シェイクスピアの名作『マクベス』をベースに、日本の戦国時代に置き換えた「能」の様式が全編に漲るメイドイン・日本らしい意欲作。黒澤明監督、三船敏郎主演への期待に違わず面白い内容で、しかもためになった。三船敏郎演じる鷲津武時と、千秋実扮する三木義明の2人の武将は謀反を起こした敵を討ち、その帰途の森の中で占い師風の老婆に出会う。その女から不思議な予言を聞く。その中身は、武時がやがて北の館の主を経て蜘蛛巣城の城主となり、義明は一の砦の大将になって、のちにその子が蜘蛛巣城の城主になるというもの。聞いた当座は、2人とも一笑に付すがやがて、事態はその老婆の言う通りになっていく。その間に、武時の妻・浅芽(山田五十鈴)の企みが、心揺れる武時を自在に振り回して次々と撹乱してしまう。あたかも老婆の予言を筋書き通りに運ぶようにことは進み、遂には悲劇へと発展する◆大きくいえば「予言」、身近には「占い」といったものは人の心を動かし、振り回す。自分に好都合なものは信じ、不都合なものは無視するといった次元で済めば、かわいいものだが、この映画のように、自分にとって望ましいことを、自ら介入して暴力的に事実を捻じ曲げて実現するとなると、もう大変だ。自縄自縛に陥り、破滅は必至に違いない。奥方・浅芽が、自ら敵に仕立てた相手を殺した。やがて手についた血を洗い流そうとして、幾たびも試みるシーン。どうにも落ちないと言って、必死に手を洗う姿は迫真の演技でおぞましい。男を動かすのは女の力、犯罪の影に女ありなどといった俗言を思い起こして余りあるほどのリアルさが見るものを揺さぶる◆という風に、妻に影響され揺さぶられ、結局は老婆の予言のままに、墓穴を掘り転落する武将をあたかも能のシテのごとくに見事に演じた三船敏郎はさすがだ。数多の弓矢を全身に浴びる有名なラストシーン。この場面は、実はホンモノの矢が混じっていたという。大学弓道部の学生によって射られたようだが、ひとつ間違うとお陀仏になりかねない場面を撮らされて、後に三船はあの時は死ぬかと思って怖かったと述懐したとのこと。また、騎馬の伝令役など三役をやってのけた土屋嘉男は、幾たびも乗馬シーンを繰り返し取り直しさせられ、頭にきて、遂に黒澤監督を馬で追いかけ回したという。その際の鬼気迫る目つきに同監督は命の危険を感じたとか。ともあれ、迫真性を出すため、映画撮影は演じる方も、演じさせる方も、ともに命懸けということだろう◆この映画を観ていて、私は「予定調和」ということについて思いをめぐらせた。世の中の動きが想定通りであるとか、予め決められたかのように進むことを「予定調和」という。様々な場面で自分があらかじめ想定した事態通りになることを期待することは少なくない。この時の心理は、予言や占いの想定を期待してしまう心の動きと共通しているような気がする。これはまた、昨今流行りの「陰謀論」を信じやすい人びとの心理背景とも共通していないか。『蜘蛛巣城』が描く人間心理の危うさ、脆さ、不可思議さは、現在只今のわれわれの周りに漂う状況をも捉えているかのように思われてならない。(2024-3-6)