【14】主役の〝リアルな自殺〟と重なって━━『いまを生きる』を観て/11-6

 実に味わい深い青春映画だった。老人には、遠くに過ぎ去った若き日を思い出させ、いくばくかの悔恨とそれなりの満足を味合わせてくれるはず。そして若者には、これからの生き方に大いなる修正を迫るに違いないと思われる━━などといっても勿論受け止め方はそれぞれ違って当然。ただし、ここで登場するロビン・ウイリアムズ演じる教師ジョン・キーティングのような豪快無比でユニークな人には、まずお目にかからないだろうということはみんな思うに違いない◆時は1959年、舞台はアメリカ・バーモントにある全寮制の厳格極まる高校という設定。その学校を卒業したキーティングが新任教師として赴任するところから物語は始まる。この教師は「人生の真実は徹底して自らの自由な思索から見出すべし」を信念に持つ、独創的で自由奔放な教育の限りを尽くす。プリチャードの教科書『詩の理解』(架空の人物の作品)でのその部分のページを破り捨てろと、実地に要求して授業中に実施させるほど。彼自身が教壇の机の上に立ってみせ、皆にも自分の机に立たせることで、視点を変えることがいかに大切かを訴えるといった具合。ともかく全てが破天荒。そんな教師が高校時代に「死せる詩人の会」(Dead Poets Society)という私的詩読グループを作って秘密の洞窟に集まっていたことを知った高校生たちは、同じことを自分たちも真似るようになり、学校側や親との軋轢が広まっていく◆そんな中で、演劇に目覚める高校生と、医学を目指せと強要する父親との間で葛藤が起こり、最終的にその子は自殺を選んでしまう。そこから〝犯人探し〟が始まり、グループ一人ひとりへの追及へと波及していく。やがて彼らが抱える秘密が暴かれていき、教師・キーティングの責任が問われて、学校を追われることに。しかし、高校生たちの胸中には彼の熱い思いがしっかりと彼らの体内に根を下ろすに至っていた。替わるべき新しい教師が授業を担当するなか、荷物を取りに教室にきたキーティングと、高校生たちの無言での思いが交錯する場面が胸に迫る。代替の教師が驚きの表情を見せるのを横目に、ひとりまたひとりと机の上に立ち、親愛の思いと教師への深い継承の意思を表現してゆくのである。感動的だった◆この映画を観てごく平凡な我が青春を思い出す。まじめさだけが取り柄の受験高校の出来の悪い高校生だった。卒業してから何十年も経って、それなりに我が周りにもワルがあれこれいたし、彼らを上手く〝調教した〟異色のセンセイもいたことを知った。自分の預かり知らぬところで〝青春を乱舞〟した仲間たちがいたことに驚き、我が鈍感さに恥入った。自分は、ひと時代前の世代に馴染みの本を後生大事に読み漁る風を装っていたに過ぎなかった。勿論、この映画のような展開はないものの、それなりの青春まがいを演じていたつもりだったのだが。過ぎ去ってみれば何もかもが苦々しく甦ってくる。そんな思いを掻き立てさせる映画に心底痺れた◆後日談だが、主人公の教師役を演じた俳優の顔がついこの前に観た映画の主役と重なりながら、肝心の映画名がなかなか思い出せなかった。見終えて『グッドモーニング、ベトナム』(No5で紹介)だったと漸く思い出した。そして現実にウイリアムズが10年ほど前に鬱病から自殺をしていたことも知った。彼が歴代最高のコメディアンであり、日本好きで多くのファンがいることも、何もかも知らなかった。(この辺り、恥ずかしながら、世の中の普通の映画ファンからすれば異色な自分が昔から変わっていないことに気付く) 映画のなりゆきとの落差と、うつろいゆく現実の人生の残酷さに胸締めつけられる想いとが交錯した。やるせない思いが募るのは如何ともし難い。(2023-11-6)

 

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