契りを交わした同志です。だからどうなんだと言われそうですが、池田先生の構想実現に生命をかけて生き抜いた人たちを身近な友人として、持っていることに心底から誇りを感じるのです。音楽、演劇を始めとする芸術活動の世界との交流に、取り組んできた群像には半端じゃないパワーを見るのです。

音楽が持つ力は、国境を越え、人種や言語の違いをものともしないと、巷間よく言われます。「9-11」や「1-17」「3-11」などの局地的巨大テロ、巨大災害に苦しむ被害者や被災者に生きる希望を与えてくれたのが音楽であり、各種芸術の力です。今また地球全体を差別なく襲うコロナ禍にあって、同じ「地球民族」としての一体感を持とうと共振させてくれるものが、これら芸術にはあります。

世界中に「思想なき、哲学混迷の時代」との幻想が渦巻き、地球を襲う大規模災害やパンデミックに人々が脅威を抱く今こそ、創価学会が生み出した東洋哲学研究所や民主音楽協会の底力を世に問い、更に知らしめる必要性を感じるのです。(2021-6-21)

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【12】釈尊の教えと現代に至る展開ー小説『新・人間革命』第3巻「仏陀」の章から考える/6-17

●時間と人の意識の有無

伸一は埋納の儀式ののちに、釈尊が悟りを得たとされる場所から、修行をした前正覚山といわれる山を望みつつ、その生涯に思いを馳せたのです。165頁から250頁まで、この章全てをあて、その歴史に触れられています。そのうち、悟りを得た時の釈尊の初めて味わう境地について、以下のように説かれています。

ー大宇宙も、時々刻々と、変化と生成のリズムを刻んでいる。人間もまた同じである。幼き人も、いつかは老い、やがて死に、また生まれる。いな社会も、自然も、ひとときとして静止していることはない。(182頁)

このくだりを読み、時々刻々に刻まれる「時」を人が意識しないのは、いつなんだろうかと、考えたくなります。日常的には、①寝ているとき②我を忘れて何かに熱中しているときの二つ。眠りから覚めて時を意識し、熱中していたものから我を取り戻して、時間の経過に気づきます。一方、人生という長いスパンでいえば、③生まれてからしばらくの幼児の頃④死ぬ間際の意識不明の状態の時の二つでしょうか。赤ん坊や幼児の姿を見て、あの頃は何も考えてなかったなあと思い起こし、年老いて意識が混濁している状態の人を見て、人生の終焉に思いが及びます。

以上の場面のうち、①②③では、あたかも時が静止しているように思われます。今私は自身が後期高齢者になって、眠るという行為や、ものごとに熱中することに幸福感を求める自分に改めて気づきます。また、赤ん坊や幼児の姿に限りない希望と人の生命の奥深さを感じます。④のような、死ぬ経験だけは未だしていないために、その意識不明状態のなんたるかを語れませんが、案外大したことはないのかしれないと思うのです。

「ひとときも静止していることはない」時。それに、「時よ止まれ」と詮ない声をかけたくなり、時の「静止」に憧れ続ける人間。「ねむる」「熱中する」という「無意識」「化死状態」が、むしろ生の前進を支え、未来を約束する。その存在のパラドックス(逆説)に、この世とあの世を橋渡しする、悟りに通じる鍵が潜んでいるのだろうと考えるのです。

●厳格な戒律と単純明快な教えと

「当時のインドでは、苦行など禁欲主義を尊ぶ伝統があり、修行者には、厳格な生活の規律が重んじられていた」(228頁)という状況が語られたあと、「釈尊の教えの根本は、何ものにも紛動されない自分をつくることであり、戒律はあくまでそれを助けるものに過ぎない。釈尊には、厳格な戒律で人を縛るという発想はなかった」(229頁)と述べられています。

釈尊の悟りに端を発した仏教は、これより先、「八万法蔵」といわれるようにありとあらゆる教えに、細分化されていきます。「なにものにも紛動されない自分をつくる」ための方策が、当の釈尊の教えの中にそれこそ数多存在しており、後の仏弟子たちの「宗派選択」に、現代人をして「紛動」させるのです。厳格な戒律で人を縛るものから、限りなく自由なものまで、同じ仏教といっても千差万別です。それを見事なまでに整理し、現代人に適合したかたちで、日常生活に取り入れられるように、表現していかれたのが日蓮大聖人なのです。(2021-6-17)

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