【2】遥かなる「古代ギリシャ喜劇」の呼びかけ━━『7月4日に生まれて』を観て/7-9

 先日、NHKの人気ドキュメント『映像の世紀 バタフライエフェクト』 で『マクナマラの誤謬』なる番組を観た。米国のヴェトナム戦争当時の米国防長官ロバート・マクナマラの数字と理詰めの戦争采配の誤りと愚かさを描いていた。戦後20年ほどが経って、国交回復後の1995年にマクナマラは、かつての敵将ボー・グエン・ザップ(元北ヴェトナム総司令官)と会い、なぜ和平交渉に応じなかったのかと訊いた。ザップは「必要であれば百年でも戦うつもりだった。我々にとって自由と独立ほど尊いものはないからだ」と答えたが、マクナマラは納得出来なかった、とのくだりが興味深かった。ともあれ、ヴェトナム戦争に端を発して「戦争と政治の関わり」に激しく銃口を突きつけた映画は『7月4日に生まれて』だと思われる◆トム・クルーズ演じる主人公コビッチが戦場で経験したことは、赤ん坊を含む住民殺害から仲間への誤殺に至るまでのおよそ無惨で醜悪な現実。戦闘で傷ついた者たちの野戦病院の凄まじいまでの惨状。脊椎の損傷から下半身の自由を失った彼は車いす生活を余儀なくされ、やがて故郷に戻る。持って行き場のない感情を父母や弟ら家族にぶつける切な過ぎる場面、「反戦」論者とのぶつかり合い。車いす傷病兵同士の諍いなどなど、これでもか、これでもかと続く、〝戦中の銃後の悲劇〟には目も耳も覆いたくなるばかり。やがて変身へ。筋金入りの反戦主義者オリバー・ストーン監督らしいタッチは遠慮容赦なく、「戦争悪」を描き抜く◆この映画を観ながらひたすら結末がどうなるかを思い浮かべた。戦争で障害を負ったひとたちに明るい明日を感じさせるには、どういうエンディングを考えたのだろうかと。幾つか考えたが全部外れた。コビッチ本人が大統領選挙に出て反戦を訴えるという意気込みを表現して終わるとは、意外だった。1989年制作(原作は1976年)だから、政治への期待が未だあったのか、と妙な感心をしてしまう。それから30数年、戦争は密林から、山岳地帯へ、そして砂漠へと、メインディッシューにも飽きたらず小皿を追加注文する大食漢のように、主戦場を次々変えて果てしなく続く。この映画は現代における戦争の悲惨さを描き、大いに考えさせたが、この結論、今となってはいささか平凡に過ぎる◆「戦争を考える」につけ古代ギリシャ喜劇のアリストファネスの戯曲『女の平和』は、いやまして輝いて見えてくる。ペロポネソス戦争を終わらせるために、好戦的な男たちに対して女たちに性的ストライキを起こさせる着想だ。女たちが参政権を持たなかった時代に、男装して議会を乗っ取るという『女の議会』と共に、心くすぐられるユーモアと知恵に満ちた2作(『女だけの祭』と併せ3部作)である。「女に政治は分からない」という見立てが幅を利かせ始めて2000年余。人類にとって「女の世界」も「世界の平和」も遥かに遠い。(2023-7-9)

 

 

 

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