いつも欠かさずに観ているNHKドキュメンタリー番組『バタフライ・エフェクト』。さる2月21日は、「石油 世界を動かした〝血〟の百年」だった。冒頭は、ジェームズ・ディーンの遺作となった映画『ジャイアンツ』の一場面。掘り当てた油田から勢いよく天に向かって噴き上げる石油と、顔から身体中を油だらけにした彼が「俺は大金持ちだ」と喜び叫ぶシーンが印象的だった。映像では、「実はこの役にはモデルがいた。伝説の石油成金グレン・マッカーシーである」と続く。随分以前の映画を思い出して改めて観た。ディーンは主演ではなく、ロック・ハドソンとエリザベス・テーラーの夫婦2人が中心だったと気づく。1956年12月に日本でも公開された米映画で、監督はジョージ・スティーヴンス。雄大なテキサスの自然を背景に、この地に住む家族の30年に及ぶ人生を描く。石油を掘り当てた中盤の場面以降、人が変わっていく主人公のリアルな様子が気掛かりだった◆ディーンの映画は『エデンの東』『理由なき反抗』と3部作全てを観たが、どれも若さ漲る爽やかな演技だった。屈折した心情を表現し得て胸打つものと感激した。前者は、旧約聖書のアダムとイブの生んだ双子の兄弟カインとアベルの物語を下敷きにしたとされる。キリスト教に縁の薄い日本人にとっては、父親の愛をめぐって仲の悪い兄弟の話ぐらいにしか受け止められない。その観点に立つと、〝兄弟は他人の始まり〟というだけにその関係は難しいし、父親というものの子らへの不平等性もわからなくはない。兎にも角にも人間同士は喧嘩が絶えないということはよく分かる。それだけにラストシーンでの父との和解の場面は深く胸を打つ。意地の悪い女性看護師のおかげかと、ひねくれた見方が頭をもたげてくる。後者はもっと単純に、今の日本でもよく見られる親子の不和で破綻しそうな家庭が舞台。どこにでもいそうな若者の虐めっぽい争い。「チキン・ラン」と云われる崖っぷち目指して車を走らせ、車が海へ落ちる寸前に飛び出す度胸試しには、さすがアメリカと妙な感心をした◆標題作の『ジャイアンツ』は、米テキサスに2400平方㍍もあろうかという広大な土地を持つ牧場主に、東部の名家の娘が嫁いでくるところから始まる。西部との風習、習慣の違いの中で戸惑いながら、家長ともいうべき夫の姉の姑的存在に苦しみつつ、嫁は頑張る。前半は米女性の生き方(といっても裕福なケースだが)をめぐって展開するが、その中にディーン演じる牧童が登場、波乱の存在を漂わせる。家長の姉が落馬死するが、遺言で土地の一部を牧童に残す。その土地から後に石油が噴出する。牧場使用人たるメキシコ人の役割も人種的偏見の捉え方という重いテーマが浮き沈む。後に、結婚を通じて家族の一員となるのだが、そういった伏線も張り巡らせられ、美しく壮大な西部の風景が見る人の眼を奪ってストーリーは進み、引き込まれる◆石油が一気に全てを変える。牧童が大金持ちに変身する様は、俳優ディーンの人生をダブらせて見せ、おまけに残酷にも「石油」のなせる業をも予感させる。この映画が公開されたときには、彼はこの世に存在していなかった。世界の映画史上不滅の興行実績を作ったのも無理からぬことと思われる。具体的な映画の展開を追うのはこの辺りで止す。24歳の若さで散った名優の遺作。彼が生きていれば93歳。この一文の冒頭で触れたドキュメンタリーのタイトルを思い出したい。石油と血を対比させたものだが、100年という歳月の類似性も興味深い。「石油」については我が日本も「持たざる国」として翻弄されまくり、遂に「一国滅亡」に至った。20世紀は「戦争の世紀」と云われる(残念ながら21世紀も続く)が、同時にそれは〝石油の100年〟でもあった。地上で、海上で、空中で、人間が作った〝動くもの〟すべてに関わり、これからも恐らくそうであり続けるだろう〝石油の命脈〟に思いを馳せるとき、映画『ジャイアンツ』とジェームズ・ディーンが甦ってくる。(2024-2-28)